日本の「東大王」型エリートが、なぜか海外では通用しない本当の理由
プレジデントオンライン / 2021年6月8日 11時15分
■英国の名門校が身につけさせるのは「考える癖」
筆者はイギリスのパブリックスクールのひとつハロウスクールにて2014年から2018年まで、選択科目である日本語を教える教員として勤務した。日本で教育を受けた筆者は、英国の名門校の教育を目の当たりにし、日本との違いの大きさに日々仰天した。
特に驚いたのは、生徒に「考える癖」がついていることだ。その対象が学問であれ、芸術であれ、スポーツであれ、物事を表面的な理解にとどめず問題意識を持ち、どうしてそうなったか、それは今後どんな影響を及ぼすかなどまで追究する態度が身についている。
なぜそうした態度が身についているのか。大学出願時に書く「自己推薦書」を例に挙げよう。イギリスでは大学の入学試験願書で「何を学びたいか」が徹底的に問われる。このため、大学で専攻したい学問に感じている興味や魅力を自己推薦書に書く。
さらにその専攻を学ぶにあたり、自身がどんな資質を備えているかを示す。進路指導担当教員によると、そこで求められる資質は四つにまとめられる。第一に研究を一貫して最後までやり通せる強い精神力。第二に考えを冷静にまとめられる思考力。第三に自分の意見を的確に表現でき他人の意見に耳を傾け問題を解決できるコミュニケーション能力。最後に既成概念にとらわれない独自の思考を持つこと、である[HALSTEAD, 2018]。
■オックスフォード大学に合格した高校生の自己推薦書
自己推薦書の実例を見ていこう。これはハロウ校からオックスフォード大学の哲学・政治学・経済学を学ぶ学部(PPE)への進学を希望するミロ君が書いたものの一部だ。冒頭では何を学びたいかと、その学問への興味が生まれた理由が明示される。
私はイギリス人だがパリで育ち、バイリンガルの学校に通った。学校では歴史を英語とフランス語を学習したおかげで、両国民の見解を学べた。また、各国の生徒たちを学友に持つ多国籍な環境で多種多様な物の見方、価値や政治体制に対して興味が生まれ、これを大学で勉強したいと思うようになった。
ハロウ校の授業では、知識を詰め込むことより、クラスメートとの議論が重視されている。専門書を読み込むのは授業外での時間だ。学習の成果を世界の事象に照らし合わせて考え、専門家の意見を聞くために政府機関の討論会にも出席する。
■エクアドルでの「教育ボランティア活動」をアピール
後半部分からは、ミロ君が社会問題の解決に貢献し人々の人生を豊かにしたい、という大学入学を超えた大きな目標を据えていることがうかがえる。
企業での研修以外に非政府組織の慈善活動にも参加し、実務経験を蓄積しながら社会人との交流も広げている。
学業だけでなく、スポーツやITにも注力し、これらを通して協調性やリーダーシップ、忍耐力を養っていることを示唆する。新しい技術を創造できる進取性も表している。結びには再びPPEへの興味を書き、英字4000字の自己推薦書を締めくくっている。
■英国では「クイズ王」を「頭の良い生徒」とは見なさない
ミロ君の自己推薦書についてどんな印象をもっただろうか。ミロ君は無事、オックスフォード大学に合格している。イギリスの名門大学は、よく考え、実行する人を評価するのだ。
一方、日本では難関大学の出身者には「知識がある」というイメージが強い。それはクイズ番組が「東大王」とネーミングされることからも明らかだ。ここには決定的な違いがある。
イギリスでも物知りが評価されないわけではない。たとえばハロウ校には、毎年、全校生徒が参加するクイズ大会がある。問題は100問。政治・経済・スポーツ・科学・食物など多種の分野から出題され、各学年で優勝した生徒は朝礼で表彰される。
しかし学校では各科目や演劇、奉仕活動、軍事演習など全部で数百の表彰対象がある。クイズ王はその表彰のひとつにすぎない。また、クイズ王の表彰を受けたからといってその生徒が「頭の良い生徒」と見なされるわけではない。
■「アメリカ独立」や「フランス革命」の年号は知らない
実際、イギリスのエリートは日本人に比べると知識量が格段に少ない。彼らと話していると、日本人なら「世界の常識だ」と考えているようなことを知らないことがままある。
例えば歴史。アメリカ独立の年もフランス革命の年も知らない人が多い。相手は「なぜあなたは知っているの?」と驚く。世界地理でも大都市は別として地名も場所も詳しくない(その代わり、現今の世界情勢に多大な影響をもたらした第1次・第2次世界大戦に関する知識には目をみはる)。
