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「まだ気を緩めるな」マスコミや専門家はいつまで"コロナ禍"を煽り続けるのか

プレジデントオンライン / 2021年6月23日 11時15分

「目覚めてる庶民(自頭2.0)」氏(@Awakend_Citizen)のツイートより

この「コロナ禍」はいつになったら終わるのか。ライター・編集者の中川淳一郎さんは「専門家がテレビなどで語る『コロナは相変わらず危険』『まだ気を緩めるな』といった煽りには本当に辟易している。メディアや専門家は、いつまで国民をビビらせれば気が済むのか」と憤る──。

■国民の行動を著しく制限した専門家たち

いわゆる「専門家」と呼ばれる人々がテレビ番組に出演して私見を述べまくり、それが日本社会全体に多大な影響を及ぼしていく──その不気味さを、1年4カ月に及ぶコロナ禍において、つくづく感じている。なにしろ、絶大な影響力を持つ民放のテレビ番組に出演する専門家であるとか、政府分科会や東京都のモニタリング会議に登場する専門家、そして各地の医師会のトップらが発言をすることによって、国民の行動が著しく制限されてしまったのだから。

本稿では、世間で「専門家」と目される存在の危うさについて、そして、彼らがメディアに出始めると、なぜ「一方向の論調に寄った発言」をするようになるのかについて考えてみたい。後者については、私自身が2010年~2013年ごろに経験した実体験も加味しながら解説していこう。

■数字を見れば「騒ぎすぎ」であることがわかる

まず、私自身のスタンスを明確にする。

「専門家こそ、コロナ禍の日本を破壊したA級戦犯。いい加減にしてくれ」

これに尽きる。この1年4カ月を振り返ると、感染症に関する専門家に対しては本当に怒りしか湧いてこない。

諸外国に比べて、日本は明らかにコロナ関連被害が少ない。これは当連載だけでなく、各所で私が指摘してきたことだ。現在、軽くネット検索するだけで、公的機関や専門機関が公表しているコロナ関連のさまざまなデータを容易に入手することができる。横断的にデータを集めて検証するにはある程度のリテラシーが必要かもしれないが、SNSを少し見回せば、各種データを集約して、事実をわかりやすく示してくれている人々に出会える。彼らの解説を参考にするのもいいだろう。

たとえば「目覚めてる庶民(自頭2.0)」氏(@Awakend_Citizen)も、ツイッター上でデータ解説を展開し、われわれにわかりやすくファクトを提示してくれている人物のひとりだ。同氏が集計したデータを見てみよう。補足しておくと、同氏が主に参照しているのは、東洋経済オンラインが公開している「新型コロナウイルス国内感染の状況」だという。このページは、厚生労働省の報道発表資料を集約し、グラフ化している。つまり、公的なデータがネタ元ということだ。

同氏が算出した今年6月25日現在の数字(画像左※)を見ると、「コロナにかかってない日本人」は99.98%、「コロナで死んでない日本人」は99.99%で、「現在の重症者/人口」は0.00045%となっている。重症者の頻度は100万人に4.5人だ。これに対して同氏は「どこがパンデミック???」と感想を述べている。私も、完全に同意である。

※編集部註:初出時、図表の「重症者数」について「累計と誤解する」との指摘がありました。このため図表を6月25日付のデータに差し替え、「重症者数」について「6月25日時点」と但し書きを加えました。文中の数字もあわせて更新しました(6月29日11時00分追記)。

さらに、発生から518日経過した今年6月16日現在の年代別生存率を示した表(画像右)では、生存率の合計が99.9906%であると指摘し「ワクチン必要???」と疑問を呈した。ツイートの本文では〈【個人的な感想】「これを怖いという人、宗教か何かですか?」〉と述べている。

また、青山雅幸衆議院議員も、データに基づいた見解や情報をブログやツイッターで日々発信している。その他、国会でも新型コロナウイルス感染症対策分科会長の尾身茂氏や文部科学大臣の萩生田光一氏に、感染症対策について建設的な質問をしている。青山氏は6月16日のブログで次のような意見を述べている。

〈昨日の衆院本会議で立民・枝野党首が内閣不信任案の趣旨説明で最初に強調していたのが新型コロナは「戦後最大の危機」「感染症における歴史的危機」「国家的危機」。野党やマスコミにとっては、コロナは政権攻撃に今や欠かせない切り札、したがって最大級の評価をしているが、その評価は妥当か?

