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「風に恵まれない男」28歳・山縣亮太が"フワフワ飛んで"日本新を出すまでに舐めた辛酸

プレジデントオンライン / 2021年6月12日 11時15分

男子100メートル決勝で9秒95の日本新記録をマークして優勝し、笑顔で記者会見する山県亮太(セイコー)=2021年6月6日、鳥取市のヤマタスポーツパーク陸上競技場[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

6月6日、陸上男子100mの山縣亮太(セイコー)が9秒95の日本新記録を出した。慶應義塾大時代はダントツのエース候補だったが、桐生祥秀ら年下の3人が9秒台を出す中、20代は度重なるケガもあり結果が出せずに苦しんだ。スポーツライターの酒井政人さんは「出場するレースは向かい風や弱い追い風ばかりで『風に恵まれない選手』と言われていましたが、五輪直前の今レースで地道な努力を実らせました」という――。

■「9秒95で日本新」山縣亮太が20代に苦しみぬいた厚い壁

2021年6月6日、鳥取県で開かれた陸上の布勢スプリントの男子100mで山縣亮太(セイコー)が9秒95(+2.0)の日本新記録を樹立した。(※:+は追い風、-は向かい風、単位はm/秒)

これまでオリンピックに2度出場して、ともに準決勝に進出。慶応義塾大卒のイケメンには華やかなイメージがあるかもしれない。しかし、これまで抱えてきた葛藤と泥臭い努力の積み重ねを知れば、今回の快走がどれだけ“価値”があるのか理解できるだろう。

2013年4月29日の織田幹雄記念国際大会、男子100m予選で当時・洛南高3年生だった桐生祥秀が10秒01(+0.9)という衝撃的なタイムを刻んだ。日本人が未到達だった「9秒台」という夢がグンと近づき、日本陸上界は色めき立った。

17歳の桐生に強烈なライバル心を燃やしていたのが、当時・慶大3年生の山縣だ。織田記念の決勝は桐生が追い風参考の10秒03(+2.7)で山縣が10秒04。世代トップを走ってきた山縣は3学年下の選手に先着されて、「先に9秒台を出したい」と口にしている。

そこから8年に及ぶ“9秒台をめぐる長い旅路”が始まった。

■年下のライバルが次々に9秒台を出す中、プライドはズタズタに

広島の進学校で知られる修道高に進学した山縣は、3年時(2010年)の国体少年A100mを無風のなか10秒34(±0)で優勝。それは『月刊陸上競技』の表紙を飾るほどのパフォーマンスだった。筆者はそのとき山縣を初めて取材して記事を書いている。

男子100メートル決勝で9秒95の日本新記録をマークして優勝し、笑顔で記者会見する山県亮太(セイコー)=2021年6月6日、鳥取市のヤマタスポーツパーク陸上競技場[代表撮影]
男子100メートル決勝で9秒95の日本新記録をマークして優勝し、笑顔で記者会見する山県亮太(セイコー)=2021年6月6日、鳥取市のヤマタスポーツパーク陸上競技場[代表撮影](写真=時事通信フォト)

思えば、山縣がその後何度も味わわされる「風に嫌われるレース」の始まりが、このレースだったのかもしれない。ほんのもう少しだけ追い風が吹いていれば、このレースで当時の高校記録(10秒24)を塗り替えていた可能性があったからだ。

大学はスポーツ推薦ではなく、「落ちるかもしれない」という不安と戦いながら慶大のAO入試に挑戦。見事突破して、総合政策学部に入学した。他の名門大学と異なり、当時の慶大競争部には短距離専属の指導者はいなかったが、「どんな環境でも、伸びるかどうかはその人次第だと思っています」と山縣は考えていた。

大学1年時(2011年)の10月に100mで10秒23(+1.8)の日本ジュニア記録を樹立。同2年時(2012年)は4月の織田記念で10秒08(+2.0)をマークすると、ロンドン五輪で躍動する。予選6組で自己記録を更新する10秒07(+1.3)の2着で通過。準決勝3組は10秒10(+1.7)で6着に終わるも、初の大舞台で実力を発揮した。

桐生が2013年に10秒01を出すまでは、山縣が次世代を担うダントツのエース候補だったのだ。逆に言えば、甘いルックスでおまけに日本一足が速い慶應ボーイはわが世の春の主役の座を後輩に奪われてしまったのだ。

大学3年時の2013年は織田記念の決勝で桐生に0.01秒差で敗れたが、6月の日本選手権では10秒11(+0.7)で初優勝を飾った。しかし、そこからは“苦難”が続くことになる。

まずは故障だ。2013年9月に腰を痛めると、長年悩まされ続けてきた。左右のバランスが崩れたフォームで走っていた時期もある。2015年の日本選手権は腰痛が悪化したため、準決勝を棄権。北京世界選手権の代表をつかむことができなかった。

2017年は右足首を痛めて、4月29日の織田記念、5月21日のゴールデングランプリ川崎、6月4日の布勢スプリントを欠場。ぶっつけ本番になった日本選手権で6位に終わり、ロンドン世界選手権代表を逃がしている。

