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お金持ちをみて「あの人はすごいね」と思う人が根本的に勘違いしていること

プレジデントオンライン / 2021年5月24日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PeopleImages

お金持ちをみて「あの人はすごいね」と思う人がいる。いったい何がすごいのか。臨床心理士の武田信子さんは「私たちは価値をお金で換算する癖をつけてしまった。それは間違っている」という――。

※本稿は、武田信子『やりすぎ教育』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

■将来への生活不安と大人の責任の呪縛

「あの人お金持ちだね、すごいね」と人は言います。何がすごいと思うのでしょうか。

お金持ちになるにはいろいろな方法があります。もちろんこつこつと誠実に働いて貯めてお金持ちになる人もいるでしょう。でもたまたま時流に乗ったとか、家賃収入で入ってくるとか、人をだますとか、方法はさまざまなのです。

発展途上国に行くと数百円で1カ月暮らす人たちがいるのですが、日本人が彼らより偉いわけではありません。でも、私たちは価値をお金で換算する癖をつけてしまいました。お金やモノを持っている人のほうが偉いように思う錯覚の中に生きていて、子どもたちがより多くお金を持てるように育てようとしています。将来、お金がなくなることが不安なのです。

日本は有数の長寿国で高齢化社会に入りました。これから歳を重ねたとき、年金が下りるかどうかもわからないと言われています。経済的格差が激しくなり、非正規雇用で生活不安を抱える層が増える中で、企業のヒエラルキーは依然として存在し、学歴、言い換えれば「大学を通した人間関係のネットワーク」を持っている者が有利になるという現実があります。

あるいは、学士を始めとした資格を持っていることが、個人のブランディングとなります。よい学校に入ってよい仲間とつながっておくこと、入学試験で選ばれたという実績と学士や検定などの「資格」を持っておくことが、生き残り選抜の際に役立つはすだと大人たちが考えるのも無理はないでしょう。

■受験戦争に勝たせてあげられる先生が「いい先生」

そのようなわけで、親たちは、より幼いときから子どもたちを親の敷くレールに乗せて、生活保障につなげようと考えます。まだ親の力が及んで言うことを聞く幼少期に、勉強の習慣をつけ、おもちゃやお菓子、ほめ言葉といった報酬を与えながら塾に通わせ、子ども自身の努力よりもむしろ親を含む環境の力で「いいレール」に乗せてしまうことが、親の務めだと考えるのです。

勉強している子ども
写真=iStock.com/taka4332
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/taka4332

先生たちはこういう親の気持ちが理解できるために、とまどいながらもその願いを叶えて進路を保障するのが教員の役割であると思ってしまいます。学校が塾化していくのは、学力を上げて親子の望む進路に行かせてあげるのが先生の仕事だと思うからでしょう。受験戦争に勝たせてあげることが教員のできる愛情の示し方だと思うのも当然といえば当然かもしれません。

それが「いい先生」と親子から感謝される道筋でもあるのです。そして、実際のところ、望む進路に行ける可能性の高い学校の志願率が高くなり、そういう学校は受験料を稼ぐことができるのです。

■大人たちは子どもをベストな時期に“出荷”しようとする

「みんな違ってみんないい」という言葉がはやる一方で、日本では、月齢で発達の目安が示され、年齢で一斉に進学が決まります。学校教育においては同じ時期に同じことを全国で一斉に進めていくことが求められています。これは必ずしも世界標準ではありません。

人は生涯かけて成長していくもので、受験や就職はゴールではないはずです。でも、商品は高値のときに高く売るのが、商売の鉄則です。日本の社会においては、そのタイミングで最適に仕上がるようにしなければ、仲間から乗り遅れてしまうかもしれません。人の発達の進み方には個人差がありますが、個人差で後れを取るわけにはいかないというわけです。

たとえば入試において、あるいは所得において、非認知能力において、早生まれは不利で、4〜6月生まれが有利だという近年の労働経済学の研究があります。同様の研究結果が出ていることを私は35年ほど前に教育心理学の先生にうかがいましたが、そのとき同時に、この結果は公表すると親たちが産み月を調整するかもしれないから公表されないのだと耳打ちされました。このように、日本の大人たちは、子どもをベストな時期に出荷するのが得策だと考えてしまうようなのです。

■「1回限りの学力テストに全力投球」という日本の受験システム

ここで、教育を生涯学習の発想で考えるデンマークのことをご紹介しましょう。デンマークでは、日本でいう小・中9年間の最終学年である9年生まで子どもたちの成績を比較するようなテストは実施されません。また10年生に進学するかどうかは自分で決められます。9年生を終えた後、もう1年学校に残るかどうかを自分で決めて、その上で必要があれば高校や専門学校に進学します。中学卒業と同時に高校進学するという慣習がないのです。

このことを聞いたある日本人学生が、デンマーク人に「受験勉強を1年しなかったら、受験に不利になりませんか?」と質問しました。質問を受けたデンマーク人は鳩が豆鉄砲を食らったように驚いた後で笑って、「1年で落ちてしまうような学力を入試で測ってどうするのですか」と逆に学生に聞いたのでした。

