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「気持ち悪い」と嫌われたガリガリ君が年間4億本超の国民的キャラに変われたワケ

プレジデントオンライン / 2021年7月26日 15時15分

(左)アイスストッカー(アイスショーケース)の上に置かれていたスプーン入れ(右)赤城しぐれ - 筆者撮影

氷菓メーカーの赤城乳業(埼玉県深谷市)の主力商品「ガリガリ君」が、今年発売40周年を迎えた。今では年間4億本超を売るヒット商品だが、一時は「歯茎が気持ち悪い」とキャラクターが敬遠されたこともあった。なぜ「国民的キャラ」に変われたのか。アイス評論家のシズリーナ荒井さんが解説する――。

■ユニークな発想から生まれた「赤城しぐれ」

1961年に設立された赤城乳業は、氷菓子事業では今年で60周年の老舗だ。31年に創業された広瀬屋商店を前身として、「赤城乳業」と商号を変更したのちに株式会社となった。

ここで面白いのは、社名に「乳業」と入っているが、チーズやバターなどの乳製品は製造していないことだ。商号変更した当時、すでに業界大手では「雪印乳業(現:雪印メグミルク)」「森永乳業」「明治乳業(現:明治)」など業界を席巻している社名には必ず「乳業」が入っていた。“既存の乳業メーカーに追いつくぞ!”という決意の表れを感じ取れる。

東京オリンピックの年(64年)に誕生した「赤城しぐれ」は赤城乳業の柱となるロングセラー商品となった。駄菓子屋を中心に人気を集め、発売した年には4000万個を売る大ヒット商品となり、これを柱にして、赤城乳業の事業は徐々に拡大していくことになる。消費者に愛された要因は、庶民の味であるかき氷をカップに詰め、場所を選ばずにどこにでもかき氷を持ち運べて食べられる点だ。当時としては画期的な商品だった。このユニークな発想や着眼点こそ赤城乳業の真骨頂ではないか。

ちなみに、「赤城しぐれ」のふたの部分に書かれていたアルファベット「ABC」にも、実は赤城乳業の熱いメッセージが盛り込まれていたことを知っているだろうか? 赤城乳業の広報担当者によると、A:Akagi(赤城)B:Better(ベター)C:Cream(クリーム)の略だそうだ。最後のCについては「乳業」への想いが込められているのではないかと私は思う。

赤城しぐれ蓋
筆者撮影
この「ABC」の意味を初めて知った時に思わず、声をあげてしまった。 - 筆者撮影

■「赤城しぐれ」なくして「ガリガリ君」なし

64年の発売から順調に売れ続けていた「赤城しぐれ」は、オイルショックで状況が一変し、赤城乳業の氷菓子事業史上初となる危機を迎えてしまう。

73年の第1次オイルショックでは原油価格だけでなく物価が高騰し、世界経済は大混乱に陥った。日本への影響も大きく、赤城乳業は運送費や材料費の高騰に耐えきれず、第2次オイルショックのさなか「赤城しぐれ」の価格を30円から50円の値上げに踏み切った。そんな中、予想に反して体力のある大手アイスクリームメーカーは価格を維持する方向に打って出たため「赤城しぐれ」は衰退し、たちまち売れ行きが激減。つまり、競合他社に先駆けて値上げをしたことが悪影響を及ぼしてしまったことは言うまでもない。

また、この時代のアイスの大半は駄菓子屋やスーパーなどの小売店で売られていた。そこでは大手アイスクリームメーカーの「雪印」「明治」「森永」「ロッテ」などのステッカーが貼られたアイスストッカー(アイスショーケース)が無償で貸し出されていた。窮地に立たされた赤城乳業は自社でアイスストッカーを準備する余裕がなかったため、この危機的な状況を打開すべく社運を賭けた新商品開発へ着手することになった。

新商品開発のテーマは、「子供が遊びながら食べられるアイス」。当時の子供たちは、社交場である駄菓子屋の店先や公園でメンコやベーゴマ、ゴム跳びなどをする時代だった。子供の社会に“溶け込む”(アイスだけに)商品開発をテーマに、片手で遊びながら食べられるアイスを構想した。

■ガリガリ君は3種類のフレーバーから始まった

かき氷をアイスの棒に固める以外にも、新たなフレーバーを生み出す必要があった。当時の主力商品だった「赤城しぐれ」を超える大ヒット商品を生み出すためだ。「赤城しぐれ」の“いちご味”を模倣するのは目新しさに欠けてしまい、話題性を作りづらい。子供たちが好む味を徹底的に調べ上げ、たどり着いた答えが当時の子供たちに人気の高かった「炭酸飲料」だ。そこから「ソーダ」と「コーラ」味が候補に挙がった。そして、人気が高かったグレープフルーツジュース味も加え、この3つのフレーバーを開発することとなる。

