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「母は乳がん、父は自営+日雇い」崖っぷち大借金家庭の息子が"全落ち"から東大合格果たすまでの全軌跡

プレジデントオンライン / 2021年6月1日 9時0分

ドラゴン桜「一発逆転」プロジェクト&東大カルペ・ディエム『ドラゴン桜「一発逆転」の育て方』(プレジデント社)

「これが最後のチャンスなんです」。借金を抱える自営業の父親は、息子の予備校代捻出のためカードローンに加え、親族に頭を下げ計100万円を借りた。母親は乳がん闘病中だ。崖っぷちの息子本人もバイトしながら母の看病をし、病室では「東大古典」に取り組むなど猛勉強した。その結果、高3時は全落ちの辛酸をなめたが、一浪して東大を含む受験した全大学全学部に受かった。「地獄から天国へ」の軌跡を紹介しよう――(後編/全2回)。

※本稿は、ドラゴン桜「一発逆転」プロジェクト&東大カルペ・ディエム『ドラゴン桜「一発逆転」の育て方』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

(前編概要)都内在住の東京大学文学部4年・布施川天馬さんの家庭の世帯年収は平均300万円。自営業をする両親の実家はかつて夜逃げしたことがある。経済力が高くない家庭の子供が私立中高から一浪して予備校に通って、東大に合格した。

■「ウチは貧乏だから…」家計を助けるためにも、東大へ

最低限の勉強だけして学園生活を過ごしていた布施川天馬さんが、東京大学を志望することになったのは高校2年生のときだ。

「担任で吹奏楽の顧問もしている教師から、進路指導室でこんなふうに言われたんです。『東大受けてみたら?』『生徒会長で、吹奏楽部も頑張っているお前が、東大に入ったらカッコいいぞ』って。『ああ、確かにカッコいいかもしれない!』ってその気になりました。『ドラゴン桜』の桜木先生のジェネリック版のようなちょっとビッグマウス気味の先生でしたが、自分に期待してくれていることを感じたし、その言葉はうれしかったですね」(天馬さん)

また、父親の栄次さんから「ウチは貧乏だから、大学行くなら国公立。家から通えるのは東大だけだ」と言われていたことで、東大を意識していたこともあった。第一、大学の名前をほとんど知らず、東大と早稲田大くらいしか知らなかった。

通っていた共栄学園高校は例年、MARCHや日東駒専といった大学へ数人程度の合格実績を残しているが、難関国公立大はまれであった。それでも天馬さんは迷わず東大を目指した。小さいときは気付かなかったが、高校くらいになると、自分の家がお金のやりくりが大変そうだということはうすうす感じていた。東大に進んで稼げる仕事に就けば、家計を助けられる。そんな意識もモチベーションとなった。

■突然の大きな試練「母はがん、父は日雇い仕事」の崖っぷち

高校3年生の夏、部活を引退し、勉強に本腰を入れたとき自分がいかに東大から程遠いかを知り、「東大に行けるかも」と思っていた自信が少しずつ揺らいでいった。

「そもそも共栄学園は、東大受験に対応したカリキュラムになっていないんですね。カリキュラムにない学習を補う必要があるので、予備校の夏期講習に通いたいと思いましたけれど、そのためにお金を出してもらうのはうちには難しそうだと。それなら参考書を買って自分で取り組むしかないと思いました。あきらめようとは思わなかったですね。僕は昔からちょっと無理な状況を跳ね返す逆転が好きなんです。野球なら、最下位候補のチームが奇跡の逆転優勝をするのを応援するという感じです」(天馬さん)

そして高校3年の秋になり冒頭のような試練のときがくる。母親の美由紀さんは乳がんになり、父は立ち上げたばかりの会社がまだ軌道に乗らず派遣で日雇いの仕事を入れ仕事、天馬さんは受験と、親子3人それぞれが立ち向かうべき課題を抱えていたため、天馬さんは一人で戦っていた。入試当日も美由起さんは入院中、栄次さんは朝早くから仕事に向かい、天馬さんは自分で身支度を整え入試会場に向かった。

結果、東大が不合格だったばかりでなく、実力を測るために受けた私立大も落ちた。

「結局、僕は受験をナメていたんです。特待生の基準をキープしていたので、基本的なことはわかっているつもりでした。受験も、ある程度基本をやっておけば何とかなるだろうって。中高の6年間で完全に天狗になっていたんでしょうね」

■バイトしながら母の看病「病室で『東大古典』をやっていました」

春になり母は手術に成功し、快方に向かった。全落ちした天馬さんだが、すでに次の目標に向かって気持ちを切り替えていた。天馬さんには逆転合格の戦略があったからだ。

高校時代は吹奏楽部に没頭した
高校時代は吹奏楽部に没頭した(写真提供=本人)

