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「ドロボーは親元に帰れ!」20年来の友人を罵倒し始めた90代男性の"悲しい勘違い"

プレジデントオンライン / 2021年7月23日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/caracterdesign

高齢者の介護支援は「認知症」との戦いになる。ケアマネジャーの岸山真理子さんは「認知症患者のなかには、料理や買い物など自分のことはできるのに妄想によって自立した生活ができなくなる人がいる。私の担当した男性も20年来の友人らを急に罵倒するようになった」という――。(第1回/全2回)

※本稿は、岸山真理子『ケアマネジャーはらはら日記』(三五館シンシャ)の一部を再編集したものです。

■デイサービスに失禁状態で来る90歳の女性

センターの始業時刻は朝8時30分だが、私はその40分前に出勤して、トイレを掃除し、事務所に掃除機をかけ、花の水を取り替え、職員4人の机を拭く。深呼吸をして精神統一を図り、パソコンを立ち上げ、本日の予定を確認。

40分前出勤でないと、精神状態が落ち着かないので仕方ない。時間の余裕が自分を救ってくれるのだ。8時30分、職員が揃い、ミーティング開始。各人が関わっている相談者への支援の進捗状況を報告し合う。それぞれの1日のスケジュールを伝え合った後、仕事開始となる。

この日は、9時15分に事務所を出て、居宅介護支援事業所のケアマネとともに、90歳の認知症の女性の家を訪問する。ケアマネの後方支援である。90歳の女性は娘と2人暮らしだった。

ケアマネによると、彼女はデイサービスに失禁状態でやってくるので、デイサービスで着替えと洗濯をしているという。ケアマネは真夏の1カ月間だけでも、老母を老人保健施設に入所させて、脱水症状や熱中症、栄養失調から守りたいと言った。

ただ、娘が反対しているという。今日は娘を説得するための訪問である。

「母を施設に入れたら、捨てられたと思っちゃいますよ。年金も少ないからお金だって払えないし……」

娘は臆病そうなタイプの人だった。玄関の外、立ちっ放しでの話し合いになった。認知症の老母は土間で猫と遊んでいた。担当ケアマネが必死に娘を説得した。私は合間に提案を投げかけた。娘はのらりくらりと断った。

■80代男性から「助けてくれ」という電話が…

ケアマネが、2泊3日のショートステイとデイサービスを組み合わせた計画書を作成し、1週間後の同じ時刻に訪問する約束を取りつけた。11時、事務所に戻り、新規の電話相談を受ける。両親を遠方から引き取って間もない娘からだった。

父は「要介護2」でデイケアを利用し、母は「要支援2」で体操教室に通っていたが、こちらでも使えるかと尋ねられる。すぐ使えると答え、明日の午前中、手続きの書類を携えて娘の家を訪問することを約束した。

12時から昼休みで、机の上に弁当を広げて食べ始めるが、再び電話が鳴る。ケアマネは訪問で不在が多いから、サービス事業所の人は昼休みを狙ってかけてくる。私の地声は相当な大きさらしい。電話の声は地響きとなって、事務所全体に響きわたる。

転がった受話器
写真=iStock.com/kudou
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kudou

職員のひとりが「もう少しトーンを落として」と私に向かって、人差し指を口元に当てたポーズを取る。いったんは「気をつけます」と謝るものの、次の電話のときにはもう忘れている。弁当箱を片付けると、また電話が鳴った。市役所の介護保険課からだった。

「ただちに家庭訪問をしてほしい」という緊急性の高い依頼である。団地に住む、87歳の河野聡さんから「助けてくれ」という電話が市役所にあったという。私が駆けつけると、娘と思われる50代の女性がドアを開けた。

だが、ぼうっと立っているだけで何も答えない。「失礼します」とだけ断って部屋に入ると、痩せ細った河野さんが和室に倒れていた。私は彼を抱きかかえ、起こそうとした。身体は鉄板のように硬く重く動かない。

■助けを求めた先は119番でも110番でもなかった

救急車を呼んだ。救急隊員が到着し、河野さんを担架で運び出す作業中、娘はひどく脅えて頭を畳にこすりつけていた。病院までついてきてほしいと救急隊員に頼まれた。

「一緒に病院に行きましょう」私は娘のかたわらに座って声をかけたが、顔を上げてはくれなかった。

病院に同行し、待合室で河野さんの処置が終わるのを待つ。消化管出血だった。河野さんは精神疾患を患う娘と長年2人で暮らし、引きこもっていたという。河野さんには自立した息子もいたが、自分たち2人のことは自力でなんとかしようと決めていたようだ。医者にもかかっていなかった。

苦痛が限界を超えたとき、助けを求めた先は119番でも110番でもなく、市役所だった。私は障害者福祉課に娘の支援をつなぐことにした。事務所に戻ったころには、もう日が傾き始めていた。

17時、本日の全記録をパソコンに入力し始める。ひたすら打ち込む。電話が鳴る。対応する。再び、打ち込む。電話が鳴る。終業時刻の17時30分になってもまったく終わりが見えない。今日も残業だ。

■「泥棒と呼ばれ、近所から変な目で見られてます」

その日、私は県営住宅にひとりで暮らす90歳の丸山勇吉さんを訪ねた。

市の介護保険課から、たびたび被害妄想めいた電話を寄越すので、様子を見に行ってほしいと依頼されたのだった。勇吉さんは20年前に妻を亡くし、2人の息子たちは独立したという。

調理師を引退したあとはシルバー人材センターに登録し、社員食堂にも長く勤めた働き者だ。背が高く、猫背で首が少し傾いているが、かくしゃくとしている。

「なんで千鶴をほったらかしにしている。俺の留守に部屋に上がり込んで、唐揚げを揚げたり、飯を炊いたりして、しゃあしゃあと食っていきやがる。駐在所や市役所に電話したが、みんな怠けて、千鶴をとっつかまえようとしない」

