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「外国人がアメリカで勝つために必要なこと」全米OPゴルフを勝ったジョン・ラームの物語

プレジデントオンライン / 2021年6月26日 11時15分

2021年6月20日、アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴのトーリーパインズで開催された全米オープンゴルフトーナメントで優勝したスペインのジョン・ラームと妻のケリー、息子のケパ。 - 写真=EPA/時事通信フォト

■「勝った」というより「終わった」という表情だった

全米オープン最終日の夕暮れどき。通算6アンダー、単独首位で先にフィニッシュしたスペイン出身のジョン・ラームは、後続組のホールアウトを待ちながら、プレーオフに備え、トーリーパインズの練習場でクラブを振っていた。

その後方で、ラームの愛妻ケリーと、とっくの昔にプレーを終えたフィル・ミケルソンが、リゾートチェアに座り、和やかな笑顔で談笑していた。

ラームの表情も驚くほど穏やかだった。72ホール目でバーディーパットをねじ込み、雄たけびを上げたときの激しい形相はすっかり消え去り、柔和な笑みを浮かべながら静かにクラブを振っていた。

まだ勝敗は決まっておらず、プレーオフにもつれ込めば、熾烈(しれつ)な戦いになるかもしれない。敗北だってありえる。そんな落ち着かない状況のはずなのにピリピリした緊張感は伝わって来ず、むしろ、映画やドラマのエンディングで登場人物たちが「いろんなことがあったけど、本当に良かったね」と笑顔でうなずき合う場面のように和やかな空気が感じられた。

それから十数分後、南アフリカ出身のルイ・ウーストハウゼンが18番でイーグルを獲りそこなった瞬間、ラームの逆転逃げ切り優勝が決まった。

クラブを振っていた手を止めて、ラームはキャディのアダム・ヘイズと抱き合い、愛妻ケリーやミケルソンと次々にハグを交わした。

ラームの表情は「勝った」というより「終わった」というものだった。それはきっと、自分1人で勝ったのではなく、みんなのおかげで大仕事を成し遂げたのだと、彼が感じていたからではないだろうか。

■スペインの人口1500人の町から、名門アリゾナ州立大学へ

スペインのバリカという人口1500人ほどの小さな町で生まれ育ったラームは、母国や欧州でジュニアやアマチュアのタイトルを総なめにして、2012年に米国の名門アリゾナ州立大学からゴルフ奨学生として迎えられた。

とはいえ、生まれて初めて訪れたアメリカは右も左もわからず、英語もほとんどわからなかったそうだ。

「でも、大学キャンパスに足を踏み入れた初日から、ジョンのゴルフの腕はすでに磨き上げられていた」

そう振り返ったのは、当時のゴルフ部コーチを務めていたフィル・ミケルソンの弟ティム・ミケルソン。それほどラームのゴルフは光り輝いていたという。

チームメイトたちは、みなフレンドリーで、ラームに積極的にアメリカ生活のことや英語を教えた。ついつい母国語に頼るラームに「スペイン語を口にしたら罰ゲーム」という特別ルールを作り、「ゲーム感覚で頑張れ」とラームを励ました。

ゴルフ場に立つ星条旗
写真=iStock.com/Rick Stufflebean
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Rick Stufflebean

■ミケルソン兄弟はことあるごとにラームをサポート

大学1年生の秋、ハロウィーン・パーティーでラームはケリーに出会った。ラームは米国の人気TVドラマ「SWAT(特別狙撃隊)」のコスチュームをまとい、ケリーはNFLのレフェリーに扮して、どちらもトイレの順番を待つ長蛇の列に付いていた。そして、どちらからともなく話し始め、2人の交際が始まった。

「私がしゃべりまくり、ジョンが相槌を打ちながら耳を傾けるという感じ。彼はとても聞き上手でした」

ゴルフ部コーチだったティムの兄であり、同じアリゾナ州立大学ゴルフ部の先輩でもあるフィル・ミケルソンは、ラームの噂を聞いて興味津々となり、早々にゴルフ部をのぞきにやってきたそうだ。

「一目見て、すごい才能だと思った。ツアーに来たら、1年以内にトップ10に数えられる選手になると思った。いつか必ずメジャーで勝つ、いやいや、世界一になると思った」

以後、ミケルソン兄弟は、ことあるごとにラームを激励し、サポートしてきた。

■「激しい性格がアダになっている」は本当か

2016年の全米オープンでローアマに輝いたラームは、その翌週にプロ転向し、米ツアー参戦を開始した。やがて、ティムは大学ゴルフ部コーチを辞してラームのマネジャーになり、比類まれなる才能を傍らで支えるようになった。

そしてラームは、デビューから間もなかった2017年1月、今回の全米オープンと同じトーリーパインズで開催されたファーマーズ・インシュアランス・オープンで初優勝を挙げると、次々に勝利を重ね、昨年までで通算5勝を挙げていた。

だが、なかなかメジャーでは勝てず、その原因は「感情のコントロールができないからだ」と米メディアから何度も指摘されていた。ミスするたびに怒声を上げ、クラブを叩きつけ、ルール委員に詰め寄ったこともあった。

「激しい性格がアダになっている」――しかし、愛妻ケリーは「コースから一歩離れれば、彼はとてもシャイで、休みの日に出かける先といえば、近所のレストラン1軒だけ。顔なじみで自分が座る場所が決まっているその店なら安心できる。彼はそういう性格です。コースで激しい態度が出るのは、きっと勝ちたい気持ちの裏返し。フツウはそれを上手に隠すけど、不器用な彼は隠せず表に出してしまう」

