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「みんなでやるのに意義がある」日本人が"非効率なベルマーク集め"をやめられない根本原因

プレジデントオンライン / 2021年6月25日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/StefaNikolic

日本社会の「同調圧力」は非常に強く、多くの人がそれに苦しめられている。同志社大学の太田肇教授は「ベルマーク集め、組体操、無遅刻無欠席、ママカーストなどは、どれも同調圧力の強さが背後にある」という――。

※本稿は、太田肇『同調圧力の正体』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

■「ベルマークの売買はベルマーク運動の趣旨に反する」

閉鎖的で同質的な集団ほど同調のハードルが上がる。そして見直しは進まない。PTAや町内会はその代表格だ。

数年前、ベルマークをフリマアプリのメルカリに出品することの是非が話題になった。「ベルマーク」というと、私たちが子どものころに親が収集するのを手伝った記憶がよみがえる。

当時は学校の予算が潤沢でなかったこともあり、保護者たちが持ち寄ったベルマークで購入される運動具などの備品は貴重だった。またPTA会員の多くは専業主婦や自営業者だったため比較的時間の融通が利き、平日の昼間や休日に集まって集計作業が行われた。

しかし外で共働きする家庭が増えたいまでは、わざわざ集まって作業をするのを負担に感じる人が多い。メルカリへのベルマーク出品は、そうした負担を軽減する一助になると歓迎されたようだ。

ところがベルマークの売買はベルマーク運動の趣旨に反する、という理由で待ったがかかったという。また仕事を持つPTA役員の中には、ベルマークと同額の寄付をするので活動を免除してほしいと願い出る人もいるが、「金銭の問題ではなく子どもたちのために保護者が一緒になって支援するところに意義がある」と一蹴されるそうだ。

効率性を度外視した活動が未だに続けられている様子をみて、「まるで現代の千人針(※)だ」と皮肉る人もいる。

※大勢の女性が一枚の布に糸を縫いつけて作ったお守り。第二次世界大戦まで、さかんに行われた。

■大人以上に同調圧力にさらされやすい子どもたち

似たような例は少なくない。京都市内のある地域では、夏休みに学区の中学生が遊泳禁止の川で泳ぐのを注意するため、PTAの役員が毎日炎天下で見張りをしている。役員自身が熱中症で倒れるリスクがあるにもかかわらず、「地域の子どもを守るのはわれわれの役目」という大義名分の前に、だれもが黙って従うしかないという。

大人でさえ圧力に抗することができないくらいだから、力のない子どもたちにとって同調圧力は耐えがたいほど重い。しかも教育の名のもとに、みんなで一緒に成し遂げることが尊いという共同体主義はいっそう強く唱えられる。そして、力をあわせてがんばることを認めてもらいたいという子どもたちの願望とも親和的だ。

かつてマスコミなどでは、生徒たちが学期中、無遅刻無欠席を目標に掲げ、それをクラス全員の努力で成し遂げたという美談が取り上げられることがあった。高校時代にそれを体験した学生に話を聞いたところ、学期が終わるころには教室内がピリピリした空気になり、絶対に遅刻できないというプレッシャーに潰されそうだったという。もしかすると少々体調が悪くても、無理をして登校した生徒がいたかもしれない。

■問題となった運動会の組体操も…

こんな事例もある。中学校の組体操は、生徒が一致団結して目標を成し遂げ、教師や保護者も一緒に感動を味わえる種目として運動会の花形になっている。そのため危険性がたびたび指摘されても続ける学校が多い。

運動会
写真=iStock.com/y-studio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/y-studio

ある学校では運動会の組体操で地面に倒れた生徒が、治る見込みのない傷を負ってしまった。それでも「感動の場をなくしたくない」という教師や保護者の声に加え、これからも継続してほしいという負傷した生徒の意向を踏まえ、翌年もまた継続することになった。継続を望む周囲の声の中で、負傷した生徒が「中止してほしい」といえるだろうか?

ここに取り上げた例ではいずれも、いったん行事や活動が始められたら容易にそれを止められないし、見直しの声を上げることさえ困難なことを物語っている。つまり共同体を構成する個々のメンバーの総意を超えた力が背後に働いていることをうかがわせる。それこそがイデオロギーとしての共同体主義なのである。

■同調圧力の強い組織の3つの特徴

共同体主義は、同調圧力をエスカレートさせるだけではない。やがて共同体の論理が独り歩きし、別の形でもメンバーにさらなる圧力をかけるようになる。

第一に、メンバーは単に共同体の一員として役割を果たせばよいというわけではなく、共同体に対する絶対的な忠誠や帰依が求められる。そのため、外部の組織や集団への帰属は制限される。

多くの企業が社員の兼業や副業を認めようとしないのは、認めると無際限無定量の忠誠・貢献が得られなくなる、すなわち相対的な忠誠、限定された貢献しか期待できなくなるからである。また日本の公務員には「職務に専念する義務」が定められているが、そこにも共同体主義の片鱗がうかがえる。

なぜなら「専念する義務」とは実質的な貢献ではなく、精神や姿勢を求めるものだからである。いずれにせよ共同体を維持・強化するうえで絶対的な忠誠こそ最も重要な規範だといえる。

そのため組織に対する忠誠や献身の度合いが高い者ほど、組織の中枢に位置づけられる傾向がある。創業者一族が経営の中枢に置かれる理由の一つはそこにある。また男女雇用機会均等法があるにもかかわらず、女性は昇進などの面で男性より不利に扱われることが多かった。