ガリガリ君
筆者撮影
「ガリガリ君」の商品パッケージには3種類のデザインがある。 - 筆者撮影

ちなみに、今でこそ「ソーダ」と言えば、誰もが「青」を思い浮かべるが、当時のソーダの色のイメージといえば「無色透明」。実際に透明のソーダ味のアイスキャンディーを作っても白っぽいアイスキャンディーとなってしまい、完成品だけを見ても何味かイメージが湧かなかった。そこで、赤城乳業は“子供たちが外で元気よく遊ぶ姿”から空や海をイメージしてソーダ味を「青」にした。

■子供がワクワクする要素満載

“ガリガリ”っとした食感がポイントのアイスキャンディーに、子供がワクワクするような楽しい名前をつけるために、「君」をつけて「ガリガリ君」とした。商品名に「君」をつけたことで、急に人間っぽさが出てきたため、絵の得意な社員がガキ大将をイメージしたキャラクターを描いた。こうして81年、「うまい」「やすい」「でかい」しかも当たり付き! といった、子供がワクワクする要素を盛り込んだ新商品が誕生したのである。気になるところは、後に人気低迷の引き金となってしまう誇張し過ぎたガキ大将(中学3年生)のキャラクターイメージだが……。

ガリガリ君
筆者撮影
ガリガリ君ソーダのかき氷部分 - 筆者撮影

50年頃までは、水にサッカリンなどの甘味料を混ぜたものを金型へ流し込み、割り箸を突っ込んで冷やし固めて作るカッチカチのアイスキャンディーが全盛期だった。そこから約30年後に、ガリガリ君はアイスキャンディー界の常識を覆した。金型にアイスキャンディーの原料を流し込み、シェル(膜)を作ってからその中へガリガリっとした食感の味付きの氷を流し入れるアイデアを社内で提案し、独自路線の商品開発を成功させたのである。

ガリガリ君
筆者撮影
ガリガリ君ソーダは2層構造で初めて食べたときのインパクトは大きかった - 筆者撮影

■史上初となる新食感アイスキャンディーが誕生し話題に

外側がアイスキャンディーで、内側がガリッとした歯ごたえという食感のリズムが心地よい二重構造。断面を見てもらうとわかるが、かき氷をアイスキャンディーで包んでいる。見た目はごく普通のアイスキャンディーなのに、食べると新食感なのだ。

ガリガリ君
筆者撮影
ガリガリ君の断面図(左)ソーダ(右)40周年記念フレーバーうめ - 筆者撮影

みなさんはガリガリ君を何気なく口にしていると思うが、今までカッチカチのアイスキャンディーになじみが深い世代からすると、外側と内側の食感が違うアイスキャンディーは斬新だった。初めて食べたときのインパクトは誰の記憶にも残ったに違いない。

私もその一人だ。1歳1カ月で初めて食べた「ガリガリ君」のソーダ味の、ガリガリッとした食感は今でも覚えている。ちなみに、ガリガリ君ソーダ味の青色は赤城乳業ではガリガリブルーと呼ぶソーダ(そうだ)。

ガリガリ君を食べる
編集部撮影
プレジデント社でガリガリ君ソーダを食べるシズリーナ荒井 - 編集部撮影

■コンビニ専属の販売部隊を結成

アイスキャンディー界が震撼(しんかん)する話題の商品が登場したにもかかわらず、消費者の手元には届かなかった。なぜなら、赤城乳業との取引のある既存の店舗では、新商品を置いてもらえるスペースを確保できず、苦戦を強いられることとなったからだ。魅力的な商品ができても、取り扱ってくれる店舗がみつからなければ消費者の手元には届かない。そこで新たな販路開拓として目をつけたのが、「コンビニエンスストア(以下、コンビニ)」だ。

70年代に登場したコンビニは、スーパー各社が新業態として本格的に事業に乗り出し大戦国時代となった。

そこに目をつけたのが赤城乳業だ。コンビニ専属の販売部隊を結成し、コンビニ各社の限定フレーバーのガリガリ君を提案し発売するなど、コンビニ展開を着実なものにするため進めていく。ここですごいのは、新しい販路としてコンビニを選定したことだ。日本フランチャイズチェーン協会によると、1983年度に6308店だったコンビニは、1999年には3万7562店にまで伸びており、80~90年代のコンビニは勃興期へ突入していたことがわかる。赤城乳業の読み通りコンビニの成長とともにその勢いにガリガリ君も乗っかった。

85年には、定番フレーバーに「ガリガリ君 いちご」を投入し、「ガリガリ君」の売り上げが低迷する秋冬にはソフトタイプのアイス「ソフト君」シリーズを投入。相変わらずなイラストセンスではあるが、「ソフト君」は「ガリガリ君」の弟キャラという設定だと聞いている。

