「"痛いのは嫌"だけでは決めないで」無痛分娩を望む妊婦に産婦人科医が話すこと
プレジデントオンライン / 2021年8月11日 9時15分
■「麻酔を使える」ことを条件にした病院選択
【髙崎】日本では無痛分娩の実施率が6.1%(2016年。日本産婦人科医会)と、アメリカ(分娩の7割)やフランス(経膣分娩の8割)に比べて普及していません。宋先生は東京駅前「丸の内の森レディースクリニック」の院長として産婦人科診療を行っていますが、日常的に接する妊婦さん方には、無痛分娩に関してどのような傾向が見られますか?
【宋美玄先生(以下、宋)】私のクリニックでは妊娠32週までの妊婦健診を行い、分娩は都内の提携病院や里帰り先でしていただく「セミオープンシステム」を取っています。その大半の方が麻酔分娩を希望され、感覚的には8〜9割はいる印象です。
当院は順天堂大学病院や愛育病院など、麻酔分娩で有名な施設とも提携しており、それらの施設を「麻酔分娩ができるところだから」と選ぶ方も多いです。
麻酔を併用して産みたい、と願う妊婦さんはまず、「無痛分娩ができるところ」をリストアップし、そこから候補を絞っていくやり方をされます。当院は東京の中心にあるので、分娩施設の選択肢が多いことも関係しているでしょう。産院が選べるほど多くない地域では、この点は事情が異なっていると思います。
妊婦さんの中には、最初から麻酔分娩を選ばない方もいます。その理由は「痛みが怖くない」「過去のお産で痛みを耐えられた」「費用面」などです。
私自身は、出産のさまざまな現場を知っているので、分娩施設はまず「医療体制の整った安全性の高い病院」を選び、そこで麻酔分娩ができるならする、との考えを持っています。
(※)編注:「無痛分娩は麻酔を使用した分娩であり、完全に痛みがないわけではい」という宋先生の認識を尊重し、先生のコメント内は「麻酔分娩」と表記しています。その他の部分については、一般的な呼び方として「無痛分娩」を採用しています。
■「痛みを取れるなら取りたい」気持ちはよくわかる
【髙崎】先生のおっしゃる「医療体制の整った安全性の高い病院」とは、具体的には、どのような施設なのでしょう?
【宋】あくまで私の個人的な条件で、地域によっては難しいところもある、との前提でお話しします。
まず、産科・麻酔科・新生児科の医師が24時間常駐していること。加えて、お産は出血多量で母体が危険な状態になる事態が起こりえるので、輸血用の血液バッグを備えていること。血液バッグの備蓄について患者側が知るのは難しいですが、心臓外科がある病院や、救命救急センターが設けられている3次救急病院などなら、備えがあるだろうと考えられます。
私は自分の子を2人とも、高齢出産で産んでいます。そのリスクを考え、「お産で死にたくない」との思いを最優先に、病院を選びました。1人目は麻酔分娩の可能な病院で、あまりの痛さからお産の途中で麻酔を希望したのですが、分娩の進行が早くて間に合いませんでした。2人目は麻酔分娩に対応していない病院だったので、結局、2人とも麻酔なしで産んでいます。
自分がお産で非常に痛い経験をしたので、「痛みを取れるなら取りたい」という妊婦さんの気持ちは、とてもよく分かります。初産の方に病院選びについて訊かれる際には「痛み自体には意味はない」と話し、その上で、麻酔分娩ができる病院は限られることと、麻酔分娩のメリットとデメリットについてお伝えするようにしています。
麻酔分娩の病院選びで大切な点は、24時間体制で麻酔に対応している施設と、麻酔科医の勤務時間が限られていて計画分娩をしなくてはならない施設は違う、ということです。「安産」の観点からこの違いを考えて、その上で妊婦さん本人が何を優先するかを決めてほしい、と話しています。
■「痛いのは嫌」”だけ”では決めてほしくない
【編集部】希望される妊婦さんは、どのようにして無痛分娩の存在を知るのでしょう?
