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「これは一発アウトの仕事」イチエフの瓦礫運搬チームが"普通の現場"という呼び名を拒むワケ

プレジデントオンライン / 2021年7月30日 9時15分

クレーンを使って、がれき除去作業が進む東京電力福島第1原子力発電所4号機原子炉建屋。左端は格納容器のふた=2012年10月12日、福島県[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

鹿島建設の福山哲也さんは「東電福島高線量廃棄物運搬工事事務所」の所長だ。このチームでは福島第一原発(イチエフ)の汚染瓦礫を運んでいる。福山さんは「東京電力からは『低線量』と言われたが、それは違う。ここにある瓦礫は高いか、めちゃくちゃ高いか、の二通りです」という。ノンフィクション作家・稲泉連さんの著書『廃炉 「敗北の現場」で働く誇り』(新潮社)より、一部を抜粋して紹介する――。

■「世の中にこんな仕事をやった人はいない」

福島第一原子力発電所の廃炉作業の現場では、第二章で描いた原子炉建屋の4号機に続いて、2019年4月から3号機でも使用済燃料プールからの燃料取り出し作業が始まった。作業の手順は4号機の時と同じだが、異なるのは今度はそれが遠隔操作で行なわれたことだった(3号機での取り出し作業は2021年2月に完了した)。

この遠隔操作による難しい作業の背後には、様々な土木・建築技術が活用されたオペレーティング・フロアの瓦礫撤去やカバー工事の他に、もう一つ鹿島建設の別グループによる欠かせない仕事があった。それがイチエフの夜に瓦礫を運搬する「東電福島高線量廃棄物運搬工事事務所」の働きだ。

同事務所の所長である福山哲也に、私が話を聞いたのは2018年5月のことだった。彼がイチエフの現場に異動したのは2013年4月、それまでは工事管理や通称「東京土木」と呼ばれる東京都内の現場を渡り歩き、洪水調節施設や高速道路のジャンクションの現場工事にかかわってきた。原子力関連の仕事をした経験はなく、福島第一原発への異動は寝耳に水の出来事だったという。

ある日、上司に呼ばれてイチエフへの赴任の内示を受けた際、彼は思わず「そんなのやったことがないし、分からないですよ」と弱音を吐いたと振り返る。

「でも、上司には『世の中にこんな仕事をやったことのある人はどこにもいないから』と言われましてね。その言葉を聞き、半ば開き直ったような気持ちでこの現場にきたんです」

■「俺たちの仕事は日の目を見ない仕事」

イチエフ内での高線量瓦礫の運搬は当時、そのシステムが作り上げられて間もない状態だった。彼は前任者の仕事を引き継いだものの、実際にどう瓦礫を運搬するかは手探りの状態が未だ続いていた。そんななか、着任早々に数百ミリSv/hの瓦礫が出て「頭が真っ白になる」ような瞬間もあった。

イチエフの建屋周辺から出る高線量瓦礫の運搬作業を専門とする彼の部署は、4号機や3号機にカバーを設置する工事が続けられる中で、その瓦礫を安全な場所(構内の地下貯蔵庫)まで運ぶために作られたものだ。

カバリング工事のほかにも、様々な撤去作業が進むと自ずと放射性廃棄物が出るため、次第に一定の放射線量を超える廃棄物については全て彼らが引き受けるようになった。

「いわばイチエフのごみ収集屋さんといったところですね」

福山はこのように語ったが、現実は「ごみ収集屋さん」という言葉のニュアンスとは裏腹に、彼自身が「頭が真っ白になる」ことの連続だった。瓦礫と言っても、彼らが扱うのは防護服を着た人が近づくのも容易ではない瓦礫だからである。

福山の瓦礫運搬チームが担当するのは1ミリSv/hを超えるゴミで、3号機の近くに用意された保管場所は「毎時5ミリまで」「毎時30ミリまで」など放射線量のレベルによって区分けされている。さらに金属やコンクリートといった東電の決めた廃棄物の分別にも従う必要がある。

例えば3号機の瓦礫撤去では、放射線を遮蔽するコンテナから50センチ離れた場所で、センサーが600ミリSv/hという数値を記録したことがあった。中身の線量は1000ミリSv/hは軽く超えていると推定され、瓦礫運搬チームではそれを金属の容器に入れて無人で運搬した。

「なるべく可能であれば、当然、有人でやった方が確実なんです。無人だと有人での作業の三倍から五倍の手間がかかります。大きなラジコンでUFOキャッチャーをやっているようなものですからね。ただ、放射線の遮蔽には限界があるので、キャビンの中の線量にはもちろん上限を設けています。それで、これは歯が立たないなと思ったら、無人に切り替える。3号機の瓦礫撤去の最盛期はまさにそのような状況でした」