みんな見落としているが、日本における新型コロナの特徴は、罹患率が低いこと。もっとも罹患しやすい20代でさえ、1年間でコロナに罹患する確率は1.3%。1年通しで100人に1人しかかからない。リスクが大きくなる70代では0.3%。つまり1年通しで1000人に3人しかかからない〉

さらにこう続ける。

〈人には寿命があり、いくら医学が発達しても死は避けられない。そして、年齢が高くなるごとにその数は増えていく。70代では平成30年に1万人あたり180人が亡くなった。一方、コロナで直近1年間で亡くなった方は1人。80代では平成30年に1万人あたり791人が亡くなったが、コロナで亡くなったのは5人。そのほかの年代では、コロナで亡くなる方は1万人に1人に満たない。

これが、枝野氏が言う「戦後最大の危機」「感染症における歴史的危機」「国家的危機」の正体だ〉

■「ウイルスに感染しないこと」が生きる目的になっていないか

日本のメディアや専門家たちは最近、海外のコロナ対策事例としてワクチン接種の進んだイスラエルとイギリスをやたらと称えるようになった。

「日常を取り戻しています!」「繁華街や公園はとてもにぎやかです!」などと報じ、マスクを外している人々の様子を映し出す。そして、お決まりのように「日本は残念ながらワクチン接種が遅れているので、こうした光景が見られるのはまだ先になりそうです」「マスクをつける、3密を避ける、消毒を欠かさないといった感染症対策を徹底し、これからも自粛を続けましょう」と畳み込む。さらに専門家は、こうした話題の後に「ワクチン接種が進んでも、引き続きマスクは必要」などと、どこまでも感染症対策を徹底することが大事だと説く。

イギリス・ロンドン、2021年4月16日。賑わうソーホーのオールド・コンプトン・ストリート
写真=iStock.com/VV Shots
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/VV Shots

もはや、ウイルスに感染しないことが人生の目的のようになっているのが、このバカ国家・日本の実情なのだ。「専門家様のありがたい金言」という体裁でまき散らされる煽動により、国民は権威を疑うことを知らぬ羊の群れのような状況になっている。

だが、冷静に数字を見てほしい。今年6月15日の陽性者数は、日本が936人でイギリスは7673人だ。総人口は日本がおよそ1億2600万人で、イギリスはおよそ6700万人。つまり、ワクチン接種が進んだイギリスであっても、人口比で見れば日本の約15倍も陽性者が発生しているのだ(ただし、死者はここしばらく1日約20人で推移)。その後、イギリスは6月21日で解除される予定だったロックダウンの4週間延長を決めたが、5月末の段階で日本のメディアがイギリスを礼賛したのは事実である。

■専門家には社会全体を考える頭がない

また、アメリカに目を向けると、もっとも厳格なコロナ対応をおこなっていた州のひとつであるカリフォルニア州が、6月15日をもって制限を解除。ワクチン接種が完了した人であれば屋外でのマスク着用が原則不要となり、MLB・エンゼルスの試合では3万人超の観客がノーマスクで観戦している。

結局、コロナ禍は国民が「もう終わり!」というマインドになれば、アメリカのように収束させることができる性質のものなのだ。しかし日本では、今年1月に発出された2回目の緊急事態宣言が3月21日に解除されたと思ったら、4月25日に3回目の緊急事態宣言が発出され、延長を重ねて6月20日まで継続されたあげく、引き続き「まん延防止等重点措置」が適用されることになった。一体、どれだけビビれば気が済むのか。

こうなってしまうのは、専門家連中が常に「最悪の事態を想定」などと言いながら、国民を煽り続けているからである。そりゃあ専門家からすれば、感染拡大防止こそが最大の重要事項なのだろう。だが、彼らには社会全体のことを考える頭がない。だからこそ彼らは「感染症対策においてヤバいこと」だけにフォーカスした発言を重ねてきたのだ。あくまでも「感染しないことが人間にとって何よりも大切なこと。そのためにはどんな犠牲を払っても構わない」という前提に立っているのである。

