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「知らないのはオジサンだけ」この4年で"こども食堂"が全国5000カ所に爆増した本当の理由

プレジデントオンライン / 2021年6月22日 9時15分

バイキング形式に並べられた食事を受け取っていく参加者たち。2019年に撮影。 - 画像提供=湯浅誠さん

いま全国で「こども食堂」が急増している。2016年には300カ所程度だったが、現在は約5000カ所にまで増えている。NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長で、このほど『つながり続ける こども食堂』(中央公論新社)を書いた湯浅誠さんは「『地域のしがらみ』とは違うつながりを得られるのが魅力になっている」という――。

■最初から「こども食堂」ではなかった

――「こども食堂」と聞くと、「食べられない子が行く“福祉っぽい”場所」というイメージが強いです。なぜでしょうか。

【湯浅誠さん(以降、湯浅)】「こども食堂」というのれんを最初に掲げたのは、東京・大田区にある「気まぐれ八百屋だんだん」の近藤博子さんといわれています。近藤さんが居酒屋の居抜きで借りた場所で野菜を販売し始めると、店に上がりかまちがあったことで客同士が自然とコミュニケーションをとるようになり、地域の開放スペースになっていったそうです。さらに「だんだん」では娘の勉強も兼ねて近所の子どもたちにも勉強を教える「ワンコイン寺子屋」や、大人の学び直しのイベントなんかもやるようになっていきました。

そんなとき、たまたま知人から「給食以外はバナナ1本で過ごしている子どももいる」という話を聞いた近藤さんが、子どもでも安心してごはんが食べられる場所としてオープンさせたのが「こども食堂」でした。

■メディアが「貧困対策」として取り上げた

【湯浅】彼女が「こども食堂」と名付けたのは、子どもが一人でも行ける場所だよ、ということを伝えるためでした。店の成り立ちや意図としては最初からこども「専用」食堂だったわけではないし、貧困家庭だけに利用を制限していたわけでもなかったんです。

ただ偶然のなせる技なのですが、2015年にメディアがこども食堂を取り上げ始めたときの文脈が、「子どもの貧困対策」でした。その報道でこども食堂の存在を知った人たちが全国で始めるようになって、15、6年あたりにこども食堂の第1次ブームが到来します。私自身も、16年から3年間かけて47都道府県すべてをまわる「広がれ、こども食堂の輪!」全国ツアーに携わり、こども食堂の重要性をアピールしてきました。

――はじまりは貧困対策でも子どもに限定したものでもなかったんですね。今現在こども食堂は全国に約5000カ所(※)あるということですが、一番の目的はなんでしょうか。

(※)2020年12月時点で全国に少なくとも4960カ所ある。2016年の319カ所から約16倍になった。NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえの調査。

【湯浅】地域づくりと貧困対策の2本柱だと思っています。郊外のショッピングモールって、人はいっぱい集まってるのに、人と出会わないですよね。自分たちのグループで行って、自分たちのグループだけで過ごして帰ってきます。

逆にこども食堂は、「カブトムシ10匹あるけど、誰かいる?」みたいな声がいつもある場所で、人と出会うハプニングがあります。私も全国のこども食堂で、「ここではたくさんの人と知りあえる」という言葉を何度も聞いてきました。

■「これなら私にもできる」と思った人たちが広めた

社会活動家の湯浅誠さん
社会活動家の湯浅誠さん(画像=湯浅誠さん提供)

【湯浅】昔は地域ごとに子どもたちが集まれるバイク屋や駄菓子屋がありましたよね。「バイクかっけえ」とか言って友だちと溜まってるとバイク屋のおっちゃんが出て来て、「おまえ、これはちゃんと働かないと買えないんだぞ」とか言われて。「そうか、働かなきゃ好きなものも買えないんだ」みたいな、さりげないけど今でも心に残るようなことを教えてもらったり。昔はそういう店が軒を連ねて商店街をなしていたし、自治会や子ども会もありました。

でも今はシャッター通りになって、自治会も子ども会も解散。多様な年代の人々が集える場がどんどん失われています。そして高齢化、人口減少で物理的にも町がスカスカになって、人と人の距離も離れていく。

