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「早く死んでくれ」心の中でそう叫びながら、祖母を麻縄で縛るヤングケアラーの苦悩

プレジデントオンライン / 2021年7月3日 11時30分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/praisaeng

中学時代から祖母を母親とともに介護してきた20代男性。大学生になった時、海外の大学に留学する計画を立てたが、コロナの流行で頓挫。自宅でオンライン授業を受けながら、要介護4で90歳超の祖母の世話をする。だが、どんなに尽くしても、祖母から感謝の言葉はない。世間では「家族の介護は当たり前」「介護される側に立った介護を」と言う人がいるが、男性は心の中で「早く死んでくれ」と叫んでいた――。(後編/全2回)
【前編のあらすじ】
関西在住の大学生、湖西信治郎さん(仮名・現在大学4年)の両親は、幼い頃に離婚。10代の頃に高齢の祖母と同居し、やがて認知症を発症した祖母を、母親とともに在宅介護してきた。母親はフルタイムで働く保育士だ。男子大学生は、母親が帰宅するまでに、デイサービスから帰ってくる祖母を迎え、夕食の支度をし、祖母に食べさせる。しかし認知症のせいなのか、もともとの性格なのか、祖母は娘や孫の言うことを素直に聞かないばかりか、時には暴言を吐いて暴れることも。男子大学生は、介護の悩みや愚痴を相談する相手もなく、ひたすら耐えていたが、あるとき、祖母が大腿骨を骨折して歩行困難になる――。

■大腿骨骨折から本格介護へ

2016年ごろに祖母(当時87歳)は認知症と診断され、要介護1と認定された。週3回のデイサービスに加え、ショートステイを月2回ほど利用するようになっていた。

自ずと

その頃の祖母は、椅子に座ったままうとうとと居眠りをするようになっていたため、孫の湖西信治郎さん(仮名・当時高校生、現在大学4年)も、湖西さんの母親(50代)も、「椅子から落ちると危ないからベッドで寝て」と何度も注意していた。しかしその度に祖母は、「あんたなんかに指図されたくないわ!」と拒絶。

「さすがにカッとなって口喧嘩になることは時々ありましたが、私が手を上げたことは一度もありません。ただ、それまで祖母を介護してきて、祖母から感謝の言葉をかけられたことも、一度もありませんでした」

2018年11月。心配していたことが現実となった。89歳となった祖母がいつものようにうとうとしていたところ、バランスを崩して椅子から落ち、床に転がったまま痛みを訴え、起き上がれなくなったのだ。母親と湖西さんは救急車を呼び、病院へ。

祖母は大腿骨を骨折しており、入院することに。

2019年3月。祖母はリハビリ病院を経て、退院した。骨折前は杖をつけば自立歩行ができていたが、退院した祖母は、誰かの介助なしでは歩行できなくなっていた。医師から、「杖を使っての歩行は、転倒のリスクが高いため危険です。歩行器を使ってください」と指導を受ける。

■「麻縄で縛りつけました。そうしないと、こっちがもたなかった……」

これ以降、トイレ介助や入浴介助は、母親と交代、または共同で行うことになった。

祖母は、4年ほど前から紙オムツをしている。にもかかわらず、深夜や早朝でもお構いなしに、頻繁にトイレに行きたがった。

「祖母が朝5時すぎに起きて『トイレに行く』というのですが、母曰く2時間前ぐらいにも行っているらしく、トイレに連れて行くけど、結局出ないで終わるのです。だから母は、『まだ大丈夫だから寝てて』と言うのですが、祖母は聞かずに『トイレに行く!』と言い張る。夜中のトイレ介助で睡眠不足からイライラしている母は、毎回朝から祖母と口喧嘩をくり広げ、私はその声に起こされていました」

