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「日本の20代男性だけ古い考えに囚われている」30~40代より同性愛許容度が低いナゾ

プレジデントオンライン / 2021年5月14日 9時15分

近年、「同性愛」に関する日本人の意識が大きく変化している。統計データ分析家の本川裕氏は「同性愛に対する日本人の許容度の最新調査(2019年)では男性の若年層(29歳以下)の数字が同中年層(30~49歳)より低く、また女性との差が若年層だけ大きく広がっている。若い男性だけ古い考え方に囚われているともとれる」と指摘する――。

自民党の特命委員会が2021年4月、同性愛者を含む性的少数者に関する「理解増進」を柱にしたLGBT法案を公表した。これに対して党内保守派にはなお慎重な意見がある一方で、当事者や活動家・有識者は、「理解増進」法案は理解が進むまでこれを免罪符にして差別を放置しようとする悪法だとして、むしろ「差別禁止」法案に変更すべきだと反対している。

また、こうした動きに先立つ3月17日には、同性婚を認めないのは「法の下の平等」を定めた憲法14条違反だとする判決がはじめて札幌地裁で下され論議を呼んだ。

今回は、同性愛を取り上げ、わが国でこれについての理解が高まっている点や世界の中でこれをめぐって価値観の二極化が生じている点について、データで確かめてみよう。

■同性愛を認める方向への国民意識の大きな変化

まず、「同性愛」については、それに対して理解を示す方向で国民意識が大きく変化してきている点を示そう。

世界数十カ国の大学・研究機関の研究グループが参加し、共通の調査票で各国国民の意識を調べ相互に比較する「世界価値観調査」が1981年から、また1990年からは5年ごとに行われている。ただし最新調査は前回から7~10年後(日本は9年後)となっている。

世界価値観調査は各国毎に全国の18歳以上の男女、最低1000サンプル程度の回収を基本とした個人単位の意識調査である。

この調査の日本に関する結果から、ここでは、同性愛に関する許容度の時系列変化をグラフにした(図表1参照)。同性愛のほか脱税、自殺、DVなどに対する倫理的許容度の設問は「全く間違っている」の1から「全く正しい」の10までの10段階評価で回答する形式となっている。

最新の調査結果を見ると「全く間違っている」(1点)は9.5%であり、「全く正しい」(10点)の29.4%の3分の1になっている。そして、6~9点の回答は合計で31.0%となっている。同性愛を「正しい」と考える日本人が多数派となっていることが理解できる。

しかし、こうした国民意識の現状は新しいものだ。世界価値観調査が行われた最も古い年次である1981年の結果を見ると「全く間違っている」が56.6%と過半数を占め、「全く正しい」は2.0%とごく少数だった。現在とはまったく正反対の状況だったことがよく理解できる。この40年で国民意識は一変したのである。

1~10点の10段階の回答の平均点を計算してみると1981年から、2000年、2010年を経て、2019年にかけて、2.48→3.53→5.14→6.71と変化している。2010年ごろにほぼ賛否が半々に達してから、さらに、この約10年に大きく同性愛容認の方に国民意識が大きく傾いたことが分かる。平均点による許容度判定については、これ以降も何度も登場するので頭に置いておいてほしい。

■若い男性の同性愛許容度はやや低い

こうした急激な変化をもたらしたのが国民のどのような層であるのかをうかがうため、男女・年齢別の許容度(平均点)を次に見ておこう(図表2参照)。

こういう新時代の価値観については、当然、若者が敏感で高齢者は古い考えを抱いたままと予想される。実際、2010年についても2019年についても若年層(29歳以下)の許容度が高く、高齢層(50歳以上)の許容度は低くなっている。ただし、高齢層の変化を見ると2010年から2019年にかけての上昇幅は若い世代と比べて遜色がない。高齢層まで含めた国民全体での意識変化が生じているといってよかろう。

一方、男女を比較すると2010年も2019年も各年齢層で女性の許容度が男性をかなり上回っており、女性の方が同性愛に対して寛容であることが分かる。

まだ囚われている若い男性?

