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「終刊号は100万部に」香港"リンゴ日報"を廃刊に追い込んだ習近平政権の誤算

プレジデントオンライン / 2021年6月30日 11時15分

2021年6月24日未明、オフィス周辺に集まった人たちに配るため、印刷したばかりの最終版を手にするリンゴ日報(アップルデイリー)の記者。 - 写真=AFP/時事通信フォト

■香港から他国に拠点を移す企業が多く出ている

中国・習近平(シー・チンピン)政権に対する批判を続けてきた香港紙「蘋果日報(アップル・デイリー)」が、6月24日付の朝刊を最後に発行を停止し、廃刊した。国家安全維持法(国安法)違反容疑で創業者や主筆、編集幹部らが次々と逮捕されたうえに資産が凍結され、発行が継続できない状態に追い込まれたのである。

これは言論の封殺だ。中国という国は世界第2位の経済大国に成長しても、一党独裁体制の過ちを反省することなく、民主主義の土台となる言論の自由を香港から奪い去った。自由な国際金融都市として大きく発展してきた香港市場も、国際社会の信頼を失い、後は衰退するのみである。すでに香港から他国に拠点を移す企業が多く出ている。

蘋果日報は1995年6月創刊で、発行部数は約10万部で香港第2位、ネット版の閲覧数は香港で最大だ。扇情的なイエロージャーナリズムと批判されたこともあったが、反中国政府・親民主派のスタンスが香港市民の自由と民主主義を求める意識と呼応して、読者を獲得してきた。

ちなみに「蘋果」は中国語でリンゴのことだが、創業者の黎智英(れい ちえい)氏=英名ジミー・ライ、今年4月に有罪判決を受けて服役中=によれば、新聞名はアダムとイブが食べたリンゴに由来する。アダムとイブがリンゴを口にしなかったら世界に善も悪もなく、ニュースもないという意味だという。

■中国政府にとっての「政治」とは国民を弾圧すること

蘋果日報の廃刊は、一国二制度の下で認められてきた香港の言論の自由が、国安法という悪法によって崩れ去ったことを意味する。

だが、沙鴎一歩は「ペンは剣よりも強し」という諺を固く信じる。言論を封殺するような習近平政権は、やがて国際社会から見捨てられ、必ず崩壊する。

中国政府は天安門事件(1989年6月)以来、自由と民主主義を求めて立ち上がる知識人や学者、学生、市民を繰り返し弾圧してきた。習近平政権の傀儡に過ぎない香港政府は、自由のために抗議デモを続ける香港市民を力ずくで抑え込み、昨年6月には無期懲役を最高刑とする国安法を制定し、運動家などを次々と逮捕した。

中国政府にとって国民を弾圧することこそが、政治なのである。沙鴎一歩はそんな中国に生まれなくて本当に良かったと思う。

この7月1日、中国共産党は創設100周年を迎える。習近平政権はその祝賀ムードを盛り上げるために中国政府を批判する民主派の一掃に余念がない。中国では国家よりも党が上に位置する。このため習近平・国家主席は、1982年以来廃止されている「党主席」を狙っている。

■逮捕された香港の運動家は、臓器を抜かれる恐れもある

習近平政権は香港と同様に「絶対に譲れない核心的利益」とみなす台湾と新疆(しんきょう)ウイグル自治地区を軍事的に弾圧している。日本の尖閣諸島(沖縄県)周辺海域では、中国海警船が侵入を繰り返しては日本の漁船を追い回す。東・南シナ海では巨大軍事力を背景に軍事要塞を次々と作る。中国の国際的脅威は増すばかりである。

いまの中国は「ならず者国家」と批判されても文句は言えないだろう。国際社会は中国に対して軍事的優位に立つアメリカを中心に包囲網を築き、中国に対して圧力を加えていくべきだ。

どうしても気になるのが、逮捕された香港の活動家たちの命である。国安法の最高刑が死刑ではなく無期懲役とはいえ、服役中に病死と偽って殺すことも可能だろう。

さらに中国では死刑囚に麻酔をかけて眠らせ、その体から心臓や肝臓などの臓器を摘出し、移植用の臓器として海外の患者に売り払うことが続いてきた。摘出された心臓はひとつ1億~2億円で闇取引されていたという。中国政府は2015年に、刑執行後に死刑囚の臓器を摘出する慣行を廃止するとしているが、実態はわからない。そもそもそうした慣行があったこと自体がおそろしい。