歩行器を使わないと歩けない祖母は、それでも「自分はまだしっかりしている」と思い込んでおり、勝手に動き回ろうとするため、湖西さんも母親も手を焼いた。

「次、また骨折や大怪我などしようものなら確実に寝たきりになってしまいます。それを避けるため、私と母は、祖母がデイサービスから帰ってきたら椅子に座らせ、勝手に立ち上がって動き回ろうとしないように麻縄で縛りつけていました。おそらく、『非人道的だ』と思う方が大半だと思いますが、わが家ではそうせざるを得ないところまでいきました。そうでもしないと、こっちがもたなかったのです……」

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写真=iStock.com/delihayat
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/delihayat

■人生を変えたコロナ禍

2020年、91歳になった祖母は、要介護4と認定。祖母は時々、母親と湖西さんの名前を間違えるようになっていた。

祖母を介護しながら地元関西の大学に合格した湖西さんは、将来、海外の大学院に進み、国際関係論の修士号を取得し、それを活かせる職業に就きたいという目標がある。そのため、湖西さんは大学2年の頃から留学を計画していた。

母親に相談すると、「行ってもいいけど、私も一緒に行く」という。

「私は最初、アメリカのコミニュティカレッジ(日本でいう短大相当)に入って、そこで一年勉強して、アメリカの公立大に編入するつもりでした。コミニュティカレッジは奨学金が使えないので、その分は母に負担してもらい、編入後は自分で奨学金を借りて通う予定でしたが、母は私を諦めさせるために『一緒に行く』などと言ったのだと思いました」

母親は、自分を残し、介護から逃れようとしている息子が許せなかったのかもしれない。それでも湖西さんは何とか母親を説得し、2020年に留学するため、大学を休学。

ところが、2019年末からの新型コロナウイルス感染症の世界的流行のため、留学は断念せざるを得ない状況に陥る。湖西さんは泣く泣く10月に復学した。

留学していれば、おのずと祖母の介護からは解放されていたわけだが、留学も祖母の介護からの解放もかなわなかった。湖西さんの貴重な時間が生贄になったも同然だ。

■祖母介護のストレスを母には言えず、SNSに愚痴を吐き出した

緊急事態宣言の発令以降、大学はオンライン中心に。祖母のデイサービス先もショートステイ先も閉鎖になり、ほぼ一日中、祖母がいる自宅で過ごす。母親は保育士としてフルタイムで働きに出ている。祖母の介護によるストレスが1人で抱えきれなくなっていた湖西さんは、SNSに愚痴を吐き出し、ストレスを発散させるようになった。

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写真=iStock.com/caracterdesign
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/caracterdesign

SNSに愚痴の破棄場所を見いだした湖西さんは、気持ちが楽になるのを感じた。一方で、SNS上で他の人の介護の状況を知ると、「うちの祖母はまだマシかな」と思うと同時に、「うちの祖母もああなってしまうのかな」というとてつもない恐怖感に襲われた。

「祖母の介護が始まった当初は、愛情や優しさを持って介護しようと努めていました。しかし、愛情や優しさを持って介護すればするほど、祖母から暴言を吐かれたときにダメージが大きくなることに気がついてからは、できるだけ無の感情で介護をすることを心がけるようになりました。睡眠時間も自分の時間も削られて、介護家族は疲弊しています。認知症の祖母は、相手が身内だろうが他人だろうが暴言を吐き、どんなに尽くしても、『介護してくれてありがとう』の一言もありません。正直、『もう早く死んでくれ』と思っていました……」

湖西さんの疲労とストレスはピークに達していた。

■家庭崩壊の足音

湖西さんと母親は、祖母の介護が本格的になる以前は良好な関係だったというが、最近はそうではなくなっていた。

ある日、湖西さんがアルバイトから帰宅すると、帰りが少し遅くなったことを母親に咎められる。

「母は、ちょっと過保護なところがあって、私の行動をすべて把握しておきたいみたいなんです。バイトや友だちと出かけるとき、何時に誰とどこへ行って何時に帰ってくるか、全部知っていないと気が済まないようで、何も言わずに出かけるとスマホに着信が何十回と入ります。その時の気分で機嫌が悪くなるので、高校生の時は母の顔色ばかり伺っていました。私が寝ている間に私の部屋に入って、私が自分で買った本やモノを『あんたなんかには必要ない』と言って平気で捨てられたこともありました」

