「7月中に全員が接種完了」そんなドイツで発生する"ワクチン・ヒエラルキー"とは
プレジデントオンライン / 2021年5月14日 11時15分
■副作用をめぐって、接種基準の変更が続いていたが…
ワクチン接種で出遅れた上、アストラゼネカ製のワクチンによる副作用をめぐって、何度も接種基準の変更が続き、国民の政府への不満が高まっていたドイツだが、4月後半からワクチン接種のテンポがメキメキと上がり始めた。
もともと、こういうことを秩序立てて進めるのはドイツ人の得意とするところでもある。4月28日には、なんと1日の接種件数が100万件を超え、この調子でいけば、7月の終わりには希望者全員がワクチン接種を終える予定だ。
それどころか、今年の夏休みには、接種対象が現在の18歳以上(ファイザー/ビオンテック製に限っては16歳以上)から12歳以上にまで拡大され、子供もワクチン接種が可能になるだろう、と政府は意気込んでいる。ただし、ワクチン接種にことのほか熱心なドイツ人でも、いざ自分の子供となると、「受けさせたい」という人はまだ半分弱だそうだが。
■「接種完了者には制限を解除しろ」
そのドイツで、接種完了者が増えるにつれて始まったのが基本的人権についての議論である。ドイツでは、すでに1年以上も職業の自由、集会の自由、外出、私的な会合、教育を受ける権利などといった、本来なら基本的人権とされる権利が大幅に制限されたままになっている。その上、現在は第3波の拡大を防ぐためという理由で、「緊急ブレーキ」と呼ばれるさらに厳しいロックダウンが全国で実施されている。
だからなおのこと、早く昔のように自由になりたいという欲求ははちきれんばかりで、「ワクチン接種完了者に対しては、制限をすぐに解除しろ」という声が、すでに政治家が無視できないほど高くなっていた。
つまり、現在、ロックダウン中のドイツで議論されているのは「では、それら基本的人権をいつ、どのように、そして誰に対して回復していくか」ということだ。
■未接種でも「区別しない」と言っていたのに…
そもそも、ワクチン接種については、知らないうちに政府の言っていることが少しずつ変わっていく。
昨年、まだワクチン接種が始まっていなかった頃は、「ワクチンの接種は義務にはしない」ということがやたらと強調されており、かえって奇妙だった。さらに、「ワクチンを接種した人が絶対に他人に感染させないと証明されたわけではないので、接種者と未接種者との区別はつけない」と言っていた。
それがいつの間にか、「ワクチン不足が解消されて接種の機会が全国民に均等に与えられるまでは、区別はつけない」となり、最近になって案の定、「民間組織(例えば航空会社、レストラン、美容院、映画館など)が、ワクチン接種者、コロナ快癒者だけを受け入れると決めた場合、それは合法である」に変わってしまった。
つまり、それ以外の人は、いちいちコロナテストを受けて、陰性証明を提出する必要がある。とはいえ、レストランやジムに行くのに、毎回、コロナテストを受けるのはかなり面倒なので、これでは実質的に、普通の生活を送りたければワクチン接種が義務だと言われているようなものだ。政府は、自分たちは「区別をつけない」と言いながら、それを民間にやらせているようにも見える。
![今のドイツで明るい表情の人がいるのは緑の中だけだ(4月、ライプツィヒ市内)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/b/670/img_db56e6b0f7b594590f99cec339ca51c11138894.jpg)
■「ワクチンパス」発行に異議も
それどころか、EUは大急ぎで、共通のワクチンパスの発行を目指しているという。
ワクチンパスには、ワクチン接種の有無、コロナ罹患と快癒、24時間以内のテスト結果などの最新情報が入り、そのパスをスマホで提示すれば、EU内を制限なしで動けるようになるという。
つまり、ワクチン未接種の場合、毎日、コロナのテストをしなければ、お隣のフランスにも行けない。それどころか、国内のホテルでも泊めてくれなくなる可能性は高い。
ただ、最初からこの動きに異議を唱えている法律家や医師、政治家も多い。
彼らの主張では、基本的人権というのは、生まれながらにして全ての人間に備わっており、当局が奪ったり、あるいは与えたりできるものではない。基本的人権は「特権」ではなく、従って買うこともできなければ、努力したり、うまく立ち回ったりして手に入れるものでもない。だから、それを手にするために何の条件もつけてはならないということになる。
例外的な制限はある。例えば、享受する者がそれを保証している国家の国民であること、また、選挙権は成人でなければ与えられないなどだ。しかし、それ以外に多くの制限はかけられていないし、かけられるべきでもない。もちろん、健康であっても、病気であっても、基本的人権が制限されることはない。
■未接種だからと人権が取り上げられていいのか
ところが、現在の議論では、ほとんど全ての政党が、「ワクチン接種者は、感染を広める可能性が非常に低いから、基本的人権を制限する理由はないに等しい。だから、それらを再び返還すべきである」という論調だ。
![Covid-19ワクチン](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/e/670/img_ce4f5f785008388e47d6f87727255699573965.jpg)
これは、一見、筋が通っているように聞こえるが、裏返せば、「感染を広める可能性のある人間から基本的人権を取り上げるのは当然」ということになる。そして、それを返してもらうためには、ワクチン接種という条件がつけられたわけだ。
さて、こうなると論点は、ワクチン接種という条件付けが、基本的人権を制限してまでも行われなければならないほど、現在のドイツ国内の新型コロナウイルス感染症の状況が深刻であるかどうかということになる。
例えばエボラ出血熱のように、ものすごい感染力で、さらに、感染したら最後、死に至る可能性のかなり高い疫病が蔓延しているというなら、そのケースに当たると言える。しかし、目下のところ、ドイツの罹患者の数は、日本よりは多いかもしれないが、それほど深刻とは言えない。
しかも、ドイツでは現在、1万5000カ所以上のコロナテストセンターが設けられており、誰でも無料で検査を受けられる。また、職場でも週に1~2回の検査が義務であるし、対面授業を行っている学校では、週に2回、全生徒と教職員が教室で授業前にコロナテストを行っている。
つまり、毎日、100万件から200万件もの検査が行われていて、この数字なのだ。
■ワクチンを打たないのは反社会的?
