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「指輪やバッグを質屋に…」一人娘を東大に逆転合格させた母親の凄み

プレジデントオンライン / 2021年7月15日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ranmaru_

今春、コロナ禍の受験で東京大学理科二類に合格した神谷理子さん。幼稚園の頃、親に連れられイルカのショーを見て以来、獣医になることが人生の目標に。母親は娘の経験や教育のためなら、と乗馬や魚釣りをさせ、家族で海外在住時は野生ライオンを見たり、ヘビを飼ったり。そうした費用捻出のため指輪も貴金属もバッグも売った。そして、例年、難関国公立大への合格者が出ていない中堅私立女子高から現役で超難関突破。孤立無援の状況から逆転合格を果たせた理由とは――。

※本稿は、ドラゴン桜「一発逆転」プロジェクト&東大カルペ・ディエム『ドラゴン桜「一発逆転」の育て方』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■「娘の教育のためなら売れるものはみんな売りました」

「教育は絶対に無駄になりません。学んで身についたことは泥棒でも盗むことができない。そう思っていたので、理子の教育のためなら売れるものはみんな売りました」

そう語るのは、東京大学理科二類1年生の神谷理子さんの母・裕子さんだ。

一人娘の理子さんには、幼少期からたくさんの本を読み聞かせし、いろいろなところに出かけ、動物が好きな娘のために乗馬体験をさせたり、釣りにいったり、弓道に興味を持てば弓道ができる場所を見つけて連れていくなど、理子さんがやりたいということはすべてさせた。そのことを理子さんは親に感謝している。

「それほど裕福な家ではないのに、私のやりたいと言ったことを母はやらせてくれた。獣医という夢を持つことになったのもそのおかげ。すごく感謝しています」

■獣医志望の娘のために指輪や貴金属、バッグを売り、奨学金を借りた

神谷家の家計は決して余裕があるわけではなかった。それでも、裕子さんは娘にそれを悟られないようにしながら、指輪や貴金属、バッグなどを売ったり、奨学金を借りたり、パートで必死に働いたりして、習い事や学費、予備校代などの教育費を捻出していたという。

子供の可能性を信じ、経済的に余裕がなくても、経験には惜しみなく投資する。そしてその結果、理子さんは「獣医師になる」という夢を見つけ、その思いを強くしていった。

「獣医になりたいと思ったきっかけは幼稚園の頃、イルカのショーを見にいってからです。それ以来、水族館にイルカを見にいったり、イルカと触れ合うために沖縄旅行に連れていってもらったりしました。その他にも、乗馬をさせてもらったり、親と海や釣り堀で魚釣りをしました。特に、南アフリカに住んでいたときは、近くの国立自然公園で野生のライオンを見たり、自宅でヘビを飼ったりしたこともあります」

初めて経験するインタビューに緊張していた理子さんも、動物の話になると目をキラキラと輝かせる。

東大に入学後、さっそく体育会の馬術部に入り、それとは別に、狩人の会(資格取得して鹿やイノシシなどの猟をする)、釣友会という学内のサークルにも興味を示している。将来はイルカや馬などの大型動物を扱う獣医師になりたいと思っているそうだ。

「受験期も、勉強の合間に、獣医さんのブログを読んだり、動物の動画などを見たりして、エネルギーと癒やしをもらっていました」というだけに、獣医への夢が東大受験の大きな原動力になったことは間違いない。

しかし幼少期の将来の夢が、東大合格につながるとは、本人も家族も予想もしていなかっただろう。

■海外(香港・南アフリカ)と日本を行ったり来たりの生活

「幼い頃、理子を親の都合であちこち振り回しちゃって、本当に申し訳なかったです」

そう言うのは、母親の裕子さんだ。確かに、生まれてから小学5年生までの約10年間は海外と日本を行ったり来たりして慌ただしかった。

神谷理子さん
写真提供=本人

理子さんは、幼少期から父親の仕事の関係で、香港と南アフリカと日本で暮らしてきた。海外の最初は、香港。1歳半頃から小学1年生の終わりまでの約4年半、現地のインターナショナル幼稚園や日本人学校で学んでいた。2度目の南アフリカは、小学4年生の約1年間。小学2、3、5、6年生は母親の実家がある千葉県の小学校へ通った。

