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専門家に頼らずに、あなた自身と大切な人の心を癒す「共感力」の正しい使い方

プレジデントオンライン / 2021年7月24日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ThitareeSarmkasat

傷ついた心を癒すためには、どうすればいいのか。韓国で投薬に頼らない心理療法に取り組む精神科医のチョン・ヘシンさんは「心を治療する最大の武器は共感力だ。ただし、それは『ひたすら話を聞いて肯定する』というものではない」という――。

※本稿は、チョン・ヘシン『あなたは正しい』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。

■共感力があれば人間関係に悩まずラクになる

私はいろんな肩書で呼ばれるが、その中でも最も気に入っているのは「治癒者」という呼び名である。おもはゆい気もするが、実際そう呼ぶしかないだろう。「治癒者」としての私がそなえる最大の武器は、「共感」である。

共感には、とても大きな力がある。石のようにびくともしなかった人の心を、動かすことができるのだ。人命にかかわる差し迫った状況にも有効だ。心を治癒する方法としては、共感がすべてとさえ私は思っている。傷ついた心を持つたくさんの人たちとの間に培った経験から、私が得た結論である。

共感こそがすべて。これは、「人は必ず死ぬ」という命題と同じくらいに真実である。私は、それほど共感というものに強い信頼を寄せている。

共感に対する誤解と偏見は、数えきれない。時間をかければ、共感の効果を実感できるかもしれないが、毎日忙しくて時間に余裕のない現代人にとって、共感のような一対一のアナログな意思疎通なんてまどろっこしい。それよりもっと効果的な手段があるのではないだろうか。そんなふうに焦れてしまう人もいるかもしれない。

結論をいうと、人の心を動かす力、傷ついた心を治癒する力のうち、最も強くて効率がいいのが「共感」なのである。共感は、何十年にもわたって巨額の費用を投入し、最先端医学、薬学、脳科学、生理学、遺伝学、生物学などの粋を集めて開発された、いかなる抗うつ剤よりも優れた特効薬である。しかも、実際の薬物とちがって副作用がない。圧倒的な効果があるのに副作用がないのだから、薬物と比較することすら馬鹿げている。

たとえるなら、抗うつ剤などの薬物は、喉の激しい渇きのために苦しんでいる人がいる町の入り口で、散水車から水を散布するイメージだ。一方で、共感は、同じ状況で喉が渇いた人に近づき、木の葉が浮いたコップ一杯の水を直接渡すイメージとでもいえばいいだろうか。

共感力を身につければ、生きることが楽になる。人間関係における無駄なエネルギーの消耗を大幅に防ぐことができるからだ。

■「ひたすら話を聞いて肯定する」は大間違い

共感に対する誤解のひとつに、誰かが話している時は途中でそれをさえぎらず、ひたすら頷きながら肯定してあげること、というのがある。

見当ちがいもはなはだしい。そんなものは共感ではなく、ただの感情労働にすぎない。話を聞く側も、くたびれてしまう。耐え忍んだ結果、堪忍袋の緒が切れて爆発するか、爆発しなかったとしても苛立ちがおさまらず、二度とその人と会う気が起きなくなってしまうだろう。聞いてもらった側だって、一方的に自分の感情をぶちまけた印象だけが残り、あとで気まずい思いをするのが関の山だ。いずれにせよ、ともに不愉快な記憶だけが残ることになる。

私がもっと共感してあげられたら、よかったのだろうか。私がその人の境遇や苦しみに正しく共感してあげることができなかったから、不満を募らせたのだろうか。そんなふうにあとで後悔しないように我慢をしても、すぐに限界がくる。人間は、どんな感情労働にも表情ひとつ変えないAIとはちがう。相手のために耐え続けた挙げ句、自分が先に倒れてしまっては意味がない。具体的な事例をひとつみてみよう。

ある職場に、Aという男性がいた。彼には、自分の話をすることを極端に嫌う二〇年来の友人がいる。その友人は、幼い時から苦労のし通しだった。きょうだいとの折り合いも悪く、今でも顔を合わせるのを互いに避けるほどだという。Aはその事実を知っていたが、友人はどんなに胃腸の調子を悪くしても、円形脱毛症になっても、ひとりで悩んでいるばかりで、誰にもそのことを言わなかった。

悩み
写真=iStock.com/Pornpimon Rodchua
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Pornpimon Rodchua

頼れるものは酒だけという気の毒な友人を見かねたAは、自分は下戸であるにもかかわらず彼を飲みに誘ったり、週末に映画に誘ったりした。けれども、Aがどんなに意を尽くしても友人は胸の内を明かそうとしない。そんな彼をAは恨めしいとさえ思ったが、その都度じっと我慢した。

■人に共感することで自分の問題に気づく

そしてその日もAが酒の席で友人の悩みを聞き出そうとしたが、いつもとちがったのは、友人が突如として癇癪を起こしたことだ。彼は「酒を飲んだくらいで解決する悩みだったら、とっくに話しているさ!」と声を荒らげた。それを聞いたAはカッとなり、席を蹴って家に帰ってしまった。自ら境遇を変えようとせず、耐えるしか能のない友人を情けなく思い、また、人の誠意を無下にすることにも腹が立った。