■忠誠を求め、ほかの世界から切り離す

その背景には、女性は男性に比べて家庭や地域社会への関わりが強いので、会社という疑似共同体に対して全面的にコミット(献身)できないという認識がある(それこそ統計的差別であり問題なのだが)。

もっともメンバーにそこまで忠誠や献身を求めるのには、企業の立場からみて合理的な理由もある。組織に対して功利的、打算的な関わり方をする人は会社が苦境に陥り、待遇が悪くなったら辞めてしまうかもしれない。災害時などに公務員が割に合わないからといって平時と同じ働き方しかしなかったら、行政は滞ってしまう。だからこそ逆境でも損得勘定抜きでがんばってくれる人を求めるのである。

いずれにしても個人の立場からすると、一つの共同体に忠誠を尽くそうとすると、それだけ外の世界との関係は保ちにくくなる。したがって共同体への忠誠を求める圧力は、メンバーをほかの世界から切り離す圧力でもあるのだ。

■2.「偉さ」の序列で組織が決まってしまう

第二に、メンバーは「分」をわきまえ、序列に従うことが要求される。

閉鎖的な集団の中は、だれかが得をすればだれかが損をするという「ゼロサム」構造になっている。それを放置しておけば、互いに争い合うことになる。T・ホッブズのいう「万人の万人に対する闘争」状態だ。したがって共同体の内部を安定させるための秩序が必要になる。野生のサルなど動物の集団にみられるように、メンバーの序列は争いによるロスを防ぎ、安定した秩序をもたらす。

日本の共同体型組織は、純然たる機能集団と違って非公式な人間関係や感情などによって結びついている部分が大きい。そのため内部の序列は単なる権限の序列にとどまらず、人格的序列の様相を帯びる。俗っぽい表現をすれば、「偉さ」の序列である。

ちなみに机の配置や大きさの違いなどは、その序列をあらわすシンボルである。たとえるならライオンのたてがみや牡鹿の角のようなものだ。そして共同体型組織はメンバーの入れ替わりが少ないので、いったん序列ができればそれが固定化しやすい。

■平等な社会ほどかえって序列が生まれやすい

組織のメンバーは、この「偉さ」を含んだヒエラルキー(階層)の序列を受け入れなければならない。さもないと共同体の中で干されたり、有形無形の制裁を受けたりする。いわゆる忖度や追従なども、そうしたタテ方向の圧力がもたらすものといえる。忖度と引き替えに重要な情報を教えてもらえたり、人事に手心を加えてもらったりする可能性がないとはいえないのだ。

太田肇『同調圧力の正体』(PHP新書)
太田肇『同調圧力の正体』(PHP新書)

メンバーの序列は、非公式な集団の中でもしばしば生まれる。いわば擬似的な共同体型組織をつくり出すのである。学校生活を送る子どもたちの間で生まれる「スクールカースト」や、ママ友の中にできる「ママカースト」などはその典型的な例である。また「長幼の序」の文化が残る日本では、仲間内でも年齢や集団に属している年数によって序列が決まる場合も多い。

注意すべき点として、日本のように同質的な社会では外からみると取るにたらないほど小さな差でも、序列を意識させるのに十分な差となりうることがあげられる。役所や伝統的企業では、いまでも給与号俸が一つ違うだけで名刺交換の順番や宴会の席順が決まってくるし、「仲良しグループ」の中では序列に応じて敬語の使い方まで微妙に使い分けられているケースがある。

同質的な社会、建前上は平等な社会ほど、かえって序列化が生じやすいという面もあるのだ。

■3.団結するために共通の敵をつくる

第三に、集団を引き締め、共同体の団結を強める行動がとられる。

そのためにしばしば用いられる手段が、外部に敵をつくることである。国家レベルではナショナリズムが特定の政治的イデオロギーと結びついたとき、しばしば仮想敵国をつくり、外国人の排斥やヘイトスピーチのような形になってあらわれる場合がある。

同じく政治の世界では、地方自治体の首長が政府のコロナ対策をめぐって激しく政権批判を繰り広げたのにも、住民意識を高揚させ、ひいてはそれを自らの支持率上昇に結びつけようという思惑が透けてみえる。

また企業の経営者が社員に、スポーツ・チームの監督が選手にライバルの存在を意識させて内部を引き締めたり、士気を鼓舞したりするのも常套手段になっている。

職場や地域でも、その場にいない人の悪口やうわさ話をするのが人間関係の潤滑油になり、仲間内の結束を高めることはよくある。

いずれのケースでも、メンバーは共通の「敵」に立ち向かうため利害や主張の違いを棚上げし、大同団結するよう強いられるわけである。

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太田 肇(おおた・はじめ)
同志社大学政策学部教授
1954年、兵庫県生まれ。神戸大学大学院経営学研究科修了。京都大学博士(経済学)。必要以上に同調を迫る日本の組織に反対し、「個人を尊重する組織」を専門に研究している。ライフワークは、「組織が苦手な人でも受け入れられ、自由に能力や個性を発揮できるような組織や社会をつくる」こと。著書に『「承認欲求」の呪縛』(新潮新書)をはじめ、『「ネコ型」人間の時代』(平凡社新書)『「超」働き方改革――四次元の「分ける」戦略』(ちくま新書)などがあり、海外でもさまざまな書籍が翻訳されている。近著に『同調圧力の正体』(PHP新書)がある。

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(同志社大学政策学部教授 太田 肇)

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