小学5年生のときに南アフリカから帰国後、公立小学校に編入。中学受験をするため個別指導塾に通い、その後、江戸川女子中学高校に通うことになった。

理子さんは当時の心境をこう振り返る。

「当時は受験の意味がよくわかっていませんでした。本来は負けず嫌いな性格ですが、このときは勝負する気持ちがなかったと思います。私のことで一生懸命な母に従い、塾に入り、塾の宿題をこなしていた感じでした。だから、中学受験が終わった後は、やっと勉強から解放された~と思った記憶があります」

■「私も負けてられない」友達との再会で勉強意欲に火が付いた

理子さんが通っていた江戸川女子中学高校は中堅私立女子校で、東大をはじめ難関国公立大学への合格者はほとんどいない。理子さん自身も高校1年生までは東大を意識することはまったくなかった。そこから、どのように東大を意識し、学力を最難関レベルへ引き上げたのか。

一発逆転合格のターニングポイントは友達との再会だ。

神谷理子さん
写真提供=本人

高校1年生の学校からの帰り道、小学校のときに通っていたテニススクールの仲間、ゆうかさんに偶然、再会したのだ。小学校時代には、興味が似ていることから意気投合し、「大親友」と言える仲だったが、小学校卒業とともに疎遠になっていた。

そして久しぶりに会った彼女は高校受験で猛勉強をし、地元のトップ進学校の生徒になっていた。そのことに衝撃を受けた理子さんだが、ゆうかさんが高い目標を持っていることにも驚いた。

「彼女は東大志望だったんです。久々に再会して話したときに『理子も行けるよ』『一緒に東大行こう』って言われたんです。褒められたようでとてもうれしかったんですが、その半面、かつては成績も同じくらいの似た者同士だと思っていたから、私も負けてられないって悔しさも感じました。すでに後れをとっている焦りも感じました。あの日のことはよく覚えています」

学校の成績は「平均かそれより下だった」という理子さんはそれから猛勉強を始める。

■「あなた、バカでしょ」数学教師の言葉に負けず嫌いの性格を発動

ちなみに、東大進学という選択肢を最初に示したのは母・裕子さんだ。

「中学生くらいだったかと思います。大型の動物と接したいなら大きな牧場があるなど環境が整っている国公立大学の獣医学部がいいと母に言われました。家から通える国公立大なら、東大の農学部の獣医学科しかないね、って。そのときは冗談で話していたんですけどね」(理子さん)

ドラゴン桜「一発逆転」プロジェクト&東大カルペ・ディエム『ドラゴン桜「一発逆転」の育て方』(プレジデント社)
ドラゴン桜「一発逆転」プロジェクト&東大カルペ・ディエム『ドラゴン桜「一発逆転」の育て方』(プレジデント社)

理子さんにとって、「冗談」だった東大という選択肢が、ゆうかさんとの出会いで、一気に現実的なものになった。

理子さんの勝気な性格を表すエピソードがある。やはり高校2年生のときのことだ。数学の授業中、教師の話をたまたま聞いていなかったときに、質問をされて頓珍漢な答えをしたことがあった。

「あなた、バカでしょ」

ふだんはそんなことはないのに、あまりに的外れな受け答えに、教師は叱咤激励する気持ちで言ったのだろう。

だが、理子さんは「たまたま上の空だっただけなのに……」とイラっとした。その後の行動がいかにも勝気な彼女らしい。

「その授業の後、1カ月間は自宅でずっと数学の勉強だけをしていました。その後に学校で受けた模試で数学の点数はすごく伸びました」

まさに、してやったり。「見返してやる」という気持ちで頑張ったからこそ、地力をつけることに成功したのである。

また理子さんは、この数学に限らず、自分が解けない問題があったとき、教師などに気軽に相談するということはしない。教えを請うみたいで嫌なのだ。だから数学の問題でどうしてもわからない場合、同じ問題を3日間考え続けることがあった。

どうしてもわからないときは、その問題を無料で質問できるアプリを使って匿名で「この問題はどうやって解けばいいでしょうか」と聞いた。すると、1日後には、どのように正解を導き出すのかを誰かが教えてくれる。

質問者が自分だとバレないからいいのだ。

■「仲のよかった友達とクラスが離れてしまい」学校では孤立気味に

受験勉強は孤独な作業だ。理子さんの場合、コロナ禍の高校3年生のときは孤独感にさいなまれたという。

「通っていた高校は、推薦で大学に行く子も多くて、高3の秋には受験勉強から解放される人も少なくありません。高3のクラス替えで、それまで仲のよかった友達とクラスが離れてしまいました。でも『東大へ』の目標を掲げた私は、友達のいないクラスの中で、開き直って休み時間も勉強していました。すると、なんでそんなに必死なの? といった目で見られることもあり、温度差が広がっていきました。体育の時間など2人組になってくださいと言われるときはつらかったですね」