これまで専門家たちが悪者として挙げてきたのは「人流」「酒」「3密」「気の緩み」「会食」「大規模イベント」「会話」「外出」「旅行」など、いずれも人間の生活において重要な営みばかりだ。にもかかわらず、とにかく「感染拡大防止」を最重要事項に据えたため、これらは「取るに足らないもの」「不要不急」扱いされてしまった。そして、さらなる恐怖を煽るために使われたのが「エアロゾル感染」「目からもうつる」「後遺症」「感染力の強いイギリス株」「イギリス株とインド株のハイブリッド型のベトナム株」といった期待の新人たちである。

■専門家も政治家も引っ込みがつかなくなっている

こうした専門家の提言をメディアは検証することもなく垂れ流し、次から次へと繰り出される“悪者コンボ”によって、国民の恐怖心を煽り続けた。そして、そんなビビりまくりの世論を背景に、政治家は場当たりで政策判断を下してきた……というのが現在の日本の情けない状態なのだ。元内閣官房参与で嘉悦大学教授の高橋洋一氏が述べたとおり、日本の感染状況は諸外国と比べれば「さざ波」レベル。でも、「大波」と判断したくて仕方がない専門家や政治家は、人々に「とにかく耐えろ」と要求する。そんなマゾ的状況が、ずーーーっと続いている。

庶民だけでなく、多くの政治家も専門家に洗脳された状態だ。6月15日の会見で田村憲久厚労大臣は「(飲食店での)酒類の提供と新規感染者数に非常に相関関係があることは間違いない」と発言。だが、田村氏はまったくデータを見ていない。チラリとは見ているのかもしれないが、正しく理解できていない。ただ、専門家の煽りを真に受けているだけである。

たとえば、東京都のモニタリング会議の資料を見ると、5月25日~5月31日週の陽性経路は多い順に「同居(50.7%)」「施設等(16.3%)」「職場(15.8%)」「会食(5.1%)」「接待を伴う飲食(1.0%)」「その他(11.1%)」となっている。もしかしたら、専門家は「会食に参加した若者が自宅や職場でウイルスをまき散らしたのです」と田村氏に入れ知恵したのかもしれないが、仮に世間から「その証拠を出せ」とつめられても出せるはずがない。専門家、そして彼らに煽動された政治家は、もはや引っ込みがつかなくなっているからだ。

■「酒類の提供と新規感染者数は相関する」は本当か

最初の段階で「酒が悪い」「飲食店が悪い」という設定をつくりあげ、営業自粛、アクリル板設置、席の間隔を空けるなど、これまでさまざまな対策を店側に強いてきた。それだけに「てへっ、従来の悪者設定は間違いでした。本当に悪かったのは家庭と施設でしたね。本当は昨年のうちに『離婚』や『施設からの退去』を皆さんにお願いしておくべきでした♪」なんて言うわけにはいかないのだ。いまさら当初の設定を変えられないだけなのである。

臨時休業する店舗
写真=iStock.com/Yusuke Ide
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yusuke Ide

さらに、もうひとつのデータを見てみよう。禁酒令を出しまくった東京都の累計陽性率が1.21%なのに対し、私が暮らす佐賀県は0.32%。およそ4分の1の水準なのだ。これは、東京都と佐賀県が公開している今年5月1日時点の人口(推計)と、6月22日付けの朝日新聞に掲載されていた感染者数の累計に基づいて算出した数字である。

佐賀でも一時期、飲食店の時短営業が実施されたが、基本的に酒の提供については自由だった。ハッキリ言って、佐賀の人々は節度を守りつつも店で楽しく酒を飲んでいた。いくら東京と佐賀では人口密度が違うといっても、それなりに客が入った飲食店の店内は、東京も佐賀も大差ない。でも、4分の1程度の陽性率なのだ。この数字はあくまで私が単純計算した参考値に過ぎないが、少なくとも「酒類の提供と新規感染者数には間違いなく相関関係がある」などと断言することはできないだろう。田村氏は小学3年生レベルの算数さえできないのか。もっとも、ここを突っ込んだとしても田村氏は恐らく「専門家ガー!」と逃げを打つのだろうが。

