5000億円を踏み倒したミャンマー国軍に「配慮」し続ける日本の政官財トライアングル
プレジデントオンライン / 2021年6月2日 9時15分
ミャンマー第二の都市マンダレーで、アウン・サン・スー・チー率いる国民民主同盟(NLD)の「戦う孔雀」の旗を掲げ、国軍のクーデターに抗議する人々。三本指のサインは、独裁への抵抗のシンボル。(2021年5月25日) - 写真=EPA/時事通信フォト
■情報封鎖のもとで続く市民への弾圧
ミャンマーの混乱は続いている。国軍が、インターネット回線の遮断を含めて市民の国外への情報発信を妨害しているため、以前ほどの情報は流れてこなくなった。それでもクーデターに反対する職場放棄などの不服従運動やデモはやんでいない。そして、国軍による拘留・拷問を含めた抑圧も続いている。
自由主義諸国による一連のミャンマー国軍非難の共同声明に対して、日本は参加を避け続けている。アメリカの同盟国で加わっていないのは、日本くらいだ。日本が参加したことがあるのは、各国の参謀長による共同声明くらいで、つまり防衛省管轄のときだ。つまり日本の外務省は、一貫して、ミャンマー国軍を非難する国際的な共同声明への参加を拒み続けているわけである。
■自由主義諸国の協調に背を向ける外務省
なぜ日本の外務省は、唯一の同盟国・アメリカが「民主主義vs専制主義」の世界観で米中対立の時代を多国間主義で乗り切ろうとしている最中において、徹底して自由主義諸国の協調に背を向け、ミャンマー国軍に配慮し続けようとするのか。
「日本独自の外交を進める」といった抽象的な説明は、中身がなく、的を射ない。「国軍に忖度(そんたく)しないとミャンマーがいっそう中国寄りになる」といった話も流布させているが、自由主義諸国の共同声明に参加したくらいで消滅してしまうような影響力であれば、多少の忖度をしたからといって、中国に対抗できるはずがない。
実質的な問題は、やはり政府開発援助(ODA)であろう。在日のミャンマーの人々や市民社会組織の方々は、国軍の利益につながっているODAの停止を求めている。だが外務省の反応は鈍い。
■ODA打ち切りのインパクトは大きいが
巨額のODA案件の全てを打ち切る措置は、非常に大きなインパクトを、日本の企業などに与える。政府の役人のキャリアにも響くだろう。どうしても続けたい、と思う気持ちはわからないではない。だがただ祈り続けているだけでは、袋小路に陥っていくだけだ。
本稿では、あらためて日本のミャンマー向けODAの状況を概観するとともに、何を検討していくべきなのかについて、考察を加えることを試みてみたい。
■日本のミャンマー向けODAの概観
日本は、毎年1000億円以上のODAをミャンマーに提供し続けている。2019年の経済協力開発機構(OECD)のデータでいうと、日本の拠出金額は6億4690万ドルで、2位の世界銀行2億2080万ドル、3位のアメリカ1億4640万ドルに大きく差をつけて首位である(図表1。ただし統計データを提供していない中国が、実際には日本を大きく上回っていると見られている)。
これだけを見ると、日本の外務省が国内メディアに説明していたように、日本のODA額は圧倒的であり、ミャンマー政府関係者に対する日本の影響力は他のドナーよりも大きいように見える(もっともODA額が大きくて影響力もあるため、日本は他のドナーよりもいっそう慎重に国軍に配慮をしなければならないという説明には説得力がないのだが)。
そこでもう少し日本のODAの内訳を見てみることにしよう。まず気づくのは、圧倒的な円借款の比率の高さである。2019年度を例にとれば、ODA総額の9割以上が円借款である(図表2、3)。
■東アジアで際立つ「支出純額」
もちろん円借款はミャンマーだけに行っているわけではないが、ミャンマーの現状が際立っていることも確かである。他の東アジアのODAの状況と比べてみよう(図表4)。
フィリピン向けの円借款額が大きいため、ミャンマーへの援助額は「支出総額」で2位ということになっている。しかし実は「支出純額」では圧倒的な1位である。
「支出純額」とは、「支出総額」から返還された貸付金の額面を引いた、純粋に援助中の額のことである。フィリピン向け政府貸付金8億8029万ドルについては、うち5億0193万ドルがすでに返済されている。これに対してミャンマーからはまだ全く返還がなされていないので、支出総額と支出純額が全く同じであり、実態として援助中の額でいうと、圧倒的に東アジアで1位となるのである。全てのODA対象諸国の支出純額ランキングでみても、人口約5000万人のミャンマーは、南アジアの人口13億5000万人のインドと人口1億5000万人のバングラデシュに次ぐ3位である。