商品作りや販売戦略の組み立てはとても参考になるが、当時のキャラクターの設定やイラストセンスだけは……。

■値上げにもかかわらず年間販売本数は伸長

90年には消費税導入の影響でアイスクリームメーカー各社が一斉に値上げをするも、赤城乳業だけは「赤城しぐれ」の値上げでブランドイメージを下げてしまった苦い経験を生かし値上げをせずに踏ん張り続けた。新商品「はちみつレモン」(90年)を投入しなんとか持ちこたえたが、翌年の91年に値上げに踏み切る。しかし、新聞広告で値上げを謝罪するという異例の試みが消費者の胸に刺さったのか、値上げしたにもかかわらず年間販売本数は伸長。93年には、「ヨーグルト味」「レモンスカッシュ」を発売し、翌94年には年間販売本数6600万本を記録する大ヒット商品へと成長した。

「赤城しぐれ」で苦戦したアイスメーカーとは思えない大躍進。しかし、95年以降は類似商品がコンビニのアイスストッカーの中に溢(あふ)れ出し、90年後半はそれまでの成長が鈍化していく。そこで、赤城乳業は99年にこの先に必要なものを探るべく、全国3万人規模の消費者調査を実施。そこで、衝撃的な事実を突きつけられる。

■消費者調査で明らかになった気づき

「ガリガリ君」というあのメインキャラクターのイラストイメージが恥ずかしい……。

消費者調査でメインキャラクターのイラストに対して若い女性たちのツッコミが入った。

・「歯茎が気持ち悪い」
・「汗が泥臭い」
・「田舎臭い」
・「恥ずかしくてレジへ持っていけない」

などなど。あのイラストからニオイまで感じ取れる女性のイマジネーション力に拍手を送りたい。おまけに「絶対に買わない!」という意見まで飛び出し辛辣(しんらつ)な酷評が相次いだのだ。

思い出してほしい。あのイラストは赤城乳業の社員が当時のガキ大将(中学3年生)をイメージして書き上げたデザインだ。その社員が出世して重役になっていたら、こんなことは口が裂けても本人へ伝えられない。しかし、今回は消費者調査で明らかになった結果を報告するということであれば、話が違う。しっかりと消費者の意見を取り入れ改善へと道が開かれるきっかけになるに違いない。しかし、ここですごいのがアイス自体の“評価”は“氷菓”だけに高かった……(自分もダジャレは抜けないタイプ)。

ガリガリ君
筆者撮影
  - 筆者撮影

■ガリガリ君は2000年に「永遠の小学生」へ

そこで、2000年に赤城乳業は「ガリガリ君」のフルリニューアルを決行し、別次元のキャラクターに生まれ変わる。設定もそれまでは中学3年生のガキ大将だったが、永遠の小学生と設定が更新され、21世紀にふさわしいかわいらしいイラストイメージに仕上がった。このキャラクターに合わせて、テレビCMで音楽グループのポカスカジャンが歌う強烈な「ガリガリ君」の名前を連呼するCMソングを初めて流し続けた結果、年間販売本数1億本の大台を突破! CMソングが人気となりCD化(03年)まで果たした!

ここからガリガリ君の大逆襲が始まる! 02年には今でも人気の「梨」を筆頭に、「温州みかん」「ピーチ」「さくらんぼ」「ウインターホワイト」と怒涛の新フレーバーラッシュを繰り出した。さらに、05年には「ガリガリ君」のキャラクターを生かしたマーケティングの強化に着手した。『コロコロイチバン!』(小学館)で連載を持ち、ビデオゲーム「新・ボクらの太陽 ~逆襲のサバタ~」(コナミ)で企画コラボや「携帯ストラップ」・「入浴剤」(バンダイ)といったグッズの企画制作から販売まで幅広く展開している。

まさに、ガリガリ“君”ではなく、ガリガリ“様”と呼ぶべき売れっ子タレントのような位置付けになっている。まるで日本テレビの長寿番組「笑点」に登場する座布団運びの山田くんみたいだ。表では山田“くん”だが、裏では山田“様”……。ガリガリ君としてバラエティー番組に登場する日は遠くないのではないか。

■コンポタージュ味が大ヒット、3日間で販売休止

そして、06年には「ガリガリ部」なるファンクラブを発足。立ち上げ数カ月で5万人の部員を集めると、部員の要望に応えて作った「マンゴー」が大ヒットとなる。さらには、ガリガリ君の販売本数が落ち込んでしまう秋冬には、対策としてガリガリ君の妹「ガリ子ちゃん」を作り、冬でもおいしく食べられる商品を投入。しかし、味よりもネット上では「ガリ子ちゃんが萌え系なのか」という論争が立ち上がるほど話題に。

次に、大人向けにガリガリ君リッチシリーズ「ミルクミルク」を投入した結果、翌年の07年には年間販売本数2億本を突破! その後も、さまざまなコラボを展開するなどして話題を席巻。09年には「箱根小涌園ユネッサン」で「ガリガリ君温泉」までオープンすると、この年に販売本数2億4500万本を達成し、異例のスピードで日本一のアイスに登りつめた。10年にはワールドカップとコラボし、この年に稼働した新工場を公開し工場見学を開始すると、予約が取りづらい工場見学として話題となり、今まで以上に大規模なマーケティングを展開して、年間販売本数3億本を突破した!

