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「愛の不時着」リ・ジョンヒョクに日本人女性が心を奪われた本当の理由

プレジデントオンライン / 2021年7月27日 15時15分

2019年12月9日、ドラマ「愛の不時着」制作発表会 - 写真=スポーツコリア/アフロ

昨年、韓国ドラマ「愛の不時着」が大ヒットした。東京工業大学准教授の治部れんげさんは「絵に描いたような王道ラブストーリーに見えるが、実は古典的な性別役割分担を逆転させたドラマだ」と分析する――。

※本稿は、治部れんげ『ジェンダーで見るヒットドラマ』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■「王道ラブストーリー」だけど飽きずに見られる

「愛の不時着」の基本構図は現代版「ロミオとジュリエット」。北緯38度線をはさんで分断された北朝鮮と大韓民国に住む男女が恋に落ちる物語です。70年前に起きた朝鮮戦争の「休戦」は今も続いていて、両国は自由に行き来できない上、連絡も取り合えません。舞台を知るだけで悲劇のイメージが喚起されますし、主演のヒョンビンとソン・イェジンは美男美女のベテラン俳優で、泣かせる演技に長けています。

一方で「絵に描いたような王道ラブストーリー」は、ともすれば陳腐になりかねません。大ヒットした理由は、古典的なモチーフを飽きずに見せる、視聴者の喜怒哀楽を喚起する巧みな構成にあります。

ヒロインがパラグライダーの事故で北朝鮮に“不時着”して以降、正体を隠して過ごす冒険にハラハラし、悪役の少佐による主役カップルへの攻撃にドキドキし、ふたりの恋の行方にときめきを感じ、魅力的な脇役のコミカルな言動に笑うといった具合です。毎話90〜120分近く、映画1本分程度の長さがありますが、中だるみがありません。スリリングなシーンの後には安心が、ラブシーンの後には笑いが織り込まれ、緩急がついているためです。

■役作りのために「笑い」について研究していた

ところで、実際に見始めると、前情報のイメージと大きく違うことに気づきます。それは、ヒロインのユン・セリ(ソン・イェジン)がとても元気で面白い性格なことです。インタビュー記事で、ソン・イェジン自身が「セリは、ハツラツとした性格」とか「セリが面白い」と語り、役作りのために「笑い」について研究したとも話しています。

私は2020年春にひとりで何度も見た後、同年秋には小学生の娘と一緒に、再び全話を通して視聴しました。娘は「セリが美人!」「この人、綺麗!」とひとしきり盛り上がった後で「セリ、面白い!」と喜んでいました。単に美しいだけでなく、はっきりものを言うところが魅力的なキャラクターなのです。

この設定を踏まえると、「愛の不時着」についての記事のほとんどがセリを「財閥令嬢」と紹介していることに違和感を覚えます。その言葉には、生まれつき超富裕層のお嬢様という意味合いがありますが、自分の手で人生を切り開いてきたセリの強さや意志がまったく感じられないからです。

■「愛人の子」として生まれ、起業家になった

実は、セリは父親の愛人が産んだ子で、新生児の時にユン家に連れてこられました。正妻は、自身のふたりの息子とともに愛人の子であるセリを育てるという、苦行を強いられます。そして兄たちは自分より優秀なセリを目の敵にしています。このような家庭環境で苦しみながら育ったセリは、20代で実家を出ると独力でファッション企業を立ち上げ、父親や実家の力を借りずに上場までこぎつけるのです。

成功した強いビジネスウーマンのシルエット
写真=iStock.com/kieferpix
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kieferpix

つまり、セリは恵まれた「財閥令嬢」ではあるものの、大人になってから自力で「起業家女性」になった人物です。困難な環境にあって、自分の生きる道を自分で切り開き、選び取ってきたことは、彼女が創業した会社にSeri’s Choice(セリズ・チョイス:セリの選択)と名付けたことに表れています。

このように、ヒロインの成育歴や生き方を見てみると、セリを紹介する最初のひとことは「財閥令嬢」ではなく「上場企業経営者」とか「起業家女性」の方が的確でしょう。

■ヒーロー像に「有毒な男性性」がない

私が考える「愛の不時着」高評価の理由は、甘い恋愛ドラマの部分というより、固定的な性別役割分担の逆転と、有毒な男性性のないヒーロー像でした。それは、北朝鮮の特殊部隊大尉リ・ジョンヒョク(ヒョンビン)が、不時着してきたセリを匿い、麺料理を作りコーヒーを豆から炒って淹れてあげ、洋服やシャンプー、リンスなどを闇市場から調達する、といった具合に「無償ケア労働」をするところに表れています。

