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「僧侶で同性愛者でメイクのプロ」そんな私が人生で迷っている人たちに伝えたいこと

プレジデントオンライン / 2021年5月20日 11時15分

西村宏堂さん - 撮影=佐藤将希

僧侶でメイクアップアーティストの西村宏堂さんは、24歳まで同性愛者であることを家族に隠していた。「普通と違う自分」に劣等感を感じていたという西村さんが、カミングアウトを決意した理由とは――。

※本稿は、西村宏堂『正々堂々 私が好きな私で生きていいんだ』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。

■「自分は劣等なのだ」と思い生きてきた

私は、僧侶で、メイクアップアーティストで、LGBTQの当事者です。お坊さんとしてお経を唱えて、メイクもして、ハイヒールも履き、キラキラのイヤリングもつけて、同性愛者であると公言しています。といっても、堂々と胸を張って自分のことを話せるようになったのは、26歳からでここ数年の話。

私は20年以上、周囲の人たちと違うセクシュアリティを隠し続け、自分は劣等なのだと思い生きてきました。他人に笑われたり、批判されることにビクビクしながら、自分が“普通じゃない”ことに罪悪感を感じ、正直な気持ちを隠しながら生きてきたんです。

■小さい頃はディズニー・プリンセスに夢中

幼少期は、お姫様ごっこやお絵描きなどの遊びが大好きでした。幼稚園の卒園文集に書かれた先生の言葉には、私がシンデレラごっこの遊び方をみんなに教えてあげていたとありました。

幼少時代は頭にスカートをかぶってロングヘアーみたいになるのが好きだった
幼少時代は頭にスカートをかぶってロングヘアーみたいになるのが好きだった(写真提供=西村宏堂)

母は私が家で「こうちゃん、女の子よ!」と言って、母のミニスカートをはいてくるくる踊っていたと言います。当時、街で「かわいい女の子ね」と声をかけられると、母は「いいえ、男の子なんですよ」って答えていて、それを聞くたびに私は、「えー、ちがうのに~」ってがっかりしたのを覚えてる。

大好きなのは、ディズニー・プリンセス。お友だちが園庭や校庭でドッジボールをしていても、その輪の中に入りたいと思ったことは一度もなくて。突き指しそうで怖いし、そんなことするくらいなら、たとえひとりでも部屋の中でアリエルやセーラームーンの絵を描いているほうが楽しかったの。

 

■「あいつオカマでしょ?」の声に凍りついた

思い出してみると、私の中に変化が起こり出したのは、小学校に入ってから。男女の違いがハッキリ分かれるようになって、「女の子っぽい」とバカにされることもあったから、いつの間にか本当の自分を封印してしまったんですよね。

さらに、高校入学をきっかけに、私の心は完全封鎖。男子は男子、女子は女子と完全に分かれてて。どちらでもない私は、行き場を失ってしまい、友だちと呼べる人はひとりもいない教室で、休み時間は完全孤立状態。

自分が同性愛者だと気づかれるのが怖くて、誰とも話さない毎日。同級生にみじめな子と思われたくなくて、お昼の時間になるとふらりと教室を立ち去って、やらないといけないことがあるふりをして、校内をひたすら歩き続けました。

でも、ある日の掃除の時間、黒板のほうを向いている私の背後から「西村、あいつオカマでしょ?」という同級生の声が聞こえてきて。その瞬間、凍りついてしまった。彼とはちっとも仲良くなんかないのに、やっぱりわかっちゃうのかな……。聞こえないふりをして必死に強がっていたけれど、私の心は布団圧縮袋の空気が抜かれるようにギューッと締めつけられて、小さく小さく、しぼんでいきました。

明日からどんな顔をして学校に行けばいいの? あざ笑われたようでプライドはズタズタ。オカマと言われればオカマなのかもしれないけど……、「そうだよ。男の人が好きなんだよ」と言える強さを、当時の私は持っていませんでした。

