「宮崎駿監督に手紙で直訴」映画館復活に1億円を投じた39歳焼き鳥屋の執念
プレジデントオンライン / 2021年7月30日 15時15分
■映画館のなかった“映画の街”
東京都青梅市――。かつて、その街は近隣でもとびきり栄えていたと聞く。繊維産業で非常に潤い、山深い奥多摩を背後に擁しながら、映画館が3館もある“映画の街”としても名を馳せた。
ここ20年程は街並みのあちこちに映画看板が立ち並び、“昭和レトロ”な雰囲気で町おこしを図ってきたものの、とっくの昔に肝心の映画館は消え失せていた。この東京西端に位置する街に、半世紀ぶりに映画館が復活した。
その名も「シネマネコ」。かつて養蚕が盛んだった青梅は、蚕をネズミの害から守ってくれるネコを大事にする、“ネコの街”でもあったことから命名された。
本来なら1カ月前のオープンを予定していたが、東京都に3度目の緊急事態宣言が発出されたことで延期となり、6月4日、文字通り“逆風”の中での船出となった。
水色に塗られた板張りの、小ぢんまりとした平屋建て。玄関の三角屋根が可愛らしいレトロな外観の建物は、「旧都立繊維試験場」として昭和10年に建てられたもの。平成28年に国の登録有形文化財に指定され、織物の街・青梅の歴史を今に残す、一つの象徴でもあった。
この歴史的な文化財が、リノベーションされて、東京都で唯一の木造建築の映画館となったのだ。
最新の映像設備と、館内の360度を取り囲む高性能の音響装置。全63席のシアタールームの客席に座ってふと天井を見上げると、そこには木造の梁が見える。まさに、85年前の建築と最新のシアターが融合する空間となっている。青紫色の重厚な椅子は、新潟県十日町市で閉館したミニシアター「十日町シネマパラダイス」で使用していたものを譲り受けたという。
“映画の街”という横糸と、「青梅夜具地」という織物産業で栄えた歴史という縦糸に、さまざまな人の想いが織り混ざり、新しい映画館は出来上がった。
■映画館の創立者は、地元の飲食店グループの経営者
映画館を作ろうと一念発起したのは、青梅市内に4店舗の飲食店「火の鳥」グループを経営する、菊池康弘さん(39歳)だ。
「構想は8~9年前、1号店の焼きとり屋を始めた頃からありました。お客さんから『青梅には昔、映画館があったのに、今はなくて寂しい』という話を聞いたときから、飲食というエンターテイメントだけでなく、映画というエンターテインメントを、地元の青梅につくりたいと思っていました」
菊池さんの人生は、20代から10年ごとに激変してきたと言っていい。20代は役者を志した。幼い頃から映画や演劇が好きで、卒業文集に将来の夢を「役者」と書いたものの、高校卒業後はやりたいことが何も見えず、飲食のバイトを漫然と行うフリーターだった。
「役者」への本格的なギアが入ったのは、20歳で結婚し、若い父となったことがきっかけだった。
「子どもや家族のために、夢に挑戦しないで人生を終えるのは嫌でした。子どもに、自分のやりたいことをやっている父親の姿を見せたかった」
単身、都内に転居し、故・蜷川幸雄氏に師事、俳優・上川隆也さんの付き人をやりながら役者を目指した。朝から夕方まで稽古、夜から朝方まで飲食のバイトを行い、家族の生活を支えた。
「1日2時間か3時間しか、寝てなかったですね。ドラマより舞台がメインでした。劇団を作って自主制作したこともあります……」
しかし、急に興味が失せた。「おまえ(の居場所)は、そこではない」と“天の声”が聞こえたのだ。
「蜷川さん演出の舞台を見ているとき、自分が表現者として舞台に立っているイメージができなくなりました。自分は、見ている側の人間だと。あんなにやりたくてやっていたのに、強烈に“違う”と思ったんです」
■飲食店にコロナ禍が直撃
29歳で役者をスパッと辞め、青梅に戻った。自分にできる仕事は飲食しかなかったものの、好きどころか、むしろ嫌いだと思っていた。そんなとき、福生で1年、雇われ店長でバーテンをやることになった。これが楽しかった。
「自分の好きな料理が出せて、それを喜んでくれるお客さんが増え、売り上げもいい。自分の思ったようにできる飲食店の経営が好きになりました」
2011年、青梅市河辺に、「炭火焼きとり 火の鳥」を開業、2店舗目も軌道に乗った2014年、株式会社チャスを設立。30代は飲食業に邁進、店舗を増やして行った。
順風満帆と思われた2019年12月、店から火事を起こし、年末の予約客300人を一気に失うとともに、店舗の解体費用含め大損害を被った。普通なら意気消沈して萎縮してしまうところだが、菊池さんは違った。