2019年6月の日本選手権直前に肺気胸を発症して、11月には右足首靱帯を負傷。2020年も右膝蓋腱炎で10月の日本選手権を欠場した。上記以外にもハムストリングスを肉離れするなど、9秒台を目指すなかで故障に苦しめられ続けてきた。

■おそろしいほど「風に恵まれない男」

直線で争われる100mは風の影響を大きく受ける種目だ。

スプリンター
写真=iStock.com/Tempura
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tempura

体格やフォームなどで数値は異なるが、0.1mの風で0.09秒タイムが変わるといわれている。無風状態と比較した場合、単純計算で追い風1.0mなら0.09秒の短縮、追い風2.0mなら0.18秒のタイム短縮となる。なお追い風2.0mを超えると「追い風参考記録」となり、公認記録として認められない。

かつて、1998年12月のアジア大会で伊東浩司が10秒00の日本記録(当時)をマークしたときは追い風1.9m。桐生祥秀が2017年9月の日本インカレで悲願の9秒台(9秒98)に突入したときは追い風1.8mだった。

一方、山縣は、不思議なほどに風に恵まれなかった。気象条件がそろえば、以下のレースですんなり9秒台が出ていた可能性がある。

【2016年】
織田記念(4月29日) 10秒27(-2.5)
東日本実業団(5月21日) 10秒12(-0.6)
布勢スプリント(6月5日) 10秒06(-0.5)
リオ五輪(8月14日) 10秒05(+0.2)
全日本実業団(9月25日) 10秒03(+0.5)

【2017年】
サマー・オブ・アスレティクスGP(3月11日) 10秒08(-0.1)
全日本実業団(9月24日) 10秒00(+0.2)

【2018年】
ゴールデングランプリ大阪(5月20日) 10秒13(-0.7)
布勢スプリント(6月3日) 10秒12(-0.7)
日本選手権(6月23日) 10秒05(+0.6)
アジア大会(8月26日) 10秒00(+0.8)
全日本実業団(9月23日) 10秒01(±0)
福井国体(10月6日) 10秒58(-5.2)

自己ベスト10秒00を2度出している。山懸のパフォーマンスを振り返ると、2016年からの3年間はいつ「9秒台」が出てもおかしくなかった。同時に風に恵まれず苦笑いする山縣の姿を何度も目撃してきた。

特に2018年度は充実しており、出場した19レースすべてで日本勢に先着する“無敵状態”だった。それだけにシーズン最後の福井国体が強い向かい風になったとき、筆者を含む多くのメディアは「山縣は本当に運がない男だ」と思った。なにせ会場は1年前に、桐生が9秒98を出した好タイムの出やすいスタジアムだったからだ。

桐生が10秒01を叩き出した2013年4月29日から日本のメディアは「9秒台」という夢を執拗に追いかけた。桐生と山縣はレースに出場する度に「9秒台の可能性」を質問された。メジャーな大会の場合、選手はENG(テレビ)取材とミックスゾーンのペン(記者)取材をこなすことになる。

山縣ほどの注目選手は活躍したときだけでなく、良くなかったときもメディアの前に立たないといけない。大会開催時以外でも各メディアの個別取材がある。メディアとの“9秒台問答”は何百回にも及んだはずだ。

そのプレッシャーを知っていると、山縣のコメントはとても味わい深いものになる。

今回、布勢スプリントで9秒95(+2.0)の日本新記録を樹立した直後の心境については、「すごくうれしいのとホッとしている気持ちが大きいです」と話すと、「(追い風2m以内の)公認であってくれ……と思いました。(速報値の)9秒97でもうれしかったですけど、まさか日本記録の9秒95で出るとは思わなくて、2倍うれしくなりました」と笑顔を見せた。

そして9秒台、日本新、五輪参加標準記録の突破で一番うれしいのは? という質問には、「日本新記録……いや、9秒台です」と答えている。度重なるケガと、毎回風に嫌われる気象条件。日本人では4番目の到達になったが、追い求めてきたことがようやく実現した喜びを噛みしめていた。

■低迷からの復活と3度目のオリンピック

振り返れば2019年と2020年は山縣にとって大きな試練の年となった。故障に苦しみ、日本選手権は2年連続して欠場。シーズンベストは2019年が10秒11(+1.7)、2020年が10秒42(-0.3)。何度も触れかけた9秒台からどんどん遠ざかっていった。

ランナー
写真=iStock.com/anopdesignstock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/anopdesignstock

低迷した2年間、6学年下のサニブラウン・アブデル・ハキームが9秒97の日本記録を更新して、慶大の後輩・小池祐貴も9秒台に突入……。山縣のプライドはズタズタにされたはずだ。

それでも復活を遂げることができたのは、「絶対に9秒台を出してやる」という気持ちを切らすことなく、故障にも挫けなかったことだろう。筆者は、これに加え“新たな視点”で競技に取り組んだことが実を結んだと考えている。

