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「ワクチンは遅延、病床は不足、酒は禁止」菅政権の無為無策には我慢できない

プレジデントオンライン / 2021年5月11日 11時15分

緊急事態宣言の延長などを決め、記者会見する菅義偉首相=2021年5月7日、首相官邸 - 写真=時事通信フォト

■飲兵衛の淡い希望まで奪われた

私は居酒屋難民である。

いや~酷いことになった。4月25日に3回目の緊急事態宣言が発令されてから、居酒屋依存症の私は、気も狂わんばかりである。

今回は午後8時まで営業してもいいが(もちろん休業が望ましい)、酒は一切出してはならぬというお触れが回った。そうはいっても、お上のいうことに従わず、酒を出すところぐらいあるだろうと高をくくっていた。

週に2回ほど居酒屋の暖簾をくぐるのは、夫婦円満を大切にしているからである。コロナ感染拡大で、外で食べる機会も減り、出前を取って家飲みが増えた。顔を突き合わせて酒を飲めば、何かの拍子に過去のよしなしごとをめぐって諍いが起きることは必定。それを避けるための“シェルター”として、私には居酒屋が必要、不可欠だったのである。

緊急事態宣言は、そんな飲兵衛の淡い希望まで奪い去った。

ゴールデンウィークも中日に差し掛かる憲法記念日の夕方、禁断症状が出た私は、片っ端から酒を飲める店を探した。

久しぶりに鰻か蕎麦で一杯やりたいと思い、麹町の鰻屋と室町の蕎麦屋へ電話した。どちらも席はあるが、申し訳なさそうに「酒は出せません」という。

おいおい、鰻の焼ける間に肝焼きで一杯というのが決まりではないか。板わさとノリでちびちびやりながら、シメに冷たいモリを二枚たぐるのが蕎麦っ食いの本道じゃないのか。

■「上野なら」と思い立ったが…

頭に血が上った私は、『太田和彦の居酒屋味酒覧』(新潮社)を引っ張り出してきて、東京の“名店”に電話をかけた。

ゴールデンウィーク中だから、多くの店が休んでいることは百も承知だが、居酒屋の中には年中無休なんてところもある。

森下の山利喜はやっていたが、「うちは今は定食屋です」。中野の「らんまん」も定食屋と化していた。「第二力酒造」は11日まで全休。早稲田のおでん屋「志乃ぶ」は、緊急事態宣言が明けるまで休み。

どいつもこいつもお上のいいなりになりやがってと怒っても、いかんともしがたい。

「そうだ上野へ行こう」

なんたって上野は西郷隆盛の銅像のある町。「お上なんかのいうことなんぞ聞けるか」という気風の残る下町である。アメ横は変わらず人が出ているとニュースでもやっていた。

こうなったら、酒を求めて三千里、敵は幾万ありとてもである。高田馬場駅から山手線に飛び乗り、「昼のみの聖地」御徒町で下車。ここからアメ横までの線路下に昼からやっている居酒屋が多くある。

だが、開いている店は多くない。最初の店で、客引きをやっているあんちゃんに、「酒は飲めるかい」と聞く、手を顔の前で振り「酒は出さない」と情けなさそうにいう。次の店には「アルコールは出せませんが、うまいノンアルコールがあります!」と大書している。「ふざけるな」といいながら、あっという間にアメ横まで来てしまった。

上野・アメヤ横丁
写真=iStock.com/Yue_
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yue_

■不思議な白昼夢まで見てしまう始末

アメ横の人通りは多い。行列しているのはたこ焼き屋。少し先を右に曲がると居酒屋のメッカだが、「もつ焼大統領」が閉まってる! 開いている居酒屋も、「テイクアウトできます」と弁当屋に成り下がっている。

路頭に迷うというのはこのことだ。ボー然と歩いていると、狭い横町から若い男が出てきて、「オジサン、酒あるよ」と声をかけてくるではないか。

男が連れて行ったのは路地の奥にある古い居酒屋のようだが、看板もなければ明かりもついていない。ぼったくりかな? いささか心配にはなったが、好奇心だけで生きてきた人間だから、入り口を開けて中に入る。薄暗くて様子が分からなかったが、目が慣れてくると、小さなテーブルに一人ずつ座って何か飲んでいる。

「オジサン、何にする? ビール、焼酎、日本酒、ウイスキーもあるよ」

ビールをくれというと、「1本2000円、現金払いね」。カネを握らすと中瓶とグラスを持ってきた。全員「黙飲み」。飲みながら、「これって、アメリカの禁酒法時代のようだな」とひとりごちた。

歩きながら、あまりの酒欲しさに白昼夢を見ていたようだ。

■一人客や寄席すら禁止する愚策

家飲みができるからいいではないかという声が聞こえてきそうだが、そうではない。家でカミさんと角突き合わせて飲む酒と、居酒屋で飲む酒は違う飲み物なのである。パンケーキが好物の菅義偉首相には理解できないだろうな。

