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「最初はOKだったのに」イスラム教が飲酒禁止になった人間くさい理由

プレジデントオンライン / 2021年6月11日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/guenterguni

イスラム教は飲酒を禁じている。しかし聖典のコーランには「天国には酒の川がある」と読める描写がある。宗教学者の島田裕巳さんは「初期のイスラム教は酒を禁じていなかった。禁じられるまでには、それなりの経緯があった」という――。

※本稿は、島田裕巳『宗教は嘘だらけ』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

■イスラム教が禁酒を定めた理由はコーランを読むとわかる

嘘はいけない。

これが、聖典を持つ宗教に共通する戒めである。嘘を戒めることは宗教に普遍的な事柄なのである。

しかし、ここで一つ注目しなければならないことは、なぜ嘘をついてはいけないのか、その理由が示されていないことである。

これは、ここまで見てきたどの宗教の聖典にも共通している。理由を示さないまま、嘘をついてはならないとされている。それは、他の戒めについても共通している。

嘘をついてはならないと言っているのは、仏教なら釈迦、ユダヤ教やイスラム教なら神、そして儒教なら孔子ということになる。神仏の啓示や開祖のことばは、それぞれの宗教において絶対的なものとしてとらえられている。それぞれの宗教の信者は、それをそのまま受け入れ、なぜ理由が示されないのか、そこに疑問を抱いたりはしないということかもしれない。

しかし、理由も示さずに、ただ戒めだけがあるというのは不合理ではないか。現代社会の価値観からすれば、そうした疑問が浮上してくる。理由が示され、それが納得できるものでなければ、戒めには従わない。現代の人間はそのように考える。

ただ、宗教において、つねに戒めだけが示され、理由が説明されないというわけではない。

■天国で酒が飲めるなら、なぜ現世で飲んではダメなのか

イスラム教において、酒を飲むことが戒められていることはよく知られているが、酒が禁じられるまでの過程については、それを確認することができる。

コーランを読んでみると、亡くなった後に信者が赴く天国には酒があるとされていることに気づかされる。

第47章「ムハンマド」の15節には、「畏れ身を守る者たちに約束された楽園の喩えは、そこには腐ることのない水の川、味の変わることのない乳の川、飲む者に快い酒の川がある。また、彼らにはそこにあらゆる果実と彼らの主からの御赦しがある」とある。

このなかには、「飲む者に快い酒の川」という表現が出てくる。天国には酒の川があるというのだ。

酒の川が流れているということは、天国に召されたら、無限に酒を飲めるということである。

第78章「消息」の第34節でも、天国では、「そして満たされた酒杯(があり)」と記されている。

ところが、別の箇所では、次のように述べられている。

第5章「食卓」の第90節では、「信仰する者たちよ、酒と賭け矢と石像と占い矢は不浄であり悪魔の行いにほかならない。それゆえ、これを避けよ。きっとおまえたちは成功するであろう」とある。酒は悪魔の業とされ、信仰者には禁じられているのだ。

こうしたコーランの記述を見てみると、矛盾しているのではないかと感じられることだろう。

天国でふんだんに酒が飲めるというのであれば、現世で飲んでもかまわないのではないか。

■天国の酒は悪酔いせず、酩酊することもない

ところが、現世では酒を飲むことは悪魔の行いとして禁じられているのである。

この矛盾を解消するヒントは、コーランの第37章「整列」の第43節にある次のことばにある。

「至福の楽園の中で。寝台の上で向かい合って。彼らには(酒の)泉からの酒杯が回される。真っ白で、飲む者に美味である。そこには悪酔いはなく、彼らはそれに酩酊することもない」

モスク内のコーラン
写真=iStock.com/cihatatceken
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/cihatatceken

