田坂広志「32歳で死の宣告を受けて絶望した私を救った禅師の一言」
プレジデントオンライン / 2021年6月8日 11時15分
※本稿は、田坂広志『運気を引き寄せるリーダー 七つの心得』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■「戦争・大病・投獄」の体験が経営者を大成させた
我が国においては、戦後、経営者に向けて一つの警句が語られていた。
それは、次の警句である。
「経営者として大成するには、
三つの体験のいずれかを持たねばならぬ。
戦争か、大病か、投獄か」
この言葉が教えているのは、要するに、「優れた経営者になるためには、生死の体験を持て。その体験を通じて、深い死生観を定めよ」ということである。
第一の「戦争」は、前話で紹介した経営者のような、ぎりぎりの「生死の体験」である。
第二の「大病」は、かつて「死病」と呼ばれた「結核」である。
第三の「投獄」は、戦前や戦時中、思想犯として捕まるような「投獄」である。実際、小説『蟹工船』で知られる文学者の小林多喜二は、思想犯として捕まり、特高警察の拷問によって殺された。そうした時代の後に語られた警句である。
たしかに、我が国において、戦後、活躍された経営者を拝見すると、この3つの体験を持たれた経営者は、少なくない。
例えば、本書の第二話で紹介した、元住友銀行頭取の小松康氏は、戦時中、海軍に徴兵され、水兵として乗船していた巡洋艦・那智が、敵機の攻撃によって撃沈された。艦から海に投げ出され、波間に浮かびながら、沈みゆく夕日を見て、死を覚悟したとき、奇跡的に味方の艦船によって救助されたという体験の持主である。
第二話で述べた「運の強い奴だよ!」という小松氏の言葉は、実は、小松氏自身が、生死の境で、その「強運」に救われたという体験が語らせた言葉でもある。
■ダイエー創業者も、元伊藤忠商事会長も、稲盛和夫氏も…
また、やはり筆者が深い縁を得た経営者、ダイエー・グループ創業者の中内㓛氏は、さらに極限の戦争体験を、その自叙伝において、次のように語っている。
「私は、中内軍曹として、敗戦を迎えた。
自分の目の前で、多くの戦友が死ぬのを見た。
突撃の一言で、勇敢な人ほど死んでいった。
私は卑怯未練で、生き残った。
その無念の思いが、いまも私を、
流通革命に駆り立てている」
さらに、元伊藤忠商事会長の瀬島龍三氏。
山崎豊子の小説『不毛地帯』の主人公にもなった経営者であるが、この瀬島氏は、シベリア抑留11年の体験である。それは、いわば「戦争」と「投獄」の同時体験でもあったが、その過酷な体験を11年、与えられた。
そして、「大病」という体験では、京セラ・名誉会長の稲盛和夫氏も、元セゾン・グループ代表の堤清二氏も、若き日に結核を患っている。
このように、たしかに、戦後、活躍された経営者を拝見すると、この三つの体験を持たれた経営者は、珍しくない。
■現代でも意味を持つ「大病の体験」
しかし、こう述べてくると、あなたの心の中には、一つの疑問が浮かぶだろう。
「この平和な時代、民主主義の社会において、
戦争は無い、また思想犯の投獄も無い。
そうした時代に、この3つの体験を持つことは、
不可能ではないか」
その通り。現代の日本において、幸い「戦争の体験」は無い。戦争など、決してするべきでは無い。また、現代の日本社会においては、「投獄の体験」もするべきではない。この民主主義社会における「投獄」とは、法律に基づく「懲役」のことであり、それは、明らかに「反倫理的」なものや「反社会的」なものだからである。
従って、この警句が教える体験で、現代において意味を持つのは、「大病の体験」であろう。現代において「結核」は、もはや「死病」ではないが、我々は、新たに「癌」という困難な病に直面している。また、それ以外にも、「不治の病」と呼ばれるものが、いくつも存在している。
しかし、この「大病の体験」も、自ら望んでするものではない。また、できるものでもない。それは、深い意味があって、ときに、天が我々に与えるものであろう。
■「命は長くない」との宣告から始まった絶望の日々
実は、筆者は、38年前に、その体験を与えられた。
38年前、筆者は、医者から見放される大病を患った。医者からは「もう、命は長くない」との宣告を受けた。
それは、文字通り「生死の体験」であった。
自分の命が刻々失われていく恐怖と絶望の中で、まさに「地獄」のような日々を体験した。それは、世の中で使われる「悪夢」という言葉が、なまやさしい言葉に聞こえる日々であった。それが「悪夢」ならば、鬼に追いかけられようとも、その夢から覚めれば、鬼は消えていく。しかし、この「生死の病」は、寝ている間は忘れていられるが、目が覚めれば、刻々、命が失われていく自分の姿が、現実である。何度、夜中に目を覚まし、絶望の中で、深い溜息をついたことか。
この絶望のどん底から、どのようにして戻って来ることができたかは、拙著『すべては導かれている』(小学館)に詳しく述べているが、その地獄の日々の中で、天の声に導かれたのであろう、ある禅寺との縁を得て、そこに行き、その寺の禅師から与えられた一つの言葉によって、救われたのである。
■「人間、死ぬまで、命はあるんだよ!」
それは、短い言葉であったが、奈落の底を彷徨っていた一人の人間にとっては、まさに魂に響く言葉であった。
それは、次の二つの言葉であった。
「そうか、もう命は長くないか。
だがな、一つだけ言っておく。
人間、死ぬまで、命はあるんだよ!」
「過去は、無い。
未来も、無い。
有るのは、
永遠に続く、いまだけだ。
いまを生きよ!
