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「西村大臣炎上も同じ構造」日本政府が"お願いベース"の政策を続けるワケ

プレジデントオンライン / 2021年7月29日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/recep-bg

新型コロナウイルスの感染拡大対策で、政府は「要請」の姿勢を取り続けている。それはなぜか。文筆家の御田寺圭氏は「あくまで“お願い”であるという建前を守れば、失敗の責任を政府が一身に負わされることはない。“国民の責任でもある”とする余地を残しているのだ」と指摘する――。

■「金融機関への働きかけ」作戦の大爆発炎上

政府による飲食店の感染拡大対策として、西村康稔経済再生相より発表された「金融機関への《働きかけ》」という神業的スキームは案の定大爆発炎上し、大臣はすぐさま撤回することとなった。

酒類を提供する飲食店への休業要請などをめぐり、金融機関に融資先の店への働きかけを求めるとの政府方針について、西村康稔経済再生相は11日夜、ツイッターで改めて撤回を表明したうえで、「趣旨を十分に伝えられず反省しております」と投稿した。自ら打ち出した新型コロナ対策の一環だったが、与野党や飲食業界から激しい批判を浴びていた。
朝日新聞『西村大臣投稿「趣旨伝えられず反省」 金融機関働きかけ』(2021年7月13日)より引用

西村大臣の提唱したスキームは、実質的な規制でありながら、しかしいちおうの建前として「要請」と銘打つことによって、法的・行政的・政治的なアカウンタビリティとリスクを回避するという神業的なプランである。

本件について、自民党に批判的だった人びとは「一線を越えている」と激怒していたばかりか、平時には自民党支持側に立っていた人ですら「それはまずいだろう」「これはいくらなんでもダメだろう」といった驚きや反発が多数あがっていて、右も左もほぼ全会一致して否定的であったという珍しい事案となった。西村大臣は撤回に際して「趣旨を伝えられず反省」としていたが、それも的外れな弁解である。世間の人びとは大臣の本心をしっかり理解したうえで批判していたのだから。

大臣が想像していた以上に世間から怒られたから急いで撤回しただけで、やろうとしていたことは結局のところ、実質的な経済活動の自由に踏み込みつつも「お願いベース」を装うことでそうした言質を取られることを回避するというスキームだったというわけだ。

■「お願いベース」にしておけば、政権は責任逃れできる

今回はあえなく炎上してしまったものの、このパンデミックが発生して以来、自民党政権はどれだけ痛烈な批判を浴びようが「お願いベース」以上のレベルに踏み込んだりせず、もっといえば踏み込もうとする姿勢すら見せないことを徹底してきた。

実質的には命令や私権制限であろうとも、あくまで「お願い」であるという建前を死守したのである(やむを得ない場合であっても政府ではなく自治体の権限など自分たちの責任とは切り離された意思決定ラインによってなされたという体裁を整えたうえで実行した)。

それは彼らにとって「お願いベース」があらゆる面において合理的であったからだ。

あくまで「お願いベース(要請)」にとどめておけば、「安心安全な五輪開催とコロナ対策」という相互背反的な政策が不首尾に終わったとしても、その失敗責任の《すべて》を政府が一身に負わされることはない。「われわれは国民になんども協力(お願い)を申し出たのに、国民からは十分に理解を得られなかった。つまりこの結果責任は、政府だけが負うべきものではなく、部分的には国民の責任でもある」とする余地を残している。

■すべては次の選挙を見据えた「アリバイ作り」

また政府が頑なに「補償」という単語ではなくて「協力金」というワードを使いたがる(公的記述に残したがる)のも、「補償」には「責任に対する賠償」というニュアンスが含まれており、それは「政府が失敗責任を負った」という言質として受け取られかねないからだ。一方で「協力金」であれば「お願いを聞いてくれたお礼」というニュアンスを強調できる。馬鹿馬鹿しい些末なこだわりに見えるかもしれないが、しかし彼ら政治家は「言質を取られることを回避する」という点で徹底することが重要な資質のひとつなのである。

さらにいえば、「命令/私権制限」に踏み込まなければ、「民主主義的な手続きを放棄した独裁者」「民主主義の敵」などといった批判を受けることもない。今年の初秋に予定されている総選挙を目前にしたいま「政権転覆材料」となるようなリスクは可能なかぎりすべて排除・最小化しておきたい。だからこそ「お願いベース」は合理的なのである。

プロ野球や格闘技が有観客で開催されているなか、オリンピックを土壇場で無観客にしたのも「五輪に観客を動員したことで感染拡大を招いた」という政権批判材料が生じる可能性をあらかじめ潰しておくためだし、もはやほとんど意識されることもなくなった緊急事態宣言をオリンピック期間中にあえて発出しておくのも「私たちは最善を尽くした」という規制事実を作っておくためだ。

すべては五輪閉幕直後の解散総選挙をにらんだ「アリバイ作り」につながっている。

国立競技場
写真=iStock.com/ebico
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ebico

■「自公以外に投票します」のツイッターデモ

飲食店業界もさすがに自民党の「スケープゴート」的なやり方に我慢の限界となってしまったためか「西村康稔大臣の議員辞職を求めます」「次の選挙では自公以外に投票します」というツイッターデモがこの業界を中心に発生し拡散している(余談だが、このムーブメントの火付け役自体は、堀江貴文氏の率いるオンラインサロンのメンバーを端緒にしているという)。

