聖帝・仁徳天皇の逸話に学ぶ「コロナ救済の最優先事項」
プレジデントオンライン / 2021年5月21日 9時15分
■国民を救わない財政均衡の罪
コロナで苦しむ家計を助けるために、あるいは国民に十分なインフラを享受させるために、大幅な財政出動が要請されるとき、財源となる税収が不足し政府は破産するという意見が必ず出てくる。つまり「政府は財政均衡を保つべきだ」というのが常識と考えられている。
しかし、経済学でいわばダークホースの学説、MMT(現代貨幣理論:Modern Money Theory)によると、政府赤字が出ても、政府は紙幣を発行すればいいので、通貨発行国は破産することはない。政府が貨幣を発行しすぎるとインフレーション(以下、インフレ)が起こって国民を困らせることはある。インフレが起きないならば、財政赤字は国民の福祉を助けるというのである。
しかし読者は、それでも政府が無駄遣いしてもよいのかと問いかけてくるだろう。たとえば、トランプ前米大統領は、個人的利益のために、主要7カ国首脳会議(G7サミット)を自分が所有するフロリダやスコットランドのリゾートでやろうと試みた。このように、一般に政府は民間の経済主体と異なり利益を求めて経済合理性に従って行動しないから、財政支出が政治的な利害だけで決定されて、無駄に使われる可能性も高い。
そこで均衡財政論者は、財政の無駄遣いを防ぎ、そしてインフレを防ぐために、財政均衡の目標を国民のために掲げているのだと主張するであろう。しかも民間企業や家計と同じように、政府も債務超過になったら困るという論理は、一般国民に常識的な説得力があり、内外の多くの学者もそれを一般的な真理であるかのように認めてきた。
■財政赤字は悪という歴史的誤解
歴史を振り返ると、封建時代の専制君主には、歌劇「フィガロの結婚」の伯爵が望んだような特権などが存在したといわれている。その中でも、自分で通貨を発行できることは極めて重要な特権であり、通貨発行権は特に「領主権(シニョリッジ)」と呼ばれているほどであった。
読者が小切手を書けばそれが通貨として通用する世界を想像してみよう。読者にとっては予算制約がなくなる素晴らしい世界であろう。
そこで封建領主は自分の勝手な目的のために支出をして、それが課税で賄(まかな)えなくなると、通貨を発行ないし通貨の改鋳(かいちゅう)をした。通貨改鋳がいつも悪いわけではなく、時には適度の景気刺激になって民間が潤うこともあった。もちろん、当然増発によって通貨の供給が行きすぎると、インフレになることもあった。
MMTの説くように、民間の企業や家計のように、少なくとも将来に向けて政府予算をバランスしなければならないというのは誤りで、それは政府に、そして国民に不必要な制約を課すものである。しかし政府に、インフレにならない限り予算の累積赤字は許されるなどと言ってしまうと、政府の予算執行が野放図になってしまうので、一般市民にわかりやすく、「政府は財政収支を守れ」というのが安全のための知恵だったのかもしれない。
『古事記』『日本書紀』には、5世紀ごろ16代天皇だった仁徳天皇の「民のかまど」の話が記されている。これは財政規律と国民の生活について深い洞察を与えてくれる話である。
仁徳天皇は即位して間もなく民の生活ぶりを見ようとして高い山に登ってみると、民家からかまどの煙がほとんど立ち上っていなかった。そこで天皇は、民が貧しい生活をしていることを知り、租税や労役を3年間だけ免除した。その間、公租収入が入らなかったので、宮殿の茅の屋根さえ雨漏りするようになった。
さて、3年たって、ふたたび山に登り民家を眺めると、今度はかまどの煙が立ち上っているのを見て天皇は満足されて次の歌を詠んだという。
「高き屋に 登りて見れば けむり立つ 民のかまどは にぎはひにけり」
臣下は、では租税や労役を課しましょうと進言したが、天皇はそれに従わず、その後さらに3年、公租を徴収しなかった。
■財政出動と減税が現代日本を救う
仁徳天皇は、このような心遣いで人々から「聖帝」と呼ばれ、のちには大規模な灌漑事業──バイデン米大統領の大規模インフラ計画を思い起こさせる──を行った。現在その巨大な前方後円墳が堺市に残されている。
現在、コロナで国民が苦しんでも、将来の政府の財政赤字を心配して救いの手を伸ばさないという考え方がある。しかし、政府の財政収支を気遣うあまり、現在苦しむ人を助けず、子どもの教育投資を怠って、生産力のある人的資本を残さないでもよいのかという問いに対して、仁徳天皇の逸話は重要な教訓を与えてくれる。政府の借金は外国に対する借金が残らない限り、政府と民間の間の貸借関係にすぎず、国民全体の福祉とは関係がないのである。
ただ、MMTは十分注意して使わないと危ないこともある。社会が今のようにデフレで困っているときに政府の予算制約を外すということは、ゼロ金利下の金融政策だけでなく、財政支出を併用せよ、さらにはむしろ財政が主役となって金融が追随せよということになる学説なので、20年来デフレ基調の続いている日本経済の時宜にかなっている。
しかし、経済学者としては副作用の可能性も指摘するのが正直であろう。インフレが始まると、どこかで国民の期待が今までの長いデフレの期待からインフレの期待に急転することがありうる。そこで金利一定の下で貨幣供給を続けると、インフレが止まらなくなる恐れがある。そのような際には、かつて米連邦準備制度理事会のボルカー元議長が行ったように急速な利上げを速やかに行う必要がある。中央銀行が受動的な名目金利一定の金融政策から離れて、能動的なインフレ退治の主体にいつ変わるのかを、MMT論者はより真剣に考察する必要があると考える。
私が内閣官房参与(当時)として安倍首相(同)に最後にお会いしたとき、「ある程度危険なことのある学説(MMT)でも、ちゃんとその意味を配慮して使えば国民の役に立つ」と申し上げたら、山口出身の首相から「ふぐも調理師がうまくさばけば国民が喜ぶということだね」というお返事が返ってきた。
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イェール大学名誉教授
1936年、東京都生まれ。東京大学法学部入学後、同大学経済学部に学士入学。イェール大学でPh.D.を取得。81年東京大学経済学部教授。86年イェール大学経済学部教授。専門は国際金融論、ゲーム理論。2012~20年内閣官房参与。現在、アメリカ・コネチカット州在住。
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(イェール大学名誉教授 浜田 宏一)
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