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「コロナ禍でも五輪すらやめられない」資本主義の暴走を止めなければ人類は滅びる

プレジデントオンライン / 2021年6月26日 9時15分

古川元久氏(撮影=朝日新聞社)

コロナ禍の最中に日本ではオリンピックが開催されようとしている。なぜそうなってしまうのか。『人新世の「資本論」』(集英社新書)著者の大阪市立大学大学院の斎藤幸平准教授と、共著『正義の政治経済学』(朝日新書)を出した衆議院議員の古川元久さん、法政大学の水野和夫教授の鼎談をお届けしよう――。(前編/全2回)

■経済の目的を「成長」から「幸せ」へ

【古川元久(以下、古川)】斎藤さんの『人新世の「資本論」』(集英社新書)を拝読し、こういう形でマルクスを理解するアプローチがあることを学ばせてもらいました。斎藤さんはこの本で、「資本主義では現代の諸課題は解決できない」ことを語り、「脱成長」を理念とする新しいコミュニズムの必要性を説いておられます。

私も、経済成長が自己目的化した現在の資本主義は、さまざまな弊害やひずみを生み出していると思っています。本来、経済成長の目的は成長そのものではなく、成長の先に目指している幸せのほうです。

だとすれば、資本主義やコミュニズムという社会システムの仕組みも大事だとは思いますが、その前提として、私たちが求める幸せとは何なのかということを、あらためて考えなければいけないように感じています。

【斎藤幸平(以下、斎藤)】私も、幸せを重視する経済に移行していく必要があることはまったく同感です。ただその場合に、手段も同時に考えなければなりません。たとえば、ステーキを食べるときにはフォークとナイフを使いますが、納豆を食べるのにフォークやナイフを使ったらうまく食べられませんよね。それと同じように、経済の目的を「成長」から「幸福」に変えるならば、多少改良したところで既存のシステムを手段としてもうまくいきません。つまり、資本主義という社会システムの中に私たちがいる限り、幸せという目的は絶えず遠ざかっていくのではないでしょうか。

■資本主義というシステムを維持するのは不合理

斎藤幸平氏(撮影=五十嵐和博)
斎藤幸平氏(撮影=五十嵐和博)

【斎藤】というのも、資本主義の本質が、際限のない利潤追求だからです。

マルクスが『資本論』で書いているように、資本の目的は「蓄積せよ、蓄積せよ」、つまり「世界中の富をひたすら蒐集せよ」ということです。先進国の生活だけを見れば、資本主義は私たちを豊かにしたかもしれません。しかし、植民地で奴隷のような過酷な環境で人々を働かせて搾取した歴史もあれば、現代でも社会に過剰な負荷をかけてグローバル経済はまわっている。日本でも、コロナの感染拡大がわかっているのに、資本主義のために、五輪をやめることさえできずにいます。

そしてもうひとつは環境の問題です。現代は人類の経済活動が地球を破壊しつくす「人新世」の時代に突入しています。環境危機を引き起こした犯人は資本主義です。もはや、経済成長を目的とした資本主義というシステムを維持していくことは、まったくもって不合理です。

古川さんと水野さんは『正義の政治経済学』(朝日新書)という共著において、「定常型の経済に移行していくしか道はない」という話をされています。資本の利潤追求にストップをかけ、経済をスローダウンさせるには、市民が、もっと積極的に公共財・共有財(=「コモン」)を管理する「コモン」型社会に移行していくべきです。これは国家が計画・管理をするソ連型の共産主義とは違う、下からのコミュニズムです。

■パンデミックで「経済格差=命の格差」になった

水野和夫氏
水野和夫氏(撮影=朝日新聞社)

【水野和夫(以下、水野)】資本主義が「蓄積至上主義」だというのは、そのとおりだと思います。実際、資本主義は「蓄積」はうまくやった。旧ソ連のように国家が所有するのではなく、富の蓄積を市場に任せるほうが、はるかに効率がよいことを証明したわけです。

人々が資本主義にこれまで異を唱えなかったのは、資本が蓄積されれば、数年後にはもっと豊かな生活ができる、あるいは有事のような例外状況では蓄積されたお金で救済してもらえると思っていたからです。

ところが現実は、そのどちらも叶わない。資本主義は21世紀において、絶望的な二極化世界を生み出してしまいました。スイス金融大手UBSの2020年の報告によれば、世界の富豪2189人の財産総額は、最貧困層46億人の財産より多く、しかも4月から7月のコロナ禍のせいで、富裕層の資産は27.5%増え、10兆2千億ドルに達したといいます。

つまり、パンデミックという緊急事態においても、資本主義経済はなんら善行をなしえず、経済格差が命の格差になってしまっている。これは、資本を蓄積する正当性がなくなったということですから、過剰な資本に対しては、金融資産税や内部留保税、相続税などの税制を強化して分配するしかないんじゃないでしょうか。資本主義は成功したがゆえに、もうその役割を「終えた」と見るべきです。