おそらく母親自身、相当ストレスが溜まっていたのだろう。このときも、帰りが少し遅くなったため、執拗に責められた。

「まるで自分だけが犠牲を払ってるみたいに言われると、正直、『ふざけないでくれ』と思います。母1人で介護をしているわけではありません。親だからって言っていいことと悪いことがあると思いました」

湖西さんは、息子として孫として、10代の頃から十分すぎるほど母親と祖母をサポートしてきた。ましてや、湖西さんは母親に対して、一度も介護の不満や愚痴をこぼしたことがないという。

「母は、高齢でしかも認知症の祖母相手にいちいちカッとなるので、大人げないなあと思ってしまいます。介護の仕方ひとつとっても、母と私は衝突することが増えました。母は時間がないから何でもかんでもやってあげてしまうのですが、私は少しでも祖母が自分でできることは自分でさせてあげようと考えて、見守ろうとするのです」

■母親の腕にはくっきりと歯型がつき、血が滲んでいた

「母娘」と「祖母と孫」、立場や関係性の違いもあるのかもしれない。だが、毎日のように母親と祖母が怒鳴り合うため、湖西さんは大学のオンライン授業や課題に集中できず、ほとほとまいっていた。

介護保険証
写真=iStock.com/Yusuke Ide
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yusuke Ide

「介護そのものよりも、祖母と母の怒鳴り声を毎日聞かされているだけで病みそうでした。祖母とケンカすることでたまったストレスが私の方に向いて、今度は母と私とのケンカになるのです。母は祖母や私とケンカして怒鳴ることで、ストレスを発散しているような気がしました」

1度だけ、ヒートアップした母親が祖母に手を上げ、けがをさせてしまったことがある。湖西さんが仲裁に入ったから良かったが、誰もいなかったらと思うと恐ろしい。

とはいえ、91歳の祖母は、50代の娘に負けていない。湖西さんがアルバイトから帰宅すると、部屋の奥から「ギャー!」という母親の叫び声がする。びっくりして駆け寄ると、祖母と母親がいつものようにケンカをした末に、逆上した祖母が母親の腕に思い切りかみ付いたらしい。母親の腕には、くっきりと歯型がつき、血がにじんでいた。

湖西さんは2人をなだめつつ、母親の腕の手当をし、祖母のオムツ交換を済ませ、寝かしつける。その後も湖西さんは、母親と祖母の怒鳴り声が聞こえてくると、大学の課題の手を止め、SNSに向かった。どこにも吐き出せないストレスや愚痴をSNSに吐き出すと、心が軽くなり、救われる思いがした。

■一筋の光

2021年5月。祖母が要介護4になってから、複数申し込みをしているうちの1つの特養から電話が入る。「6月か7月には空きが出るため、入所できるかもしれません」とのこと。

湖西さんは暗闇に一筋の光を見た気がした。しかし、ぬか喜びに終わるのが怖くて、本決まりになるまでは気を抜かないよう努める。

すると1週間ほど後に、本決定の連絡が来た。

それを聞いた湖西さんは、「SNSで同じように介護を頑張っている人たちに、自分だけ楽になる気がして申し訳ない」気持ちになった。

特養入所までは1週間ほど。その間に、契約書への記入のほか、看取りや急変時の延命措置、終末期の措置などについての同意書や宣言書に記入しなければならない。

「延命措置や終末期の介護に関して、私が、『人間らしく、なるべく苦しまないでほしい』と母に伝えたところ、母もそれに同意してくれましたが、いざそれを書類という目に見える形で意思表示をするとなると、ペンが重くなりました。母も同じ考えだったのは正直意外でしたが、家族として意見がまとまったのは良かったと思います」

このあと、湖西さんは少し「自分の人生の終わり方」「どういうふうに死にたいか」ということについて考えた。もちろん、答えは簡単には出ないが、「20代でこういう機会に恵まれる人は少ないだろうな」と思った。