瓦礫運搬の作業が夜に行なわれるのもそのためだ。彼らはまだ明るい15時頃から構内を巡回し、18時に現場に誰もいなくなったことを確認してから、周囲を完全に封鎖して仕事を開始する。だが、凍土壁を作る工事が佳境を迎えていた際は夜まで構内での他の作業が続いていたため、運搬の開始が23時頃からになる時期もあった。夏場などは深夜3時~4時には翌日の工事が再開されるため、深夜2時過ぎまで懸命に運搬作業を続けた期間は「かなりきつかった」と福山は言う。

震災から5年の福島第一原子力発電所
写真=iStock.com/ArtwayPics
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ArtwayPics

彼らの立場としては再三にわたって早い時間での仕事開始を求めてきたが、どうしても日中の工事が優先されざるを得ない。

「だから、我々はよくこう言っていたものです。『俺たちの仕事は日の目を見ない仕事。夜、人目をはばかるように人知れずやって、朝には何事もなかったようにいなくなる』と」

■限られた重機と時間の中で行った工夫

福山の2013年の就任以来、この瓦礫運搬の作業にも様々な工夫がなされてきた。

まず、建屋近くの瓦礫置き場からの運搬には、放射線を防護した運搬車が線量ごとに使用されてきた。また、瓦礫をコンテナに入れる油圧ショベルも二種類あり、一つはラジコンのように遠隔で操作できるもの、もう一つはオペレーターの乗るキャビンを分厚い鉄板で覆ったものだ。後者は「遮蔽対策重機」と呼ばれている。

比較的、放射線量の高くない瓦礫については、37トンほどのダンプを使用してきた。それだけの重量の巨大ダンプなのは、オペレーターを被曝から守る鉄板だけで10トンの重さがあるからだ。

専用に開発された運搬用の重機の中には、車両のガラス部分にフランスの企業が数カ月間圧力をかけて密度を高めたガラスをはめ込み、内部は与圧をかけて外から埃が入らないようになっているものもある(車両の価格の6割がガラス代というのだから驚く)。

そして、鹿島建設の瓦礫運搬チームの主役と言えるのが、原発の北西にあるコンテナの置き場から、地下の格納庫にそれを運び込む無人の「クローラーダンプ」と「フォークリフト」だ。

クローラーダンプはキャタピラのついた重機で、免震重要棟の一室からモニターを見ながら操作をする。これは単に遠隔操作ができるだけではなく、GPSなどで自らの居場所と障害物を検知しながら自動でも動く半自律走行車となっている。

このクローラーダンプは日本の自然災害の歴史が生み出した重機で、もととなるモデルが開発されたのは雲仙普賢岳での噴火災害の現場で使用するためだった。

「ただ、こうしたものをラジコンで遠隔操作する作業は、オペレーターの神経があまりにすり減る過酷さがあるんです。1個か2個のコンテナならいいのですが、モニター越しに操作を続けていると、人間の感覚がもたないんですね。よって、例えば単純に真っ直ぐ走るといった箇所については、ある程度の自動走行を可能にする必要があったんです」

ところが、フォークリフトを用いる地下の倉庫ではGPSを利用した制御ができない。そこで同社が活用したのがレーダーによるスキャナーだった。障害物をあらかじめ探知して建物の地図を機械に覚えこませておくことで、地上から地下へとシームレスに移動できるようにしたわけだ。

「工場のように走行路を作れればいいのですが、格納庫の中は高線量になってしまうので、後でメンテナンスができないんです。だから、フォークリフト一台で全てを完結させないといけなかった。もちろん2年、3年かけてじっくり開発をすれば、もっとスマートなものが作れる可能性もあったでしょう。しかし、ここでは時間がなかった。それこそ半年で瓦礫の運搬を何とかしろ、という話でしたから。そこで我々は今あるものを組み合わせて、ブラッシュアップする手法をとったわけです」

■やりがいに頼る現場の人材の入れ替わりは激しい

また、この一連の作業に欠かせないのが、遠隔で車両を操作できる熟練のオペレーターたちである。私は一度だけ、免震重要棟の一角にある彼らのオペレーティング・ルームを見学したことがある。室内には何台ものモニターが並び、ハンドルコントローラーやジョイスティックが置かれていた。それは熊本地震後のがけ崩れの現場で見た重機の遠隔操作室とも似ており、豪雨や噴火、地震などの自然災害の経験がイチエフの現場で活かされていることが伝わってくる光景だった。

4~5人で構成されるオペレーターのチームもまた、そうした現場で経験を積んだ人たちだ。一個のコンテナの格納にかかる時間は40分~1時間。二人組で慎重にフォークリフトを操作するオペレーターは50代が中心で、以前にも山やダム、長大トンネル、海外の現場で巨大重機を操作してきた「それこそ重機で卵を割らずにつかめる」ほどの歴戦の者たちであった。

