「NHK受信料値下げ法案が廃案に」総務省幹部"高額接待事件"の大きすぎるツケ
プレジデントオンライン / 2021年7月23日 11時15分
参院予算委員会に臨む武田良太総務相(右端)と、(左から)総務省の谷脇康彦前総務審議官、吉田真人総務審議官、秋本芳徳前情報流通行政局長、湯本博信前官房審議官=2021年3月11日、国会内 - 写真=時事通信フォト
■「総務省接待事件」とは何だったのか
まず、あらためて「総務省接待事件」を振り返ってみる。
2月初め、『週刊文春』の報道で、菅義偉首相の長男・菅正剛氏が勤める放送事業会社「東北新社」が、放送事業の許認可権を握る総務省の幹部4人に対し、繰り返し高額接待をしていたことが発覚。その後、総務省の調査で、放送行政を担当する中軸メンバーが軒並み、国家公務員倫理規程に違反する接待を受けていたことが判明した。
総務省は2月24日、次期事務次官の最有力候補と目されていた谷脇康彦総務審議官(次官級、1984年旧郵政省入省)、吉田真人総務審議官(次官級、1985年同)、大臣官房付に更迭されていた秋本芳徳前情報流通行政局長(1988年同)と湯本博信前官房審議官(情報流通行政局担当、局次長級、1990年同)をはじめ9人を減給や戒告の懲戒処分、2人を総務省内規に基づく訓告などの処分にした。
また、情報流通行政局長や総務審議官を歴任した山田真貴子内閣広報官(1984年同)も菅首相から厳重注意を受け、ほどなく辞職した。
■次々露見した「接待漬け」と「官民癒着」
だが、これだけでは終わらなかった。3月になると、総務省の監督下にあるNTTグループから、谷脇康彦氏や巻口英司国際戦略局長(1986年同)ら通信行政を担当する幹部が過剰な接待を受けていた事実が次々に明るみに出て、谷脇氏は辞職した。
さらに、武田良太、高市早苗、野田聖子の歴代総務大臣ら総務省の政務三役とNTTトップとの会食も明らかになった。
一方、立憲民主党の追及で、「東北新社」が外国資本の出資比率を20%以下とする放送法に違反していたことを総務省が見逃していた問題が露見、「東北新社」の衛星放送の免許取り消しという前例のない事態に発展した。
野党各党は、「放送・通信行政がゆがめられた疑惑は重大」として武田良太総務相の不信任案を国会に提出するに至った。
そして総務省は6月4日、接待が政策に与える影響を検証していた第三者委員会に「行政がゆがめられたとの指摘は免れない」と断罪され、前官房審議官(情報流通行政局担当)の奈良俊哉内閣審議官(1986年同)ら9人を減給や戒告の懲戒処分、23人を訓告や厳重注意とする処分を行った。
まさに、総務省は上から下まで接待漬けが常態化し、結果として政策がゆがめられていたわけで、ベタベタの「官民癒着」との批判は免れず、近年では例がないほどの大量処分となった。
■一掃された「放送行政の中枢ライン」
「総務省接待事件」の発覚から5カ月。新人事の発令にあたって、武田総務相は「情報流通行政局の放送担当、総合通信基盤局のNTT担当は一新する」と断言した。
![総務省](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/5/e/250/img_5ec7cd5a8cac8218bf68ea1da4643e1b2875540.jpg)
結局、放送行政を長く主導してきた吉田真人前総務審議官、秋本芳徳前情報流通行政局長、奈良俊哉前官房審議官の3氏は、辞職した。
「東北新社」による高額接待の主舞台となった衛星・地域放送課は、2代前の課長の玉田康人官房総務課長(1990年同)が、外郭団体の海外通信・放送・郵便事業支援機構の常務理事に、前課長で高額接待のうえプロ野球チケットも受け取っていた井幡晃三放送政策課長(1993年同)は、国立研究開発法人情報通信研究機構の総務部副部長に出向となった。
現職の吉田恭子衛星・地域放送課長(1994年同)も、消費者庁の消費者政策課長へ転出。同課の企画官を務めていて訓告処分を受けた三島由佳情報通信作品振興課長(1995年同)は、政治資金適正化委員会の参事官になった。
また、減給処分を受けた放送政策課長経験者の豊嶋基暢情報通信政策課長(1991年同)は出先機関の北海道総合通信局長に就いた。