■「資本主義か? コミュニズムか?」は現実的ではない

【古川】斎藤さんや水野さんがおっしゃる資本主義は西洋的な資本主義で、明治から始まった日本の資本主義の場合には、もともとは西洋とは異なる発想があったんじゃないでしょうか。たとえば、近江商人の時代から、「売り手よし、買い手よし、世間よし」という「三方よし」でないと、商売は成功しないという考え方がありました。

また、大河ドラマで注目が集まっている渋沢栄一は、日本の「資本主義の父」と呼ばれていますが、彼自身は、資本主義という言葉は使わず、「合本主義」という言葉を使っていました。合本主義とは、公益を追求するために、人材や資本を集めて事業を進めるという考え方です。これを資本主義の一形態と考えれば、斎藤さんのコミュニズムにも通じるところがあるんじゃないかと思います。よき資本主義、ということです。

こうしたかつての日本の知恵も踏まえながら、斎藤さんも『人新世の「資本論」』で述べられていた、協同組合のような仕組みを拡充させていく。2020年末には国会でも労働者協同組合法が成立し、「協同組合を見直していこう」という機運が高まりつつあります。

ですから、「資本主義か? コミュニズムか?」というイズムの論争をするよりも、目指すべき方向に近づく具体的なアクションを一つひとつ実現していくほうが現実的ではないかと思うんですが。

■「中間層が増えればいい」という話ではない

【斎藤】そこが難しいところです。はたして、「よき資本主義」が本当に存在するのか、と疑問を感じるんですね。

たとえば、行き過ぎたグローバル化による新自由主義が問題だという考え方がありますよね。新自由主義をやめ、金融資産に課税したり民営化を見直したりして、「もっとマシな資本主義を目指そう」という主張はよく耳にします。日本では、渋沢栄一や松下幸之助の精神に範をとった「日本的資本主義」という話になるし、アメリカでも経済学者のジョセフ・E・スティグリッツが、格差を是正して中間層を厚くする「プログレッシブ・キャピタリズム」を目指そうと言っています。

しかし、かつてのよき資本主義の時代でも、豊かな生活を享受していたのは先進国における一定以上の階層の人々に過ぎません。当時も資本主義は、植民地から富やエネルギー、労働力を非常に暴力的に収奪し続けていました。この構造は『正義の政治経済学』にも書かれていますし、水野さんがよく指摘されているように、資本主義を駆動させる資源は、海賊的なものだったわけです。いわば、先進国の労働者たちは、南から収奪した富を資本家たちと山分けして中産階級になったのです。

抜本的にそれらを見直すとすれば、定常経済に移行するだけでなく、保障や支援も含めてグローバルサウスに富を戻していくことも検討していかなければいけないと思います。だから一国の中で、「新自由主義を批判して中間層が増えればいい」という話ではないんですね。

■エリートの意識改革程度で、よき資本主義は実現しない

【古川】『人新世の「資本論」』を読んで、斎藤さんと渋沢には共通した考え方があるように私は感じたんです。マルクスと渋沢は、生きた時代が半分ぐらい重なっています。渋沢が『論語と算盤』を出版したのは大正時代、第一次世界大戦の大戦景気でバブルに沸いていた頃です。

当時の日本は渋沢の思いとは裏腹に、西洋式の荒々しい資本主義が浸透し、大資本が産業を牛耳り、資本家と労働者との分断、格差が広がっていました。こうした光景を目の当たりにして渋沢は危機感を抱いたのでしょう。そこで、倫理感を持たなければ、算盤だけではおかしくなるという警鐘を鳴らしたのです。そこが、マルクスが『資本論』を書いて、資本主義の暴力を批判するのと通底しているように思えたんです。

【斎藤】渋沢の時代は、まだ資本主義の勃興期だったので、モラルエコノミー的な議論にも説得力があったかもしれません。ただ、マルクスは渋沢のように、倫理や経営者のマインドで資本主義の力を抑えられるとは考えなかったんですね。資本には個人の意志を超えた力があるというのが、マルクスの物象化論です。

その後の資本主義の暴力を考えれば、マルクスの認識は正しいと思います。経営者や株主、政治家、エリートが意識を少し変えたところで、抜本的な改革は実現しません。みんながSDGsを心がけるぐらいで、よき資本主義に変えられるほど資本主義は甘っちょろいものではないと思います。

■経営者や資本家に正義を求めるのは無理

水野和夫、古川元久『正義の政治経済学』(朝日新書)
水野和夫、古川元久『正義の政治経済学』(朝日新書)

【水野】私も斎藤先生と同じような認識です。経営者や資本家に正義を求めるのは、どだい無理な話でしょう。ケインズだってモラルエコノミーを訴えたのに受け入れられず、経済学は手段遂行の学問になってしまいました。SDGsという昨今の動きも、17世紀、18世紀に資本家の倫理を求める運動があったのと同じで、多くの経営者や企業は国際的な世論も高まっているから、「ちょっとお行儀よくしないとナ」という程度の認識でしょう。