12年にはあの伝説の味「ガリガリ君リッチ コーンポタージュ」が発売され、あまりの売れ行きになんと販売開始後わずか3日間で販売休止となり、たった2年で販売本数3億本から4億本へと成長する。

■ナポリタン味はこだわりすぎて失敗

しかし、開発ストーリーを担当者から聞くと涙ぐましい努力があった。きっかけは、バラエティー番組で真夏にあったかいコーンポタージュを飲む企画を目にして、「コレだ!」と思いついたそうだ。「暑い日に温かいコーンポタージュを飲んでもおいしいから、アイスにしてもおいしいのでは?」と思い、社内の人間には内緒で夜な夜な試作品を作っていた。周りの社員には気づかれないように「コーンポタージュ」とは別にプレゼン用のダミーアイスを作っていて、社内ではダミーの試作品をプレゼンする方向で周知していたが、プレゼン当日に「コーンポタージュ」の試作品も出したら意外と社内の評価は好評だったので商品化されたそうだ。

この勢いに身を預けるように、13年には「ガリガリ君リッチ クレアおばさんのクリームシチュー味」もヒットさせた。しかし、14年に発売した「ガリガリ君リッチ ナポリタン味」では雲行きが怪しくなり、あまりの個性的な味に「ふざけるな」「いい加減にしろ」という問い合わせが殺到した。青臭い香りからトマトゼリーまで甘いアイスを食べる頭で食べてしまうと、裏切られた感があったかもしれない。こちらも開発秘話を聞くと、13年には空前のナポリタンブームが発生しており、本物よりもリアルなアイスを目指してしまったとのこと。この作品で3億円の赤字を出してしまい、世間では赤城乳業ならぬ赤字乳業と冗談で呼ばれてしまうこととなった。

■25年ぶりに10円の値上げを断行

そして、16年4月1日にガリガリ君は原材料の高騰などを理由に「60円」から「70円」へと25年ぶりの値上げを決行する。なんと今回は、ガリガリ君の生みの親である井上秀樹会長自ら陣頭に立ち、本社工場前で役員と社員が頭を下げてわびるという異例のCMを放映する。

このCMはさまざまなメディアに取り上げられ、あのニューヨークタイムズの1面を飾るまで影響を与えた。もちろん赤城乳業のユーモアな話題作りという面もあるが、このCMを放映したのは、やはり過去の苦しい経験があったからこそ、消費者のみなさんに対して誠実でありたいという気持ちの表れたったのではないかと私は思う。「赤城しぐれ」の値上げで経営危機に陥ったことは、後にも先にも忘れられない出来事だったのだろう。

値上げの恐ろしさが骨身にこたえているからこその謝罪広告。しかし、値上げした4月1日のエイプリルフールに謝罪動画を流すのは個人的にいかがなものかという感情は抑えておく。

■「食べたい味」の1位は…

値上げをした年の売り上げは、前年よりも伸びているから驚きだ。こうして値上げを無事に乗り切ったガリガリ君は、同じく16年に「メロンパン味」、17年に「温泉まんじゅう味」、19年に「たまご焼き味」のガリガリ君リッチシリーズを展開し相変わらずのやりたい放題で遊びのある会社は新しい。これからもガリガリ君らしさ全開で楽しませてくれるに違いない。

ガリガリ君
筆者撮影
  - 筆者撮影

そして、今年は「ガリガリ君」誕生40周年。誕生から40年を迎えた「ガリガリ君」は記念イベントとしてみんなが「食べたい味」を募集。その結果、5万票近くの応募の中で1367票集めた「うめ」味を製品化。ちなみに、2位マスカット761票 3位ソーダ487票……。今までに「うめ味」が出ていなかったことにビックリした。

ガリガリ君
筆者撮影
当たり棒は勿体無くてついつい保管してしまうシズリーナ荒井 - 筆者撮影

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シズリーナ荒井(しずりーな・あらい)
アイス評論家
東京藝術大学出身。年間4000種類以上のアイスクリームを食べ歩く。アイス料理研究家・企業コラボニストとして「雪見カレーヌードル」「エッセル冷やし中華」など、意外な掛け合わせレシピを考案し話題に。テレビ番組やウェブメディアなどに多数出演。インスタグラム

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(アイス評論家 シズリーナ荒井)

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