池江選手の動画が話題「商品を推さないPR」でP&Gは何を狙っているのか
プレジデントオンライン / 2021年6月11日 11時15分
女子100メートルバタフライで優勝し笑顔を見せる池江璃花子(中央、ルネサンス)。左は2位の長谷川涼香(東京ドーム)、右は3位の相馬あい(ミキハウス)=6日、千葉県国際総合水泳場 - 写真=時事通信フォト
■商品が一切出てこないSK-Ⅱのショートムービー
こんにちは、桶谷功です。
水泳の池江璃花子選手が復帰するまでのストーリーを描いたショートムービー「センターレーン」が、スキンケアブランドSK-Ⅱのサイトで公開され、話題になっているのをご存じでしょうか。
![3月に公開された池江選手のショートムービー「センターレーン」は今もSK-Ⅱのサイトから視聴できる](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/e/300/img_cebe2af085f03f9845b308b4615c48a3218131.jpg)
監督を務めたのは、2018年に『万引き家族』がカンヌ国際映画祭で最高賞を受賞した巨匠・是枝裕和監督。
センターレーンとは、いちばん強い選手のためのプール中央のコースのこと。動画の冒頭で池江選手は「センターレーンが好きです」と語ります。しかし闘病中はプールに入ることもできないし、復帰直後はプールの一番はじで泳ぐことになる。是枝監督は、そんな彼女の心境をアニメーションを交えて描いていきます。
最後はセンターレーンに立つ池江選手の、「ちょっとしたことで運命や未来は簡単に変わる」という言葉のあとに、「その意志が運命を変える」というメッセージで締めくくられる。
この約10分の動画のなかに、SK-Ⅱの商品はまったく出てきません。池江選手が肌の手入れをするシーンすら、一切なし。SK-Ⅱはいったい何のために(おそらくは高い製作費をかけて)、この動画を製作したのでしょうか。
■企業の存在意義を伝える「パーパス・ブランディング」
SK-Ⅱの狙いはズバリ、「パーパス・ブランディング」にあります。
![監督を務めた是枝裕和さん。](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/6/250/img_e6f70401995d6c2cd7905cfc69cee821318319.jpg)
パーパス(purpose)とは「目的」という意味で、「自分たち○○社は何のために存在しているのか」という企業の存在意義を伝えるブランディングのことです。SK-Ⅱはこの動画によって、「運命を変えようと努力する女性をサポートする」という企業の存在意義をアピールしているのです。
パーパス・ブランディングは「ブランド広告」の一種なので、商品を売ることが目的ではありません。商品を売る前に、まずはブランドを好きになってもらうことを目指している。だから商品が出てこないのです。
実はいまマーケティング界では、このパーパス・ブランディングの手法が注目を浴びています。特に外資系企業はこれをいち早く取り入れ、「私たちは社会的な貢献を果たしているブランドです」と伝えることで、消費者の信頼や共感を獲得しようとしているのです。
■素人の動画のほうが再生回数が多い
「センターレーン」より以前から、企業によるエンターテインメント性の高い動画はありました。特にインターネットが普及してからは、テレビの15秒枠のコマーシャルでは短すぎて表現できない世界観を、自社サイトの動画で見せるようになってきた。
古くは、おじさん向けと思われていた高級車BMWが、ガイ・リッチー監督によるマドンナ主演のムービーなどによって、若者からの支持を得ようとした海外の事例に端を発します。日本では、岩井俊二監督の「花とアリス」がキットカットのウェブサイトで公開され、女子高生の人気を博しました。
このようなムービーと、池江選手のムービーの違いは何かというと、前者がリッチなコンテンツで視聴者を楽しませることに主眼を置いているのに対し、後者は企業の存在意義を伝えようとしていることです。
いまや素人がコストゼロで撮った動画がYouTubeで何万という「いいね!」を得る時代。高い製作費をかけて視聴者を楽しませるだけの動画をつくるより、企業のメッセージを明確に伝えてブランドを育てようというのが、いまの考え方なのです。