ジョンヒョクのケアを受け入れるセリが、北朝鮮で様々なものを美味しそうに食べるシーンも印象的でした。韓国では、前述の家族関係から、他人を信じられず、食事は3口程度しか食べなかったセリは摂食障害を患っていたように見えます。そんなセリが、北朝鮮では本当によく食べるのです。ジョンヒョクと2回目に会った際にセリが口にしたセリフは「ご飯、くれない?」でしたし、彼の家に上がり込んだ後は「私は1日2回、お肉を食べるの」と言って、北朝鮮では貴重な肉を焼かせるのでした。

■「ハマグリのガソリン焼き」が象徴する食卓を囲む喜び

数ある食事シーンの中でも特に印象的なのは、ジョンヒョクの家の庭で、彼の部下である中隊員4人とともに、セリが「ハマグリのガソリン焼き」を食べる場面です。ござの上に並べたハマグリにガソリンをかけて火をつけ、中身に火を通した後、熱い殻でやけどしないよう、軍手をつけて貝を持ち、殻をあけて中身をすすって食べ、殻に焼酎を入れて飲んでいました。

当初、セリは「貝はブイヤベースでしか食べたことがない」「お酒はソーヴィニヨンブランしか飲まない」と、この素朴な料理に抵抗感を示します。ところが、思いのほか美味しく、喜んで食べながら、中隊員たちとのおしゃべりに夢中になるのです。その様子を少し離れたところから見て、嬉しそうにしているジョンヒョクの優しいまなざしが心に残ります。

一緒に食卓を囲むこと、楽しく話しながら食べることの重要性は、この後も繰り返し描かれており、本作の主要テーマのひとつと言えます。

ハマグリの場面の直後に映し出されるのが、ソウルにあるユン家の食卓です。大理石とおぼしき白い石造りのダイニングルームで豪華な食卓を囲む、家長の父親、正妻、息子ふたりとその妻たちがいます。彼らは血縁や婚姻関係で結ばれ、法的にも社会的にも認められた正式な家族です。でも、豊かな暮らしをしているのにまったく幸せそうには見えません。後に父親が、相続や事業の後継に関わる話題がなければ、子どもたちが実家に食事にすら来ない、と嘆くシーンがあります。要するに彼らはお金だけでつながった関係なのです。

白い食器と空色の布が置かれたテーブル
写真=iStock.com/NataBene
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/NataBene

■「愛は血縁とは無関係である」というメッセージ

一方で、血縁がないどころか一緒にいることが違法になる、セリとジョンヒョク、そして北の中隊員たち。セリが彼らと素朴な食べ物を美味しく楽しそうに食べ、しりとりに興じている様子は実に楽しそうです。別のシーンでセリは、ご飯のおこげに砂糖をつけて食べるという超庶民的なおやつをつまみながら「(韓国では)“少食姫”っていうあだ名までついた私が、おこげにハマるなんて」とぼやきますが、その様子はとても幸せそうです。

家族は「愛」の共同体とされます。その「愛」とは一体何なのか。このドラマが伝えるメッセージは、「愛は血縁とは無関係である」ということです。また、愛とは法律婚によって生み出されるものでもない、ということを描きます。正式な婚姻関係にあるセリの両親が確執を抱えながら離婚はできず、食事の際も離れたところに座り、心が通わない状態にあるのに対し、ドラマの最後まで結婚はしないセリとジョンヒョクは、強い絆で結ばれています。そしてセリを守るため、命をかける北の中隊員たちも、家族同然の愛情で結ばれています。

■日常描写があるから「自己犠牲」にも説得力がある

また、ドラマに何度か登場するのは、自分が死ぬことより相手が死ぬことの方が耐え難い、という価値観です。セリが誘拐された時、ジョンヒョクは「彼女を守れなかったら、僕の人生は地獄になります」と話します。セリを守るためにソウルに来たことで、北へ帰った後、軍事裁判にかけられ死刑になる可能性があっても「まったく後悔していない」と言うのです。

このように相手の安全と健康、命を自分より優先するのは、男性だけではありません。ヒロインのセリもまた、ジョンヒョクが銃撃された際、自分の血液を彼に輸血するため病院に残り、やっとの思いで確保した出国の飛行機を逃します。また、ジョンヒョクが物陰から撃たれそうになると、自分も襲われる危険があるのに彼を守ろうとしたり、自らが盾となって銃弾を受けて彼を守ったりするのです。

