中国共産党・習近平のジャック・マー叩きがもたらす"ある誤算"
プレジデントオンライン / 2021年7月6日 9時15分
※本稿は、野口悠紀雄『良いデジタル化 悪いデジタル化』(日本経済新聞出版)の一部を再編集したものです。
■アントグループの上場停止事件
中国で重大な地殻変動が起きつつあるのかもしれない。共産党内部の権力抗争ではない。共産党と新しい民間新興勢力との衝突である。これは、長期的には中国の成長の阻害要因となり、米中バランスに本質的な影響を与える可能性がある。
共産党と新しい民間新興勢力との確執がはっきりした形で表れたのが、アリババ集団傘下の金融会社アントグループの上場停止事件だった。
アントは、電子マネーAliPayの発行主体。中国最大のeコマースであるアリババの子会社だ。2014年に設立されたばかりだが、急成長。その企業価値は、約1500億ドル(約16兆円)にもなるといわれた。
これは、アメリカシティグループ(約11.5兆円)の時価総額を超え、三菱UFJフィナンシャル・グループなど日本の3大メガ銀行の時価総額の合計(13.3兆円)を上回るものだ。設立されてからわずか6年のうちに、世界最大の金融企業になってしまったのだ。
アントは2020年11月に香港と上海市場での上場を計画していた。これによって345億ドル(約3兆6000億円)という史上空前規模の資金が調達できると考えられていた。これは、みずほフィナンシャルの時価総額にも相当する額だ。
■習近平vsジャック・マー
発行計画は順調に進んでいた。ところが上場予定日直前の11月3日に、当局が突然、待ったをかけ、上場は中止されてしまった。
アリババ創業者のジャック・マー氏が、シンポジウムで、当局に対する批判的コメントをしたのが原因だったといわれる。それを読んだ習近平国家主席が、激怒したというのだ。
そうしたことがあったのかもしれない。しかしこれは、失言と当局の反発という単発的な偶発事件ではない。その底流には、深い原理的対立がある。これは、いずれ表面化するはずだった矛盾が表面化したものだと考えることができる。
12月14日には、中国政府がアリババとテンセントのそれぞれの傘下企業に対し、独占禁止法違反で罰金を科すと発表した。中国政府による巨大ネット企業への管理が、さらに強化されたのだ。
■アリババに対しても当局が圧力
2020年のアリババ集団によるネット通販セール「独身の日」が、11月12日深夜0時に終了した。セール期間中の取扱高は4982億元(約7兆7000億円)。2019年の2684億元を大きく上回った。
ところが、セール前日の10日に、規制当局である国家市場監督管理総局が、独占的な行為を規制する新たな指針の草案を公表した。取引先の企業にライバル企業と取引しないよう「二者択一」を求めることは法律違反にあたるとしている。
このように、アリババを取り巻く事業の環境も急激に変化している。この措置を受けて、11日に香港株式市場でアリババの株価は前日比9.8%安となった。
■「想定外」だったIT企業の急成長
アリババやアントが急成長できたのは、これまで、その活動に対する規制があまり強くなかったからである。
もともと中国の改革開放政策は、鄧小平の「抓大放小(大をつかみ小を放つ=大企業は国家が掌握し、小企業は市場に任せる)」という方針によって行われてきた。
4大商業銀行(中国工商銀行、中国建設銀行、中国銀行、中国農業銀行)は「大」であると考えられたので、当初は国有企業だった。現在は、民営化されたが、公的企業の色彩が強い。
それに対してeコマースは民間に任された。そして、自由な経済活動が認められた。あまり重要な産業とは思われなかったからだ。
ところがその後、インターネットの普及に伴ってeコマースが急成長し、そこで用いる通貨としてAliPayが作られた。それが一般の取引にも用いられるようになり、多数の人がAliPayを使うようになったのだ。現在、その利用者数は10億人を超すといわれている。
■共産党の逆襲
こうした事態は、中国共産党が考えていたものとは異なる展開であったに違いない。そして、これまでも金融や情報を国家の手に取り戻すための方策を模索していたに違いない。
実際、規制は徐々に強化され、AliPayなどの特権的地位は、徐々に制限されてきた。
「自由な経済活動によってこそ経済が発展する」というのであれば、国家が経済活動をコントロールするという共産党の基本的な理念に矛盾してしまう。現在の状況が続けば、共産党は市場経済の中に融解してしまう。
市場経済活動=自由な経済活動と共産党の理念は、もともと相容れないものだから、どこかで衝突が起きるのは必然だった。いま起こっているのは、その最初の表れなのかもしれない。