取材していると山懸はメンタルが強いことがひしひしと伝わってくる。故障に対しても、「ケガは走りの課題を突きつけてくれるものだと思っていました。しっかり克服できれば良い走りができるはず」とポジティブにとらえていた。そんな山縣でも精神的につらい時期がないわけではない。一番つらかったのは半年前、コロナ禍の2020年冬だったという。

「肉離れなどは治る感じがあるんですけど、昨年痛めた膝は治っても同じ動きをしたらまた痛くなる。なかなか完治しないんです。だからこそ、動きから変えないといけません。大改革が必要でした」

山懸はコーチをつけずに、自分で考えるスタイルを貫いてきた。しかし、「変えなければいけない」という強い決心のもと、2021年2月、女子100mハードルの寺田明日香やパラ陸上の高桑早生らを指導している高野大樹氏にコーチを依頼。山懸は自分で考えるという基本姿勢は変えず、「コーチの目も頼りながら、最短距離で完成させていく」という方針に変更した。

■初の9秒台「フワフワしました。良い時は飛ぶんだなと思いました」

2月からの二人三脚はビジネスパーソンを含む読者の皆さんにも大いに参考になるのではないか。

メダル
写真=iStock.com/Graffizone
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Graffizone

2人は右脚に故障が相次ぐ原因を一緒に考え、股関節の動かし方の改善に取り組んだ。新たなメニューも取り入れると、4月の織田記念までの1カ月は、「100%、120%の力を出すようなトレーニング」も行い、メンタル面での壁も取り払ってきた。

結果、織田記念は10秒14(+0.1)で桐生、小池、多田修平らに圧勝して、完全復活への自信を深めた。そして「東京五輪の準決勝をイメージして臨んだ」という布勢スプリント決勝では、悲願の9秒台に足を踏み入れた。

「(左隣のレーンの)多田選手が途中まで前に見えたんですけど、今回はラストで集中力を切らさず、走りのペースを崩さないことを意識しました。その辺りがうまくハマってくれてラスト出せた要因かなと思います」

短距離は、駅伝やマラソンなどの長距離と違って、「頑張ろう」という気持ちが、かえって本来の動きを妨げてしまうことがある。ライバルを意識することで、動きが硬くなってしまうのだ。とにかくリラックスして、自分の動きを正確にこなしていく。

山懸はレースの度に、自身の走りを動画で確認。日々の練習でも動画で自身の動きをチェックしてきた。しかし、布勢スプリントの決勝では、未知なるスピードには脚がついてこない感覚があったという。

「10秒00は最後に追いつく感じがあったんですけど、今日はフワフワしていましたね。このスピード感にカラダが慣れていないことを感じましたし、飛ぼうという意識はないですけど、良い時は飛ぶんだなと思いました」

日本陸連科学委員会のデータ分析では、秒速11.62mの最高速度を55m地点で記録。9秒台に必要とされる「秒速11.60m」を上回っていた。ピッチは1秒間で5.00歩に到達。平均ストライドは2m32で、47.9歩で100mを走ったことになる。桐生が9秒98をマークしたときが47.3歩なので、ほぼ同じ歩数だ。

100m走は、スタート地点からゴール地点に向けて「1次加速」「2次加速」「等速」「減速」と大きく分けて4つの局面に分かれており、山懸は48歩でゴールまで駆け抜ける。その1歩1歩に目指すべき“かたち”があるのだ。わずか100mの戦いだが、山縣は気の遠くなるような作業を、一つひとつ分解して、ひたすら繰り返してきた。それはこれからも変わらない。

次なるレースは6月24日の日本選手権だ。

東京五輪の代表「3枠」を懸けた戦いになる。日本の男子100mはレベルが高く、サニブラウン、桐生、小池、山縣、多田の5人が参加標準記録(10秒05)を突破している。加えて2016年の日本選手権王者で、昨季10秒03をマークしているケンブリッジ飛鳥もいる。個人種目で代表をつかむにはライバルたちを蹴落として、「3位以内」に入らないといけない。

しかし、9秒台のダメージで脚に違和感さえ出なければ、今の山縣を崩すのは簡単ではないだろう。重荷を下ろし、「日本記録保持者」という新たな称号を手に入れた男の視界は良好だ。それどころか山縣はさらに先を見つめている。

過去2回のオリンピックは大舞台で自己ベストを叩き出した。2016年のリオ五輪は予選を10秒20(-1.3)で通過すると、準決勝2組は自己新の10秒05(+0.2)をマークしての5着。決勝進出まで0.04秒差に迫っている。

「東京五輪は準決勝でまた自己記録を更新して、今度こそは『決勝に残る』という目標を達成したい」

その自信にみなぎった口ぶりから察するに、決勝に残る=あわよくばメダルを、というふうに筆者には聞こえた。6月10日に29歳を迎えた山縣亮太。20代最後のシーズンにもうひとつの“野望”をかなえるつもりだ。

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酒井 政人(さかい・まさと)
スポーツライター
1977年、愛知県生まれ。箱根駅伝に出場した経験を生かして、陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』をはじめ様々なメディアに執筆中。著書に『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。最新刊に『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)

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(スポーツライター 酒井 政人)

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