「会社的には本当に大変な状態でしたが、巻き返しをはかって、2020年1月と3月に新店舗を出したんです。ピンチのときほど、動かないといけない。行動し続けることで、好転するという思いがあって。でも、すぐにコロナですよ。12月にも新店舗を出したんです。そうしたら、2週間で緊急事態宣言。2020年はとんでもない年でした。でもそうした中で、映画館プロジェクトも進めていたわけです」
結局、2019年度の営業利益は、735万円の赤字。6月決算の同社にとって、最初の緊急事態宣言が響いたのだ。その後、コロナ禍は続き、さらに2020年度の営業利益は2000万円の赤字に拡大した。
「協力金と雇用調整助成金をなんとかフル活用して乗り切っている状況です。ただ、リストラは1人もしていません。むしろ、去年は新たに3店舗を新規出店したので、社員などは増えました」
■最も大切なことは「人に必要とされているか」
具体的に映画館づくりのプロジェクトが始動したのは、2018年の冬。タウンマネージャーの紹介で、現在の建物に出会ったのがきっかけだった。
「文化財を活用して映画館にするっていう発想が、面白いと思いました。この街は映画の街として栄えた歴史があって、その文化の上に50年ぶりに新たな映画館を復活させることにすごく意味がある。地域の映画館は、みんなが集まり交流できる場所として、地域に寄り添える空間。それをぜひ、地元でやりたいと思いました」
そして40代を目前に、映画館のオーナーという新たな扉を開けた。2018年はまだ新型コロナの影も形も見えない時期とはいえ、ミニシアターの閉館が相次ぎ、映画業界の景気が必ずしもいいとは言えない中、どのような採算のもと映画の世界に飛び込むことにしたのだろうか。
この問いに、菊池さんの答えは明快だった。
「僕はビジネスを始めるときに、あまり数字は気にしないし、収支計算は重要視していません。もちろん、計画書とかは作るんですけれど、それよりも大義があるか、そのサービスが必要とされているか、されていないのかということですね。こっちが売りたい物を売るのではなくて、届けてもらいたいものを、作って届けるという発想です。飲食店を始めたのも、近隣に焼きとり屋がないという声があり、ニーズがあるから打ち出したのです。本当に求められているもの、必要とされているもの、価値あるものにフォーカスを当てていくと、自分がやるべきことが見えてくる。それをビジネスとして成立させるためにどうするかとなって初めて、数字の問題が出てくるわけです」
■飲食店で学んだビジネスの要諦「お客さんに喜んでもらうこと」
青梅に映画館を作る。そこには動かしようがない大義と価値があった。菊池さんにとって、いくら儲かるか、収益をどれだけ上げるかということより、重要なことははっきりしていた。それは、誰かに幸せになってもらうこと。楽しんでもらえること。10年間、飲食店で客の前に立ち続け、確信したことだった。
「どうやって売れるかは数字上の問題ではなく、目の前にいるお客さん一人をどれだけ喜ばせてあげられるか、なんです。美味しい料理を出して、楽しい話をして満足いただければ、ゆくゆくはうちのファンに、ヘビーユーザーになってくれる。そういうお客さんを一人でも多く作っていくのが、成功するかどうかだと思う」
地域の人たちが交流できる場にしたいと、カフェも併設したシアターの建設費用は8500万円。デザイン料やWEB制作などを合わせると、約1億円の事業。地元商店街との連携も強く打ち出し、地域全体の活性化を見据えたプロジェクトだ。
「そのうち、経済産業省の商店街活性化の補助金で5100万、クラウドファンディングで540万、地元企業の協賛金が400万弱、残りを自己資金で賄いました。補助金が下りるまでのつなぎ融資がすんなり決まったのは、飲食店での実績が大きかったですね」
■この場所を好きになってもらいたい
菊池さん自身、映画館が利益を出して行くことの厳しさ、ミニシアター経営の難しさは、もちろん自覚している。だからこそ、最も大きなテーマは、この場所を好きになってもらうことだ。
「ここに来ると、なんか心地いいよねという空間にしたかった。居心地のいい空間で映画を観て、終わってからカフェで会話を楽しんだり、本を読んだりもできる。サードプレイス的な場所作りが、この地域に多分、一番合っていると思うんです」
家庭(ファーストプレイス)や学校・職場(セカンドプレイス)以外のサードプレイスがあるからこそ、人は豊かに生きられる。菊池さんは地域の映画館という“街のシンボル”を作ることで、地元の人々にとってのサードプレイスを実現しようと試みているのだ。
