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「1曲20分、4曲で80分」やたらと曲が長いプログレが少年たちを魅了したワケ

プレジデントオンライン / 2021年5月23日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/filonmar

1960年代末から1970年代にかけて、日本では「プログレッシブ・ロック」が大ブームになった。当時、中学生だったKADOKAWAエグゼクティブプロデューサーの馬庭教二さんは「プログレをひと言で定義するなら、曲が長いということになる。当時は小遣いも限られていて、友達と一緒に聞くのが楽しみだった」と振り返る――。

※本稿は、馬庭教二『1970年代のプログレ 5大バンドの素晴らしき世界』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。

■「一曲20分」プログレは長い!

プログレの特徴は、何といっても1曲1曲が長いことだ。前稿でふれた定義やら5原則などどうでもいいから一言で説明してくれと言われたら、「プログレは長い」と答えるだろう。

レコード(記録&再現媒体)が普及してのちのポピュラー・ミュージック(大衆音楽)とは、アナログ・レコードの時代においてはまずシングルレコード(SP=ショート・プレイ・レコード)の表面を指すものであった。1曲はせいぜい2~3分である。

これに対しプログレの場合は、アルバム(LP=ロング・プレイ・レコード)の表裏両面(約20分×2で約40分)か、少なくとも片面(約20分)だけでも「通して聴く」ものであった。

その構成は、レコードの表か裏に1曲(20分という長い曲である)、反対の面に短かめの曲が数曲というのが定番である。

なかにはレコードの表裏で全1曲(40分かけてたった1曲)、さらにはそういうものを集めた2枚組、3枚組という大作さえあった(イエスの場合、『海洋地形学の物語』という2枚組アルバムがあるが、ABCD面各1曲なので80分間かけて全4曲しかない)。

すなわち、レコードに針を下ろすとまず20分はひたすら音楽を聴くことになる。だから、自宅や友達の家で誰かと一緒にプログレを聴くと、たいした話もしていないのについつい長居になってしまうのだ。

■友人と二人、居住まいを正して聴く

次に、読者に10代とか20代の若い人がいたとして、何も20分間黙っていないで曲を聴きながら話をすればいいではないかと思うだろうが、プログレはちゃんとして(居住まいを正して)、気合を入れて聴く音楽だった(以下、年齢に限らず異論のある方はお許しください)。

まさか正座はしないがだからといって寝転んで聴くのは憚(はばか)られるような、そんな雰囲気があったと思う。おしゃべりは不可なのである(ただし、自分ひとりで聴く時は寝っ転がってでも許される。友達と聴く時だけのルール)。

したがって時折、

「おい、今のところ、かっこいいよなあ……」
「……(うむ)……」とつぶやく程度。

そして20分後、曲が終わった時、待ってましたとばかりに、

「何回聴いても感動するなあ!」
「おお。ギターがたまらん!」などと絶賛し合う。で、そのあと、
「でも、このバンドの肝はベースじゃないか」
「いや、ギターだ。なんでかと言うとだなあ……」というふうにひとしきり論評し合い、
「それじゃあ、次はB面を聴こう」

とレコードをひっくり返し針を下ろす、そうするとまたしばらく会話は止まる。

■あっという間に時間が立ってしまう

ということで、アルバム2、3枚をフルに聴いて曲の合間に感想を語り合うと4時間ぐらいはあっという間にたってしまう。

これでは平日の帰宅後ならもちろんのこと、週末の午後、昼飯のあと落ち合ってもすぐに夕食の時間となる。

「いかん。もうこんな時間だ。帰らないとお袋に怒られる」「じゃあな」となる。

ただただレコードを聴くばかりで、結局一言も言葉をかわさなかったことすらあったような気がするのだ。

このように時にろくに話もできず、最後はあわただしく別れることになるなら、はじめから自分ひとりでゆっくり聴けばいいではないかと思うかもしれない10代とか20代の若い人が読んでくれているとして、でもこのことは少しわかってくれる気がする。

友達と一緒にプログレを聴くのにはそれなりの理由があるのだ。

友人の感想や批評を聞き、自分が気付かなかった聴きどころを教えてもらう楽しみ。同好の士として好きな曲やフレーズを確認したり思いきり意見を戦わす喜び。これが一番の目的だ。補足するとプログレは難解な歌詞やテーマ、音楽の表現にも初めて聴くタイプのものが多いので、「あなた(他人)はどう思うのか」「いったいこれはどういう意味なのか」「果たして何の音なのか」と尋ねたり、学んだりすることが必要で、これがレコードを聴く喜びの一つだったのだ。