男女・年齢別の動きを見ていて、少し、奇異なのは男性若年層の動きである。2010年から2019年にかけて男性若年層だけ許容度の上昇幅がそれほど大きくなかったため、2019年の状況では、男性中年層(30~49歳)より許容度が低く、また女性との差が若年層だけ大きく広がる結果となっている。若い男性だけまだ古い考え方に囚われているとも見えてしまう。

■世界各国の同性愛に対する見方は大きく異なる

こうした意識変化は日本だけの動きなのだろうか? 次に同性愛の許容度についての国際比較を見てみよう。

まず、主要国の最新年次の回答結果を比べてみよう(図表3)。

同性愛許容度の国際比較

許容度の高い国の例としてスウェーデンを掲げた。スウェーデンでは10(全く正しい)に回答した人が72.3%と圧倒的に多い。平均点は8.7である。

次に、許容度の低い国として中国を掲げた。中国では1(全く間違っている)に回答した人が67.7%と圧倒的に多い。平均点は2.3点である。

一方、許容度が中程度の国として、日本と米国を掲げた。平均点が6.7の日本は1や10への回答も多いがその中間の回答もかなりある。米国は平均点では6.2と日本とそれほど変わらないが、具体的な回答結果は、1が19.3%、10が31.2%と1位、2位を占めており、その中間の回答はずっと少ない。

つまり、日本と米国は平均点では同程度なのであるが、国内の意見対立の程度が大きく異なるのである。米国の場合は、先の大統領選ではバイデン候補を推した民主党支持のいわゆるブルーステートの人々とトランプ前大統領を推した共和党支持のいわゆるレッドステートで同性愛に対する見方が、妊娠中絶などと並んで大きく対立しており、それが、こうした両極に分かれた回答分布に結びついていると思われる。

■欧米先進国並みに高くなった日本の同性愛許容度

世界では、同性婚を法的に認める国が増加している(図表4参照)。

同性婚ができる国・地域と導入年

たしかに、世界的に人権意識が高まっており、性的少数者であってもその権利を極力尊重しようというのが国際的な潮流になっていることは間違いない。わが国でも、そうした潮流に沿って同性婚を実現しようとする動きが、当事者や社会運動家の間で高まっているといえよう。

しかし、こうした潮流はほんとうに全世界的な動きなのだろうか。それとも一部の国々だけの動きなのだろうか。

こうした点を確かめるため、世界価値観調査における同性愛許容度の平均点の各国分布を2010年期と2017年期で比較した散布図を作成した(図表5参照)。どちらの時期でも調査が行われた42カ国が対象となっている。

同性愛許容度の変化

図表からはいろいろなことが読み取れる。

まず目立っているのは、各国の同性愛の許容度が、平均点が1から10近くまで、広く分布している点である。42カ国のうち2017年期の許容度最低国はヨルダンであり、平均点は1.3である。許容度最高国はアイスランドであり、平均点は9.0である。同性愛への見方の差は世界の中でこれだけ大きいのである。

■儒教道徳の影響力が根強い東洋の国と同性愛許容度の関連

国名をチェックすると、許容度の高い国は欧米先進国に偏っている。特にアイスランドやスウェーデンといった北欧の国の許容度が高い。

欧米先進国の中では米国の許容度が最も低い。これは、上で述べたように、国内にヨーロッパ的な地域と頑固に独自性を保っている地域とが並立しているからである。

他方、許容度の低い国は、すべてが途上国であり、なかでもヨルダン、チュニジア、パキスタンといったイスラム教国の低さが目立っている。欧米先進国以外の人口大国である中国やロシアも平均点が3以下とかなり低い方である。

台湾や韓国は、いまや経済的には先進国に仲間入りしているが、同性愛に対する見方では、平均点が5以下であり、なお低い方と言わざるを得ず、欧米先進国とは一線を画している。やはり、従来の儒教道徳の影響力が根強いのであろう。

台湾ではこうした同性愛への許容度の低さにもかかわらず、2017年5月、最高裁判所が同性カップルに結婚の権利が認められないのは違憲であるとの判断を下し、2年以内の法改正を求め、2018年11月の国民投票をへて、同性婚がアジアではじめて合法化された。

