「タブー視してきたツケか」ドイツで"ユダヤ人憎悪"のデモが広がる厄介な理由
プレジデントオンライン / 2021年6月8日 15時15分
■停戦前の戦場に駆けつけた独外相
5月20日、イスラエルとパレスチナの間でミサイルが飛び交っていた最中、ハイコ・マース独外相はイスラエルを訪問し、ミサイル攻撃で破壊されたばかりの瓦礫の中に立っていた。彼がイスラエル国民に伝えたかったのは、ドイツ人のイスラエルに対する強い連帯の情であり、それは、その後、テルアビブでネタニヤフ首相と交わした力強い握手によっても、しっかりと伝えられたはずだ。
マース外相は前々から、学生時代に強制収容所を見学したことがきっかけで政治家になろうと決心したと語っていた政治家であったから、イスラエル訪問は、まさにその信条の実践でもあったのだろう。外交においては、時にこういう象徴的な、危険をも顧みないで駆けつけたといったようなポーズが重要な意味を持つ。
同日、マース外相はイスラエルからさらにヨルダン川西岸に移動し、パレスチナ自治政府のアッバース大統領とも会談した。ただ、戦闘行為を働いているのはパレスチナ自治政府ではなく、ガザ地区のハマス、およびジハード(イスラム聖戦機構)といった、米国やEUからテロ組織に指定されているイスラム原理主義者の戦闘集団なので、結局、マース外相にできたのは、アッバース大統領と共に1日も早い休戦を願うことぐらいだった。
なお、具体的には、被害の大きいガザ地区への人道支援も申し出ている。
そして、これらの調停役的な行動の成果が実ったのか、あるいは、17日のバイデン米大統領とネタニヤフ大統領の電話会談が効いたのか、5月21日未明には停戦が発効した。6月2日現在も、停戦協定は守られている。
■ベルリンの反イスラエルデモに異変が
一方、この頃、ドイツ国内では予想もしない事態が勃発していた。ガザ地区の重篤な被害に憤慨した在独アラブ系の人たちが、イスラエルに抗議するために起こした合法なデモが、あっという間にユダヤ排斥を叫ぶ暴動となってしまったのだ。
5月15日の土曜日、ベルリンではデモ隊(警察発表では3500人が参加)が暴徒化して警官隊と衝突。パレスチナの旗を掲げ、熱狂的に反イスラエル・反ユダヤを叫ぶアラブ系の人々の姿は唾棄すべきもので、日本人としては、ふと、2005年当時の中国の反日暴動を思い出した。
この日は最終的に93人の警官が負傷、60人が逮捕された。ドイツ人は、自国にこれほど多くの過激なアラブ人が潜んでいたことに驚きを隠せなかった。
さらに翌16日には、約1000人が400台の車に分乗し、ベルリン市内を隊列を組んでクラクションを鳴らしながら走り、その他の都市でも、イスラエルの国旗が焼かれたり、シナゴーグ(ユダヤ教会)やユダヤ関連の記念碑が毀損されたりと、ユダヤ攻撃が相次いだ。
いうまでもなく、ホロコーストを絶対悪と定めるドイツでは、イスラエルには常に気を遣い、ユダヤに関する非難めいた発言は、それが差別であろうがなかろうが許されない。それどころか、反ユダヤ主義的言動は刑法に触れる。ホロコーストは絶対に忘れてはならず、近年は、政治家が「記憶の文化」などという新造語まで作り、国民の贖罪意識の風化を防ごうとしてきた。
■ユダヤ人を憎悪する人々は何者なのか
そんな国で、あたかも75年の空白を破るかのように、突然、反ユダヤのプラカードが掲げられ、ユダヤ冒涜のシュプレヒコールが響き渡ったのだから、その衝撃は大きかった。当然のことながら、国中で一気にユダヤ議論に火がつき、まさにパンドラの箱の蓋が開いたかのようだった。
論点は複合的だ。最初の疑問は、デモで反ユダヤを叫んでいるアラブ系の人たちはいったい誰なのかということ。
アラブ人(イスラム教徒)とユダヤ人(ユダヤ教徒)は骨肉相食む仲だが、ドイツにはそのイスラム教徒が多く暮らす。例えば70年代に労働移民として入ったトルコ人や、内戦から逃れてきたレバノン人。その数は膨大ではあるが、しかし、彼らの多くはすでにドイツ国籍を取得し、今や4世が育つ。もちろん、2世以上は皆、ドイツで教育を受け、社会に根付いているため、今回の暴動の主役ではありえない。それどころか、彼らなしではもはやドイツ社会はまともに機能しないと言ってもよいほどだ。
■新たな反ユダヤ主義が持ち込まれている
ところが、移民の中には、都会の一角に独自の生活を送る並行社会を形成し、全くドイツ社会に溶け込まない人たちもいる。
ドイツ人にはホロコーストの強いトラウマがあり、特に政治家は今でも、外国人に対して何らかの要請を行うことにひどく消極的だ。そのためドイツ政府は、何十年ものあいだドイツが移民受け入れ国であるということを認めず、外国人租界のようになった一角が犯罪の温床、あるいは、イスラム過激派の根城となっていっても目をつむった。反ユダヤ主義がそういう場所でしっかりと温存され続け、今の反ユダヤ主義の暴発につながっている可能性は確かにある。
それに加えてドイツには、2015年と2016年に受け入れた膨大な数の中東難民がいる。彼らが「ユダヤ憎悪」というアラブの常識を、おそらく無意識のまま、ドイツに持ち込んだことは疑いの余地がない。
当時、無制限受け入れを積極的に進めたのはメルケル首相だったが、これについては彼女自身が2018年、イスラエルのテレビ放送のインタビューに答えてこう語っている。
「私たちは、難民、およびアラブ系の人々を受け入れたことで、新しい現象に直面しています。それは、新しい形の反ユダヤ主義が、再び国内に持ち込まれたということです」と。
■彼らの感情を利用し、暴発させたか
実際問題として、以来、ユダヤ人に対する嫌がらせや襲撃が急増し、それが頻繁に報じられるようになった。