「地域の映画館は、こんな時代だからこそ、必要なんじゃないかなと思うんです。大型商業施設のシネコンには、人の交流はないじゃないですか。ここは、『人が集える場所』にしたいんです。かつて映画館が3つもあったこの街に、50年ぶりに映画館が復活するというのが、すごく意味があると思っているんです。ここにきて、映画が好きな人たちが、映画の話をしたり、地域の話をしたりという、地域に寄り添える空間、憩いの場所になったらいいなと。本来、映画館って、そういう場所だったんじゃないかという思いがあり、それを地元でやりたいなという思いがありました」
■宮崎駿監督に送った手紙……気持ちが届いた片想い
オープンに当たり、“ファンレター”を書いた。相手はスタジオ・ジブリの宮崎駿監督だ。映画館で「風の谷のナウシカ」を観て、心から感動した。そのとき、子どもの頃から大好きだったジブリ作品は、ほとんどがテレビでしか観ていなかったことに改めて気がついた。
ジブリ作品は、ロードショウでの上映が終わったあと、ミニシアターなどでなかなか上映されない。劇場で観ることができないと、テレビやDVDを通じて観賞するしか方法がない。だが、映画館で観るジブリ映画は、格別の味わいがある。
「ダメモトで、“子どもたちにテレビでしか観ていないジブリ作品を、映画館で見せたい。新しくできる映画館の柿落としに、使わせて欲しい”と、手書きで手紙を書いたんです」
うれしいサプライズが起きた。2週間後にジブリの広報部から返事の手紙が来たのだ。もちろん心を込めて書いた手紙ではあったが、本当に宮崎駿氏が読んでくれるかは、自信がなかった。だから、連絡が来たときに、最初に持った感情は、まさか! だった。
「片想いって普通、気持ちが届かないものじゃないですか。それなのに思いが届いたので、すごく嬉しかった。驚きでした」
こうして、シネマネコの柿落としはネコ繋がりで、ジブリの「猫の恩返し」となった。だが、天はとことん「シネマネコ」の前途に試練を与えたいようだ。初日の天気予報は嵐。それでも、お客を迎える菊池さんは穏やかな笑顔を称え、劇場を後にする一人ひとりに小さな花束を渡していた。コロナ禍の閉塞した状況だからこそ、映画館には意義がある確固とした思いがある。紆余曲折を経て、それがようやく実現できたという喜びの前には、嵐など小さな問題でしかなかったのかもしれない。
■「必ず、道は開ける」笑顔の奥の揺るぎない確信
「数字はあまり気にしない」と語った菊池さんではあるが、もちろん採算ラインを見据えての目標値は設定している。収容率は、25%から30%が目標。そのためには1日に平均して80人、ひと月に約2000人の来場者が必要だ。
全63席のシアターで、1日に3~4作の映画を入れ替え制で上映するシステムで、1日平均80人は、決して実現不可能なミッションではない。
「コロナは必ず落ち着きます。その後は、お客さんの求めるものにいかに価値をつけて、サービスを提供できるか。その視点さえずれなければ、ビジネスはあまり難しいのもではないんじゃないかなと思います」
オープン前に、いくつかのメディアが、コロナ禍という逆風の中での船出となった「シネマネコ」を取り上げた。だが、取材を受ける菊池さんの口からは、不運を嘆くような言葉や、恨み言は一つも出ない。その表情は、泰然自若としたものに見える。
「テレビでもパソコンでもなく、木の匂いや独特の空気などを感じながら映画館の大きなスクリーンで、映画に没頭する特別な時間を過ごしてもらう。観た後もゆっくり過ごしたいと思えるよう、余韻的なものも大事にしたいですね」
柔らかな笑顔には、人々に喜んでもらえるサービスを提供できれば、必ず道は開ける、という揺るぎなき確信が宿っていた。
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ノンフィクション作家
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』、『子宮頸がんワクチン、副反応と闘う少女とその母たち』(いずれも集英社)などがある。
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(ノンフィクション作家 黒川 祥子)
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