自己犠牲こそが愛の本質である、というテーマは、古今東西、文学や映画が描き続けてきました。このドラマでは、ともすれば自己陶酔に見えてしまう「相手を自分より優先する」思考と行動を自然に見せています。説得力の理由は、丁寧な日常描写の積み上げにあると言えるでしょう。

人と人が知り合い、親しくなり、愛情を育むには時間がかかります。ともに過ごす日常生活の中で、徐々にお互いの人となりを知り、心を寄せていく過程において「食事」が非常に重要な役割を果たしています。ジェンダー規範に加えて、家族観も伝統的な血縁主義を脱しているところが新しいと言えます。

赤い糸でハートがつくられている絵
写真=iStock.com/Asya_mix
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Asya_mix

■「性別役割分担の逆転」をあからさまには見せない

先ほど、性別役割分担の逆転がこのドラマの大きな魅力と書きました。一方で、それをあからさまには見せない表現がうまい、とも思います。第1話から第6話までは「ヒーローがヒロインを助ける」シーンが繰り返し登場し、普通に見ていると伝統的なお姫様救出物語に見えるはずです。

各話のラストシーンをおさらいしましょう。まず、第1話は、北朝鮮に来てしまったセリが、秘密警察に見つかりそうになったところを、ジョンヒョクが「壁ドン」で隠して守るシーンで終わります。第2話は、秘密警察に見つかり銃をつきつけられるセリのもとに、ジョンヒョクが駆け付け「婚約者です」と嘘をついて助けます。第3話は船渡しで韓国に帰ろうとしたセリがパトロールに見つかりそうになったところを、ジョンヒョクがキスして恋人のふりをします。これらのシーンで、ジョンヒョクの意図がどうあれ、彼は「危機に陥った女性を守る王子様」に見えるわけです。

■「伝統的な男らしさと女らしさ」の良い部分を合わせ持つヒーロー

第4話では、市場で迷子になったセリが、子どもの頃、母に海辺に置き去りにされたことを思い出して不安を感じていると、アロマキャンドルを目印に掲げたジョンヒョクが探しに来てくれます。第5話では平壌のホテルで、かつてのお見合い相手と再会したセリが、彼と一緒にエレベーターに乗ろうとすると、ジョンヒョクが追いかけてきてボディガードのように守ろうとします。

治部れんげ『ジェンダーで見るヒットドラマ』(光文社新書)
治部れんげ『ジェンダーで見るヒットドラマ』(光文社新書)

第6話では、空港に向かうセリの車を秘密警察の一味が襲うと、ジョンヒョクがバイクで並走して守ろうとした後、セリの代わりに銃で撃たれます。このシーンを指して友人は「トム・クルーズよりかっこいい!」と評していました。私も同感ですし、アジアのコンテンツがハリウッドを超えた瞬間として歴史に刻まれると思っています。

ここまで、全話のラストシーンで、セリの危機をジョンヒョクが救う構図になっています。こうして、セリを徹底的に守ろうとするジョンヒョクの王子様的なふるまいが、視聴者に刷り込まれます。そのため、食事作り、身の回りの世話といったいわゆるフェミニンな行動を取っても、ジョンヒョクは相変わらず「王子様」に見えるのです。このように「伝統的な男らしさと女らしさ」の良い部分を合わせ持つのがリ・ジョンヒョクという人物像の魅力でしょう。

しかし、第7話以降はこの構図が逆転し、セリがジョンヒョクを助ける場面がたびたび出てきます。銃撃されたジョンヒョクに輸血をするために北朝鮮脱出の機会を諦めたり、ジョンヒョクの盾になって自分が撃たれたり。前半、ヒーローからヒロインに与えられた保護や自己犠牲が、後半、ヒロインからヒーローに「利子付きで返済」されていく構図です。

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治部 れんげ(じぶ・れんげ)
東京工業大学准教授
1974年生まれ。1997年、一橋大学法学部卒。日経BP社にて経済誌記者。2006~07年、ミシガン大学フルブライト客員研究員。2014年よりフリージャーナリスト。2018年、一橋大学経営学修士課程修了。メディア・経営・教育とジェンダーやダイバーシティについて執筆。現在、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。内閣府男女共同参画計画実行・監視専門調査会委員。東京大学大学院情報学環客員研究員。東京都男女平等参画審議会委員。豊島区男女共同参画推進会議会長。

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(東京工業大学准教授 治部 れんげ)

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