「たった0.1秒差、数cm差」東京五輪代表内定を巡る"ふるい落とし"の最終決戦が始まる
プレジデントオンライン / 2021年6月24日 11時15分
■注目は男子100mだけではない!アスリートの「代表内定」巡る戦い
「働く大人」はみな締め切りと戦っている。フリーランスライターの筆者もそうだ。不思議なことに期日まで余裕があると筆が進まないが、期日が迫るにつれて、集中力が増していく。“適切なリミット”があるとポテンシャルが引き出される感覚だ。
スポーツという競争社会に身を置く人にも似た現象がしばしば起こる。日本陸上界では今季限りでの「引退」を表明しているアスリートが快進撃を見せている。
例えば、男子110mハードルの金井大旺(25・ミズノ)と男子走り高跳びの衛藤昂(30・味の素AGF)。6月24~27日に行われる日本選手権は東京五輪選考の最重要トライアルだ。彼らはどんなパフォーマンスを発揮するだろうか。
■●金井大旺:「五輪後は歯科医になる」と決めた110mハードル選手
金井は東京五輪をハードラーとして最後の舞台と決めて、その後は子供の頃からの夢である歯科医師の道に進む。東京五輪が1年延期されたことで、金井のアスリート人生も延長した。最後となる冬季練習でウエイトトレーニングの質と量を増やしたことで出力とスピードがアップ。日本陸上界の歴史を大きく動かすような成果を挙げている。
4月29日の織田記念国際大会で13秒16(追い風1.7m)の日本新記録を打ち立てて、関係者の度肝を抜いた。自己ベストを一気に0.11秒も更新して、アジア歴代で2位に急浮上。2020年の世界ランキングで4位相当、2019年の世界ランキングで7位相当のタイムをマークしたからだ。しかも、「まだ完全に出し切った感じはない」という感触を持っている。
日本の男子110mハードルは、9秒台対決で注目を浴びる男子100m以上の熾烈なバトルが繰り広げられる。同種目は110mの間に高さ106.7cmのハードルを10台跳び越える。トップ選手はハードルをクリアする際も重心の位置がほとんど変わらない。障害を下限ギリギリでクリアしながら、ハードル間を3歩で進む。悩ましいのが、スピードが上がりすぎると、9.14mしかないハードル間で脚が詰まってしまうことだ。彼らはその狭間を絶妙なハードリングと脚のさばきで、素早く駆け抜けていく。
■日本歴代1~4位の記録を持つハードラー4人が直接対決
近年の日本選手権では金井、高山峻野(26・ゼンリン)、泉谷駿介(21・順天堂大)の3人が名勝負を繰り広げてきた。18年は金井が14年ぶりの日本新記録となる13秒36(追い風0.7m)で制すと、19年は前回王者&日本記録保持者が準決勝でフライング失格。決勝は日本記録に並ぶ“同タイム決着”となり、高山が0.002差で泉谷に勝利した。昨年は金井が大会タイの13秒36(追い風0.1m)で優勝。高山が2位、泉谷が3位だった。
金井、高山、泉谷の3人が保持していた日本記録は、2019年に高山が13秒30、13秒25と2度塗り替えると、今季は金井が13秒16まで引き上げた。さらに泉谷が13秒30、19歳の村竹ラシッド(順大)が13秒35をマークしており、日本歴代4位の記録を持つハードラーが日本選手権で激突することになる。
金井は、東京五輪で「ファイナル進出」という目標を掲げており、日本選手権の決勝は、東京五輪の準決勝をイメージして臨むことになるだろう。気象条件に恵まれれば3人が保持している大会記録(13秒36)の更新はもちろん、日本新記録の瞬間を目撃できるかもしれない。間違いなく、今回も熱いドラマが待っているはずだ。
■●衛藤昂:他の社員と同様「フルタイム勤務」の理系ジャンパー
衛藤昂は高専出身の理系ジャンパー(走り高跳び)だ。5年制の鈴鹿高専、2年制の鈴鹿高専専攻科を卒業後、筑波大院に進学した。陸上アスリートとしては異色の学歴を持つ。
筑波大院に進んだ理由のひとつは、「シューズ開発をしたい」から。大学院では、「スパイクの変形」を研究。自らが被験者となり、ケガの予防やパフォーマンスアップにつながるための条件などを探った。その取り組みは、アシックスとの共同研究となり、さまざまなデータとして残っている。
競技に夢中になるとセカンドキャリアのことまであまり意識がまわらないが、衛藤は常に先のことを考えてきた。「高専に入ったのは就職がいいから」という理由もあったほど。大学院時代は、「結果を出せなければ普通に就職しようと思っていた」というが、2年時(2014年)に北京世界選手権の参加標準記録(2m28)をクリア。「2年後のリオデジャネイロ五輪は遠くない」という気持ちになったという。