■円借款とは「リターンを期待する投資」である
円借款は、結局は「超長期・超低金利」といううたい文句ではあるが、結局は貸付金であり、投資である。現在は国際協力機構(JICA)に統合されたとはいえ、かつて旧国際協力銀行(JBIC)が扱っていた銀行業務の活動である。ちなみにミャンマーのJICA事務所長は連続してJBIC出身者が就いているが、円借款の重みのためだろう。
貸し付け実行額を回収額が大きく上回っているインドネシアやタイのような東南アジアの優等生諸国は、日本のODA関係者が夢に描くバラ色の円借款成功モデルであり、日本のODA関係者は、ミャンマーもいずれそうした東南アジアの優等生の一つになる、と信じているわけである。
■実質5000億円の債務を取り消し
ミャンマーでまだ円借款の返還がなされていない事情を説明するためには、償還期限が来ていない、という技術論的な答えだけでは不十分である。償還期限が来ていないのは、それまで累積していた未返還の貸付金のうち1989億円を、新規貸し付けと抱き合わせで形式的に即時返還させたからである。さらに残りの債務についても、図表2にあるように、2012年には1149億円、2013年に1886億円分の債務の免除を行った。両者を合わせると、総額約5000億円の債務を新規借り換え、および債務免除によって一度帳消しにした格好になる。
1988年の国軍による苛烈な市民弾圧の後、ミャンマーは国際的に孤立した。しかし2010年代に入り、国軍は経済的苦境から逃れるため、民主化の兆しを見せることにした。ミャンマーに食い込みたい日本は、そこで回復する国際援助の潮流に乗るため、新規援助の障害となっていた累積債務を上記のスキームで解消させたのである。
国軍出身のテイン・セイン前大統領と、その後にミンアウンフライン国軍司令官と24回にわたって会談したという、日本ミャンマー協会の渡邊秀央会長が暗躍していたとされるのは、そのときである(永井浩「利権がつなぐ日本とミャンマー『独自のパイプ』 ODAビジネスの黒幕と国軍トップがヤンゴン商業地開発で合弁事業」日刊ベリタ 2021年5月7日)。
■大型事業の発注先は全て日本企業
日本の円借款が、日本企業のアジア進出の足掛かりとしての意味を持つものであったことは、よく知られている。ミャンマー向けの円借款も同じような意味を持たされている。公開されている10億円以上のミャンマー向けの大型案件の契約者は、全て日本企業である。
■協会の公式サイトから役員一覧が消えた
なおこの点は前回の記事でもふれたのだが、その際に、私は、「日本ミャンマー協会の役員には、政・財・官界の大物がずらっと並ぶ。(中略)ODA契約企業リストにも登場する財閥系の企業名が目立つ」、と書いた(「日本政府が『ミャンマー軍の市民虐殺』に沈黙を続ける根本的理由」プレジデントオンライン2021年4月27日)。するとその後、日本ミャンマー協会のウェブサイトの役員一覧は空欄になってしまった。もっともちょうど同じときに、「Tansa」の渡辺周氏も記事で同一覧を取り上げていた。(「国軍所有地に年2億円支払い/日本政府系銀行「JBIC」の融資プロジェクト(1)」)
■顕在化した投資リスクを認めたがらない人々
日本は、返済不能になったというので借金を取り消してあげた相手に、さらに追加的に巨額の借金を貸し出し続けているわけである。常識で考えれば、かなりリスクの高い行動だといわざるを得ない。他のドナーが日本のように貸付金中心の巨額のODAをミャンマーに投入していないのは、投資家の視点で、そのようにリスク計算しているからだともいる。
日本政府は、リスクを承知で、ミャンマーを「アジア最後のフロンティア」と見込んで大規模な円借款を投入し続けたはずであり、それは元大臣が会長を務める協会で政府とつながりながらODA事業に次々と参入した日本企業にとっても同じはずである。
こうした動きに関係した人々が、今年2月のクーデターによってリスクが顕在化したことを認めたくない心理を働かせ、ODAを停止せずに何とか危機が立ち去ってくれないか、と祈るような気持ちになるのも当然かもしれない。だがそれは、無責任な現実逃避以外の何ものでもない。
■このまま円借款を続けていいのか