「もともとの点数が低かったこともありますが、高3の夏で受けた東大模試のときに比べ、本番試験の点数は5倍になっていたんです。半年で、着実に学力が伸びた。しかも、予備校や塾に一切頼らずに。だから、あと1年、予備校の力を借りて頑張ればいけると考えました」(天馬さん)

栄次さんも天馬さんの意志と実力を信じて、大学進学を支えた。とはいえ予備校費用は年間約100万円かかる。カードローンから工面するだけでは足りず、栄次さんは親族に「これが最後のチャンスなんです」と頭を下げて数十万円を借りて、浪人生活がスタートした。

約1年の間、予備校の東大コースに通いながら、その間を縫って、週3回ドラッグストアでアルバイトをし、美由起さんの看病もする多忙な生活。「病室で、過去問集の『東大古典』などに取り組んだのを覚えています」(天馬さん)。美由起さんは体に負担がかかる抗がん剤治療をしていた。当時の美由起さんは、駅から自宅まで数分しかかからない道を歩くのに1時間かかることもあったという。横断歩道の青信号を渡り切るのが難しく、付き添うため駅まで迎えに行くこともしばしばあった。

■高3時は“全落ち”だったが、一浪で猛勉強して、全大学全学部合格

そんな中でも天馬さんは、予備校のある日は、朝早くから予備校に行き、授業を受け、そのあと自習室で勉強して夜遅くに帰ってくる。それまでとは違う天馬さんの様子を見て、「今年は大丈夫だ」と栄次さんは感じていた。

結果、天馬さんは東大の壁をオリジナルの戦略でなんとか乗り越えた。

「最小限の“戦力”を駆使して、頭を使ってステージをクリアするのが、僕のゲームのやり方。受験も同じで、満点を狙ったり、すごく頭のいいライバルを蹴落としたりしなくてもいい。必要最低限の受験知識でボーダーの少し上を狙いました。実際、センター試験も2次試験も滑り込みセーフでの合格でした。狙い通りとはいえ、ヒヤヒヤですね」

現役での受験の年には美由起さんの病気への心痛や全落ちの挫折などで散々だったが、1年後の2度目の受験のときには美由起さんは無事回復し、東大を含む受験した全大学全学部に受かった。まさに「地獄から天国へ」だ。

■「夫婦も親子も喧嘩しない」家族仲のよさが試練を乗り越える原動力

一浪の末、天馬さんが東大に晴れて合格した日。その吉報を、仕事の現場で受けた美由起さんは、きりっとした商売人の顔から、どんな時も明るく前向きなお母さんの顔になって、「あんたは、よく頑張ったよ」とやはり息子を褒めて、涙声になった。

その日の夕食は、天馬さんの好物のおかずが2品テーブルに並んだ。シチューとから揚げ。

クリームシチューと唐揚げ
写真=iStock.com/Yuuji/kaorinne
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yuuji/kaorinne

「ホワイトシチューの食材は、じゃがいもと鶏もも。から揚げも鶏もも。同じ材料を使い分けて、食費を抑えてます(笑)」

布施川家では現在も褒める文化は健在だ。

「天馬は今でも、私が仕事から帰ってきて急いで食事を作ってやると『え、こんな短い時間で作ったの! すごいね、ありがたいねー』って言ってくれます。おかげさまで息子は勉強法の本を書いたり取材を受けたりするときもあるんですが、そんなときには夫婦で『天馬、すごいね!』って言いますね。夫婦間でも普通に褒め合っていて、私は夫に、『今日の服、似合うよ。カッコいい』、夫も私に『お、なんか。かわいいね』って。挨拶代わりのようになっているんですね」(美由起さん)

夫婦喧嘩もしない。

「あの人(美由起さん)とは、喧嘩にならないんですよね」(栄次さん)

家族仲のよさが布施川家最大の試練を乗り越える原動力となり、天馬さんを一発逆転合格に導いたのだ。

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ドラゴン桜「一発逆転」プロジェクト&東大カルペ・ディエム 本書は、『ドラゴン桜2』の編集を行うコルクと、同作品の編集に携わりながら教育格差への取り組みを行う東大の学生団体「カルペ・ディエム」の代表・西岡壱誠、編集者である岡崎拓実を中心に企画。「だれでも人生は逆転できる」という理念に共感した家庭教育誌『プレジデントファミリー』により制作された。恵まれた環境などがない中で東大に合格した学生を取材し、「一発逆転」合格の法則を研究する共同プロジェクトである。

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(ドラゴン桜「一発逆転」プロジェクト&東大カルペ・ディエム)

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