本省に残った者は少なく、最初に名前が挙がった湯本博信氏がサイバーセキュリティ・情報審議官に、「東北新社」の外資規制違反問題に絡んで国会で「記憶がない」を連発した鈴木信也電波部長(1989年同)は官房総括審議官(広報、政策企画担当)に異動した。
NTTの高額接待を受けた巻口英司氏は、局長級のサイバーセキュリティ統括官に事実上の降格となった。
「総務省接待事件」に絡んで処分を受けたメンバーは軒並み更迭され、放送行政の中枢ラインは「み~んな、いなくなった」(放送業界誌編集長)のである。
■人材払底の旧郵政人脈
総務省は、旧自治省、旧郵政省、旧総務庁の3省庁が統合して生まれた官庁のため、いまだにあらゆる面で縦割りの構図が色濃く残る。事務次官こそ1人だが次官級の総務審議官が3人おり、4ポストを3省庁で分け合う形が定まってきていた。
ところが、今回の「接待事件」で、旧郵政官僚は主要幹部の辞職や懲戒処分による昇任差し止めが相次ぎ、総務省のトップをうかがう人材の払底が顕著になった。
これを見て、旧自治官僚の黒田武一郎事務次官(1982年旧自治省入省)のもと、旧自治官僚ラインが旧来の枠組みを打破してウイングを広げようと画策したが、旧郵政ラインが必死に抵抗。
結局、従来通り、旧郵政官僚が郵政・通信担当と国際担当の総務審議官2ポストを死守することで落ち着いたという。
![企業構造、委任、会社階層](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/5/2/670/img_52abd9a9ebd34565b2bd003d2dba039d852166.jpg)
■瓦解した高市前総務相の「ドリームチーム」
とはいえ、年功序列の霞が関にあって、これだけ一挙に同世代のキャリア官僚がいなくなっては、人材の枯渇は否めない。
旧郵政官僚のトップである郵政・通信担当の総務審議官には、竹内芳明総合通信基盤局長(1985年旧郵政省入省)が技官で初めて就任。もう一つの国際担当には、局長経験のない佐々木祐二郵政行政部長(1987年同)が2階級どころか3階級特進で就くという異例の人事となった。
放送行政を担う情報流通行政局は、2月にトップ2人が更迭されて後任に就いたばかりの吉田博史局長(1987年同、内閣広報官を辞職した山田真貴子氏の夫)と藤野克官房審議官(1990年同)のもと、課長ポストは1人を除いて総入れ替えとなった。
2020年夏の人事で、放送改革に意欲を燃やした高市早苗前総務相が旧郵政官僚の主力メンバーを集め、「ドリームチーム」とも呼ばれた布陣は1年ももたずに瓦解してしまったのである。
課長級以上の官僚は懲戒処分を受けると、1年から1年半は昇任できなくなるだけに、「立て直しまでには数年かかることを覚悟しなければならない」と旧郵政官僚がこぼす惨状だ。
■NHKの受信料値下げが頓挫しかねない
だが、そんな悠長なことは言っていられない。放送行政の課題は、山積している。
菅政権が目玉政策に掲げたNHKの受信料値下げは、菅首相が通常国会冒頭の施政方針演説で「月額で1割を超える思い切った受信料の引き下げにつなげる」と明言したにもかかわらず、値下げに向けた新たな制度導入を盛り込んだ放送法改正案は審議入りもできず事実上の廃案となった。
自民党総裁選や衆院選で政権が変わるようなことがあれば、値下げそのものが頓挫しかねない。
そうなれば、懸案となっているNHKの業務・受信料・ガバナンスの三位一体の改革も、停滞を余儀なくされそうだ。
![NHK](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/2/670/img_82c538d86684dea8e2012f43baef1db11206252.jpg)
そこに、「東北新社」やフジ・メディア・ホールディングス(HD)の外資規制違反問題が持ち上がり、放送法に外資規制の見直しをどのように盛り込むかも喫緊のテーマとなった。