この機会に、これまでの日本のミャンマー向けODAのあり方について考え直して見るべきなのは、当然ではないかと思う。その際にポイントとなるのは、円借款の比率、連邦制に向けた少数民族地域向けの配慮。そしてもちろん国軍の蛮行を食い止めるための運用であろう。
第一に、円借款の比率が大きいことについては、すでに見た通りである。これがミャンマーの実情を見て適切だったかどうかは、大きな検討課題である。結果論でいえば、クーデター後の情勢において、円借款の形態がリスク対応には不都合な仕組みであることが日本外交の足かせになっている。
経済的な観点から見て、今のミャンマーは危機に陥っている。市民の不服従運動が拡大して経済活動が停滞し、銀行は引き出し制限をしている。食糧危機も訪れており、世界食糧計画(WFP)は、ミャンマー国内で数百万人が食糧不足に直面すると警告している。それにもかかわらず、必ず回収するといいながら延々と貸付金を流し続けることが、果たして本当に適切だろうか。
国軍報道官は、4月に当局が拘束したジャーナリストの北角祐樹氏を、『笹川陽平ミャンマー国民和解担当日本政府代表の要請』で5月14日に解放した、と明言している。同時期、渡邊秀央会長がミンアウンフライン国軍司令官と極秘会談をしたとも報道された。その同じ5月14日、日本政府がヤンゴン市民への食糧援助を支援するため、WFPに400万ドルの寄付を行うと発表したことは、波紋を呼んだ。
市民への人道支援は良いことだが、「一回限り」「ヤンゴン向け」だけでは、直接ミャンマー当局にではなくWFPへの寄付とはいえ、国軍に配慮したように見えてしまう。日本政府は、国軍管轄下ではない地域のミャンマー市民も対象に含めた「緊急人道援助」を今後も継続的に行っていく道義的義務を負ったと考えるべきだろう。
■「借金」の拡大を拒否していたアウンサンスーチー氏
さらに、800人以上の市民を虐殺し、4000人以上を不当に拘束し続けながら、悪いのは全てアウンサンスーチー氏だといった類いのうそを垂れ流している国軍が権力を握っている。この状況でなお、「ミンアウンフライン国軍司令官は、たとえ人殺しをしても日本への借金の返済だけは絶対に行う」と主張する準備のある人は、よほどのお人よしか、さもなくば単なるうそつきだろう。
もともと国家顧問としてのアウンサンスーチー氏は、「借金は嫌だ」という意思表明をし続けていた。NLD政権は、円借款以外の方法での援助を繰り返し要請していた。それに対して、国策として決定していることなので変更できない、とかたくなな態度をとり続けたのは、日本の側であった。
渡辺周氏は前出のTansaの記事の中で、アウンサンスーチー氏は2012年の債務取り消しの際にも「5000億円の帳消しはやめてください。現政権を応援することになります」と迫った、と伝える。それに対して、当時の民主党政権で官房長官を務めていた仙谷由人氏(2012年の日本ミャンマー協会の発足時から副会長・理事長代行として運営に深く関与)は、「喜んで受ければいい話ではないでしょうか」と強く反論したという。
■無責任を通り越して日本の国益に反する
このように民主化支援を名目にしながら、民主化の旗頭であったアウンサンスーチー氏の反対を押し切り、国軍との協議のうえで、巨額の債務の取り消しと引き続きの巨額の円借款を進めてきたのが、日本である。今、明白な民主化の破綻を目の前にして、「状況が変わったのはミャンマー側のせいだ。国軍が改心しないなら、市民が抵抗をやめればいいじゃないか」と言わんばかりの態度をとっているという印象を国際的に広めるのは、無責任を通り越して、日本の国益に反する。
とはいえ、今債務の帳消しをするわけにはいかない。人をだますことなど何とも思っていない国軍幹部にだまされ続けた後で、国軍の利益になる形で、ただ日本の納税者に全ての泥をかぶせて、また債務帳消しにするしかなくなったら、最悪である。
リスクを承知で民主化の後押しをする貸し付けをしたということ自体を責めるべきではないかもしれない。だがその言い訳は、今はもう通用しないのだ。
過去はともかく、今後もなお、クーデターを起こして市民を虐殺している国軍の誠実を信じて資金を貸し付け続けるのは、不適切すぎる。円借款であっても、リスクに迅速に対応する措置をとる政治判断の是非について真剣に検討すべきだ。
■連邦制と民主化の合体こそミャンマーが進むべき道
第二に、ミャンマーの真の民主化の定着を日本のODAが助けてきたのか、検証が必要だろう。