ただ、こういった状況を憂いている人が潜在的にものすごい数で存在していて、そんな人たちが「こども食堂」という存在を知ったとき、「これなら私にもできるかも」と思えたことが、全国的に広まっていった最大の要因だと思います。

■参加者はそれぞれの「こども食堂」によって違う

――実際、今こども食堂に来ているのはどんな人でしょうか。

【湯浅】8割のこども食堂が「大人も子どもも高齢者もどうぞ」というかたちで、年代や性別、年収などで対象を制限していません。でも実際に来ているのは子どもだけのところもあるし、9割が高齢者の場所もあります。実態把握が難しいのは、こども食堂が状況に応じて刻々と変化していく場所だ、という特徴もあるでしょう。最初は子ども20人ではじめたけど、今は多世代の人が100人来る場所になりましたとか、参加する人や課題によってフレキシブルに姿を変えていく。だから実際にそのこども食堂に行ってみないとどんな場所かはわからないのが本当のところです。

僕がこんな風に言うと、「こども食堂なんかにうちの子を行かせたくない」とか「変な友だちができたら困る」みたいに思われる方もいるかもしれないですね。でも実はこども食堂って、グローバル人材育成に格好の場所なんですよ。

――地域のこども食堂がグローバル人材を育てる。どういうことでしょうか?

【湯浅】グローバル人材って、多様な人との間合いがとれる人ですよね。突然アフリカの村へ行って、アフリカの村民とプロジェクトを興せるような人です。英語が使えない局面もありますから、語学力だけの問題じゃない。多様な人と適切な距離感でコミュニケーションをとれるということは、自分の中に多様な人との接点を持っていないといけません。だから世の親たちは、お金をかけて子どもに多様な経験を積ませようとするわけです。

■「人間っていろいろだなぁ」と感じ取れる場所

【湯浅】こども食堂は地域の入口なので、異年齢で遊んだり高齢者と関わったりする環境が当たり前のように存在します。そうすると、自分よりうんと年の離れた子や外国籍の子、発達障害の子といった、自分の常識が当てはまらない子たちと遊ぶことになる。これを同学年の同じような体力の人たちだけでやっているとルールを疑う余地がないですが、多様な年代の子と交流しようと思うと、子どもたちの中で誰もとりこぼさないルールが自然と発明されていくんです。たとえば小1から中学生までが一緒に「ドロケイ」をするなら、体力差をフェアにできる仕組みやオリジナルのルールを子ども同士で作っていくわけです。

あるいは高齢者と関わることで、「お年寄りって立ち上がるのにこんな時間がかかるんだ」とか、「大きい声を出さないと聞こえない人もいるのね」とか「おじいちゃんってこんな匂いがするんだ」みたいに、身体で「人間っていろいろだなぁ」を感じ取っていく。こういう経験は極めて大切ですが、こども食堂はそれを、お金をかけずに学べる場所なんです。

■こども食堂の認知度が一番低いのは「30~50代男性」

――多様性な人たちとの出会いを生み出すこども食堂を運営している方はどんな人たちですか。また、活動をはじめたきっかけは何なんでしょうか。

【湯浅】そういう意味ではみんな自分のためですよね。ボリュームゾーンはふたつあって、30代女性と50~60代女性が多いです。動機ははっきりしていて、30代女性の場合は、自分一人で子育てをすることがいかに過酷なことかを思い知って、友だちを呼びかけて始める。50~60代女性の場合は、子育てが終わって自分の時間ができ、少しさみしい思いをしていたから、というパターンです。だからどちらの場合も、こども食堂の運営は自分のためでもあるんですよね。ちなみに、もっともこども食堂の認知度が低いのは30~50代の働き盛りの男性たちです。いかに彼らに生活が欠如しているかがわかってしまう結果ですね。

交差点
写真=iStock.com/ponsulak
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ponsulak

言い換えれば、こども食堂をやっている人は社会のメインストリートからはずれた、地域のはじっこにいた人たちなんです。地方へ行ってみるとわかりますよ。今でも自治会のテーブルに座っているのはおじいさんばっかりで、おばさんたちは壁際にへばりついてお茶を出したりしている。