■ブランドにも人格がある
ブランドを育てるときによく言われるのは、「ブランドは人間と同じ」ということです。人間と同じように、消費者と対話してコミュニケーションをとるし、出身国などの生まれ育ちが個性に反映されるし、いままで何をしてきたか、どういう立ち居振る舞いをしているか、どういう言動をとっているかなどにより、一個の人格と同じように判断されると言われています。
したがって消費者から好きになってもらうには、「ウソをつかない」「口先だけでなく、ちゃんと行動もする」というような、人から好かれる振る舞いが求められます。
特に外資の場合は、ブランドの設計をするときに「ブランドパーソナリティ」といって、キャラクターの性格を決めるようにブランドの性格も決めていきます。「アグレッシブで情熱的」とか「とてもやさしくて思いやりがある」など、人間になぞらえてブランドを形づくっていきます。そうやってブランドをつくり続けてきた結果、ブランドが長く愛されるためには、「社会的な役割を果たすのが大事だ」ということがわかってきました。
■利益追求に走る企業は選ばれない時代
もちろん社会的な役割を果たしていれば、商品がすぐに売れるのかといえば、そんなことはありません。でもこれからの時代は、社会的な役割を放棄して利益追求に走る企業が消費者から選ばれなくなるのは間違いない。だから外資系企業はいち早くパーパス・ブランディングに取り組み始めているのです。
その点、SK-Ⅱの動画がうまく考えられているのは、視聴者が参加できる仕組みがきちんとつくられていることです。SK-Ⅱは「#changedestiny資金」を設立し、50万ドルを上限として、この動画が1回再生されるごとに1ドルを女性支援活動に寄付すると明言しています。
つまりブランドが人だとしたら、いいことを言う「口だけの人」ではなく、ちゃんと行動を起こしているところを見せなければならないのです。
■担当が代わっても社長が代わってもブレないブランド
私も外資系企業に勤めていたのでよくわかりますが、外資はブランドの重要性をよく知っています。ブランドがしっかりしていたら、商品のラインはそこからいくらでも追加していけます。ブランドを育てるのは金のなる木を育てるようなもので、この先何十年と利益を生み出してくれる。だから大事に育てるのです。そしてそれが育つと、担当者が変わっても社長が変わってもブレない強さを獲得できます。
一方日本企業では新製品を開発するほうに重点が置かれ、ブランドの重要性がいまひとつ理解されてきませんでした。
しかしいまの若い世代は、新製品には簡単に手を出さず、定番ものしか買わなくなっています。親の世代は「新しいもの=改良が加えられたもの」と思っていますが、若い世代はある程度、質のいいものに囲まれて育ったので、新製品が出たからといって飛びついてくれません。むしろ長く愛されてきたものにリスペクトがある。
SK-Ⅱはこのような若い世代の意識の変化をとらえたからこそ、パーパス・ブランディングに力を入れているのでしょう。若い世代のユーザーをつかまえたら、この先何十年も顧客になってもらえる。ライフタイムバリュー(顧客生涯価値)を意識しているはずです。
同じ化粧品でも、これが口紅やファンデーションなどであれば、流行も追わなければならない。しかしSK-Ⅱはスキンケア製品のブランドなので、企業の変わらぬ姿勢をアピールしやすい。それに商品を継続して使ってもらわないと、結果も出ない。SK-Ⅱには、パーパス・ブランディングにぴったりの条件がそろっていたと言えるでしょう。
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株式会社インサイト 代表取締役
大日本印刷、外資系広告会社J.ウォルター・トンプソン・ジャパン戦略プランニング局 執行役員を経て、2010年にインサイト社設立。初著『インサイト』(ダイヤモンド社)で、日本に初めてインサイトを体系的に紹介。商品開発・ブランド育成などのコンサルティングを行っている。
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(株式会社インサイト 代表取締役 桶谷 功 構成=長山清子)
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