「創業4年で史上最大級のIPO」世界最初のバイオベンチャーを作った男は科学者ではない
プレジデントオンライン / 2021年5月9日 9時15分
※本稿は、レスリー・バーリン著・牧野洋訳『トラブルメーカーズ 「異端児」たちはいかにしてシリコンバレーを創ったのか?』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の「訳者あとがき」の一部を再編集したものです。
■「商業化までどのぐらいの時間がかかりますか?」
仕事を探していて、十分な時間を持ち、失うものは何もなかった。となれば「当たって砕けろ」である。ボブ・スワンソンことロバート・アーサー・スワンソン(当時28歳)は、自宅に置いてあるピンポン台(仕事机兼食卓)を拠点にして、1年前(1975年2月)の「アシロマ会議(遺伝子組み換えをテーマにした国際会議)」に参加した科学者に片っ端から営業電話をかけることにした。
スワンソンは電話をかけるときには毎回「私は遺伝子組み換えに興味を持っているビジネスマンです。少し質問してもいいですか?」と切り出した。断られる場合もあれば、回答を得られる場合もあった。
主な質問は決まっていた。「遺伝子組み換えの商業化までどのくらいの時間がかかりますか?」「最新技術を駆使して大量生産にこぎ着けるとしたらいつですか?」である。電話の向こうの科学者は一様にあいまいであり、「しばらくは無理」「技術はそこまで進んでいない」「大量生産はまだ検証されていない」などと答えるだけだった。
■強引に面談を取り付ける
ハーブ・ボイヤーに電話をかけたとき、スワンソンはベンチャーキャピタルのクライナー&パーキンス(K&P)をクビになって正式に失職していた。相手が遺伝子組み換えの共同発明者の一人であるということも知らないまま、商業化までどれくらいかかるのか質問した。「数年内」という回答を聞き、驚いた。これほど大胆な予測をする科学者に出会ったのは初めてだったのだ。
「実際に会ってお話しできるでしょうか?」とスワンソンは聞いた。
「忙しいから……」
「どうしても直接お話ししたいんです!」。スワンソンは決して引き下がらなかった。遺伝子組み換えの商業的価値を理解できる一流科学者にやっとこのことで出会えたのだから。
■科学者も商業化の可能性を考えていた
スワンソンは自分の強みを認識していた。大胆で粘り強く、ビジネスセンスを備えていると自負していた。同時に弱みも分かっていた。まず、遺伝子工学の背後にある科学を理解できていなかった。次に、営業電話で冷たくあしらわれたことからも分かるように、生物学者に信用されていなかった。一流の科学者と組まない限りは、起業は無理だということだった。
一方で、ボイヤーは何カ月にもわたって遺伝子組み換えの商業化について密かに思いを巡らせていた。きっかけは幼い息子が小児科医で受けた成長ホルモン検査だった。息子には何の問題もなくて安心したものの、小児科医から「成長ホルモンの入手は難しい」と言われてひらめいたのだ。
成長ホルモン遺伝子を分離できたら、遺伝子組み換え技術を駆使してヒト成長ホルモンを大量生産できるかもしれない! 当時を振り返り、「まだ空想段階でした。起業なんて考えたこともなかった」と語る。
ボイヤーは筋金入りの科学者だった(ペットのシャム猫を「ワトソン」と「クリック」と名付けていた)。同時に、研究成果の商業化を視野に入れていた点で異例の存在だった。当時、生物学者の大半は産業界を懐疑的に見ていた。
アーサー・D・レビンソン——後にジェネンテック最高経営責任者(CEO)、アップル取締役、グーグル取締役になる——は自分自身が若い生化学者だった時期を思い出し、「企業と接触するのもはばかられる時代でした。だから企業に電話するときはラボを出て、外の公衆電話を使ったものです。そうすれば同僚に気付かれないですから」と言う。ブルック・バイヤーズも同意見だ。「研究成果の商業化を考える科学者は物議を醸す存在でした。1960年代にエレキギターへ転向して批判されたボブ・ディランと同じ。あれは一体何なの? 何か悪いことが起きるのでは? こんな受け止められ方でした」