■「アメリカなら」と逃げるように留学したが…

高校卒業後、映画の中のアメリカは自由なイメージで、アメリカなら私を受け入れてくれるんじゃないか。友だちができるんじゃないか、疎外されないんじゃないか、そんな思いがどんどん膨らんで、半ば逃げるように日本を飛び出し、アメリカへの留学を決めました。

でも現実は全然違った。自分の居場所がきっと見つかるって希望を抱いていたけれど、実際はアメリカ人の友だちはできず、人種差別的な言葉の暴力を受けたりして……。ここでも自分は受け入れられない存在なんだって、落ち込みました。

こんなはずじゃなかったという思いが「この状況は、私が日本人だから」という言い訳を生み出し、「日本人というルックスと文化のせいで受け入れられない」と言い聞かせることで自分をなぐさめているような状態。

■私の考えは間違っていたのかな

そんなときに飛び込んできたのが、「森理世さん ミス・ユニバース2007 優勝」という驚きのニュース。世界的に有名な美を競うコンテストで、日本人がその頂点に立つとはいったいどういうことですか? って、私は大混乱。森理世さんの登場によって、あれ? 私の考えは間違っていたのかなと思い始めたんです。

それから少しずつ、行動が変わっていったと思う。ボストンの教会にゲイの若者向けのコミュニティーがあって、そこに参加するようになって、初めてリアルゲイ友ができたのも、仲良しの日本人の友だちにカミングアウトできたのもこのころでした。

20歳でニューヨークの美大に進学して、そこで独自の価値を持ち、またLGBTQである学生や先生たちが堂々と自分を主張する姿を目の当たりにし、私をずっと苦しめていた“普通”や“常識”が少しずつ塗り替えられていったのです。1日の中で笑顔の時間が増えていきました。メイクアップアーティストのアシスタントになったのもこのころ。

メイクアップアーティストとしての活動もスタート
写真提供=西村宏堂
メイクアップアーティストとしての活動もスタート - 写真提供=西村宏堂

■24歳でようやくカミングアウトできた

でも、人生が上向き始めても、人生グラフは谷底のまま。その理由は、両親にカミングアウトできていなかったから。両親に自分が同性愛者だと告げたら見放されるんじゃないか、二度と家には帰れないんじゃないかと思うと、怖くて仕方がなくて、言う勇気を持てずにいました。

ゲイチャット仲間には、「カミングアウトしたけど宗教上の理由からダメだと言われた」という子がいたし、ボストンの教会で参加した若者向けのゲイミーティングでは、「両親にゲイと伝えたら見捨てられて難民としてアメリカに来た」というメキシコ人の子にも出会いました。

私も同じことになるかもしれない、その恐怖心に打ち勝てたのは、「言わなきゃ変われない」「私は変わりたい」という気持ちが、勝ったから。

僧侶の修行に入る直前の24歳のときにカミングアウトを果たし、まるでピーチサイダーのプールにドボンと飛び込んだかのように、人生がキラキラと輝きだしたのです。

■修行先で悪夢の再来が…

僧侶の修行はとにかく厳しくて、入浴のときだけが唯一リラックスできる時間。みんなの心のガードもすっかり外れたお風呂上がり、私がパンツをはこうとしていたら、同じ修行僧で小柄なジャイアンみたいな人が近寄ってきて「てめえ、最初に見たとき、カマかと思ったぜ」って、いきなり大声で話しかけてきたんです。

周りには他の人たちもいて、もちろんみんな裸。なんで? いま? ここで? そのトピック? と思ったし、その瞬間、高校時代に「西村、あいつオカマでしょ?」と言われたときの心がギューッと縮まるような感覚がよみがえりました。

「どうしよう」と考えを巡らせたけれど、ここでごまかしたら、黒板の前で固まってしまった高校生のときと私は何も変わらないって思った。大きく息を吸ってから、呼吸を止めて、えいやって勇気を出して「そうだよ」と答えたら、小柄なジャイアンはびっくり仰天。