実際、株主や経営者は、ROE(自己資本利益率)の目標は取り下げないわけですよね。ROEの目標を取り下げず、「SDGsもがんばりましょう」なんて不可能です。SDGsを本気でやろうとしたら、ROEは現在の地代(リートの利回り)以下、つまり3%以下を目標にすべきです。でも、そんな経営者はいませんから、経営者の倫理に期待はできません。

だとすると、資本主義を終わらせるためには、外部からの政治的な強制力が必要でしょう。企業は1年ごとに、リートの利回りを超えた分の利益は、最高税率を99%として累進課税として徴税する。そのぐらいしないと、抜本的な改革なんてできっこありません。

■労働者自身による「コモン」が必要ではないか

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)
斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)

【斎藤】問題はそういう強制力をどう作るかです。経営者に働きかけて労働者の声に耳を傾けさせるとか、経営者に利益を分配させるというのではなく、労働者自身が実質的な管理権限をもって、「コモン」を自主的に運営するような仕組みを拡張していくべきだと私は考えています。その一例が、さきほど古川さんが指摘された労働者協同組合ですね。

【古川】斎藤さんも著書で触れられていましたが、宇沢弘文先生が唱えた社会的共通資本の仕組みをつくっていくということですね。それは私も大賛成です。

【斎藤】たしかに、私の言う「コモン」は、宇沢さんの社会共通資本と近い考え方です。ただ少し違うのは、宇沢さんの場合には階級闘争のような議論は入ってこないんですね。私は、労働者が「コモン」を自主管理するためには、階級闘争的な運動がどうしても必要になってくると思うんです。

■民主主義を企業内にも徹底させる方法

【古川】現状の経営者や資本家はたしかに問題があります。でも、はたして現在の労働者たちが今の経営者や資本家を追い出して、代わりに自分たちがその立場に立ったら、本当に公平な社会が実現するかというと、私は少し疑問です。政治の世界でも、苦労人で成り上がった人が権力者になった途端に権力をふりかざす例は、歴史上いくらでもあることです。

結局、権力闘争で今の社会の仕組みをひっくり返していこうとすると、一時は変わっても、再び勝者と敗者を生み出すことになりはしないでしょうか。やはり一人ひとりの意識が変わらないと、本当の意味で社会は変わらないと思います。

【斎藤】階級闘争という点で言いたいのは、むしろ民主主義をもたらしたいわけです。古川さんは、『正義の政治経済学』の中で、「民主主義はどんな人間も自らの欲を完全にコントロールができないという性悪説に立ったシステムである」とおっしゃっています。私も同じ考え方です。だからこそ、所得税や法人税、労働法などによってさまざまな縛りをかけたり、株主たちによる非民主的な会社経営の防御策として、たとえば従業員の持ち株制度をつくったりして、株式会社の中でも民主主義を徹底させる仕組みをつくっていくべきだと考えています。(後編に続く)

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斎藤 幸平(さいとう・こうへい)
大阪市立大学大学院経済学研究科准教授
1987年、東京都生まれ。日本「MEGA」編集委員会編集委員。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。著書に『大洪水の前に』(ドイッチャー記念賞受賞作“Karl Marxʼs Ecosocialism”の日本語版、堀之内出版)、『人新世の「資本論」』( 集英社新書/2020年新書大賞受賞)、編著に『未来への大分岐』(集英社新書)、訳書にマルクス・ガブリエル&スラヴォイ・ジジェク『神話・狂気・哄笑』(堀之内出版)など。

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古川 元久(ふるかわ・もとひさ)
衆議院議員
1965年、愛知県生まれ。88年、東京大学法学部卒業後、大蔵省(現・財務省)入省。米国コロンビア大学大学院留学。94年、大蔵省退官。96年、衆議院議員選挙初当選。以降8期連続当選(愛知二区)。内閣官房副長官、国家戦略担当大臣、経済財政政策担当大臣、科学技術政策担当大臣などを歴任。著書に『はじめの一歩』、『財政破綻に備える』など多数。

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水野 和夫(みずの・かずお)
法政大学法学部教授(現代日本経済論)/博士(経済学)
1953年、愛知県生まれ。埼玉大学大学院経済学科研究科博士課程修了。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て、内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)、内閣官房内閣審議官(国家戦略室)などを歴任。主な著書に『資本主義の終焉と歴史の危機』、『終わりなき危機』など。近著に『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』がある。

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(大阪市立大学大学院経済学研究科准教授 斎藤 幸平、衆議院議員 古川 元久、法政大学法学部教授(現代日本経済論)/博士(経済学) 水野 和夫 構成=斎藤哲也)

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