特養に入ることを祖母に伝えたところ、祖母は「分かったけど分からん」と答え、特養に入所する前日の夕ごはんは、祖母の好物の鰻丼にしたところ、ぺろっと平らげた。

そして5月末。母親と2人で祖母をタクシーに乗せ、特養に送った。

10年と少し利用したデイサービスの職員たちにはこれまでの感謝を伝え、これから入所する特養の相談員や栄養士、看護師や理学療法士に挨拶して、約10年にわたる在宅介護を終えた。

湖西さんと母親は、この日初めて「お疲れ様でした」と、お互いを労い合った。

■介護が子どもの未来を奪う

6月。オンライン面会で会った祖母は、変わらず元気そうだった。

「私は在宅介護には、やりがいや喜びはないと思います。ずっと、『この生活がいつまで続くのだろうか』と、半ば絶望を感じながらやってきました。2020年5月に、母親を介護していた20代の娘さんが、母親の首をしめて殺害した事件がありましたが、母親を殺めてしまった娘さんには本当に同情しました。もちろん殺人はダメですが、きっとつらかったんだと思います。私は絶対に殺しませんが、何度『早く死んでくれ』と思ったかしれません。介護って怖いですね……」

湖西さん自身、幼い頃は祖母のことが大好きだった。しかし、介護をするようになって、「幼い頃の楽しかった記憶が徐々に薄れてくる。ただただつらい記憶で上塗りされていく……」と苦悩していた。

「よく、『育ててくれたんだから、お世話になったんだから、介護をするのは当たり前』と言う人がいますが、介護経験があって言っているのでしょうか? 『思いやりのある介護』『介護される人の身になって介護する』といったイメージは、あまりに現実の介護と乖離しています。介護するとなったら腹を決めて、そんな理想は捨て去り、“介護する側”が介護しやすいように環境を整える。調べたり人に聞いたりして、少しでも情報を集める。最も重要なのは、必要以上に自分を責めないこと。これに尽きると思います」

湖西さんは現在、大学院進学と就活、両方で準備中だ。介護にとられていた時間を取り戻した湖西さんは、「TOEICや資格試験の勉強に充てたい」と話す。

机
写真=iStock.com/Yasin Emir Akbas
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yasin Emir Akbas

「日本って、一度レールから外れたら、その後戻るのが簡単ではないと思うし、そのフォローが何もない気がします。だから、現在介護をしている人は、介護のために離職したり、学校や勉強をやめたりしないでほしい。何とかしてやめずにすむ方法を模索してほしいと思います。祖母の介護をしていてつくづく、介護されている方、介護に仕事として携わっている方が、今より報われるような社会になるといいなと心から願うようになりました。このままでは日本は、介護で崩壊するのではないかと危惧しています」

現在母親は50代後半。あと20年もしたら、今度は母親の介護が始まるかもしれない。

「私自身は、もし結婚して子どもができても、将来自分の子どもには介護はさせたくありません。本音は、母の介護もしたくありません。だから、母には今のうちからしっかり、足腰を鍛えさせるなど、健康面に気を配っておかなければと考えています」

2020年12月から21年1月にかけて、厚生労働省と文部科学省が初めて行った実態調査によると、公立の中学校1000校と全日制の高校350校を抽出し、合わせておよそ1万3000人の2年生からインターネットで回答を得た結果、中学生の17人に1人(約5.7%)、高校生の24人に1人(約4.1%)が「世話をしている家族がいる」と回答している。

さらに、「自分の時間が取れない」が20.1%、「宿題や勉強の時間が取れない」が16%、「睡眠が十分に取れない」と「友人と遊べない」がいずれも8.5%。「進路の変更を考えざるをえないか、進路を変更した」という生徒が4.1%、「学校に行きたくても行けない」と答えた生徒が1.6%いた。湖西さんも中学時代から祖母の介護をしていたが、前出の調査では、こうした中高生の“ヤングケアラー”で、「誰かに相談した経験がない」という生徒がともに6割を超えた。

「子どもたちの未来を奪っている」と言っても過言ではない状況に、一刻も早く国は対策を打たなければならないだろう。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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