電話の向こう側にいる熱心な若手ビジネスマンが遺伝子組み換えの会社を立ち上げる? 本当にできるのか? ボイヤーはあまり期待していなかった。それでも、話をするくらいならいいではないか、と思った。これまでパイオニアとして取り組んできた技術をいち早く社会へ届けるという点では、会社立ち上げは効果的な手段になる。これまで通り自分はラボで働き続け、技術の商業化を夢見るスワンソンという若者に任せればいい。ひょっとしたスワンソンの会社はいい方法を見つけ出すかもしれない。
「分かった。いいですよ。金曜日午後なら、10分間だけ時間があります」とボイヤーは答えた。
■バーで3時間話し込み意気投合
スワンソンはカリフォルニア大学サンフランシスコ校キャンパスの駐車場に車を止め、ボイヤーのオフィスに向かった。がっしりしていて身だしなみが良く、頭髪が薄くなりつつあるビジネスマン(後年記者から「分厚い財布の上に立たない限りは、大男には見えない」と評される)。上等なスーツにポケットチーフを着けてキャンパス内を歩いていると、いや応なしに目立つ。周りはカジュアルないでたちの学生や教員ばかりだからだ。対照的に、ボイヤーは童顔とふさふさの巻き毛をトレードマークにし、飾り付きのスウェードのベストを着込んでいた。
2人は研究室内で会話を始めたが、すぐに近くのバーへ移動した。ビールを何本も飲みながら3時間にわたって話し込み、お互いの強みとニーズが相互補完関係にあるという認識で一致した。スワンソンは科学ではなくビジネスを理解しており、ボイヤーはビジネスではなく科学を理解している。
■インスリンの合成を出発点に決定
「何が決定打になったのか分かりません。私に説得力があったからなのか、彼に情熱があったからなのか、ビールの影響があったからなのか……」とスワンソンは回想する。「確かなのは、その夜にとにかくわれわれは合意したということです。法的にパートナーシップを組み、遺伝子組み換え技術の商業化に取り組もう、ということで」。ボイヤーはこう語る。「世間知らずで甘い考えの2人を選んでひとつの部屋に入れたらどうなるか。アルコールが入ったらいやが上にも盛り上がるでしょう」
ボイヤーは「最初の製品はヒトホルモン」と確信していた。そこでスワンソンに対し「タンパク質の構造について調べて、最適候補を見つけてほしい」と依頼した。スワンソンがインスリンに行き着くまでに大して時間はかからなかった。
大きく四つの理由があった。第一に、彼の推測では市場規模が1億3100万ドルと大きく、さらに拡大する見込みだった。アメリカで糖尿病の症例件数は毎年6%のペースで増えていたのだ。第二に、全国150万人の糖尿病患者用にインスリンを調達する既存システムがきちんと機能しておらず、恒常的にインスリン不足を引き起こしていた。原料になっていたのはブタやウシの膵臓であり、製薬会社は1ポンド(約450グラム)のインスリンを生産するために8000ポンドの膵臓を調達しなければならなかった(調達先はアーマーやスウィフト、オスカー・マイヤーなどの食肉業者)。
第三に、遺伝子操作によって生産されるインスリンは、動物由来のインスリンよりも安全性の面で優れているはずだった。動物性由来では一部の患者で深刻な副作用が出ていた。第四に、遺伝子組み換えによるインスリン生産は科学的に実現可能性が高かった。51個のアミノ酸で出来たインスリンの構造についてアカデミアはよく理解していた。これは出発点として非常に重要だった。
■失業手当で食いつなぎながら
事業パートナーを得て目指すべき製品を決めたことで、スワンソンは古巣のK&Pに協力を求めた。遺伝子組み換えの会社を立ち上げるまでの間、給与を払ってもらえないか、と打診したのだ。タンデム・コンピューターズの先例を知っていたからだ(タンデムの共同創業者はインキュベーションの時期に「常勤起業家」として扱われ、給与支払いを受けていた)。
しかし、K&Pのユージン・クライナーとトム・パーキンスの2人からはつれない反応しか得られなかった。後年になって当時を思い出し、「2人の間で何かがあったのかもしれません」と推測するのだった。
