相談を受けた産業医が「それなら会社をやめてもいい」と背中を押してしまう3パターン
プレジデントオンライン / 2021年6月28日 11時15分
■若手社員から必ず出る「上司を見ていてうらやましく思えない」
産業医面談には、退職や転職の相談をしに来る人たちもいます。多くの場合、私の意見を聞きたいのではなく、気持ちを吐き出したり、既に持っている自分の結論を後押ししてほしかったりして来られているのだと思います。
社員たちには、一時的な感情や合理的でない判断による退職で後悔してほしくありません。ですので、多角的に自分の気持ち(判断)を見つめ直せるような面談を心がけています。
しかし、時には「もう会社をやめてもいいのではないか」と共鳴してしまうこともあります。
「会社をやめてもいい」と背中を押すタイミングの1つめは、職場の上司たちに自分の夢を描けない会社にいる時です。
毎年、若手社員から必ず聞くのが「上司たちをみていて、うらやましく思えないのに、こんなに頑張って働く意味がわからない」という相談です。
ほとんどの上司は住んでいる場所が遠く、都内に家を買えるほどは稼げそうにない。年の離れた先輩女性社員はほとんどが未婚かバツイチか、子供なし。つまり、結婚して子育てをしつつ働き続ける職場環境ではないようだ。中高年の上司たちで楽しそうに仕事をしている人がいないし、かといって、何か熱中するほどの趣味を持っているようでもなく、いつも仕事や家庭の愚痴ばかり言っている。うらやましいと思える、憧れの先輩がいない。自分はそのような年のとりかたはしたくない。これまでさまざまな声を聞いてきました。
■「夢」が持てない若手を止める気にはなれない
もちろん、部下が上司たちの全てを知っているわけでもありませんし、自分の夢を実現している先輩も必ずいます。しかし、相談にくる社員にとって大切なのは、自分の夢を平均的な先輩たちが実現できているかどうかなのです。
人生の価値は、年収、住む場所、結婚や子供の有無、仕事のやりがいや趣味だけで決まるわけではありません。しかし、仕事には、我慢したり頑張ったりしなければならない時があります。自分のやる気を支えてくれる土台となる「夢」も持てないようでは、苦行の毎日となってしまいます。
努力や頑張りなくして、自分の能力(すなわち価値)を高めることは難しいでしょう。そのためにも、自分が夢を描けることは大切なのです。今の職場で夢を描けないのであれば、夢を描ける職場に移った方が、特に若いうちはいいのかもしれないと思うと、やめることを止めようとはなかなか思えません。
■「給料よりも大切な理由」があれば転職を止めない
2つめは、給料は下がるけれど、やりたいことが見つかって転職しようとする時です。
産業医として、たくさんの働く人たちと面談をしてきた経験から言えることは、転職して1年以内にメンタル休職する人の中には、給料アップのために転職したもののうまく行かなかった人がそれなりにいるということです。
給料アップを目指すことを悪いとは全く思いません。しかし、増加した給料に満足や喜び等の刺激を感じなくなり、その額がこれだけハードに仕事しているのだからとか、このストレスに耐えているのだから“当たり前”となってしまった時、給料のために転職した人は、とても弱いです。
反対に、自分のキャリア形成のため、この会社で何について学びたい、身につけたいなど、給与以外の目標のために働く人は、ハードな仕事やタフなストレスにもそれなりに対処できていると感じます。
転職先での自己成長やその後の可能性が広がること、プライベートな生活の充実が実現できることなど、お金以外の前向きな理由があれば、転職を止めることはありません。
■メンタルが原因の休職者に復職を勧められない時
3つめは、メンタルが原因の休職者が元気になってきて、社会復帰を考えた時のケースです。転職を考えると平気なのに、復職を考えるたびに症状がぶり返してくる。または、実家や別荘などのある他県で療養して回復するも、会社のある東京に帰ってくると、不眠や抑うつ等の症状が再発することを繰り返すということがあります。
働く人がメンタルヘルス不調になってしまった場合、原因のほとんどは職場に関連することです。社会人は、起きている時間の半分以上を仕事に関連することで過ごしていますので、プライベートで別れなどの特別な原因がない限り、不調の原因は仕事関係であることが多いです。
仕事上のミスや長時間労働、上司や人間関係など、原因が明らかな時は、体調が整った上で、今後はどのように対処していくか考えることができます。
それでも復職を考えると症状が再発してしまう場合は、本人が気づいている以上の不安やストレスを職場に感じている可能性が高いです。本能的に対処できないと思ってしまうような環境に、健康状態の悪化の危険を冒してまで復職することには、医者としてあまり賛成できません。