これは、天国の酒についての描写である。天国の酒は美味しいだけではなく、悪酔いせず、酩酊することがないというのだ。

一方、現世で飲む酒の場合には、酔う可能性がある。悪酔いだって起こる。だから、酒を飲んではならないとされているのではないか。そのように見ることができる。

■初期のイスラム教では、酒は禁じられていなかった

ただ、酒を禁じるべきであるかどうかについて、コーランでは、神による啓示が下された時期によって変化している。

預言者ムハンマドは最初、世界中のイスラム教徒がそこにむかって礼拝しているカーバ神殿のあるメッカで活動していた。

ところが、従来とは異なる新しい信仰を説きはじめたことで、周囲から迫害を受けるようになった。そのため、622年にムハンマドはメッカからメディナに移っている。これは「ヒジュラ」と呼ばれる。ヒジュラは移住を意味する。

こうした出来事が起こったために、神の啓示は、メッカ時代の「メッカ啓示」と、メディナに移った後の「メディナ啓示」に分けられる。コーランのそれぞれの章のはじめの部分では、それがメッカ啓示なのか、メディナ啓示なのかが明記されている。

メッカ啓示に属している第16章「蜜蜂」の第67節には、「また、ナツメヤシとブドウの果実からも。お前たちはそれから酔わせるものと良い糧を得る」とある。

この箇所について、『日亜対訳クルアーン』では、「この節は酒が禁止される以前に啓示されたものである」という注がつけられている。イスラム教の初期の時代において、酒は禁じられていなかったのだ。

■酔って礼拝に行くことが禁じられるようになった

ところが、それよりも後の時代のメディナ啓示のなかには次のようにある。第2章「雌牛」の第219節である。

「彼らは酒と賭け矢についておまえに問う。言え、『その二つには大きな罪と人々への益があるが、両者の罪は両者の益よりも大きい』」

『日亜対訳クルアーン』では、ここにも注がついている。その注では、酒が禁じられるまでの経緯が説明されている。

今見た神の啓示にもとづいて、罪が大きいとされた酒を遠ざけた者たちもいた。だが一方には、酒には「益がある」とされていることから、酒を飲み続ける者たちもいた。

島田裕巳『宗教は嘘だらけ』(朝日新書)
島田裕巳『宗教は嘘だらけ』(朝日新書)

ところが、アブドゥッラフマーン・ブン・アウフという人物がムハンマドの弟子たちを食事に招き、その席で酒を飲ませるということがあった。

そのうち日没の礼拝の時間が訪れたため、そのなかの一人に先導させてコーランを読誦(どくじゅ)させた。すると間違って読んでしまったのだ。

そこで神は、「信仰する者たちよ、おまえたちが酔っている時には、言っていることが分かるようになるまで、礼拝に近づいてはならない」(第4章「女性」の第43節)という啓示を下した。

ここでも酒を飲むこと自体は禁じられていない。ただ、酔って礼拝に行くことが禁じられている。

実際、人々は礼拝のときには酒を避けたが、夜の礼拝が終わると飲み、さらには夜明け前の礼拝が終わった後にも飲んだという。

■宴席で暴力沙汰、とうとう「悪魔の行い」になった

そんな状態だったため、宴席で暴力沙汰も起こった。そこで、ウマル・ブン・アル=ハッターブが「アッラーよ、われらに酒についてはっきりとした明証を示し給え」と願った。すると、先に引いた第5章第90節の啓示が下され、飲酒は悪魔の行いとして禁じられるようになったのだ。

このように飲酒が明確に禁じられるまでには、それなりの経緯があった。酔っ払うことで問題が起こるため、徐々に禁止されていったのである。

コーランで、具体的な経緯が説明されているわけではないにしても、今見たように、他に経緯を理解する手立てがあるのなら、なぜその戒めを守らなければならないのか、合理的に理解することができる。

ところが、これは例外で、ほとんどの場合に、なぜその戒めを守らなければならないのか、理由が示されることはない。神や仏は、理由を示さないまま、人間に戒めを押しつけてくるとも言えるのだ。

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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)など著書多数。

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(宗教学者、作家 島田 裕巳)

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