この話を聞いた私は、Aに対し、「あなたのお友だちに対する誠実な思いが伝わってきます」と言った。すると、彼は「こうしている間にも、彼が死んでしまうのではないかと思うと、居ても立ってもいられなくて、つい、しつこくしたり、強い言葉を投げたりしてしまったのです」と言って、涙ぐんだ。

私のちょっとした言葉にAが胸を詰まらせて、心の内をさらけ出したのは、べつに私が魔法をかけたためではない。私はただ、Aの話にじっと耳を傾け、それから彼の気持ちを推し量る言葉を、私が思った通りに口にしただけだ。しかし、それによって彼が私に心を開いたことはまちがいない。そしてAは、続けて自分自身のことを打ち明け始めた。

Aもまた、かつて、とても苦しい生活を強いられていたという。自分の実家と妻の実家の両方の面倒を見なければならない立場にあり、それが自分の宿命なのだと考えていた。だが、重すぎる負担に耐え切れず、とうとう数年前のある日、家族の誰にも行き先を告げず姿をくらました。誰も足を踏み入れないような僻地で二カ月間過ごした後、家に戻ったが、もう以前の彼と同じではなかった。

「今までと同じ生き方はしない」と心に決めると、以後、自分が負担に思うことは誰からの頼みであってもきっぱりと断り、気ままな生活を送っている。そのほうが、自分はもちろんのこと、周りの人たちにとってもずっとましな生き方だと思ったからだ。あの二カ月がなければ、今ごろ自分は死んでいたにちがいない。それが、彼自身の経験したことだ。

彼は、平静を装いながら自分をガチガチに押さえ込んでいる友人を見ると、彼が死んでしまうのではないかと不安を口にした。友人に、数年前の自分の姿を重ね合わせて考えてしまうのだ。彼にもしものことがあったら、それが予測できたのに助けられなかった、という罪悪感で苦しむだろうとも語った。Aが話し始めた友人についての話は、いつしか彼自身の過去の話へと変わっていった。梅雨時の雨で水かさを増した谷川のように、彼の話は尽きることがなかった。

彼は、友人の話をしながら、その苦しみに共感しようと努力するうちに、自分自身と向き合うことになったのだ。彼は、かつての苦しかった自分に共感して涙を流し、気持ちが軽くなったようだった。

それ以降、彼はその友人と会っても焦燥感にかられることはなく、腹が立つことも少なくなったという。友人には彼なりに生きるペースがあるのだろう、と受け入れることができるようになった。友人は自分の真心をわかってくれているはずなので、心の整理がついたらいつか打ち明けてくれるだろうと鷹揚(おうよう)に構えることができるようになった。友人に同情する気持ちと、かつての自分を不憫に思う気持ちとの区別がつかず、混乱をきたしていたかつての自分はもういない。

■自分を最優先にすることが大事

共感とは、相手に共感する過程で自分の深い感情も一緒に刺激されるものである。相手に共感しているうちに、いつの間にか過去の自分の傷とも向き合うのだ。こういう場合、相手に共感するよりも先に、自分の傷のほうへ集中すべきである。自分の心の声に優しく耳を傾けてあげるべきである。

チョン・ヘシン『あなたは正しい』(飛鳥新社)
チョン・ヘシン『あなたは正しい』(飛鳥新社)

常に自分を見失ってはいけない。いかなる時でも、自分が最優先である。逆にそれが、他者への共感においても成功の鍵になる。共感することは、救急診察室の当直医のように、義務的に行うべきものではない。心の傷を手当てするのに、そうすべき理由はひとつもない。義務になってしまったら、自分が先に倒れてしまうだろう。

誰かに共感することよりもさらに難しいのが、「私」に集中し自分に共感することである。大概はここでつまずき、倒れ、正しく共感できなくなり、他者への共感もうまくいかなくなる。相手に集中しようとするあまり、自分の感情を抑え込み、自分を見つめることをせず、感情労働に苦しめられ、結局は何もかもうまくいかなくなるのである。

共感は、自分を犠牲にして誰かを支えることではない。そのような方法では相手を最後までそばで支えることなど不可能である。やがてふたりとも、底なしの沼に沈み込んでしまうだろう。共感は、自分を大切にできて、初めてなんの抑圧もなしに実現するものなのだ。誰かに共感するというのは、初めは自分の心まで重く複雑になっていたものが、やがてはふたりとも身も心も軽くなり、自由になることである。

誰かに共感しているうちに、自分の傷が予想外にさらけ出されて痛い時もあるが、それは同時に自分自身も共感してもらい、傷を治癒する絶好の機会だ。それは、共感する人がもらえる、特別なプレゼントになるだろう。

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チョン・ヘシン(ちょん・へしん)
精神科医
30年以上にわたり1万2000人の心の声を聴き続ける。近年は政治家や企業のCEOなど社会的成功を収めた人々の胸の内をわかち合う活動に従事する一方で、韓国社会の片隅で起きているトラウマの現場で被害者たちとともに過ごす。個別の事情に目を向けず、画一的な投薬治療ですまされがちな現代のうつ治療のあり方に疑問を投げかけ、専門医に頼らず対話と共感の力で自分や身近な人の心の癒すことができる心理療法の普及を目指し活動している。

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(精神科医 チョン・ヘシン)

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