■東京に戻ると症状がぶり返してしまうAさん
数年前、長時間労働者面談で初めて面談に来た勤続5年目の独身30代前半の女性Aさんは、不眠や不安発作、抑うつ気分、食欲低下などの症状が散見され、医療受診を勧めた結果、休職することになりました。
しばらくは都内で一人暮らしをしていましたが、日中はやることがなく会社のパソコンに家から接続したり、食生活もよくなかったりしたので、信州のご実家に帰ることを提案。その後も月1回、電話面談をしていましたが、住み慣れた環境に戻り、体調は次第に回復してきました。
しかし、2~3週間に1回、精神科にかかるために数日帰京する度に、不眠や焦りなどの症状がぶり返していました。それまでの面談で分かったことは、長時間労働は前職でもやっていて許容範囲内だが、部署内の人間関係や雰囲気に常々違和感を抱いており、その心労が大きいということでした。
部署の人々を変えられるとは思えず、自分の受け取り方の問題だと考えても、復職という言葉を聞くたびに気分が落ち込んでしまう。しかも実家から東京に戻る際、新幹線が都内に入ると、動悸や冷や汗を毎回かき、息苦しくなってしまうとのことでした。
■「復職」だけが選択肢ではない
そこで、東京に戻るのは復職のためでなく、転職も含めた社会復帰のためであることを認識していただくと、少し気分は楽になったようです。さらに翌月は東京に戻る際に、転職エージェントとの面談も予定してみると、症状はほとんど出なかったようでした。
しかも驚いたことに、何人かのエージェントと話しているうちに、現職よりも楽しく向き合えそうな仕事とのご縁があり、転職してしまいました。たまたま転職先も私の産業医先であり、転職後、元気に挨拶しに来てくれた笑顔が印象的でした。
このようなケースを私は何件か経験しています。会社を離れ、ある程度は元気になったものの、会社に戻ることが無意識レベルで恐怖になっている。それがなかなか治らない。そのような時、自分の経験談として、復職だけが選択肢ではないことを伝えるようにしています。
■退職理由を「人のせい」にするのは、自己反省が足りない
一方、扱いが難しいのは、本人が退職理由を他人のせいにしている時です。
この会社は上司や先輩が全然教えてくれない、私が仕事ができないのは会社のシステムややり方が(前職と)違うからだ、私は悪くない……。
産業医面談で言うだけならばいいのですが、同僚にも言い出すことがでてきてしまうと、それが職場での不協和音の原因になり、さらに状況が悪化するケースもあります。
もちろん、このような理由が過度なストレスになり、精神的に病んでしまうのであれば、退職を止めることはありません。むしろ、やめれば治りますから、医学的には安心できます。
職場で物事がうまくいかない時、他人のせいにしてしまうことは、自分の精神衛生を保つ上で仕方ない面もあります。しかし、退職する理由までも他人のせいでは、自己反省がたりません。自分がどうあるべきか、今後はどう対処すればいいのかを考えることなく過ごしていては、同じことを繰り返してしまいます。
そのような社員は、自社にふさわしい人材なのか、この退職は肯定するべきか思いとどまらせるべきか、いつも悩んでしまうのです。
20年ほど前に比べ、転職は比較的容易にできるようになりました。それでも一つひとつの退職、転職には、個々人の大きな判断が必要となります。産業医の私は、各自の判断を尊重しつつもいろいろ思わずにはいられないのが実情です。
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医師
医学博士、日本医師会認定産業医。一般社団法人日本ストレスチェック協会代表理事。ドイツ銀行グループ、BNPパリバ、ムーディーズ、ソシエテジェネラル、アウディジャパン、BMWジャパン、テンプル大学日本校、アプラス、アドビージャパン、Wework Japanといった大手外資系企業を中心に、年間1000件以上の健康相談やストレス・メンタルヘルス相談を実施。働く人の「こころとからだ」の健康管理を手伝う。2014年6月には、一般社団法人日本ストレスチェック協会を設立し、「不安とストレスに上手に対処するための技術」、「落ち込まないための手法」などを説いている。著書に、『職場のストレスが消える コミュニケーションの教科書』や『不安やストレスに悩まされない人が身につけている7つの習慣』『外資系エリート1万人をみてきた産業医が教える メンタルが強い人の習慣』などがある。公式サイト
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(医師 武神 健之)
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