そのころには毎月410ドルの失業手当で食いつないでいたスワンソンは、大きな決断を迫られていた。ベンチャーキャピタルから支援を受けられず、給与支払いというセーフティーネットは諦めなければならない。一方で、事業パートナーであるボイヤーは協力してくれるとはいえ、大学での教授ポストを捨て去るつもりはないから、当てにするわけにはいかない。
要するに、遺伝子組み換えの商業化を目指すならば、文字通り持てる力の百パーセントを注がなければならないのだった。起業が成功する保証がどこにもないなかで、無給のままで何カ月にもわたって全力疾走する覚悟があるのかどうか、ということなのでもあった。
■ここでリスクを取らなかったら一生後悔する
そんな展望を頭の中で描いてスワンソンは不安におののいた。だが、MITを卒業後最初に就職したシティコープ時代のことも思い出した。たった1日で、同行は200人に上る管理職——勤続数十年の社員も含まれた——を解雇したのだ。誰かに雇われているからといってセーフティーネットに守られているわけではない。
今目の前にあるチャンスに目をつぶって85歳の誕生日を迎えたとき、自分の人生を振り返ってどう思うだろうか? 納得できるか? 85歳になった自分を想像してみておのずと答えは出てきた。ここでリスクを取らなかったら、一生後悔することになる!
スワンソンはスタートアップに一生を懸ける最高経営責任者(CEO)になる決意をしたのだ。初動は失笑ものだった。ボイヤーに対して「社名は2人のファーストネームを組み合わせてハーボブ(Herbob)にしましょう」と提案したのだ。これを聞いてボイヤーは「ジェネンテック(Genentech)にしよう」と逆提案した。由来は「遺伝子工学技術(genetic engineering technology)」だった。
■創業後4年でウォール街史上最大級のIPO
1976年春の時点で、ジェネンテックにはラボもオフィスもなかったし、フルタイムで働く科学者もいなかった。スワンソン、ボイヤー(非正規のパートタイム)、それに2人が掲げる理想――これが同社のすべてだった。それからたったの4年で、ジェネンテックはウォール街史上で最大級の新規株式公開(IPO)を実現する。
ジェネンテックは文字通りブレークスルーを起こした。第一に、バクテリアに外来遺伝子を導入することでヒトのタンパク質を世界に先駆けて合成した。第二に、遺伝子工学による新薬開発に世界で初めて成功した。第三に、バイオテクノロジー企業によるIPO第一号になった。
製薬業界に新たな潮流も吹き込んでいる。科学者は研究成果を学会誌に発表する自由を与えられ、製薬メーカーは社内で生まれた発明を企業秘密にしない――これが業界標準になったのだ。現在、生物学分野で発表される著名な研究論文を見ると、著者の多くは民間企業で雇われている科学者である。
過去40年を振り返ると、ジェネンテックはヒトインスリン以外でも画期的業績を残している。代表例はヒト成長ホルモン、がん治療薬「アバスチン(ベバシズマブ)」「ハーセプチン(トラスツズマブ)」、抗インフルエンザ薬「タミフル(オセルタミビル)」などだ。
2009年、製薬大手ロッシュは468億ドルでジェネンテックを完全買収した。1980年のIPOの際、ジェネンテックは1株35ドルで株式市場にデビューしている。ロッシュによる買収が完了した時点では、それが一株4560ドルになっていた。
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シリコンバレーの郷土史家。スタンフォード大学で博士号(歴史学)、イェール大学で学士号(アメリカ研究)を取得。スタンフォード大学「シリコンバレー文書保管所」のプロジェクトヒストリアン、ニューヨーク・タイムズ紙の「プロタイプ」コラムニスト、スタンフォード大学「行動科学高等研究センター(CASBS)」のフェロー。スミソニアン協会が運営する国立アメリカ歴史博物館(NMAH)「レメルソン発明・イノベーション研究センター(LCSII)」の諮問委員会メンバーも務める。
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(歴史学者 レスリー・バーリン)
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