【宋】今の日本では、妊娠したら麻酔分娩について耳にする機会は多くあります。お友達が麻酔を用いて出産して、よかったから自分も、と希望される方もいますね。
日本には「痛みに耐えないとお母さんになれない」という風潮もありますが、私のクリニックにくる方には、そういった風潮への問題意識はあまり感じません。痛いのは嫌だ、痛いのは怖い、との理由が大半です。
私は、麻酔分娩を希望する人がそれを選べるようになってほしいと願っています。同時に、「痛いのは嫌だ、無痛しかない」との思いだけでは決めてほしくない、とも考えています。妊婦さんには、麻酔分娩に伴うリスクをよく知ってから選んでもらいたいのです。
たとえばエビデンス上は、自然分娩でも麻酔分娩でも、帝王切開率は変わらないと言われています。ですが、産科麻酔(※)はとても奥の深いもの。担当する医師や施設の体制によって麻酔管理のクオリティは異なり、「この妊婦さんは麻酔をしなかったら、帝王切開にはならなかったのではないか」と考えられる例は、実際にあります。
帝王切開は母子の命を救う、大切な医療行為です。が、人生全体で他の手術を受ける可能性を考慮すると、お産はなるべくであれば、経膣でできた方が望ましい面があります。それは開腹手術の既往は少ない方が、リスクを低くできるからです。
※産科麻酔については、無痛分娩や帝王切開分娩など、お産に関わる麻酔の研究と母子の健康保持・向上を目指す医療者の団体「日本産科麻酔科学会」の公式サイトに詳しい。現在は麻酔科医である照井克生理事長(埼玉医科大学総合医療センター)の元、産科医・麻酔科医・助産師の952人の会員がいる。公式サイトでは無痛分娩と帝王切開の麻酔のそれぞれに、専門家の見地からQ&Aコーナーを設けている。
■妊娠出産はリスクがあって当たり前
【宋】また麻酔分娩で多く用いられる、硬膜外麻酔による分娩では、鉗子分娩・吸引分娩が増える傾向があります。現在、麻酔分娩で有名な病院でも、麻酔をかけたお産の3~4割ほどは鉗子分娩・吸引分娩になっています。一説によると、痛みを感じないようにすると、妊婦さんがうまくいきめなくなることがあり、赤ちゃんを産み出すのに鉗子・吸引の使用が必要になるためです。そうすると骨盤底筋が傷むリスクが上がり、なかには産後、便漏れになる経産婦さんもいます。
妊婦さんの人生全体を考えると、帝王切開も分娩時の鉗子・吸引の使用も、避けられるなら避けた方がいい。それらのリスクをなくし痛みだけ取り除くことは、今の日本の産科医療体制ではできません。それだけのクオリティの高い麻酔をかけられる麻酔科医が、産科の現場に、十分な人数でいないのです。
【髙崎】日本で無痛分娩が普及していないことを問題視する議論では、先生が今話されたようなリスクについては、あまり多く語られていないように感じます。
【宋】麻酔分娩に限らず、お産そのもののリスクが忘れられていっているのではと、危機感と感じる面もあります。
私がブログやSNSで情報発信を始めたのは、2004年の大野病院事件が発生した頃です。当時は「妊娠出産は安全」という風潮があり、「何かあったら医者のミス」とメディアで取り上げられていました。ですが、妊娠出産にはそもそもリスクがある。それを啓発したかったのです。
その後漫画『コウノドリ』の効果などもあり、妊娠出産はリスクがあって当たり前ということ、そのリスクに対して医師たちが過酷な状況で働いていることが、常識的に知られるようになってきました。
ですが最近また、特に麻酔分娩に関しては、「痛いのは嫌だ」という点が前面に出て、リスクがあまり語られないようになっています。「痛いのは嫌だ」との意見自体は、私も賛同するのですが……。
よく麻酔科の先生方が「麻酔は魔法ではない」と言いますが、麻酔分娩も、リスクなく痛みだけを取り除く方法ではありません。メディアが麻酔分娩に関する発信をする際も、メリットとデメリット、リスクを同時に取り上げてほしいです。
■周産期の安全で手厚いケアには、分娩施設の集約化が必要
【髙崎】産科医療の現場からご覧になって、日本で現在、無痛分娩が普及しない理由とは、なんでしょう。
【宋】数多くの産院が広く浅く全国にあって、施設ごとの医療体制が薄くなっていることと、私は考えています。施設数に対して麻酔科医が足りないので、産科医しかいない施設が多い。麻酔科医がいる施設でも、常駐しているのは日中だけで、夜は呼び出し対応になっているところもあります。