■ジャーナリズムの原点は権力に屈しない反骨精神にある

6月25日の毎日新聞の社説は「りんご日報の廃刊 許されぬ香港の言論封殺」との見出しを立てて、その冒頭部分でこう訴える。

「24日付が最後の紙面となった。『別れの書』と題した社説は『報道の自由は暴政の犠牲となった』と憤りを込め、読者と香港を『永遠に愛する』と結んだ」
「1995年に創刊され、共産党批判からゴシップまでタブーを恐れない紙面作りで知られた。昨年6月の国安法施行後も民主派支援の論調を貫いた」

「党批判を恐れない」。そこに蘋果日報の素晴らしさの本質がある。ジャーナリズムの原点は、権力に屈することのない反骨精神だ。中国政府を恐れ、香港の新聞やテレビなどが次々と権力批判を中断するなかで唯一蘋果日報だけが批判を続けた。

2020年4月28日の香港のニューススタンド
写真=iStock.com/winhorse
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/winhorse

はたして日本のメディアはどうだろうか。日本の新聞社やテレビ局もそうあってほしい。とくに新聞の社説は、ときの政権の誤った政策をきちんと正す主張を展開し、首相や閣僚らをうならせてほしい。

■最後の蘋果日報は通常の10倍以上の100万部を発行

毎日社説は指摘する。

「国際都市としての香港の信頼は決定的に損なわれた。言論の自由があればこそ、中国と外部を結ぶ情報の窓口として存在感を発揮できた。共産党体制の内実を知る貴重なルートだった」
「国際金融センターの地位も揺らぐ」

前述したが、香港から自由な国際金融都市の姿はなくなり、各国の企業は撤退のスピードアップを図る。香港から自由を奪うことで経済的に大きなダメージを被るのは、中国本土の経済である。潤滑な香港経済があったからこそ、中国の経済は大きく成長した。そこは習近平政権も理解しているはずだ。なのになぜ、香港を悪法でがんじがらめにするのだろうか。

一党独裁国家の頂点に君臨する習近平氏は、自由と民主主義を求めて立ち上がる香港市民が怖いのだ。独裁が民主主義の手で倒されてきたことは、歴史が証明している。習近平氏は独裁者ゆえの自己防衛に走り、自らの地位を維持し、さらには地位の向上を狙っている。

最後に毎日社説は「蘋果日報の危機を知った多数の人が買い求め、最後の新聞は通常の10倍以上となる100万部が発行された。言論の自由を支えようとする香港市民の強い意思表示である」と指摘し、次のように主張する。

「抑圧下にあっても自由の価値を信じる人々を、国際社会は孤立させてはならない」

香港市民は中国政府によって命を奪われることさえある。それにも屈せずに彼らは戦ってきたし、これからも戦う意思を示している。今度は欧米や日本などの民主主義国家で構成する国際社会が、断固として中国の習近平政権の悪業を追及しなければならない。

2021年3月10日の香港のニューススタンド
写真=iStock.com/winhorse
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/winhorse

■「言論封殺は度を越している」「断じて容認できない」と読売社説

読売新聞(6月25日付)の社説は「香港紙の廃刊 言論封殺は度を越している」との見出しでこう書き出す。

「香港の高度な自治を保障した『一国二制度』に基づく報道の自由を力ずくで奪うことは、断じて容認できない」

読売社説が主張するように「断じて容認」してはならない。

読売社説は国家安全維持法(昨年6月施行)について「香港当局は当初、抑制的に運用する方針を強調していたが、最近の乱用ぶりは度を越している」と指摘する。実際国安法の適用範囲は不透明で、何をしたら摘発されるかがよく分からず、そこが香港市民にとって恐怖なのである。

■国安法による逮捕者は100人を超えた

読売社説は書く。

「蘋果日報は、国安法の施行後も中国批判を続け、自由で多様な香港社会を代弁する最後の砦となっていた。中国企業の出資に頼る香港メディアが増える中、経営の独立を保つ貴重な存在だった」

「最後の砦」が打ち破られたわけだが、習近平政権も返り血を浴びているはずだ。それが証拠に香港の国際金融センターの機能や地位が消滅しつつある。

その点に関し、読売社説も「国安法による逮捕者は、この1年で100人を超えた。蘋果日報の事例は、香港の民主派やグローバル企業をさらに萎縮させ、『中国化』を加速させることになろう。国際金融センターとしての地盤沈下は避けられまい」と指摘している。

最後に読売社説はこう主張する。

「習近平国家主席は、『愛される中国』の国際イメージ作りを指示したばかりだ。一連の言論封殺は自らの言葉を踏みにじる行為である。これでは、国際社会の信用を失うだけではないか」

その通りである。何が、どこが「愛される中国」なのだ。中国の度重なる強権ぶりを見ていると、「嫌われる中国」としか思えない。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩)

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