格納庫内では直進は緊急停止ボタンに手を置いておくだけだが、実際の積み込み作業になると細かい操作が必要となる。二人で息を合わせ、9台のカメラを切り替えながらの操作は、一目見ただけでもかなり難しそうな作業であった。

福山は言う。

「彼らは腕に覚えのある職人なので、基本的に一匹狼で仕事ができる。その彼らに体の疲労がきつい夜が中心の仕事をしてもらうので、常に人材集めには苦労があります。建設業の人材不足の中で引く手数多のオペレーターたちですから、彼らがイチエフの現場に思いを寄せて残ってくれているのは本当にありがたいことなんです」

瓦礫運搬チームは重機の運転者が約20名いるが、入れ替わりはそれなりに激しい。チームでの仕事に馴染めない人もいれば、家庭の事情で現場を離れる人もいる。事故当初は危険手当が付いたが、構内の労働環境が整ってきた現在は手当の出ないケースも増えている。イチエフで働く上での金銭的なインセンティブが年々減っていく中で、人材の不足は悩みの種であり続けている。自ずと「災害の現場で働くという使命感ややりがい」に頼るようになっていくことは、東電から仕事を請け負う立場の彼らの課題だろう。

■原発部署で感じた「言葉」がもたらす影響の大きさ

そんななか、福山のインタビューで私が大切な考え方だと思ったのは、彼が「高線量瓦礫廃棄物」という部署名の表現に強いこだわりをもっていることだった。

鹿島建設は東電との間に「高線量廃棄物処理運搬業務委託」の契約を結んでいるのだが、この名称が使用され始めたのは2017年からのことだ。それまでは「瓦礫運搬」や「瓦礫収集運搬」という呼び名だった。「高線量廃棄物」という言葉が使用されることになった背景には、福山からの強い意向があったという。

彼がそれを強く提案したのは、この仕事を「高線量廃棄物処理」と呼ぶ現実的な意義を仕事の中で感じてきたからだった。

「イチエフの現場で働いていると、人間が慣れによってリスクを感じなくなっていく生き物であることを実感する」

と、福山は言う。

現場の管理者として作業員にはことあるごとに注意喚起してきた。それでも目に見えない放射線への意識はどうしても低くなりがちだった。

例えば、彼らは30ミリSv/hまでの瓦礫を「低線量瓦礫運搬」、それを超えるものを「高線量瓦礫運搬」としばらく呼んでいた。すると、作業を続けているうちに作業員の間で「今日は低線量だから大丈夫だな」という会話が日常的にみられるようになった。彼らの仕事を管理する側までが「ああ、今日は低線量だから心配ありません」と気軽に言い出すようになる始末だ。

その様子を間近で見ながら、瓦礫運搬のリーダーである福山は強い危機感を抱いた。「言葉」というものがもたらす影響の大きさを、まざまざと実感したからである。

イチエフの外に出れば「毎時五ミリシーベルト」は人が暮らすことのできない「高線量」であり、それを「低線量」と呼称して違和感を抱かない状況が、いつか大きな被曝事故へと繋がるのではないか。現場と社会の常識との間に、大きなズレがあるのも問題だ。それは原発関連の部署で初めて働くことになった福山の、しごく真っ当な感覚だったといえるだろう。

■建屋を前に崩れ去ったエンジニアとしての自負

「そもそも──」と彼は話す。

「初めてイチエフにきたとき、私は放射能をすごく恐れていました。初日に壊れた3号機の前に立ったときは、手元の線量計がピーピーと音を立てているなかで、まさに頭が真っ白になった。私にも15年間のキャリアがありますから、本来はどんな現場に立っても、取り得る選択肢や工事の手法がある程度は頭に浮かぶものなんです。ところが、3号機前のあの壮絶な光景──津波で流されてきた車が瓦礫に刺さり、まだオペフロからは湯気が立っていたと思います──を前にしたときは、『何をどうすりゃいいんだ』と立ち尽くすばかりだったんです」

福山はしばらく茫然としているうちに、全面マスクを被ったまま泣いていた。その感情は後から振り返るとき、「敗北感」と呼ぶのが最も相応しいものだったという。都市の公共土木工事を15年間にわたって経験し、難工事とされていた現場も乗り越えてきた。そのなかでエンジニアとしてのプライドを培いもした。だが、彼は自分がそうして積み上げてきた何かが、3号機建屋の前の光景によって否定されたような気持ちがした。