知識は話題を豊富にするには便利だが、思考力を阻害する危険があることを筆者は身をもって知った。例えば授業中に日本事情を紹介していると生徒から頻繁に「それについて先生はどう考えますか」と聞かれる。「これこれだと考えます」と答えると「どうしてそう考えるのですか」と畳みかけられる。
生徒たちは教師に挑んでいるのではなく、教師がどう考えるかに興味を持っているのだ。「日本はどうして移民を受け入れないのですか」「未成年の売春が放置されていると聞きますが」。その場で考えが及ばない時は「その問題は先生の宿題にさせてください」。宿題に追われた筆者は考える癖の欠如を痛感した。
■「詰め込み型」の日本式教育は、教員の負担が少なくて済む
どの分野でも一流になった人は自らの足跡を振り返る時、何かを成し遂げるために「考えた」と言う。思考力の育成はわが国の文部科学省も近年重視している。しかし果たして思考力を育てる授業が今の日本でできるのか。
教員として思うのは、知識を教えるのは簡単でテストの採点も楽だということだ。何しろ正解がはっきり決まっているのだから。逆に、生徒に考えさせるような授業は、教員の予習も大変だし、論文を添削するのも時間がかかる。
イギリスのトップ校ではクラスが少人数制の習熟度別編成なので、教員はクラスの能力に合わせた知的好奇心を刺激する授業ができる。
また、教員は生徒一人ひとりに時間を割くことができる。例えばミロ君が披露した論理的な自己推薦書は一朝一夕に書けるものではない。当然、ミロ君は普段から書く訓練をしており、それを教員が添削している。
加えて、私学の場合はイギリス教育省の規制をあまり受けないので、各学校の理想とする教育を伸び伸びと行うことができる。
一方、日本の教師は担当する生徒数が多い上に授業以外の雑務も多いため、授業中に生徒を考えさせる余裕も、丁寧に論文を添削する時間もないだろう。また、暗記型教育で育ってきた教師が、「考える」ことを教える授業に転換するのも難しい。結果的に公立・私立を問わず文科省の指導要領に準拠した知識詰め込み型の教育が繰り返され、その頂点として「東大王」が君臨し、エリートと見なされる構図ができあがってしまっている。
■「東大王」の先にあるもの
考えるためには知識がベースとして必要だ。しかし、日本人はせっかく蓄えた知識を生かして考えることをせず、知識があることを終着点として「知力」と見なす。だから日本が世界であまり存在感を示せないのだろう。なぜなら実社会で起こる問題には正解が用意されておらず、正解の暗記を得意とする「東大王」では不測の事態が起こった時に対処法を考えられないからだ。
日本型エリートを体現する教育政策立案者も、その多くが思考型の教育になじみが薄いはずだ。政策立案者に「考える力」がなければいくら教育改革を唱え教育予算を増やしたところで結果はむなしい。
教育関係者が思考力を育てる教育を知り、それを促進できるようになるための方策のひとつとして、国内外でそのような教育を受けてきた日本人の若者を、教育改革を牽引する人材として積極的に生かせないだろうか。
加えて、未来の日本を背負う子供が「東大王」型クローン人間にならないよう、教育関係者だけではなく一人ひとりが教育改革について官僚や政治家まかせにせず問題意識を持つことが必要ではないだろうか。
参考文献:HALSTEAD, Josh. “How to write a winning UCAS Statement” (unpublished, 2018)
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日英欧研究学術交流センター研究員
1968年東京生まれ。上智大学経済学部在学中、一年間米国留学。早稲田大学アジア太平洋研究科国際関係学博士課程中途退学。商社勤務の配偶者の転勤で住んだタイでは地元の公立中等教育機関で、ドバイでは国立大学で、ロンドンでは私立中等教育機関で日本語教育に携わる。現在東京都在住。著書に『英国名門校の流儀 一流の人材をどう育てるか』(新潮新書、2019年)がある。
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(日英欧研究学術交流センター研究員 松原 直美)
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