今回の騒乱の中で、昨年の選挙で当選した議員たちが国軍の迫害を逃れながらバーチャル空間に国民統一政府(NUG)を立ち上げた。そして本格的な連邦制を導入する新憲法の設置を目指すことを表明し、市民勢力や少数民族勢力から熱烈な歓迎を受けた。この流れの中で、数多くのビルマ人系の組織等から、ロヒンギャ迫害の際に沈黙していたことを悔いる声明などが相次いで出されたことも注目に値する。
ミャンマーの紛争の構造を考えれば、平和構築の道筋が、この方向性にあることは確かだ。NUGが掲げる連邦制のビジョンは、あらためて必要不可欠な平和構築の方向性を模索する決意表明であるといってよい。「連邦制」の目標が、「民主化」勢力によって掲げられていることの意味は大きい。「連邦制」と「民主化」の強固な合体こそが、ミャンマーが進むべき道である。
■民主化勢力が描く正しい道筋を支援すべきだ
連邦制の考え方自体は建国時から存在していた。それが「ビルマ建国の父」として敬愛されたアウンサンの暗殺と、その後の国軍による権力掌握によって、立ち消えになってしまっただけなのだ。国軍支配下で、民主化が進んでいたはずの2010年代ですら、中央政府と少数民族勢力との間には不協和音が絶えなかった。NUGは、ミャンマーの未来にとって正しいビジョンを打ち出している。
日本のODAは、こうした正しい道筋を支援するものであるべきだ。ビルマ人が多数派の大都市を結ぶヤンゴン・マンダレー鉄道の建設、ヤンゴン都市圏浄水整備、日本企業が多数参加するヤンゴン郊外のティラワ経済特別区開発・関連インフラ整備などは「民主化と連邦制を合体させた平和構築」のビジョンから見れば、関連度が薄い。初等教育カリキュラム改善事業などについても、「国際的な援助の潮流に合わせて」「ミャンマー政府の主導で」行うことに邁進(まいしん)するあまり、少数民族地域の教育の底上げという課題を軽視するものになっていなかったかどうか、検証すべきだ。
■長期的国益を見据え「標的制裁」に参加せよ
およそ「民主化支援」をうたうのであれば、クーデター後は国軍の利益になる行為を慎むのでなければ、一貫性がない。ただしそれが数千億円規模のODAの全面停止であるのかどうかは、影響をこうむる人々の数の多さを考えれば、悩ましいのは確かである。だが悩ましいからといって、「このことについてはなるべく表で議論しないようにする」、という態度をとるだけで「調整した」ことにするわけにはいかない。
悪いのが国軍である以上、欧米諸国が主導する「標的制裁」に参加し、国軍幹部および国軍系企業に対する狙いを定めた制裁を行うのが、正しい。現在、有志の国会議員が、日本として人権侵害を行った者に対して制裁を加えることを可能にする「日本版マグニツキー法」を制定しようとしている。実効性のある法律制定を目指すと同時に、ODAにも影響が及ぶことを、当然のこととして受け入れて準備をするべきだ。
国会議員らは、「外務省が最大の抵抗勢力」と公言している。「面倒な法律は作らないでほしい、少なくとも私が担当から外れた後にしてほしい」、という官僚機構の態度は、国益を危うくする。そうした怪しい態度のままでは、「ODAを続けるか全面中止か」「北風か太陽か」といった、袋小路が約束されている選択肢だけを迫られるので、逃げ回るしか手がなくなってしまう。
議論すべきは、ODAを全面中止にせずとも実施できる標的制裁の方法である。その研究こそが、長期的にはODAに携わる善良な人々を救っていく。
もちろん立法措置は、JICAの仕事でも、外務省の仕事でもない。不穏な抵抗勢力を排して長期的な国益の確保を見据えた政策を導入する責務を持つ政治家の仕事だ。政治的なリーダーシップが求められている。
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東京外国語大学教授
1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程修了、ロンドン大学(LSE)大学院にて国際関係学Ph.D取得。専門は国際関係論、平和構築学。著書に『国際紛争を読み解く五つの視座 現代世界の「戦争の構造」』(講談社選書メチエ)、『集団的自衛権の思想史――憲法九条と日米安保』(風行社)、『ほんとうの憲法―戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)など。
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(東京外国語大学教授 篠田 英朗)
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