「私は原子力のことはよく知らなかったけれど、事故前はこの国の最高峰の技術だと言われていたわけです。その結果があの凄まじい建屋の姿だったと思うと……ね。自分はエンジニアとして、高速道路や治水施設を作ってきました。公共事業は世間からいろいろ言われますが、少しは社会のプラスになっていると信じているからこそ、胸を張って仕事をしてきたわけです。街の発展に寄与しているんだ、この国のエンジニアリングは最高で、その中で俺は頑張っているんだ、って。その自負が崩れ去ったんですね。なんだこれは、と。いままで俺は何をやってきたんだろう、と」

■「ここには線量が高いかめちゃくちゃ高い瓦礫しかない」

だが、そのように感じた福山自身が、イチエフの現場で1年、2年と過ごすうちに、あらゆることに慣れていった。

放射線は見えないから怖かったが、次第に見えないからこそ怖くなくなった。建屋の前で恐怖心を抱き、涙さえ流した自分があるとき、何の感情も持たずに平気で同じ場所に立っていた。

そんな彼が東電への名称変更の申し入れをしたのは、東京での会議に参加したある日の上司とのやり取りがきっかけだった。彼がいつものように毎時30ミリSv未満の瓦礫を「低線量」と呼ぶと、上司にこう指摘されたのである。

「なあ、福山君。30ミリは低線量じゃないよ」

福山がはっとして黙っていると、相手はこう続けたという。

「おまえ、なんか感覚がおかしくなってないか?」

それは原子力という分野で働く人々の常識が、ときに社会の非常識になり得ることを端的に表した瞬間だった。福山もまた、イチエフで働くことでエンジニアとしての何かが麻痺し始めていたのだ。

「低線量という言い方やこの瓦礫収集運搬という呼び方をやめてもらえませんか? ここにあるのは高いか、めちゃくちゃ高いか、の二通りなのですから」

と、彼が東電の担当者に提案したのは、それからすぐのことだった。

「確かに3号機と4号機の瓦礫処理が落ち着いて、驚くような線量の瓦礫を運ぶ仕事はなくなりました。ただ、線量の低いものが増えていくと、誰もが安易に空のコンテナに近づくようになってしまうんですね。しかし、1号機や2号機での作業が始まれば、また同じような瓦礫が出てくるわけです。そのときに何となく鈍った感覚で、『100ミリだから大丈夫』なんて思っていたり、とんでもないものが入っているコンテナを空だと思いこんだりしていたら、いずれ大きな事故が起こるだろう、と。だから、高線量という言い方は外部へのアピールであると同時に、働いている人間の危機意識を喚起する工夫のようなものなんです」

■「我々は一発アウトの仕事をしている」

東京電力は「普通の現場」という表現を好む。新事務本館や構内の除染を進めてきた結果、全面マスクや防護服を必要としないエリアが広がり、作業者たちは「普通の現場」のように仕事をできるようになってきた──と彼らは広報し続けてきた。事故の影響をなるべく小さく見せたい東電側の意識が、「普通の現場」という表現を強調する背後にはあるだろう。

稲泉連『廃炉 「敗北の現場」で働く誇り』(新潮社)
稲泉連『廃炉 「敗北の現場」で働く誇り』(新潮社)

しかし、それは現場のある側面に光を当てた一つの事実ではあっても、実際に最前線で作業をこなす人々にとっては違う。この現場が「普通」などと呼ばれることに、違和感や暗黙の抵抗を覚える人も多いということを福山の言葉は示している。私はその感覚こそが真っ当なものだと思う。

「我々は一発アウトの仕事をしているんです」

と、彼は言った。

「『普通の現場』と同じように働けるようになるのは、もちろん大事です。でも、だからといってここを『普通の現場』と思ってはいけない。チームのメンバーにはいつもそう言っています。あえて厳しい言葉を使って、常に危機意識を高く保つことが、この場所で働く管理者の責任だという思いがあるからです」

福山のチームが瓦礫運搬を行なう深夜、空気の澄んだ日には驚くほど多くの星が空には見えるという。その星空をふと見上げるとき、彼は静寂の中で「ああ、きれいだな」と思うことがある。

夕方の送電鉄塔
写真=iStock.com/songqiuju
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/songqiuju

だが、その瞬間に胸に生じるのは、「この場所でそんなふうに『きれいだ』と思ってもいいのだろうか」という気持ちだ、と彼は語った。その逡巡はイチエフという現場で働くことへの彼の複雑な感情を、端的に表す言葉であるに違いなかった。

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稲泉 連(いないずみ・れん)
ノンフィクション作家
1979年生まれ。2002年早稲田大学第二文学部卒業。2005年『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』(中公文庫)で第36回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。著書に『こんな家に住んできた 17人の越境者たち』(文藝春秋)、『豊田章男が愛したテストドライバー』(小学館)、『ドキュメント 豪雨災害』(岩波新書)などがある。

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(ノンフィクション作家 稲泉 連)

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