■洋楽仲間の間で生まれた「担当制」

しかし実は、もっと切実な、経済的な理由があったこともたしかだ。

1970年代前半、アルバムは1枚2000円から2500円ほどしたが、これは当時の中学生には大変な出費である。そうそうは買えない。したがって、人のレコードを聴かせてもらって(その際お返しに自分のレコードを聴かせてあげることが大事だ)、持っていない分を補うしかない。レコードで聴かなくてもカセットテープ(これは10代20代の人にはまったく意味がわからないだろう)に録音すればいいではないかと思うかもしれないが、友人が貴重な小遣いをはたいて買ったものを簡単に録音してくれとは言えない、そんな雰囲気があったのだ。

こういう現実の中で私たちが考え出したのが、いや自然発生的にそうなったのか、ともかく「担当制」だった。

○組の△△はツェッペリンにはまっているらしい、○組の○○はアメリカのフォークに強いようだ、□組の××はビートルズマニアだ、中でもポールのソロは全部揃えている──そういう話はいつのまにか、うまい具合に同学年の音楽ファンに広まっていくものだ。

プログレに限らずサイモンとガーファンクルでもユーライア・ヒープでもCSN&Y(クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング)でもいい。井上陽水でもアグネス・チャンでもいい。まずは仲間内で「俺こそは」という最高のファンを自認するやつが「担当」となり、あるバンド、アーティストのレコードを集中して揃え、かつ極力フランクに皆に聴かせるのだ。

■三枚組4500円『イエスソングス』の思い出

こうして、私たちはいろいろなバンド、歌手、アイドルたちのいろいろなレコード、アルバムを聴くことができたわけだ。私がプログレにはまったのが1973年の春だったが、この年の終わりには、すでにプログレ四天王(編集部注:キング・クリムゾン、イエス、エマーソン・レイク&パーマー、ピンク・フロイド)の「担当」は決定していたと記憶する。もちろん私は、イエスの担当だった。

3枚組ライブアルバム、『イエスソングス』(1973)のジャケット
3枚組ライブアルバム、『イエスソングス』(1973)のジャケット

レコードの値段の話が出たら、どうしても触れておきたいのが、イエスのその名も『イエスソングス』(“Yessongs” 1973年)というライブアルバムだ。3枚組で4500円した(編集部注:後のCD版は2枚組)。老いたサラリーマンとなった今でも4500円はそれなりに使い出のある金額だが(好きな本を買って軽く一杯やって帰れる)、まだ少年である中学生にとっての4500円はとんでもない値段だった。今の10万円ぐらいの感覚だろう。実際のボリュームはシングルアルバム×2でしかないのに、なぜか5倍、10倍のインパクトがあったのだ。

■異常なまでに凝ったつくりのレコードジャケット

イエスファンになりたての私は、この最新作が欲しくて欲しくて、家の手伝いを懸命にしたり、頼まれた買い物のつり銭をくすねたりして必死に4500円を貯めた。だから、人のではなく自分の『ソングス』(プログレファンは略してこう呼ぶ)を手にした日の感激は忘れられない。友人宅で聴いていたので中味そのものはだいたい知っていたが、人のではなく自分のレコードの分だけ、ばかばかしいことだが演奏も音もいいような気がしたものだ。なにしろ、いつでも自由に聴けるのがたまらない。

イエスのアルバムはジャケットも素晴らしいのはプログレファンならご存じの通りである。主にロジャー・ディーンというイラストレイターが手がけていて、耳だけではなく目でも楽しむことができた。

なかでも『イエスソングス』のジャケットは異常なまでに凝ったもので、3枚のレコードと解説・付録が入る計4つの袋を綴じた分厚い冊子8ページに渡って、物語性のあるイラスト(太古の昔、宇宙からある惑星に星々の断片が次々に落ちてきて生命がもたらされ、生命は魚のような生き物から鹿のような動物、人間にまで進化する。そこへある時、どこからとも知れないが宇宙船がやって来る。はたして彼らの目的は……といった物語。私の勝手な解釈)が描かれ、おまけに何とオールカラー12ページのステージ写真集まで付いているという豪勢なものであった。