私だってコロナに感染するのは怖い。だが、身体の健康が大切なように、心の健康維持も大切である。飲食店でのクラスターが多いからといって、酒に罪があるわけではない。安酒をくらって酔っ払い、大声を出し、周囲を辟易とさせる輩(やから)のほうに罪がある。罪を憎んで酒を憎まず。

宗教改革で有名なマルチン・ルターもこういっている。

「酒と女と唄を愛さぬ奴は生涯バカで終わる」

東京都の小池百合子知事は、「コンビニで酒を売らないようにできないか」とまでいい出した。私には狂気の沙汰としか思えない。

こうしたらいい。居酒屋で飲めるのは2人までにする。テーブル席には並んで座ってもらう。テレビは音を消してつけておく。こうすれば大声で話す必要はなく、一人客も静かに飲めてありがたい。

酒は泪(なみだ)かため息か、心の憂さの捨て所である。今のご時世、憂さが溜まって爆発寸前の人間が多い。私もその一人だ。暴発しないように、戸を少し開けて、風通しをよくしておいてやるのは、為政者の知恵というものである。

2008年8月3日の浅草演芸ホール
写真=iStock.com/N-O-K-N
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/N-O-K-N

私は落語も好きだ。今回の緊急事態宣言下でも、寄席は「こういう時こそ笑いが必要」だと、感染防止策をとって続けてきた。だが、都からの事実上の休業命令で、泣く泣く休まざるを得なくなってしまった。

橋下徹が大阪市長だったとき、文楽の助成金をカットしたことがあったが、あれに匹敵する“愚策”である。

■「期間は短くするべき」首相と厚労相が対立

緊急事態宣言がこれほど厳しくなったのは、菅首相も小池都知事も、東京五輪開催が最優先だからである。

3度目になる緊急事態宣言発令に際して4月21日、官邸で関係閣僚や事務方が集まって協議する場で、「期間は短くするべきだ」と菅首相が主張したと週刊文春(5/6・13日号)が報じている。

だが当然ながら、あまりに期間が短いと感染者が減らず、宣言解除できなくなる。そこで田村憲久厚生労働相が「絶対にそんなことはダメです」と抵抗して、ほんの少しだけ期間が延びたそうである。

だがその2日後にも、菅首相は突然、「7月末に高齢者のワクチン接種を完了させる」といい出した。実現不可能なミッションを突き付けられた河野太郎ワクチン接種担当相は激高して首相に直談判し、「できるわけがありません」といったそうだ。

菅首相は、ファイザーのワクチンは9月までに国民全員に行き渡ると豪語したが、これもウソに終わった。それが知られると今度は、まだ日本では承認されていないモデルナのワクチンを使うといい出したのである。

週刊文春のいうように菅首相は、専門家の意見に耳を傾けたり、データを精査したりすることなく、思い付きでいうだけなのだろう。

■医療従事者を“タダ働き”させるのか

コロナ分科会の尾身茂会長でさえ五輪開催に疑問を呈しているのに、東京五輪組織委員会は「五輪には医療従事者が1万人、看護師が500人必要」などと無責任な要求をする始末である。

その後、スポーツドクターを200人、それもボランティアで募集するといい出した。スポーツドクターというのは医師免許取得後4年が経過し、講習などを受講して得られる資格だそうだが、それだけの人材をタダで使おうというのだから、開いた口が塞がらない。

4月25日に行われた3補選で全敗した日の夜、党本部で林幹雄幹事長代理はこういったという。

「コロナ対策とワクチンの遅れ、そして、総務省接待問題がきつかったよ」

案の定、菅首相は5月7日、東京、大阪など4都府県に愛知、福岡を加えて緊急事態宣言の5月末までの延長を決めた。

デパートやテーマパークなどの営業は8時までの時短要請に緩和したが、東京都は独自の対策で大型商業施設や遊技場などへの休業要請を続けている。プロ野球も観客を5000人まで入れることができるが、飲食店の酒の提供は引き続き認めないという。居酒屋難民の苦難はまだまだ続く。

■選手用ワクチンが突如浮上

今回の延長期間を1カ月にという要望もあったようだが、それでは五輪開催が危うくなると菅首相は考えたのだろう。

菅首相が五輪開催に固執する理由は、五輪の余韻が冷めないうちに衆議院を解散して総選挙を行い、何とか自民党の議席を現状維持して、自身の再選につなげたいという思惑からである。

国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長の狙いもはっきりしている。カネ儲けのためである。

ワシントン・ポスト電子版(5月5日付)のコラムは、バッハを「ぼったくり男爵」と呼び、「開催国を食い物にする悪癖がある」「ライセンスによる収益や放映権料を得る一方で、日本に巨額な費用のかかる過剰な要求をしている」と酷評し、パンデミック下での五輪は中止したほうがいいと報じた。