だんだん鼻息が荒くなり、目は据わっていた。

「申し訳ありませんが、私は千鶴さんを知らないんです」

そう答えるのがやっとだった。

その数日後、今度は県営住宅に住む高齢の女性から、飯田千鶴さんの相談にのってほしいと頼まれた。勇吉さんが言っている女性だとピンときた。千鶴さんはその女性に伴われて、事務所に来た。ふっくらした頬をした愛らしい感じの人だ。

「勇吉さんに泥棒と呼ばれ、近所の人たちから変な目で見られています」

つぶらな瞳から涙がこぼれ落ちた。

■「上の階の住人が電波を送ってきて一睡もできない」

千鶴さんは43歳。20歳年上の男性と県営住宅で暮らしている。その内縁の夫の友人が勇吉さんだった。家族ぐるみのつきあいになり、元調理師の勇吉さんは天ぷらやエビフライなどを作っては千鶴さんたちをもてなした。

しかし、その後しばらく交流が途絶えていたのが、勇吉さんは道で千鶴さんとばったり会ったとたん、「俺の留守に上がり込んで勝手にメシを食いやがって」と怒鳴り散らすようになったという。

暗闇で手で顔を覆う女性
写真=iStock.com/Hartmut Kosig
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hartmut Kosig

90歳をすぎて勇吉さんの認知機能は問題をきたしたのだろう。私は妄想に苛(さいな)まれる高齢者を何人か知っていた。

70代半ばでひとり暮らしの女性から、「上の階に住む人が一晩中、電波を送ってくるので一睡もできない」と相談されたときは、精神科に一緒に行った。「妄想性障害」と診断を受けた。医師は「部屋を変わっても妄想は消えません」と説明した。

薬を処方され、毎月、通院しているが、妄想の苦しみは今も消えない。千鶴さんを担当する市の障害者福祉課の保健師に電話をかけたが、こまかな対応はしてくれず、結局もっとも身近にいる私が、勇吉さんを見守り、千鶴さんを慰め、励ますことになった。

■行動力があって元気すぎるから余計に厄介

地域包括支援センターの仕事は実際のところ「なんでも屋」でもある。どこからどこまで何をやればよいかという厳密な決まりはなく、こうしたケースの扱いなどはケアマネの裁量によるところが大きい。

脳神経外科クリニックで診断を受けた勇吉さんは、MRI検査で前頭葉の萎縮が認められ、「認知症」の診断を受けた。私は介護保険の申請の手続きを代行し、勇吉さんは「要介護2」の認定を受けた。

施設入所も考えられたが、しばらく様子を見ることになった。妄想さえなかったら、勇吉さんは自立した高齢者だ。買い物に行き、掃除、洗濯をして、毎日、調理をする。力もあり、体調も安定している。

生活はちゃんとできているのに、なぜか妄想だけはふくらむ。千鶴さんへの攻撃は日増しにエスカレートしていった。毎日、千鶴さんの部屋の前まで行き、扉を叩き、「ドロボーは親元に帰れ!」と大声を発するようになった。

行動力があって、元気すぎる。どんどん動けてしまうから、余計に厄介だった。数週間後、千鶴さんから電話がきた。

「さっき勇吉さんが家に来たので、うちの人が殴りました。勇吉さん、倒れちゃいました。そのあとうちの人、『おまえも出て行け』って私を蹴るんです」

泣きじゃくる千鶴さんの声に男の罵声が重なった。私は障害者福祉課に電話をかけ、応援を頼んだ。17時をすぎていて、退庁時刻なので今日は行けないという返事だった。駐在所の警察官の携帯にもかけたが、「今日は非番で」という申し訳なさそうな声が返ってきた。

仕方ない。放っておけないと思った。私は夕暮れの県営住宅に向かって自転車を走らせた。

■希望は最後までの在宅の暮らしだったが…

千鶴さん宅に着くと、すでに勇吉さんの姿はなかった。インターホンを押すと、小柄で痩身の初老の男が現れた。彼の背後から千鶴さんが現れ、「岸山さん、うちの人が私を許してくれましたので、もう大丈夫です」と頭を下げた。

岸山真理子『ケアマネジャーはらはら日記』(三五館シンシャ)
岸山真理子『ケアマネジャーはらはら日記』(三五館シンシャ)

涙でテカテカになった頬が光っていた。その3カ月後、勇吉さんは行方不明になって路上でうずくまっているところを通りがかりの人に発見された。認知症がかなり進行しているのは明らかだった。勇吉さんの長男は老人保健施設に入所させることを決めた。

勇吉さんは最初、拒否していたが、なだめられて、やがて受け入れた。勇吉さんの希望は最後まで在宅の暮らしだった。妄想さえなければ、それは十分可能だったのだ。しかし、周囲の人や千鶴さんのことを考えると、施設入所の選択しかなかった。

利用者の問題を前にして、ケアマネにはいくつもの“解決策”が浮かぶことがある。そのうちのどの方法をとればいいのか、それは利用者のためか、その家族のためなのか……正解のない選択肢をいつも探しまわっている。

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岸山 真理子(きしやま・まりこ)
ケアマネジャー
1953年生まれ。静岡県出身。大学卒業後、30代まで単純労働の現場を渡り歩く。38歳での出産を機に正規職員の仕事を求め、介護職員に。その後、47歳でケアマネジャーになり、以来21年にわたって介護現場の最前線で奮闘する。毎朝のストレッチを欠かさず、真剣に「88歳現役」を見据える。

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(ケアマネジャー 岸山 真理子)

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