ユダヤ人中央評議会のドイツ支部代表のシャルロッテ・クノブロッホ氏は、ミュンヘンの日刊紙Merkurのインタビュー(6月1日付)で、「反ユダヤ主義がこのような形で再燃するとは思ってもみなかった」と語り、このままではユダヤ系の人々がドイツでの将来の生活に対する信頼を失うことを警告した。実際、子育て中の若い家族の間で、イスラエルへの移住を考えたり、あるいは、すでに踏み切ったりするケースが増えているという。
ちなみに、1932年生まれのクノブロッホ氏はナチ時代の生き証人でもある。
これらの状況を総合すると、今回の暴力的なデモは、イスラム原理主義の拡大を目指す過激な組織が、中東紛争を利用し、さまざまなアラブ系の若者たちを引き込み、もともと、彼らの中に潜んでいた反ユダヤ感情を暴発させたものだという仮説が成り立つ。そうだとすると、その責任の一端は、長年、有効な移民政策を敷かなかったドイツ政府や、難民を無制限に入れたメルケル首相、それを支持した左派勢力やメディアにもあるのではないかということにもなる。
■ドイツ人の偏見度合いを調べると…
それに加えて、今回の暴動は単にアラブ系の人たちだけの問題ではなく、実はドイツ国民の間にも、今なお根強い反ユダヤ主義が潜在しているのではないかという疑問も生んだ。これが事実だとすると、75年間、反ユダヤ主義の撲滅に励んできたはずのドイツ人にとっては、極めて深刻な事態だ。
5月18日、Die Welt紙のオンライン版に興味深い記事が載った。ユダヤ人の経済モラルについて、ドイツ人が偏見を持っているかどうかというテーマで、ドイツ人経済学者2人が行った調査結果だ。
調査は単純で、124人の被験者に次のような文章を示し、そのモラル度を問う。
「XYは1974年にミュンヘン生まれで、現在45歳。ミュンヘンのIT企業で中間管理職の一員として働く。叔母から5万ユーロの遺産を受け継ぎ、それを子供達の学費として活用するため、ドイツと米国の企業の株に投資した。株の選択は、自動車、薬品、鉱物資源を扱う企業に重点を置いた。今後、大きな市場の動きに対応するため、株の動きをスマホでフォローするつもりだ」というものだ。
■名前を変えたら見えてきた事実
何の変哲もない内容だが、ミソはXYの名前のところで、半分はユダヤ風の名前とし、残りの半分は典型的なドイツ風の名前とした。
その結果、ユダヤ風の名前に対しては、これはモラルを問われるべき行為、あるいは、非常にモラルを問われるべき行為であるという答えが34.8%で、ドイツ風の名前の場合は14.8%と、差が出た。
調査の精度を高めるため、ユダヤの名前の代わりに、英国やイタリアの名前を入れると、結果はドイツの名前と差がなかったという。
つまり、被験者はユダヤの名前に反応した可能性が高い。類似の研究は英国などでも行われており、やはり同様の結果だという。
これをドイツ人のユダヤ人に対する偏見と解釈すべきかどうかはさておくとして、ただ、ここでの問題は、ドイツ人の間では、たとえユダヤに対する偏見や反ユダヤの感情があったとしても、本人が一切気づいていない可能性が高いのではないかということだ。あるいは、気づいていても、理性で閾下(いきか)に押し込めている可能性だ。
■ユダヤ問題も難民問題も自由に語れない
ドイツ人は75年間、政治的にイスラエル擁護を貫いてきたし、その教育も徹底していた。だから現在も、アラブ系の人たちの暴発を見て、多くの人が心を痛め、イスラエル支援を掲げて立ち上がっている。
ただ一方で、ドイツ人の感情の中には、いわゆるパレスチナ難民の運命への同情も根強くあり、それどころか、軍事的に優位なイスラエルに対する反発さえ潜んでいるようにも感じる。つまり、イスラエルもパレスチナも多くの側面があるだけに、複雑なのだ。
ただ、今のドイツでは、ユダヤ問題はもとより、難民問題もなかなか自由には語れない。前者は政治的にタブーだし、後者に言及すると、すぐさま極右や国家主義者のレッテルを貼られる危険が大だ。しかも、ドイツ政界には今、反ユダヤ主義の台頭を封じ込めるため、罰則の強化を図ろうという動きが出ている。
せっかく75年間も掛かって築いてきた人道国家の評判を落としてはならぬと焦っているのはよく分かるが、罰則があれば、自由な議論までがこれまで以上に妨げられる可能性も出てくるのではないか。
本来ならこの問題の解決には、まずは新入りのアラブ系の人たちに、ドイツに留まりたければ反ユダヤ主義は許されないことを強く啓蒙し、さらには、国民全員に、過去の歴史やホロコーストなど、検証さえもタブーであった事柄についてのオープンな議論の場を設けることのほうが先決のような気がする。
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作家
日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ライプツィヒ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。その他、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『移民・難民』(グッドブックス)、『世界「新」経済戦争 なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか』(KADOKAWA)など著書多数。新著に『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)がある。
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(作家 川口 マーン 惠美)
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