■「新型コロナ陽性」を告げられても、不思議と落ち着いていた

今年4月のマスターズ直前、ラーム夫妻には第1子となる長男ケパくんが誕生した。

「ジョンは良き父親になると誓い、試合中も大人の態度を取ろうと頑張っていました」とケリーは明かした。

キャディのヘイズも「そう、ジョンは頑張っていた。いや、頑張り過ぎて逆にぶちっと切れてしまった。マスターズでは最初にボギーを叩くまでしか持たなかった。全米プロでは3日目までしか持たなかった」。

そんなラームに変化が見られたのは、全米オープンの2週間前に開催された米ツアー大会、メモリアル・トーナメントの3日目終了後だった。

2位に6打差の単独首位で54ホールを終えたラームは、その日の朝に受けたPCR検査の結果、新型コロナ陽性だと係員から告げられ、大会連覇がかかっていたというのに、即座の棄権と10日間の隔離生活を余儀なくされた。

まさに青天の霹靂。「でも不思議なことに、あのときジョンは怒ることなく、慌てることなく、その状況を素直に受け入れた」と愛妻ケリーは振り返った。

■「何かいいことが起こる予感がしていた」

なぜ、ラームは事態を冷静に受け入れることができたのか。それは彼の胸の中には予感めいたものが芽生えていたからだそうだ。

「最初はもちろん驚いたけど、何かいいことが起こる予感がした。これは、きっとハッピーエンドになる物語なのだと思った。そして、わが子の良き手本になりたいと思った」

隔離が無事に終わり、ギリギリセーフで全米オープンに滑り込んだラームは、好プレーを続けて優勝争いに絡み、首位に3打差の好位置で最終日を迎えることになった。

「土曜の夜、彼は無口だったので、すごくナーバスだったんだと思う。日曜の朝も無口だったけど、前夜とは違って、自信にあふれているような静けさだった」

愛妻ケリーの直感は正しかった。そして最終ラウンドをティーオフしたラーム自身も、自信を確信に変えてプレーしていた。

「出だしで連続バーディーが来て、すべてが正しい方向へ向かっている、やっぱり何かいいことが起こると思った。今日は僕の日だと直感した」

■全米OPはメジャー優勝者が目まぐるしく入れ替わる大混戦に

サンデーアフタヌーンのリーダーボードは、ローリー・マキロイやブライソン・デシャンボー、ルイ・ウーストハウゼン、コリン・モリカワ、ブルックス・ケプカなど、メジャー・チャンピオンたちが目まぐるしく入れ替わる大混戦になった。

「誰が勝っても『スターたちがひしめき合った全米オープンを制したチャンピオン』と呼ばれることになる。その中に僕の名前が含まれていることは栄誉だと思った。最後まで最高のゴルフをしようと心に誓った」

感謝の心、謙虚な姿勢が芽生えたとき、メジャー優勝の悲願が達成されることは、ゴルフ・ヒストリーが実証している。前半で2つスコアを伸ばしたラームは、後半はボギーを1つも叩かず、上がり2ホールは連続バーディーで締めくくり、見事なゴルフで72ホールを戦い終えた。

プレーオフに備え、練習場で球を打っていたラームは「いいことが起こる」ことを信じ続けていた。たとえ、プレーオフにもつれ込むとしても、誰と戦うとしても、「今日は僕の日。いいことが起こる」と信じて疑わなかった。だから、後続組のホールアウトを待つ間も柔和な表情でいられたのだろう。

そんなラームに勝利の女神はほほ笑み、プレーオフを戦わずして、全米オープン・タイトルはラームのものとなった。

■外国人選手が異国で目指したメジャー制覇への挑戦記

英語がほとんどわからず、アメリカに足を踏み入れたことさえなかった外国人選手が、いろいろな人々と出会い、いろいろな形で助けを得ながらビッグな栄冠をつかみ取ったことは、世界中のジュニアやヤングゴルファーに勇気と希望をもたらしたのではないだろうか。

もしもラームがアメリカに来ていなかったら、アリゾナ州立大学ゴルフ部に入っていなかったら、ミケルソン兄弟やケリーと出会っていなかったら、彼の全米オープン制覇は成されていなかったのかもしれない。

言葉がわからなくても、異国の地でも、人と人が出会い、歩み寄れば受け入れられ、何かが始まる。嫌なこと、つらいこと、受け入れがたいことであっても、前向きな姿勢で現実を受け入れれば、その先の未来では「何かいいこと」が起こる。

トーリーパインズの練習場でプレーオフに備えていたラームを見守りながら、愛妻ケリーとミケルソンが笑顔で交わしていた会話は、やっぱり、こんなフレーズだったのではないだろうか。

「ずいぶん、いろんなことがあったけど、本当に良かったね」

外国人選手が異国で目指したメジャー制覇への挑戦記。物語の最後は、みんなが笑顔で振り返るハッピーエンドだった。

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舩越 園子(ふなこし・そのこ)
ゴルフジャーナリスト、武蔵丘短期大学客員教授
東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て、1989年にフリーライターとして独立。93年に渡米し、米ツアー選手と直に接し、豊富な情報や知識をベースに米国ゴルフの魅力を発信。2019年から米国から日本に拠点を移す。著書に『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)などがある。

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(ゴルフジャーナリスト、武蔵丘短期大学客員教授 舩越 園子)

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