2021年に三重国体が開催されるタイミングもあり、衛藤は地元のAGF鈴鹿に入社して、競技を続けることになった。AGFの親会社である味の素はナショナルトレーニングセンター、マルチサポートハウスなどでアスリートのバックアップをしているものの、グループ企業を含めて、「社員アスリート」は衛藤が初めてだった。
駅伝チームを抱える実業団は一般業務を大幅に免除されているケースが多い。しかし、衛藤の場合は“ほぼフルタイム”の勤務をこなしながら、競技力もアップさせてきた。日本選手権で3連覇(16~18年)を達成して、3度の世界選手権(15年北京、17年ロンドン、19年ドーハ)と16年リオ五輪にも出場した。
■今季限りで引退「ビジネスの世界でも他の社員に負けたくない」
「鈴鹿高専の校訓が『文武両道』だったこともあり、学生時代から勉強しながら競技をやってきました。それに引退した後がすごく不安なんです。本社の社員は皆優秀で、バリバリ働いています。競技をやめて一緒に働くことになれば、とんでもない差が生まれる。最低限のビジネススキルを確保しておけば、こちらは社内でも有名ではあるので、そこで何とか補えるんじゃないかと。ビジネスでも負けたくないと思っています」
そう話していた衛藤も今季限りの引退を決めている。当初は2020年の東京五輪を競技人生のクライマックスにする予定だったが、五輪の延期で、衛藤のチャレンジも延長した。そのため30歳で最後のシーズンを迎えている。
面白いのが多くのアスリートとは逆のアプローチをしたことだ。2017年秋から2年間ほど行ってきたウエイトトレーニングを封印。かわりに体幹トレーニングを取り入れてきたことで、「ナチュラルな跳躍」ができるようになったという。それが結果にも表れている。
「ウエイトトレーニングをしていたときは、筋力発揮はあったんですけど、踏み切りをピンポイントで入らないと跳ぶことができなかったんです。いまは広い面でだいたいこの枠に入っていれば跳べるかなという感じになってきました。以前は卓球のラケットでテニスをしていた感じでしたけど、いまはテニスラケットでテニスをしているイメージに近いですね」
今季は5月3日の静岡国際を2年ぶりの自己タイとなる2m30で制すと、同9日のREADY STEADY TOKYOでも2m30をクリア。ラストシーズンで自己ベスト更新の手ごたえをつかんでいる。
両大会では屋内日本記録保持者の戸邉直人(JAL)も2m30を成功しているが、昨季までは複数の日本人選手が同一大会で2m30以上を跳んだことはなかった。日本選手権では東京五輪参加標準記録&屋外日本記録の高さである2m33の征服が十分に期待できそうだ。本格的なシーズンに入る前に取材したとき、自身のキャリアについては「まったく悔いはありません」と話していた衛藤だが、欲がないわけではない。
「昨(2020)年、真野友博選手(九電工)に自己ベストを抜かれたので、日本歴代5位以内の記録(2m31以上)は残して終わりたいという気持ちがあります。できれば東京五輪は決勝の舞台で戦ってみたいですね」
東京五輪の延期で人生が変わった者もいる。今年の日本選手権には、アスリートたちの5年分の思いが交錯する。東京五輪を目指す者すべてにドラマがあり、彼らを支える仲間もいる。すべてのアスリートたちが悔いのないチャレンジになることを祈りたい。
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スポーツライター
1977年、愛知県生まれ。箱根駅伝に出場した経験を生かして、陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』をはじめ様々なメディアに執筆中。著書に『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。最新刊に『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)
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(スポーツライター 酒井 政人)
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