さて、わが国の位置であるが、許容度の水準が欧米先進国並みとなっている点が、実は大きな特徴だといえる。東アジア儒教圏の中で、中国はさておいて、経済発展度では肩を並べるようになった台湾や韓国と比較しても特異に高い許容度だと言えよう。

ただし、日本の許容度は、米国を除く欧米先進国と比較すると一番低い位置に甘んじているともいえる。日本の有識者が日本は遅れていると主張するのは、ここらへんに根拠がある。

■世界全体の同性愛観は「全般的な寛容化」というより「二極化」

さらにこの散布図で注目すべきなのは、2010年期から2017年期にかけての変化の様相についてである。すなわち、各国が45°線より上にあるか、下にあるかで上昇、下落を判定すると、もともと許容度の高い欧米先進国ではおおむね上昇しているが、もともと許容度の低い途上国や日本以外の東アジアでは許容度が横ばいか下がっている国がほとんどである点が目立っている。

つまり、世界の同性愛許容度は、全般的に上昇しているのではなく、むしろ、二極化しているのが実態なのである。

日本も欧米先進国並みに上昇しているので、どうしても許容度の高まりが世界的傾向だと思い込みがちなのであるが、それは欧米先進国の傾向であるにすぎないことを忘れるべきではなかろう。

『ザ・ホワイトタイガー』というインド映画(2021年)は、起業家である主人公が、中国の首相に語り掛ける次のようなナレーションではじまる。

「世界の未来は黄色と茶色の人間のものです。かつて世界の主だった白人は男色と携帯電話とドラッグで自滅しました。インドの真実を無料でお教えしたいので、今から私の半生を語ります」

ここで黄色と茶色は中国人とインド人を指している。躍進する中国やインドの同性愛への見方はこんなものだろう。

■同性愛への許容度の高まりは世界的トレンドではない

同性愛に対する見方の二極化は、世界的にだけでなく、国内的にも生じている可能性がある。米国では民主党対共和党、あるいは北部と南部の対立として二極化している。わが国でも、自民党対野党の考え方の対立、あるいは図表2で示したような男性若年層の独自傾向のようなかたちで二極化が進んでいる可能性がある。

同性愛への許容度の高まりを当然の世界的トレンドと見誤るととんでもないところで足をすくわれることになるかもしれない。例えば、日本人はうっかりすると途上国から欧米のまねをするだけ底の浅い国民と見なされてしまうだろう。

最後に、同性愛に対する見方の個人的見解について述べておこう。

同性愛に対する倫理観については単に人権意識の向上という観点からだけで議論するのは間違いであり、むしろ、生殖にむすびつかないからといって本当に同性愛が自然に反した性向かどうかをもっと根本にさかのぼって認識すべきだろうと私は思っている。

そもそも異性愛自体が自然に反した人類固有の性向なのであり、同性愛はその派生物にすぎないという理解が肝要なのではないだろうか。人間のペニスや乳房は生殖には不必要なほど巨大であり、そうした生理的な基礎の上で文化的に生じた異性愛も生殖のためというより、生き残るために不可欠な平和で安定的な集団形成の手段として人類に固有に備わったものと考えれば、異性愛を求めておいて、何も同性愛だけ差別する根拠はないと見なさざるを得ないのである。

こうした見方が一般的に広がっていけば、同性愛への世界的な対立や国内対立は、いずれは溶融していくのではないだろうかという希望的観測を私は抱いている。

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本川 裕(ほんかわ・ゆたか)
統計探偵/統計データ分析家
1951年神奈川県生まれ。東京大学農学部農業経済学科、同大学院出身。財団法人国民経済研究協会常務理事研究部長を経て、アルファ社会科学株式会社主席研究員。「社会実情データ図録」サイト主宰。シンクタンクで多くの分野の調査研究に従事。現在は、インターネット・サイトを運営しながら、地域調査等に従事。著作は、『統計データはおもしろい!』(技術評論社 2010年)、『なぜ、男子は突然、草食化したのか――統計データが解き明かす日本の変化』(日経新聞出版社 2019年)など。

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(統計探偵/統計データ分析家 本川 裕)

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