■テレビに出る専門家は「目立ちたがり、出たがり」でしかない

そこまで大きな権限、そして影響力を握ってしまった「専門家」とは、果たしてどのような存在なのだろうか。シンプルに表すなら「目立ちたがり屋」である。

メディアでよく見かける専門家の顔を思い出してみてほしい。だいたい同じような面々が各局をハシゴするようにして多数の番組に登場していることに気づくだろう。要するに「おなじみの顔ぶれ」だらけなのだ。

なぜ、このような状況になるのか。妙な言い方になるが「メディアに出たい人がメディアに出まくるから」に他ならない。メディアの側からすれば、出演依頼をしたら文句も言わずホイホイと出てくれる専門家は、非常に重宝する存在だ。とくにテレビの制作現場は、いつも切羽詰まっている。ギリギリで企画が決まり、放送までほとんど時間がないなかで映像を編集したり、コメンテーターを引っ張ってきたりしなければならない。

制作に携わるスタッフたちの会話は、まぁ、こんな調子である。

【スタッフA】うわ~、やっと特集のテーマが決まったよ。ぜんぜん時間ないけど、専門家は誰にしようか?

【スタッフB】今回も山田先生でいいんじゃね? あの人、テレビ出演以外の仕事、ほとんどないみたいだし。「明日の朝なんですけど」「今日の夜、大丈夫でしょうか?」なんて尋ねても、断られたことないよ。他の番組とかぶってなければ、まず間違いなく出てくれる。たぶん、ウチの別の時間帯の番組にも出るだろうから、移動もラクだろうしさ。

【スタッフA】そうだね。しかも、ちゃんと空気を読んで番組の方向性に合ったコメントしてくれるし。じゃあ、これから山田先生に電話してみるわ。

■テレビ出演はおいしいバイト

かくして、山田先生(仮名)はできるだけ効率よく制作を進めたいメディア側から「使い勝手のいい人」と認識されるようになり、番組出演を重ねることになる。これが「同じ専門家ばかり、やたらとテレビで見かける」という現象の裏事情である。

つまり、テレビによく出ている専門家は「本当に知見のある人」とは一概に言えず、むしろ「時間に融通が利き、しかも出たがり」「条件面で面倒なことを言わず、メディアにとって都合のよい立ち回りをしてくれる人」という理由でアサインされているケースがままあるのだ。

さらに付け加えるなら「お小遣い稼ぎが好きな人」というケースもあるだろう。民放の情報番組に2時間出続けると、一般的に「文化人枠」の出演者には1回あたり4万円~10万円のギャラが支払われる。番組内の1コーナーの出演であれば2万円~5万円で、3万円が最多価格帯だろうか。テレビ出演は、実においしいバイトなのである。1日で3番組のコーナー出演をハシゴすれば、9万円を手にすることになる。これを1カ月続ければ270万円の稼ぎだ。本業以外の臨時収入としては、なかなか魅力的な額である。

■ネットをネガティブに語る専門家としてオファーが殺到

さて、ここからは私のメディア出演の実体験を述べていこう。2010年ごろ、インターネットはメディアとしての存在感を急速に高めていた。当時、テレビや新聞、雑誌といった旧来のマス媒体はインターネットの普及により自分たちの存在感が脅かされると考え、「インターネットの闇」や「インターネットの弊害」といった企画をあれこれ繰り出すようになる。そこで求められたのが、インターネットの実情を率直に語ることができる専門家だ。

しかし、インターネット事情に詳しい有識者は基本的にインターネットの可能性に期待している人が大半で、「もちろん危険な面はあるが、それを上回る利点がある」といった発言しかしない空気感があった。そんななか、ネットニュース編集者の私は2009年に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)を上梓し、当時のインターネットを巡るユートピア論を真正面からぶった切った。ネットのおかげでメシが食えている人間だというのに、インターネットの負の側面を「これでもか!」と書き尽くしたのである。