五輪のオフィシャルパートナーになっている大新聞は「中止」などと大声ではいえず、腑抜けたままだが、スポーツニッポン(5月7日付)は一面全面を使って、「『ぼったくり男爵』最後の一手 五輪強行ワクチン」と報じた。

IOCが五輪に参加する各国・地域の選手団だけにワクチンを提供すると発表したことに、噛みついたのである。

なりふり構わずバッハは五輪を強行しようとしているが、日本国内のワクチン接種が進んでいないのに、アスリートだけが特別扱いを受けることに、国民からの批判は避けられないと書いている。

五輪に参加するのはアスリートだけではない。万を超える関係者たちはどうするのか。17日の来日は延期となったが、バッハ会長にはぜひ問いたいものだ。

■なぜ日本人は怒りを忘れてしまったのか

無為無策を体全体で表している菅首相に、国民の我慢も限界に来ているはずだが、世論調査をすると政権支持率が40%前後あることが、私には理解不能である。

たしかに「他よりよさそうだ」という曖昧な理由が圧倒的だが、これに対する答えはすでに出ている。「安倍晋三でも長きにわたって首相が務められたのだから、誰でもできる」というものだ。

その政権を引き継いだのだから、菅政権が“無様”な醜態をさらすのは当然のことだ。だが、その政権に対して、陰に隠れてSNSで批判する人間は多いが、姿をさらして大声で怒りをぶつける人間が少ないと思うのは、私だけではないはずだ。

なぜ、日本人の多くが政治に対する怒りを忘れてしまったのだろう。

元自民党のプリンスといわれた中村喜四郎衆院議員(立憲民主党)は、「安倍政権の最大の功績は国民に政治を諦めさせたことだ」といった。

卓見だと思うが、それに加えて私は、日本人が大切なものを見失ってしまったからだと考えている。それは日本国憲法の前文に高らかに掲げられた「国民主権」である。

雨の日に横断歩道を渡る人々
写真=iStock.com/shih-wei
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/shih-wei

1960年以降、政治家や役人たちによって、憲法の前文にある「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」という文言を忘れるよう教育されてきたからである。

結果、「国民とはオレのことかと日本人」となってしまったのである。

■この国を一番悪くしているのは誰か

もう一度前文を読み返し、主権は我にありと自覚したら、今の政治の在り方に怒りが湧いてこないはずはない。

五輪開催を国民の健康よりも優先するこの国の政治の在り方に、“真っ当”な怒りをぶつけようではないか。

国民の自由を制限しておいて、PCR検査もおざなりにし、医者や看護師、コロナ専用の病床を増やすことも十全にしない政治に怒るべきである。

「ワクチン敗戦」といわれるほど後手後手になったワクチン接種が遅れていることに怒るべきである。

菅首相をはじめ、ウソばかりついて国民のことなど考えない政治屋や、利権に血道を上げる電通をはじめとする政権癒着業者、IOCのほうばかり向いて現実を見ようとしない五輪組織委の面々、その片棒を担いで恥だとも思わない大新聞、テレビに対して怒るべきだ。

この程度の国民だから、この程度の政治、この程度のメディアしか、この国には存在しないのだ。

しかし、国を一番悪くしているのは、何もいわない、怒らない、行動しない国民ではないのか。真っ当な怒りを表すことを恐れることはないはずである。

それができない、やろうとしないのは、この国の民が「国民主権」を忘却しているからだと思う。

■われわれは今すぐに始めるべきだ

白井聡は『主権者のいない国』(講談社)でわれわれにこう迫っている。

「内政外政ともに数々の困難が立ちはだかるいま、私たちに欠けているのは、それらを乗り越える知恵なのではなく、それらを自らに引き受けようとする精神態度である。
真の困難は、政治制度の出来不出来云々以前に、主権者たろうとする気概がないことにある。(中略)そして、主権者たることとは、政治的権利を与えられることによって可能になるのではない。それは、人間が自己の運命を自らの掌中に握ろうとする決意と努力のなかにしかない。つまりは人として当たり前の欲望に目覚めること、それが始まるとき、この国を覆っている癪気(しゃっき)は消えてなくなるはずだ」

原爆被爆と敗戦、阪神淡路大震災、東日本大震災と原発事故、今回のコロナ禍。何が起きても、その時は大騒ぎするが、のど元を過ぎればあっという間に忘れ去ってしまって、学ぶことをしない。

酒を飲むしか能のない私でさえも呆れ果てる。このような国が、他国から尊敬されるはずはない。

われわれは、自己の運命を自らの掌中に握ろうとする決意と努力を、今すぐに始めるべきである。たとえコロナ禍の中であっても。(文中敬称略)

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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