1回限りの学力テストに全力投球できるかどうかも含めてその人の力であるとみなされるのが日本の受験システムです。受験生は、冬の寒い時期に風邪をひかないように生活し、事故に遭遇して遅刻することのないように複数のルートを確認し、その一度きりの機会に最高の力が発揮できるように最善の準備をしなければなりません。そういう配慮をしてくれる家族がいる受験生と、一人で受験しなければならない受験生では、結果が違ってくることもあるでしょうが、それも含めて「受験の条件を全国同一にすることで平等とみなす」わけです。

■学力以外の評価軸があっても「トレーニング」を受けることになる

日本の最高学府である大学の教授たちによる旧センター試験の監督は、マニュアル通りに一字一句文言を変えず、受験生に対して情状を挟まず、自分の頭で思考せずロボットのように同じことを繰り返すよう求められます。工場の生産ラインと同じです。

一方、学力だけではガリ勉した者が有利になり、合格後に対人関係に問題が生じる可能性もあるということから、「面接で対人コミュニケーションの能力を審査しましょう」、あるいは、「1回の学力試験や面接では対人関係能力はわからないから、運動部の主将や、大人数の部活やイベントを取り仕切っていた生徒を推薦で取りましょう」ということになります。

推薦入試では、過去の対人関係や役職経験、活動成果が問われますが、それをさらに精緻化し多軸化したシステムが、eポートフォリオやその小中高校生版であるキャリアパスポートの活用です。その結果、近年の子どもたちは、幼少期から記憶力や理解力に加えて探究力や思考力、さらには非認知能力を身につけるように、そのためのトレーニングを受けることになりました。

■能力は有機的な関係性の中で発揮されるもの

以前、数十名の学生が教員採用試験に向けて面接練習をしている大学の授業を見学したことがあります。ロールプレイの後に、要領を押さえた回答内容と回答方法のポイントを教わり、もう一度、笑顔で好印象を作って面接に臨む練習を繰り返していたその大学の教育学部は、その地方で一番教員採用試験合格率が高く、そのために入学志望者が増加しているとのことでした。まるで検品から個包装して出荷するプロセスを見せていただいたようでした。

武田信子『やりすぎ教育』(ポプラ新書)
武田信子『やりすぎ教育』(ポプラ新書)

このように、足りない栄養素をサプリメントで補給するような、人間の能力を限定的に捉える発想が、大人たちの予測を超えた子どもたちの全方位に向かう可能性を阻害しないように願うばかりです。

さて、これらの選抜方法はいずれも、「能力は個人の持ち物である」という考え方に基づいています。しかし、人の能力はその人の所与のものでしょうか。

ある職場でなかなか芽が出なかった人が、他の部署に配属になり、上司や部下に恵まれていい仕事をするということはよくあります。家族に病人が出れば、パフォーマンスが一時的に下がるかもしれませんし、恋人ができてパフォーマンスが上がる人もいます。つまり、能力は有機的な関係性の中で発揮されるものなのです。能力が発揮できるかどうかは、周辺環境に左右されるものと考えれば、その環境をどう整えるかが課題と認識されるでしょう。

また、機能している組織においては、一人ひとりが持つ基礎的な力に加えて、オンザジョブで時間をかけて専門性が醸成されていき、組織全体としてのパフォーマンスが上がっていきます。日本において終身雇用制が継続していたのは、この機能が有効だったからです。

■「組織の中で人が育つのを待つ」という発想はない

しかし、短期的な結果が重要で、即戦力を必要とする今の社会においては、組織の中で人が育つのを待つことはできず、学校教育で育成された人材を雇用するか、他の組織で育った人材を中途採用するしかありません。仕事を始めてから徐々に力をつけていく家族経営の会社や農林水産業、技術職を選ぶのではない限り、雇用される側としては、個人の能力を幅広い分野にわたって上げておき、選抜される可能性を高めて準備しておくしかないということになります。より自分に自信があれば、すぐに起業するということになりますが、それはリスクが高く誰にでもできることではありません。

さらに就職後は、組織の中でよりよい成果を出さなければならないという競争とプレッシャーが待っています。組織内部のストレスも残業も増え、時にはハラスメントも横行し、組織内での対人関係を維持するよりも、よりよい条件を求めて転職したほうがよいという考え方が増えていきます。そういう社会の中で負荷をかけられながら生活している大人たちが、自分の子どもにはより高い価値をつけて社会に出してあげたいと思うのは当然でしょう。

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武田 信子(たけだ・のぶこ)
臨床心理士
ジェイス代表理事。元武蔵大学人文学部教授。臨床心理学、教師教育学を専門とし、長年、子どもの養育環境の改善に取り組む。東京大学大学院教育学研究科満期退学。トロント大学、アムステルダム自由大学大学院で客員教授、東京大学等で非常勤講師を歴任。著書に『社会で子どもを育てる』(平凡社新書)、編著に『教育相談』(学文社)、共編著に『子ども家庭福祉の世界』(有斐閣アルマ)、『教員のためのリフレクション・ワークブック』(学事出版)、監訳に『ダイレクト・ソーシャルワークハンドブック』(明石書店)など。

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(臨床心理士 武田 信子)

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