■「期待されているコメントを返さなければ」というプレッシャー

旧来型メディアからすれば「オレらの代弁者がついに現れた!」と映ったのだろう。私のもとには、出演依頼や寄稿依頼、コメント依頼が殺到するようになる。私もフリーランスのためしがらみがなく、フットワーク軽くホイホイとすべてのオファーを受け続けた。だが、程なく「相手が期待するコメントを返すよう、空気を読む」「企画の趣旨に反することがないよう、従順に立ち回る」ことにとらわれている自分を発見するのだ。

制作サイドから「今回は『インターネットを見すぎるとバカになる。本のほうが大切だ』みたいな話をしてください」などと言われると、「30分出演して3万円ももらえるからな……。まぁ、そういった側面は間違いなくあるしね」といった気持ちになり、若干自分の本心とは異なるが、その流れについ乗っかってしまう。

テレビ収録
写真=iStock.com/flyingv43
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/flyingv43

加えて、テレビ番組は時間帯にもよるが、ひとつの番組を数百万人~1000万人超が視聴していることもあるわけで、ちょっとした発言ひとつにも多大なる影響力、そして責任が付いて回る。それを考えると恐ろしくて、むやみに過激な発言をしたり、世論の逆バリをしたり、番組の論調をひっくり返したりしてはいけないのでは……といった気持ちにもなるのだ。

■なぜコメンテーターは「コロナの恐怖」を煽るのか

2020年12月、「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)でコメンテーターの玉川徹氏が発したこの一言は、まさに本質を突いていた。

「感染症に関してはある種『煽っている』と言われるくらいでいいんじゃないかって、ずっと思ってやってきたんですよ。結果として『あいつは煽るばっかりで、そんなに大したことは起きなかったな』っていうんだったら、そのほうがいいと思っている」

これこそ、専門家がコロナの恐怖を煽る理由なのである。楽観論を述べて状況が悪化したら叩かれる。一方で、常に悲観論を語っておけば、状況がそれほど悪くならなかったとしても「私たちが警告を発したおかげで国民が危機感を持ち、頑張った。だからこの程度の被害で済んだのです」と言うことができる。いずれにしても、専門家は最悪の事態を口にするほうが利点は多いのだ。

■コメンテーターの発言が一方向に流れがちになる理由

私の実体験に話を戻そう。2010年から2011年あたりにかけては「ネットの闇」に関する発言ばかり求められる状態が続き、次にやってきたのが2013年の「バカッター騒動」である。

「バイトテロ」とも呼ばれた若者による愚行をネットに晒す行為だが、このとき、本当に多くのメディアから「なぜ、若者はこんな行為をネットに晒すのか」といった分析をするよう求められた。その際、私は「バカだからです」「未熟かつ頭が悪いので、後先を考えずにこんな愚行を晒してしまう」という身もふたもない回答をしていたのだが、これは私の本心であり、番組の方向性とも完全に合致したためとくに違和感はなかった。

おそらく当時も「ネットのネガティブな側面を聞くのならば中川淳一郎に頼むと手っ取り早い」「中川はなんでもホイホイ受けてくれるし、うるさいことは言わないし、時間や場所についても融通をつけてくれる」といった評判がメディアの作り手のあいだに広まっていたことだろう。現在の感染症の専門家ほどではないが、私も次々と取材をこなしていった。

そうした経験を通じて痛感したのが、メディアに登場するコメンテーターの発言は、どうしても一方向の論調に流れがちな傾向がある、ということだった。司会が促す展開(=制作サイドの意向)や他の専門家の発言が作った空気に従い、きれいごとを語る姿勢が求められる。

「サンデーモーニング」(TBS系)あたりを見ていると非常にわかりやすいのだが、コメンテーターは「先ほど○○さんも言ったように」「いまの○○さんの発言とも重なりますが」などと前置きをしてから自分のコメントを語り始めることが多い。これは要するに、空気を読んでいるのである。「討論番組でもないし、まずは番組が想定している一方向の流れを乱さないようにしよう」「番組を構成するパーツのひとつとして、自分も一体感を醸成することに協力しよう」と忖度(そんたく)してしまうのだ。

