「政府よりアマゾンのほうが役に立つ」日本のデジタル化が進まないシンプルな理由
プレジデントオンライン / 2021年5月10日 11時15分
※本稿は、早川友久『オードリー・タン 日本人のためのデジタル未来学』(ビジネス社)の一部を再編集したものです。
■「天才IT大臣」オードリー・タンの一風変わった講演
台湾における日本人社会でもオードリー・タン(台湾のIT担当閣僚)の人気が高まるにつれて、講演に呼ばれることが増えてきた。オードリーの講演は一風変わっている。登壇して原稿を取り出して読み始める、というスタイルではない。
講演の参加者は事前に受け取ったメール、あるいは現場のモニターに表示されたQRコードをスマートフォンで読み取って「Slido」(スライド)というネット上のクラウドサービスにアクセスする。Slidoとは会議やイベントなどで、双方向のコミュニケーションができる、臨時のネット掲示板のようなものだ。
参加者はオードリーに聞いてみたいことを事前に、あるいは現場で入力する。講演開始とともに、オードリーは入力された質問に対し、講演時間が終わるまでマシンガンのようなスピードで答え始める。いわば、一般的な講演の際、講演終了後に行われる質疑応答をいきなり冒頭から始めるようなものだ。
このやり方はある意味、理に適(かな)っている。いくら講演テーマが関心のあるものだとしても、自分が本当に聞いてみたいと思うことを講演者が話すかどうかはわからないし、通常の講演スタイルであれば、聴衆の具体的な要望を講演者が把握する手段もない。
しかし、これならば聴衆は自分の聞きたいテーマを、ピンポイントでオードリーに伝えられるし、オードリーも同様に、オーディエンスが聞きたがっていることについて話すことができる。
こうした先進的なやり方について、オードリーが政治の世界に入るきっかけをつくった弁護士の蔡玉玲は、こう語っていたのが印象的だった。
「オードリーはデジタル担当政務委員として、人々が慣れていないもの、未知なるものを自分が積極的に活用することによって、デジタルを啓蒙しようとしています」
■台湾がデジタル化を遂げた地道な努力
もうひとつ、オードリー自ら「透明性」を実践していることがある。それは、自分の仕事のアカウントに届くメールをすべて公開していること。オードリーは自信を持って、次のように断言している。
「私のメールは完全に透明です」
彼女の仕事のアカウントに届くメールは、ほとんどが相談であったりアドバイスを求めたりするものばかりだ。そこで、送信者を匿名化し、特定できないようにしたうえで、メールの内容を公開しているのだという。
これによって、いわば「FAQ」が作成される。「FAQ」とは、説明書やマニュアルの巻末にある「よくある質問」の回答集だ。頻繁に寄せられる質問に対する回答を公開することで、似たような質問や同じような内容を参照することができるし、オードリー自身も以前と重複するような回答を書く必要がなくなるわけだ。
「台湾はデジタル行政が活発だ」と形容するのは簡単だが、その陰にはやはり一歩ずつ社会を啓蒙するオードリーたちの努力があるのである。
その一方で、オードリーは「台湾はデジタル行政が受け入れられやすい社会ですね」とも言う。インタビューの際、「なぜ台湾は、これほどまでにデジタル行政が活発なのか」と質問したところ、オードリーは次のように答えた。
「民主主義はこうじゃなきゃいけない、という『定型』の概念がありませんから」
■若い民主主義と、大陸の脅威
台湾は1996年に初めて、国民が直接投票によって総統を選ぶ選挙を実現させた。これによって、台湾の民主化はほぼ完成されたといってよい。
それまでの台湾は、40年近くにわたる戒厳令による権威主義的な政治体制のなか、言論の自由や政治参加への機会を奪われてきた。台湾の人々は、1980年代後半から始まった民主化によって、初めて「民主主義」というものに接したのだ。
さらにオードリーはこう語る。
「それに拍車をかけたのがインターネットの登場です」
台湾は歴史的な経緯も相まって、政治の変化も激しかった。もともと共産党に敗れて中国大陸から逃げ込んできた国民党政府が台湾を統治していたが、国民党政府は「いつかは中国大陸に戻る」と言い張っていたから、政治体制から憲法にいたるまで、すべて中国大陸を統治するというベースで設計されていた。
やがて権威主義体制が崩壊し、民主化が進むと、オードリーが例として台湾の憲法が6回も改正されていることを挙げたように、台湾の統治に合わない制度は、次々と変えられていく。あたかも身体の成長に合わせて衣服を変えるようなものだ。
それに加えて、台湾の社会はまだ「若い民主主義」であるため、人々は政治に無関心ではいられない。中国が「台湾を併呑する」といつも脅しをかけているものだから、危機意識も強い。