そういう周縁にいた人たちが中心になる場所が、こども食堂です。はじっこの気持ちがわかるから、自分たちのこども食堂はどこがはじっこだかわからない場所にする。みなさんそんな気持ちを自然と持ち合わせているような気がします。

■「地域のしがらみ」とは違うつながりかた

【湯浅】かつての地縁はしがらみとセットでした。だけどそれとは違うつながりかたです。男たちだけがテーブルについているようなものとも違う、オリジナルのかたちをそれぞれのこども食堂が模索しています。

手
写真=iStock.com/maroke
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maroke

あるこども食堂に目の見えない人が来た時、子どもたちはズケズケと「目が見えないのにどうやって食事するの!」と聞いたそうなんです。そのやりとりを見たこども食堂の人が、「あれはとても良かったわぁ」と言っていて。こども食堂の人って、違いを受け止めて楽しむようなセンスがある。それはやっぱり生活者だからじゃないかなと思うんです。

■コロナ禍で「セーフティーネット」として機能し始めた

――「密」を生み出すことで地域のつながりを強くしてきたこども食堂にとって、昨年からのコロナ禍はまさに緊急事態かと思います。

【湯浅】今の状況でいえば、「密」「食」が避けられないこども食堂は9割が開けていない状況です。そのかわり、休業している9割のうちの半分が、食材・弁当配布でつながり続けようと踏ん張っています。

食べられない子たちだけの場所ではなかったけど、結果的にコロナ禍で困窮世帯が増え、こども食堂がセーフティーネットとして機能しています。そういった活動が認められて、こども食堂にはじめて国家予算がついたのは去年のことでした。

でもこれまでこども食堂をやってきた人たちにとっては、弁当配布だけではどうしても“居場所感”が薄い。そこで今全国で広まりつつあるのが、「会食なしの居場所+弁当配布」というかたち。一緒に食事はとらないけど、集まって何かをして、帰りにお弁当や食材を渡す、というものです。まさに現場の試行錯誤から生まれたもので、本当にイノベーティブな人たちだなあと感心しています。

■「自分を気にかけてくれる場所」があるから人は頑張れる

【湯浅】なぜそうまでして居場所を守らなければいけないか。そこがなかなか理解されないところなのですが、やっぱり人が頑張るためには、誰かが自分を見てくれている、自分を気にかけてくれる場所が必要だと思うんです。

湯浅誠『つながり続ける こども食堂』(中央公論新社)
湯浅誠『つながり続ける こども食堂』(中央公論新社)

『逃げるは恥だが役に立つ』の平匡さんは健康で両親もいるし、家もあって経済的に困窮しているわけじゃない。でも「プロの独身」を名乗って、自分は人から好かれるような人間ではないと思い込んでいる。だからみくりさんの好意に対しても、「僕が好かれるのは雇用主だからだ」と受け止めてしまう。これこそ「生きづらさ」ですよね。べつに失業していなくても、家族がいても、大人でも生きづらいんです。

多くの人が抱えている不安は、「誰かが自分を見てくれている居場所」が癒やしてくれるのではないでしょうか。そういう意味で僕はこども食堂を、無縁社会に対する処方箋だと思っているんです。

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湯浅 誠(ゆあさ・まこと)
社会活動家
東京大学先端科学技術研究センター特任教授。認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長。1969年東京都生まれ。東京大学法学部卒。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。1990年代よりホームレス支援に従事し、2009年から足掛け3年間内閣府参与に就任。内閣官房社会的包摂推進室長、震災ボランティア連携室長など。法政大学教授(2014~2019年)を経て現職。政策決定の現場に携わったことで、官民協働とともに、日本社会を前に進めるために民主主義の成熟が重要と痛感する。著書に、『子どもが増えた!人口増・税収増の自治体経営』(泉房穂・明石市長との共著)『「なんとかする」子どもの貧困』『ヒーローを待っていても世界は変わらない』『反貧困』(第8回大佛次郎論壇賞、第14回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞)『貧困についてとことん考えてみた』(茂木健一郎と共著)など多数。

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(社会活動家 湯浅 誠 構成=小泉なつみ)

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