イエスは、前前作『こわれもの』(1971年)前作『危機』(1972年)の好セールスとこれらを引っ提げてのツアーで世界的な成功を収めており、『イエスソングス』はその余勢をかい、満を持して発表した3枚組ライブだった。レコード会社もメンバーも「売る」ことに自信があったと思う。それなのにジャケットをケチな作りにせず、自宅で聴くファンのために大興奮のステージ模様を伝える写真集まで付けた。私たちは、このファンを大事にする彼らの姿勢に好感を持ったのである(利益率は下がるが、結果的にそれで売れ行きが伸びたともいえる)。

■ファンをがっかりさせたELPの3枚組

ところで、翌1974年、エマーソン・レイク&パーマー(ELP)が同じく3枚組のライブアルバム『レディース&ジェントルマン』("Welcome Back My Friends To The Show That Never Ends")をリリースした際、『イエスソングス』並みの豪華なジャケットを期待したものだが、案に相違した低レベルのものでファンをひどくがっかりさせた。

表紙はアルバムタイトルのロゴのみ、中の3ページを「E」「L」「P」の巨大な3文字だけで使い切るという明らかにやる気のないデザイン。色合いも淡泊でカラー写真は裏表紙のたった1枚、しかもピンボケのステージ遠景という悲しくなるくらいの粗末な作りであった。

私は、この手抜きジャケットに表れたELPの、最近の言葉でいう「ファンファースト」でない姿勢がその後の彼らの人気の凋落の遠因ではないかとさえ思っている。なお、同作は録音面においても、重低音の再現性が非常に悪く(つまりグレッグ・レイクのベース音が小さく、明瞭でない。聴き取りづらい)、この面でも『イエスソングス』に大きく劣っている。

■ジャケットもアルバムの重要な構成要素だった

田舎の中学生でもレコードのジャケットはそれ自体がアルバムの重要な構成要素であるという認識は持っていて、できるだけ汚さないよう皆気を遣っていた。まさか手袋はしないが、仲間と部屋にこもってレコードを聴く時、草野球などして汚れた手のままで触るなど絶対に許されない、そんな雰囲気があったと思う。

『1970年代のプログレ - 5大バンドの素晴らしき世界 -』(ワニブックス)
『1970年代のプログレ 5大バンドの素晴らしき世界』(ワニブックス)

友人の『イエスソングス』を取り扱う際、大切な宝物にしているのがよくわかるから特に注意したものだが、実際に購入すると今度は自分のレコードだから重みがちがってことさらていねいに扱った。まさか抱いて寝はしないが(そんなことをしたら余計に傷んでしまう)、好きになった女の子の写真のように、何度も何度も眺めては悦に入っていたものだ。

当時プログレに限らず、洋楽アーティストの情報は、ごくごく限られたものだった。文字情報(ニュースやヒストリー)も写真(新しいものも過去のものも)も容易に手に入らなかった。映像となればなおさらである。というか好きなバンドの映像を自由に入手するという発想すらなかった。

だから、レコードを聴く時にジャケットをじっくり見ること、解説や訳詩を熟読することは支払った代金の元を取ることであり、作品制作に込めたバンドの意図を読み解くための重要な行為だったのだ。

『イエスソングス』の場合は、レコードを聴きながら写真集を眺め、その場(遠く離れたライブ会場)にいる「臨場感」を味わい、また、イラストを眺めながら、彼らが音楽に込めた、または触発されたであろうイマジネーションを共有しようとしたのである。

■アルバムを持つことがステータス

ところで私が『イエスソングス』を入手したことは、さっそく学校中のプログレ仲間に知れ渡った。『イエスソングス』を持っているやつといないやつとの間には、明らかに一線が引かれていたように思う。5000円近い高価な代物だし、ライブアルバムだからほとんどすべての曲を、既発表のスタジオ録音のアルバムで聴くことができるからだ。

「よほど余裕があるのでなければ『ソングス』を買う必要はない。そんな金があるなら新譜を2枚買うべきだ」と断言する友人もいた。

しかし、だからこそこのアルバムを買うことはイエスファン、いやプログレファンとしての決意表明でありスタート地点に立つことを意味していた。ぶ厚い3枚組のジャケットを手に、僕もこれで正式にプログレファンの仲間入りを果たしたのだと子ども心に感慨にふけったものだ。

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馬庭 教二(まにわ・きょうじ)
1959年島根県生まれ。大学卒業後、児童書・歴史書出版社勤務の後、角川書店(現KADOKAWA)入社。「ザテレビジョン」「関西ウォーカー」「月刊フィーチャー」等情報誌、カルチャー誌編集長を歴任。雑誌局長を経て、現在、2021年室長、エグゼクティブプロデューサー。

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(馬庭 教二)

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