さらにオードリーが「デジタル民主主義」を掲げ、ネット上のプラットフォームを整備して誰もが政治的な意見を表明したり、政府に要望を伝えたりすることを促進しているため、ますます政治参加の意識が高まり、デジタル行政も活発化しているわけだ。
■「政府も国民も同じ方向を向いている」
日本のデジタル革命は、デジタル庁発足を控え、ますます本格化することになるが、オードリーの言葉は大きな示唆に富んでいる。
「デジタル行政は、決して私たちの方向性を変えるわけではありません。政府も国民も同じ方向を向いていることを忘れてはなりません」
行政のデジタル化が進むのは、歓迎すべきことだろう。現状では、民意を表現できるのは18歳以上で日本国籍を持ち、その地域の選挙権を持つ人だけであり、そうした人たちの民意を汲み取れるのは、地域の国会議員や地方議員だけだった。
しかし、デジタル技術を利用すればどうなるか。日本に住んでいるかどうか、18歳以上か以下か、はたまた日本人か否かに限らず、あらゆる人がいつでもどこでも、政府の問題点や社会の課題についての意見やすぐれたアイデアを社会に提案し、政府の政策に反映させることができるようになる。もちろん、提案された意見に反論することも自由だ。
つまり、選挙の日程を待つことなく、常に立場の異なる人々と異なる価値観を共有することができるようになるということだ。これが日本のデジタル革命で台湾に学ぶべき最大のポイントだろう。
■政府と国民のあいだの信頼関係
「政府も国民も同じ方向を向いている」というオードリーの言葉は、政府と国民のあいだに信頼があるからにほかならない。
たとえば、2021年1月、台北国際空港という空の玄関を抱える桃園市の病院で、医師の新型コロナウイルス感染が確認された。そのため、接触履歴のある5000人あまりの隔離、あるいは追跡調査が行われた。
それまで1年近く、国内で複数の感染者が出たことはなかったため、台湾社会に緊張が走る。桃園市政府は職員の市外への出張を原則禁止、人が集まるイベントはすべて中止とした。ただし、桃園には、在来線で30分あまりで行ける台北に通勤や通学する人も多い。
そのため、台北市でも大型イベントが相次いで中止や延期に追い込まれたのだ。
感染者との接触が確認されれば、当然隔離の対象となり、人が集まる場所に出かけたりイベントに参加したりすることが制限される。海外から帰国した場合、2週間の隔離が義務づけられている。しかも、隔離場所であるホテルの部屋から8秒間、廊下に出ただけで罰金を科された例もあったように、その運用は極めて厳格だ。
ところが、こうした厳しい対応について、台湾の人々は「いたって当然」と捉えている。これは、政府がこの1年あまり行ってきた感染拡大防止対策が功を奏していると、国民が信頼しているからだ。さらには、そのための情報発信や説明責任を政府が着々と果たしてきたことも大きい。
■成功のカギは、技術や利便性ではない
日本でマイナンバー制度の推進にあたって「国家に個人情報を把握されるのが怖い」などという人がいるが、それは政府と国民の信頼関係の問題だ。個人情報を把握されるというのなら、政府よりもアマゾンのほうが、よほど人々の嗜好や生活習慣をよく知っているだろう。
日本では、マイナンバー制度の前段階ともいえる住民基本台帳ネットワークシステムの頃から、メディアや反対論者が政府による国民の管理ばかりを強調し、不信感が醸成されてきた部分もあるといえる。
しかし、結局はそうした不信感を払拭する努力を怠り、情報発信や説明責任を十分に果たしてこなかったのは、やはり政府の責任なのだ。政府と国民とのあいだに十分な信頼関係が構築され、さらにマイナンバー制度の運営がメリットになることを国民がきちんと理解しなければ、本当に役に立つ制度は確立できない。
政府はデジタル革命の核として、マイナンバー制度を掲げている。その成功のカギは、実は技術や利便性ではなく、国民からいかにして信頼を得るかにかかっているのである。
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ライター、翻訳家、李登輝元総統秘書
1977年、栃木県足利市生まれ。現在、台湾台北市在住。早稲田大学卒。「台湾民主化の父」と呼ばれた故・台湾総統 李登輝の唯一の日本人秘書であり、現在も、李登輝の遺志を引き継ぎ財団法人李登輝基金会顧問として日台の外交をサポート。オードリー・タン著『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』(プレジデント社)の翻訳チームのリーダーとして書籍翻訳を担当。著書に、『李登輝 いま本当に伝えたいこと』(ビジネス社)、『総統とわたし』(ウェッジ)がある。
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(ライター、翻訳家、李登輝元総統秘書 早川 友久)
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