■こうして、スタジオ内の空気は均質化していく

そもそもコメンテーターは番組の方針に合った人が選ばれているので、明らかな齟齬(そご)は発生しないケースが多いのだが、そのうえで「番組を共に作り上げるチームの一員」として動くことが暗に求められるため、スタジオ内の空気はどうしても均質化するのである。「羽鳥慎一モーニングショー」では時折、弁護士の山口真由氏が玉川徹氏に反論するような場面も見られるが、番組の「王」たる玉川氏が食ってかかり、山口氏も大人の対応をするので、一方向の流れは妨げられることなく進んでしまう。

同番組には昨年12月まで、弁護士の菅野朋子氏が火曜日に出演していた。同氏は他の出演者の発言に対して「おかしい」と思えば率直に意見する、どちらかといえば一方向の流れに従わないタイプのコメンテーターだった。玉川氏に対しても臆せず反論する場面が多く、議論を深めてくれるので注目していたのだが、なぜか降板してしまった。

まぁ弁護士の仕事も忙しいはずだし、「自分の考えを述べただけで猛烈に叩かれるなんて、うぜぇ」という気持ちもあったのだろう──私はそう解釈している。だから菅野氏の「降板」という判断(番組側が切ったかもしれないが)を、私は心から尊重したい。コメンテーターなぞ、自説を曲げてまで、無駄に忖度してまで続けるような仕事ではない。

■専門家の皆さん、メディア出演バブルに浮かれてない?

最後に「テレビの魔力」について触れておこう。

以前、「24時間テレビ」に出演した一般人の男性と放送翌日に新宿歌舞伎町を歩いたことがある。すると、すれ違う多くの人々が指をさして、同行者に「あの人、24時間テレビに出てなかった?」などと話している光景に出くわした。地上波テレビはそれだけすさまじい影響力を持っている。

昨年来テレビに登場している感染症の専門家たちも、おそらく街を歩くだけでチラチラと視線を感じたり、「○○先生ですか? いつもテレビで見てます」などと声をかけられたりしていることだろう。ツイッターのフォロワーは爆増し、コメント欄には「○○先生の正しいご指摘のおかげでこの程度の感染で日本は守られています。くれぐれもお身体をお大事にしてください」などと絶賛キャーキャーコメントが数多く寄せられる。

目立つ快感を覚え、お手軽な小遣い稼ぎにもすっかり慣れてしまった専門家の皆さまがたは、コロナ騒動が完全に収まってしまうことに、かすかなさみしさを感じているかもしれない。なかにはあと数年、なんなら一生この狂騒曲がジワジワと続いてくれたら……なんてことを密かに期待している専門家すらいるのではないか。

また、専門家たちを担ぎ上げ、「煽れば煽るだけ数字が取れる」と国民に過度な恐怖心を与え続けたメディアも看過してはならない。専門家とメディアは、もはや終えどきがわからない共犯関係にある。まったく、いつまでコロナ騒動を継続させるつもりなのだろうか。

ついには「ワクチンを打ってもマスクをしろ」などと専門家様がしたり顔で言い始め、メディアも喜々としてそれを流布する。この人たちのせいで、コロナ狂想曲は永遠に終わらないかもしれない。

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【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・日本のコロナ禍がなかなか収束しないのは、とにかく危機感を持たせることありきで自説を振り回す専門家たちと、それを流布するメディアが、いつまでも「コロナは危ない」と視聴者を煽り続けていることにも一因がある。
・頻繁にメディア出演する専門家には「制作サイドにとって使い勝手がよい」という理由だけで声がかかっている人も多い。決して「専門家として優秀」とはいえないケースもあるから注意が必要だ。

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中川 淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
ライター
1973年東京都生まれ。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライターや『TVブロス』編集者などを経て、2006年よりさまざまなネットニュース媒体で編集業務に従事。並行してPRプランナーとしても活躍。2020年8月31日に「セミリタイア」を宣言し、ネットニュース編集およびPRプランニングの第一線から退く。以来、著述を中心にマイペースで活動中。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットは基本、クソメディア』『電通と博報堂は何をしているのか』『恥ずかしい人たち』など多数。

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(ライター 中川 淳一郎)

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