今の日本の産科医療は、患者さんにとっては各施設のバックアップ体制が薄く、医師にとっては施設の数だけ当直回数が多くなり、ハードな働き方が求められている状態です。経営者以外には、誰にも嬉しくないシステムになってしまっている。麻酔分娩を含め、安全で手厚いケアのためには今後、分娩施設の集約化が必須です。
ですが、そもそもなぜ日本ではこんなに分娩施設が多いのか?と考えると、集約化は簡単には進まないとも思います。
お産は自由診療で、価格設定がしやすいため、産婦人科の収益部門になっています。これは開業医の個人産院だけではなく、大規模な総合病院や大学病院でも同じです。長年家業として、アイデンティティとしてお産をやっている個人産院は、お産を手放したがらないでしょう。また集約化によって、収益が大病院にだけ集まり、一方で勤務医の待遇は改善されないとなると、産科で働く医師が減ってしまう可能性も考えられます。集約化に際しては、新しい収益構造とお金の流れを作らねばならないと、政治家の先生方にお話しています。
■「出産は高い」は変えられるのか
【髙崎】少子化対策として、妊娠出産医療を保険診療化する話も出ています。自治体の健診チケットや出産育児一時金の給付はありますが、地域によってはそれでも自己負担が重い、との声からです。無痛分娩は全額自己負担なので、費用面で選べない人もいます。この点を、先生はどのように考えられますか。
【宋】産婦人科には、保険診療の報酬点数が他の診療科に比べて低い、という課題があります。この状態のまま妊娠出産医療を保険診療化してしまうと、その低い診療報酬だけでは、産科は質を保てなくなる恐れがある。保険診療化のメリットとデメリットを鑑みて、それが出産に対する経済的支援の唯一の答えだとは、私は考えていません。
とはいえ、産む地域によって出産に高額の自己負担が発生する現状は、看過できません。誰もがその金額を負担できるわけではないからです。妊婦さんの負担を軽減し、産科医療も適正に維持される仕組みが必要です。
長時間にわたるお産を管理するには、専門職の人材で24時間体制のシフトを組む必要があり、どうしてもお金がかかります。それを可能にする経済の仕組みをどう作るか。この課題は産科医療の関係者だけではなく、政治や行政とともに動かねばならないと私は思います。
■無痛分娩を「ジェンダーの問題」に閉じ込めてはいけない
【髙崎】日本での無痛分娩の普及に関する議論を前に、先生が今、伝えたいことはありますか?
【宋】麻酔分娩に関して取材を受ける際、私は最初にひとつ、お願いをしています。「これから医学的・制度的なお話をしますので、そこからより具体的な議論ができる記事にしてください。”女性の痛みが軽視されている”という、ジェンダーの結論でまとめないでください」と。そのようにまとめてしまうと、具体的な議論がなかなか先に進まないからです。
もちろん、根本にはジェンダーの問題があります。これまで、女性の出産の痛みは「産む人が我慢すればタダで済むこと」と考えられてきました。家事育児のように、「女性が背負えばタダ」というシャドウワーク扱いをされてきた。それは問題だと認識を共有した上で、令和の時代では具体的に、本当に変えるための議論を進めたいのです。
産科に不足している麻酔科医を、どう育成するか? 医療の質と産科医のモチベーションを保ちつつ、集約化を進めるには、どうすればいいのか?
妊婦さん方には、このような背景を理解した上で、麻酔分娩のメリットとデメリットをしっかりと知ってほしい。そして自分がどのようなお産をしたいかを考えて、と伝えたいです。
さらに言うなら、自分が何をすれば日本のこの状況を変える一歩になるのかも、一人一人に是非、考えてほしいと思います。お産に関わる人、関わらない人、みんなで変えていきましょう。
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ライター
1974年東京生まれ。東京大学文学部卒業後、都内の出版社勤務を経て渡仏。書籍や新聞雑誌、ウェブなど幅広い日本語メディアで、フランスの文化・社会を題材に寄稿している。著書に『フランスはどう少子化を克服したか』(新潮新書)、『パリのごちそう』(主婦と生活社)などがある。
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(ライター 髙崎 順子)
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