政府は、夏休みには12歳以上の子供へのワクチン接種を開始するというが、新学期が始まった時、接種していない子供がどうなるのかはまだ分からない。あるいは、ドイツ人は旅行が好きなので、夏の家族旅行を実現するために、多くの人が12歳以上の子供たちにも接種を受けさせるかもしれない。
ワクチン接種に関しては、ドイツ国民の意見はすでに真っ二つに分かれている。
一つは、接種を待ち望んでいる人たち、あるいは、待ちに待った接種が終わって幸せいっぱいの人たちだ。しかも、彼らの間では、ファイザー/ビオンテック製(ドイツではこれが最高品質と言われている)を接種した人たちが、アストラゼネカ製のワクチンを受けた人に対して知らず知らずのうちに上から目線になっているというワクチン・ヒエラルキーまで見受けられる。
いずれにせよ彼らは、ワクチン接種を拒否する心理など、絶対に理解できない。彼らにとって接種は、自分の免疫力向上のためであり、同時に集団免疫を完成するための国民全員の義務なのである。
それどころか、ワクチン接種を躊躇する者は、他の人を感染させることを意に介さない反社会的な人物であると弾劾するような雰囲気さえ出来上がりつつあるように感じる。
■懐疑派は「憲法違反ではないか」
それに対してワクチン懐疑派は、現在、流行している新型コロナウイルス感染症は風邪の一種で、しかもドイツでは、インフルエンザよりも被害状況が軽微なほどなのに、なぜ、ワクチン接種が強制されなければならないのかと反発する。
彼らにしてみれば、ワクチンは受けたい人が受ければよい。たとえ集団免疫が達成されたとしても、ウイルスがゼロになるわけではないのだから、これまでインフルエンザと共存してきたように、各自が注意しながら、コロナとも共存すればよいという考えだ。
また、現在出回っている新型コロナウイルスのワクチンは、どれもまだ長期的な安全が十分に確認されないまま、緊急認可されたものだ。だから、まだもう少し様子を見たいと思っている人も大勢いる。
いずれにせよ、ワクチン接種者が増え、感染の危険が下がれば、是非ともワクチンを接種しなければならない理由は消える。それにもかかわらず、未接種者の基本的人権が制限され続け、その回復にワクチン接種が条件となるなら、それは憲法違反だという考え方が生まれているのだ。
そして、まさにこの考えが、ワクチン接種派にとっては反モラルの象徴で、許し難いのだから、意見は絶対に噛み合わない。
■自由を求めワクチンにすがりつく
2カ月ほど前までは、これら両方の意見が主要メディアでも取り上げられていたが、奇妙なことに、今、それが忽然と消えてしまった。そして、まるで当たり前のように、「ワクチン接種がどんどん進んでいる」、「接種が進むことによって、急速に自由が戻ってくる」などという話ばかりが明るいニュースとして報じられている。しかもそこには、うれしそうな表情の高齢者の映像が添えられる(高齢者からワクチン接種を始めたので、2度の接種を終えたのは高齢者が多い)。
5月4日、ワクチン接種者に対する制限の解除内容が閣議決定され、まもなく両議会を通過する予定だ。皆が望んでいることを決める時の与党は強い。これで国民の機嫌もよくなり、支持率が上がるだろう。また、接種に対するモチベーションもさらに上がるに違いない。
しかし、よろこんでいる人たちは、政府が、ワクチンの効果は約半年で、半年後には再び接種を、と言っていることを知っているのだろうか。しかも、変異種もおそらく次々と現れる。現在の接種完了者のよろこびは、いったいいつまで続くのか?
ドイツでは今、コロナにだけは罹ってはいけない。たとえ高齢でも、コロナで死ぬことだけは許されない。鼻の前に人参を吊るされた馬のように、自由とコロナフリーの夢を目の前に吊るされた人たちが、異なった意見を持つ人たちを蹴散らしながら、国民皆接種に向かって必死で走っているように、私には見える。
州によっては、5月9日あたりから、ワクチン接種完了者に対するいくつかの制限解除や、レストランやカフェの戸外の営業を許可する動きが出始めている。感染者も重症者も稀である若者や子供が、ここでも我慢を強いられているように感じる。
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作家
日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ライプツィヒ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。その他、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『移民・難民』(グッドブックス)、『世界「新」経済戦争 なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか』(KADOKAWA)など著書多数。新著に『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)がある。
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(作家 川口 マーン 惠美)
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