■一歩を踏み出したらラクになった

予想外の答えにとまどったのか、その場で男同士の営みはどうするんだとかグイグイといろいろ聞いてきて、そんな質問には答えたくないなと困っていたら、「西村くんは、ニューヨークでメイクアップアーティストをしていて、ミス・ユニバースとかで活躍しているんだよ」と友人が助け舟を出してくれて。

それを聞いた小柄なジャイアンはさらにびっくりしたのか、黙り込みました。作務衣に着替えて寝室に向かう途中、廊下を歩く私を追い抜きざまに「ニューヨークでも頑張れよ」ってその彼が声をかけてきて。敵かも? と思っていた相手が応援してくれるとは思っていなかったから、今度は私のほうがびっくり。

私が自分のことに確信を持ち、勇気を出して正直に答えたことで、彼の気持ちも変化したのかなと思ったら、とても嬉しくて。言うときには、えいやって腹をくくる必要があるけど、一歩を踏み出したらラクになった。

僧侶になるための修行の様子
写真提供=西村宏堂
僧侶になるための修行の様子 - 写真提供=西村宏堂

■男、女と誰かに定義されるものではない

私は、けっして優れた人間ではありません。学校の成績も英語と美術をのぞけばダメ。マラソンも途中でお腹が痛くなってビリ。お坊さんの修行をするための入行試験には一度落ちています。こんな私でも、自分を好きになることができたと多くの人に知ってほしい。

『阿弥陀経』という経典に「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という一節があります。青い蓮の花は青く光り、黄色の蓮の花は黄色く光り、赤い蓮の花は赤く光り、白い蓮の花は白く光る。それぞれの花がそれぞれの色で輝いていることが素晴らしいという意味。

私は私のことを「男でも女でもない」と思っているし、「男でも女でもある」とも思っているんです。私の体は私のものだし、私の心も私のもの。本来、誰かに「男だ、女だ」と定義されるべきものではないと私は思ってるの。

■己の信じる姿が「真の姿」だから

西村宏堂『正々堂々 私が好きな私で生きていいんだ』(サンマーク出版)
西村宏堂『正々堂々 私が好きな私で生きていいんだ』(サンマーク出版)

ニューヨークのプライド・パレードに一緒に行った女の子は、当時、付き合っている彼女がいたけどその数年後に中国人の男性と結婚したし、ゲイと公言していた男性が女性と結婚してパパになったケースも聞いたことがある。ストレートを自認する人でも、その濃度は人それぞれで、男っぽい要素と女っぽい要素が共存しているでしょう? 人の性は多様なんです。

自分が人からどう扱われたいかはその人にとって大切なことだと思うから、私は誰かと接するとき、相手を男でも女でもLGBTQでもなく、一人の人間として目の前のその人を見ようって、自分と約束しています。

大切なのは、誰がどう思うか、世間にどう見えているかではなく、己の信じる姿が「真の姿」ということ。「自分がどんな人間であるか」を迷いなく認識できることは、自分の人生をちゃんと支配下に置き、自分らしく生きる上においてもっとも大切な根っこの部分のようなもの。ここがしっかりしていないと、青々とした葉も茂らないし美しい花も咲かせられないですよね。

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西村 宏堂(にしむら・こうどう)
僧侶、メイクアップアーティスト
1989年東京生まれ。浄土宗僧侶。ニューヨークのパーソンズ美術大学卒業。卒業後アメリカを拠点にメイクアップアーティストとして活動。ミス・ユニバース世界大会やミスUSAなどで各国の代表者のメイクを行い、海外メディアて゛ハリウッド女優やモデルから高い評価を得る。日本で修行し、2015年に浄土宗の僧侶となる傍ら、LGBTQ啓発のためのメイクアップセミナーも行っている。ニューヨーク国連本部UNFPA(国連人口基金)や、イェール大学、増上寺などで講演を行い、その活動は、NHKやBBC(英国放送協会)など、国内外の多くのメディアに取り上げられている。

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(僧侶、メイクアップアーティスト 西村 宏堂)

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