自分が学校内ではかなり珍しい東大志望者であることも、いつしか周囲の知るところとなった。教師からの「頑張れよ」のかけ声さえもプレッシャーに感じる日が続いた。高校3年生の秋以降は、学校に行きたくない気持ちから、受験勉強に集中するためと言って、家で勉強することもあった。裕子さんに心配をかけるのが嫌で、学校で友人関係がうまくいっていないことは伝えられなかったそうだ。

これで、東大志望者の仲間がいれば、ずいぶん気もまぎれただろう。だが、同志は駿台に一緒に通うゆうか、たった1人だけだ。2人で話す時間が唯一のリラックスする時間だった。

「ゆうかと会えるのは、予備校に通う週に1回です。行き帰りの電車の中でいっぱい話をして、“1週間分話す”という感じでした」

■共通テスト1日目の感触最悪。号泣して母親のセーターはぐしゃぐしゃ

「東大に受からないと後がない」

理子さんは入試が差し迫ってくると、そんな切羽詰まった気持ちだった。直前期の12月ごろからはおなかが痛くなることが増え、眠れない日が続いた。眠れない日はその不安を払拭すべく机に向かう。つらいときこそ勉強する。理子さんの根性を感じる行動だ。

そんななか大きな支えとなったのが、冒頭でも述べた、「子供の可能性を信じる」裕子さんの姿勢だ。

理子さんの勉強が不調のときは愚痴を聞く役割を担ったのも裕子さんだ。高校3年生の東大模試で、春は良かったのが、その後、秋になり落ちてしまったとき、理子さんはふさぎ込んでしまった。裕子さんは「東大だけが大学じゃないから」と少しでもプレッシャーを軽くするように声をかけた。

ついに迎えた本番の試験、1日目の感触が最悪だったと理子さんが泣いて帰宅して母親のセーターをぐしゃぐしゃに濡らした。

そのときも「あなたなら大丈夫、浪人して来年再チャレンジしてもいい」と安心させ、「だから、全部終わるまで力出しておいで」と励ました。それがなかったら、今回の合格はなかっただろう。そうした冷静な声かけは、裕子さんが理子さんに全幅の信頼を置いているからできたことだ。

■鉄棒で何度も練習する子の姿「この子は、なんて努力家なんだろう」

見事、娘が現役で合格した今、裕子さんは言う。

「娘はまじめで、どんな難しいこともやり通す努力家です。娘が小学校低学年の頃、学校の体育の授業で逆上がりをしたけれど、できなかった。そこで、『できるようになるまで、私やる』と自宅近くの公園の鉄棒で何度も何度も練習しました。それも、野球選手がバットの滑り止めに使う、ロージンバッグという白い粉を使って、体じゅう、真っ白になりながら、成功させました。そのとき、私は『この子は、なんて努力家なんだろう』って思いました」(裕子さん)

©Norifusa Mita/Cork

裕子さんは、理子さんを「信じるに値する子」と言う。東大受験本番でも、理子さんが落ちるというイメージはなかったと言い切る。

そう、理子さんの一発逆転は裕子さんだけは、予感していたかもしれない。

裕子さんは、受験勉強中、肉いっぱいのミートソースや、鰆の西京焼き、本格的なインドカレー、香港仕込みの絶品チャーシュー……理子さんの好きな料理を作って胃袋からも応援した。理子さんは、裕子さんというパワフルな存在があるからこそ、思い切って自分のやりたいことにチャレンジできるのだ。

“子供の可能性を信じる”

できそうで実行するのが難しいことを裕子さんはずっと前から実行している。

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ドラゴン桜「一発逆転」プロジェクト&東大カルペ・ディエム 本書は、『ドラゴン桜2』の編集を行うコルクと、同作品の編集に携わりながら教育格差への取り組みを行う東大の学生団体「カルペ・ディエム」の代表・西岡壱誠、編集者である岡崎拓実を中心に企画。「だれでも人生は逆転できる」という理念に共感した家庭教育誌『プレジデントファミリー』により制作された。恵まれた環境などがない中で東大に合格した学生を取材し、「一発逆転」合格の法則を研究する共同プロジェクトである。

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(ドラゴン桜「一発逆転」プロジェクト&東大カルペ・ディエム)

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