いまを生き切れ!」
筆者は、この2つの言葉によって、大切なことに気づかされた。
たしかに、その通り。
医者から「命は長くない」と伝えられ、その絶望の中で、まだ、命はあるにもかかわらず、心が、もう死んでいた。
そして、毎日、毎日、「どうして、こんなことになったのか」と、過去を悔いることに時間を費やすか、「これから、どうなってしまうのか」と、未来を憂うることに時間を費やしていた。そのため、かけがえの無い人生の時間を、この「いま」という一瞬を、精一杯に生きてはいなかった。
この禅師の言葉によって、その自分の姿に気づいたとき、筆者の心の奥深くから、一つの覚悟が湧き上がってきた。
「ああ、この病で、明日死のうが、明後日死のうが、構わない!
しかし、この病を悔いること、憂うることで、
このかけがえの無い時間を失うことは、絶対にしない!
今日という一日を、精一杯に生きよう! 精一杯に生き切ろう!」
■覚悟を定めた瞬間、生命力が湧き上がってきた
そして、この覚悟を定めたとき、筆者は、「病を超えた」のである。
もとより、それは、「病が消えた」わけではない。
病の症状そのものは、それから10年の歳月、続いたが、心が「病に囚われなくなった」のである。そして、この覚悟を定めた瞬間から、不思議なほどの生命力が湧き上がり、その生命力が、最後は勝ったのであろう、いつか、この病も消えていったのである。
この「生死の体験」は、天が筆者に与えたものであろう。それゆえ、健康を回復し、元気に活動する現在も、仕事や生活で危機や逆境に直面するとき、必ず、心の中に一つの思いが浮かび上がってくる。
「天の導きが無ければ、あのとき死んでいた。
それを、こうして何十年も生かして頂いた。
それだけでも、本当に有り難い」
そして、その思いが浮かび上がってくると、目の前の危機や逆境に正対して取り組んでいく勇気が湧き上がってくるのである。
実際、38年前、あの病気のどん底で、あの絶望の中で、「あと一日、生かして頂きたい」と願い続けたことを思えば、いま、どのような苦労や困難がやってきても、「命取られるわけじゃない!」と、腹を据えて向き合っていける。
■極限の体験で掴んだ「死生観」が、自分を支える杖になっている
もとより、こう述べる筆者自身は、いまだ一人の経営者としても、一人の人間としても、修行中の身であるが、あの「生死の病」の体験を通じて「死生観」を掴ませて頂いたことが、それからの人生で、様々な危機や逆境において自身を支える大きな杖となっている。
しかし、こう述べてくると、あなたは、このように思われるかもしれない。
「戦争の体験をしたそれらの経営者や、大病の体験をした田坂さんは、
その生死の体験を通じて、死生観を定めることができたかもしれないが、
そうした体験を持たない自分には、死生観を定めることは難しい」
たしかに、あなたが、そう思われる気持ちは、理解できる。筆者自身も、あの大病が与えられるまでは、「死生観」を定めることはできなかったのだから。
しかし、それでも、やはり申し上げたい。
我々は、戦争や大病の体験を持たなくとも、
深い「死生観」を定めることはできる。
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多摩大学大学院 名誉教授
1951年生まれ。1974年東京大学卒業。1981年同大学院修了。工学博士(原子力工学)。1987年米国シンクタンク・バテル記念研究所客員研究員。1990年日本総合研究所の設立に参画。取締役等を歴任。2000年多摩大学大学院教授に就任。同年シンクタンク・ソフィアバンクを設立。代表に就任。2005年米国ジャパン・ソサエティより、日米イノベーターに選ばれる。2008年世界経済フォーラム(ダボス会議)のGlobal Agenda Council のメンバーに就任。2010年世界賢人会議ブダペスト・クラブの日本代表に就任。2011年東日本大震災に伴い内閣官房参与に就任。2013年全国から6800名の経営者やリーダーが集まり「21世紀の変革リーダー」への成長をめざす場「田坂塾」を開塾。著書は90冊余。
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(多摩大学大学院 名誉教授 田坂 広志)
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