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たった一つのウソがオウム真理教を凶悪な犯罪集団に変えていった

プレジデントオンライン / 2021年6月14日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Valmedia

なぜオウム真理教は凶悪な犯罪に手を染めるようになったのか。宗教学者の島田裕巳さんは「修行中に亡くなった信者の死を隠したことから、その事実を知る信者を殺害するようになった。どんな大きな組織もたった一つの嘘から壊れることがある」という――。

※本稿は、島田裕巳『宗教は嘘だらけ』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

■国家がつく嘘の代表「大本営発表」

国家がつく重大な嘘というものもある。

その代表が戦時中の大本営発表である。大本営とは、日本が戦争状態にあるときに設けられる天皇直属の日本軍の最高統帥機関だった。その大本営が戦況について国民に発表するのが大本営発表である。

現在では、大本営発表ということばは虚報と同じ意味で使われることが多いが、本来は国家が責任を持って行う重大な発表だった。

日本が戦争に勝っていた時期には、発表は事実を反映したものだった。ところが、戦況が悪化すると、発表に嘘が交じるようになっていく。敵国の損害を過大に述べ、日本側にはさも被害が少なかったかのように伝えたのだ。

嘘が交じるようになったはじめの段階では、国民もまだ発表を疑っていなかったかもしれない。だが、嘘にも限度があり、味方の損害がまったくなかったかのようには発表できなくなっていく。そうなると、国民はそこにかなりの嘘が交じっていることに気づくようになり、発表をそのままは受け取らなくなっていった。まして、本土が空襲されるようになれば、とても大本営発表を信じるわけにはいかない。日本人は大本営発表を鵜吞みにしていたわけではない。

■今でも戦争に「嘘」はつきものだ

戦況が大幅に悪化すると、大本営発表も事実を伝えざるを得なくなる。総員戦死や玉砕といった表現での発表が続く。国民は、こうした変化の過程にずっと接していたわけで、敗戦を覚悟するようになっていった。

現代なら、嘘に満ちた大本営発表などあり得ない。軍の側が、戦況について軍事機密にしたとしても、さまざまな情報発信の方法が存在しており、情報は必ず漏れる。海外の報道機関の情報も、いくらでも入ってくる。国民は戦況がどうなっているか事実を知ることになる。

しかし、現代でもイラク戦争のような例もある。アメリカは、イラクが大量破壊兵器を保持しているとし、それで戦争に突入したが、それは発見されなかった。イラク側の死者は50万人にのぼると推計されている。今でも戦争には嘘がつきものなのである。

日本では、自衛隊は存在するものの、政治的な権力を発揮する軍は解体され、存在しない。憲法の制約もあり、自衛隊が戦争行為に及ぶことは考えられない。その点では、もう大本営発表はあり得ない。

■「記憶にございません」は嘘の世界の大発明だ

しかし、政治家や官僚ともなると、依然として嘘と無縁ではない。公然と嘘をつけば、後で問題は大きくなるので、彼らはなんとかはぐらかそうとする。典型的なのは、「記憶にございません」という答弁だ。

記憶にあるのかどうか、それを確かめることは容易ではない。当人の頭のなかの問題だからである。記憶があると答えてしまえば、そのことが本当なのかどうかが問われる。それを回避する際には、「記憶にない」という答えは都合がいい。嘘の世界の大発明である。

このことに関連して重要なのは、官僚の場合、その背後に官僚組織が存在していることである。

官僚は組織のなかで仕事をしており、それぞれが与えられた役割をこなしている。その立場にあるから、そうした行為に及んでいるわけで、個人の意思によって、あるいは個人の願望によって仕事を選び、政策を実行に移しているわけではない。

そうした構造がある以上、官僚組織は個々の官僚の責任が問われても、それをかばい、その人間を守ろうとする。官僚が実際に処罰を受けたとしても、組織は挽回への道を用意する。ほとぼりが冷めた時点で、何らかのポストを与えるのだ。そうしたことが期待できるからこそ、その場ではぐらかし、時間稼ぎをしようとするのである。

夜の国会議事堂
写真=iStock.com/Taku_S
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Taku_S

■組織に尽くすことが重要視される日本

これは中国の孝という考え方に近い。中国では子が親のために、親が子のために嘘をつくことは、それぞれを守るために不可欠であると考えられている。

日本では、孝よりも忠が重視され、組織に対して忠を尽くすことが何よりも重要であるとされてきた。それも、組織を構成する人間が、自分を犠牲にしても組織を守ろうとすれば、組織はそれを見殺しにはしないからである。

官僚組織以外にも、そうした組織は存在する。代表的なものが反社会的勢力、組織暴力団だ。やくざ社会においても、その構成員には命を捨てても組織に尽くすことが求められる。そして、そうした行為に及んだ人間には、組織は必ず報いようとする。

あるいは、左翼のセクトなども、同じような性格を示す。セクトは、指名手配されているメンバーを守り通そうとする。それは世間にむかって嘘をつくことになるが、彼らは市民社会のあり方を根本的に否定しているので、嘘をつくことに呵責(かしゃく)の念を抱くことはない。中世キリスト教社会の異端とまったく同じだ。

■オウム真理教の犯罪行為の原点は「嘘」

しかし、嘘が組織を破壊することもある。

オウム真理教の引き起こした事件については、これまで何度も言及してきたが、犯罪行為の原点には嘘があった。

彼らが最初についた嘘は、修行中に亡くなった信者の死を隠したことである。精神的におかしくなった信者の目を覚まさせるために、彼らはかなり乱暴な手段を用いた。修行はハードなもので、それがそうした対応に結びついたものと思われる。

しかし、事故死を隠したことで、そのことを知る信者が組織から抜けるのを許せなくなり、殺害した。そこから、オウム真理教の組織は数々の犯罪を犯すようになり、最後はサリンの撒布(さっぷ)に行き着いた。それも組織を守るためだった。

■「嘘」からは政治家と官僚の関係も見える

嘘は泥棒のはじまりどころではなかった。

組織が、そこに属するメンバーに嘘をつかせ、そのメンバーを守ることで組織を守ろうとすることと、組織全体が、あるいはその重要な一部が自分たちを守るために嘘をつくということには違いがあるわけだ。企業犯罪には、オウム真理教と類似したケースが多い。小さな嘘が、瞬く間に巨大な嘘に膨れ上がり、それを隠し通せなくなったことで、組織全体が破綻するのだ。もうそこでは、嘘も方便という言いわけなどまったく成り立たない。

島田裕巳『宗教は嘘だらけ』(朝日新書)
島田裕巳『宗教は嘘だらけ』(朝日新書)

政治学者の五百旗頭薫は、『〈嘘〉の政治史――生真面目な社会の不真面目な政治』(中公選書)のなかで、「必死の嘘」と「横着な嘘」とを区別している。組織を守るために身を挺してでも守る嘘が前者で、権力の座にある者がその場しのぎでつくのが後者である。たしかに、今述べてきたところからすれば、嘘には二つの種類があるのかもしれない。

必死の嘘は、最後まで隠し通さなければならない。そこに組織やそれに属する人間の命運がかかっているからだ。

横着な嘘は、適当なその場しのぎに過ぎないのだが、ときにはそれが必死の嘘に変化することがある。昨今の政治スキャンダルを見ていると、それを実感する。政治家がついた横着な嘘のせいで、官僚が必死の嘘をつかなければならなくなるのだ。そこに、政治家と官僚、政治と行政の複雑な関係が示されている。

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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)など著書多数。

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(宗教学者、作家 島田 裕巳)

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