■ハイテク企業に対する中国での規制強化の動き
もともとアリババは、ファーウェイなどとは違って、国の後ろ盾がない企業だった。
eコマースは国の産業に大きな影響がないと考えられたために、これまで比較的自由な活動が認められてきたのだ。ところが、実はeコマースや電子マネーが重要であることが分かってきた。
このため、中国当局は、2、3年前から金融の管理強化に乗り出していた。ここにきて、巨大ハイテク企業への圧力を一段と強め、アントとマー氏を標的にしているのではないかとの見通しが広がっている。さらに、ビッグデータの運用方法にも制限がかかる可能性があるといわれる。
アントの企業価値評価は4000億ドルに達してしかるべきだとの見方もあった。そうなると、評価額は資産規模で世界最大の銀行である中国工商銀行に並ぶ。こうした状態は、放置するわけにはいかないのだろう。
アントの上場中止は、中国の技術開発に大きな影響を与えると考えられる。それは、中国の長期的な観点から考えると、決して望ましいものではない。
■「ウミガメ族」が支えた中国経済の発展
もともと中国におけるITは、中国の若者がアメリカの大学院で勉強し、それを中国に持ち帰ったことによって発展したものだ。
アメリカにとどまった人たちも最初は多かったのだが、中国での経済発展に伴って、中国に戻る若者が増えたのだ。彼らは「ウミガメ族」と呼ばれる。
こうした人々が中国の著しい発展を支えたのは、間違いない事実だ。それは中国国内において活躍の機会があるという期待に基づいたものであった。
そして実際、中国国内では、アリババやアントだけでなく、多数のユニコーン企業が現れた。その状況は、アメリカのそれに似たものになった。中国でも活躍の機会があるという期待が、これまでは満たされてきた。
■帰国を取りやめ「アメリカンドリーム」を目指す中国人
ところが、アントの上場中止事件で、「先端IT企業といえども、共産党のさじ加減次第でどうにでもなる」ということが分かった。自由な活動が制約なしにできるわけではなく、共産党の鼻息をうかがいながらでしか活動ができない。
そうなれば、優秀な人間は、アメリカでの勉学を終えた後、中国に戻るのでなく、アメリカにとどまることを選ぶだろう。
Zoomの創業者エリック・ヤン氏は、中国の大学で学位を取ったあと、アメリカのIT企業に参加し、その後独立した。そして、新型コロナ下で事業を急拡大し、売り上げが急増した。まさにアメリカンドリームを実現しているわけだ。
こうしたことを見れば、それに続こうとする者が出てくるだろう。それは、アメリカの技術力を高めることになる。そして、中国の発展にとってはマイナスに働く。中国の経済発展は大きな打撃を受けることになるだろう。
■科学技術の発展に「最も重要なこと」
科学技術の発展にとって最も重要なのは、自由な活動が認められることだ。このことは、すでに第2次世界大戦中に、アメリカがヨーロッパから優秀な人材を受け入れたことで実証されている。
そして、1990年代におけるIT革命も、アメリカ人によって実現されたというよりは、インド人や中国人によってなされた。そうした人々が、中国の経済発展によって中国に移ったのだ。
しかし、今回の事件をきっかけに、その揺り戻しが起こるかもしれない。これは、中国の経済発展にとって深刻な問題となる可能性がある。
以上で述べたことは、中国共産党としても十分認識していることであろう。
したがって、今回の決定は、単なる偶発的・一時的なものではなく、周到な検討の結果行われたものだろう。その意味でも、重要なものだ。
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一橋大学名誉教授
1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省入省、72年エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授などを歴任。一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論、日本経済論。近著に『経験なき経済危機──日本はこの試練を成長への転機になしうるか?』(ダイヤモンド社)、『中国が世界を攪乱する──AI・コロナ・デジタル人民元』(東洋経済新報社)ほか。
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(一橋大学名誉教授 野口 悠紀雄)
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