一方、衛星放送に関わる有識者会議の報告書は2月にもまとまるはずだったのに、宙ぶらりんのまま。2018年12月に始まった超高精細放送のBS4K8K放送は、番組が少なく、受信機も増えず、ほとんど普及していない。新規参入に名乗りを上げる事業者も見当たらず、放送帯域はガラガラだ。いまだに存在さえ知らない人も少なくないだけに、早急な対策が求められているのだが……。
ケーブルテレビも、ネット利用の高速・大容量のニーズに応えるためには伝送路の光回線化が必須で、早急に推進しなければならない。
ほかにも、民間ローカル局の経営基盤強化、地上放送の4K8K移行、AMラジオのFM化、放送コンテンツの海外展開、災害時における放送ネットワークの強靭化など取り組むべきテーマは、山ほどある。
■放送行政の停滞は許されない理由
だが、何より重要なのは、この数年のうちに放送を取り巻く環境が様変わりしている状況に、行政としてどのように対処していくかという問題だろう。
先ごろNHK放送文化研究所が発表した「国民生活時間調査2020」で、若年層を中心に「テレビ離れ」が急速に進んでいる実態が明らかになったことは、すでにリポートした通りである。10~20代の半数はテレビを見なくなり、ネットの利用が日常の風景と化している。テレビは、もはや「国民的メディア」ではなく「シニアのメディア」になりつつあるといえる。
動画投稿サイトのユーチューブやネットフリックスをはじめとする定額動画配信サービスの台頭はめざましく、ネットとつながったテレビ画面は放送だけのものではなくなってしまった。
さらに、スマートフォンの高速通信規格4G・5Gの浸透で、時間や場所の制約を受けることなく、映像コンテンツを見られるようになった。受動的にテレビを見てきた視聴者が能動的にコンテンツを選ぶようになり、視聴行動も変わりつつある。
■ネットとの共存のあり方を示す重要な時期だ
放送界にとって、ネットとの共存のあり方は、今や最重要課題といっていい。
NHKは、2020東京オリンピック・パラリンピックに狙いを定めて2020年春にスタートした常時同時配信サービスを、どのように展開していくのか。CM収入との絡みでネット配信を躊躇してきた民放各局が、本腰を入れるのかどうか。まだまだ、いずれもおっかなびっくりの感は否めず、今後の進展も見通せない。
ただ、はっきり言えるのは、放送を従来の延長線上で捉えていては、急速に変わる視聴者のニーズに応えられそうにないということだろう。
ネット社会が深化する中、メディア全体を俯瞰する視点に立って放送をとらえ、中長期のビジョンを組み立てることが求められる。
かつて取り沙汰された「放送と通信の融合」にとどまらず、正面からネットと取り組まねばならないタイミングに来ている。
■災い転じて福と為せるか
総務省始まって以来の不祥事は、総務省にも放送界にも大きな禍根を残した。
ただ、大きな曲がり角に立っている放送というメディアを根底から見つめ直すきっかけになるなら、悲観ばかりしていることもない。
これを奇貨として、官民癒着の疑念をもたれないよう襟を正し、透明性のある放送行政を国民目線で進めてもらいたい。
「ネット時代の放送政策」の新たな構築に向けて、災い転じて福と為せるかどうかが試されている。
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メディア激動研究所 代表
1955年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。中日新聞社に入社し、東京新聞(中日新聞社東京本社)で、政治部、経済部、編集委員を通じ、主に政治、メディア、情報通信を担当。2005年愛知万博で万博協会情報通信部門総編集長。現在、一般社団法人メディア激動研究所代表。日本大学法学部新聞学科で政治行動論、日本大学大学院新聞学研究科でウェブジャーナリズム論の講師。著書に『「ニュース」は生き残るか』(早稲田大学メディア文化研究所編、共著)など。
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(メディア激動研究所 代表 水野 泰志)
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