12日から東京都では4度目の緊急事態宣言が発効し、飲食店には営業時間短縮及び休業や酒類提供の原則停止が求められる。政府の無策ともいうべき状況に怒り心頭の飲食店に、決起を求める呼びかけが広がっている。
ネット上で拡散されているポスターがある。
「当店はしっかり感染防止対策をしています。不公平な『緊急事態宣言』には断固反対します。秋の総選挙では、自民党と公明党以外に投票します。お客様もご協力ください」。賛同する店はプリントアウトし、店先に掲示するようお願いされている。
きっかけは元日本マイクロソフト社長・成毛眞氏のSNSでの投稿だ。
「(政府は)もはやグダグダなのだから、秋の総選挙は都議選以上の波乱が起こるだろう。政党名を書く比例代表区で自民党は大崩れするのではなかろうか。それに乗じて東京の飲食店は統一ポスターを用意するべきだ」「飲食店は自分たちが激怒していることを効果的に表現しないとダメ」などと8日に呼びかけた。
東スポweb『“西村発言”に怒り心頭の飲食店が決起! ネットで拡散「自公以外に投票」ポスター』(2021年7月12日)より引用

■「自民党が邪悪だから」ではない、「これが最適解」なのだ

しかしながら、かれらが望むように大臣を辞職させ、あるいは自民党政権を倒してしまえば、こうした状況がすっきりと解決するのかというと、残念ながらそうはならないだろう。

一見すれば国民とその権利を舐め切っているとしか見えないような脱法的な責任回避スキームを自民党が次々と繰り出してくるのは「自民党が邪悪だから」でもなければ「憲政の破壊者」だからでもない。

「いまのこの国の政治的・社会的風潮ではこれが最適解だから」である。

かりに政権を持っているのが自民党でなくても、それがどの政党であろうが、いま自民党がやっているのとまったく同じことをやるインセンティブがあり、その誘惑には抗えないということだ。いま、善かれと思って「自民党を倒せ」「西村辞めろ」とツイッターデモを展開している人びと(あるいは、かねてより「アベ政治を許さない」などとシュプレヒコールをあげていた人びと)は大勢いる。

赤いメガホンと銀のハッシュタグ
写真=iStock.com/MicroStockHub
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MicroStockHub

■「失敗したらやめろ」の風潮が無責任政策を生み出した

しかしかれらのような「失敗したらその責任を取って辞めろ」という考えを当然視するような風潮こそが、時の政権が「自分たちの究極的な責任は回避できる脱法的スキーム」「自分たちに責任があるような言質を絶対に取らせない徹底したエクスキューズ」を展開するインセンティブをますます強化してしまう。

「リスクを取らない」「責任を取らない」が、自身の政治的立場の破滅(政権転覆)を回避するための最善手になってしまう政治的・社会的風潮のもとでは、たとえリスクのともなう政策決定が全社会的にプラスであろうが、成就しなかった場合のダメージが大きすぎるため、だれもあえてやりたがらない。それは自民党にかぎらず、立憲民主党だろうが共産党だろうが、どの政党が政権を握ろうと同じだ。

というより、むしろ野党こそが今日に至るまで「失敗したならやめろ」という「市民の素朴な感情」を政治闘争に援用してきた。彼らが政権与党になったときには、自分たちが振りかざしてきた論理がそのまま跳ね返ってくるため、自民党以上に「失敗しない」「責任回避」を行う動機が強くなってしまう。

重大なリスクをともなう意思決定をしなければ(≒言質を取られなければ、発言をしなければ、行動を取らなければ)重大なリスクも発生しない。究極的な責任を取らず、不利な言質を徹底的に回避しながら、政権批判材料となりうるリスクをひとつずつ潰すアリバイ作りに邁進することが、自民党にかぎらず、あらゆる政治政党にとって長期政権を築くための最適解になる。

これは自民党だけでなく、野党もマスコミも、そしてほかでもない国民も含め、全員が望んで実現した「均衡」そのものである。

■「お灸をすえろ」で政権交代をしても結果は同じ

ご存じのとおり、オリンピック演出の人事をめぐる騒動や、首都圏の急激な感染拡大により、国民世論は一気に政府批判に傾いている。混迷をきわめる社会状況の責任は、組織委員会だけではなく政権にもあるとして「自民党にはもう日本を任せられない。お灸をすえるべきだ!」という機運がにわかに高まっている。十数年前にも見た光景だ。現時点では確実ではないものの、都議選では思ったほど自民党の議席数が伸びなかったことから、次の解散総選挙ではもしかしたら政権交代があるかもしれない。この1~2カ月の社会状況次第だが、可能性はある。それほど小さくはない。

しかしながら、「お灸をすえろ」「辞めさせろ」「失敗責任を取れ」という国民の「怒りの声」によってのし上がった次なる政権が出てきたとしても、その「怒りの声」が今度は自分たちに向けられないように、自民党と同じ責任回避的スキームを実践するようになる。そして、期待を裏切られた国民はまたキャンセルして別の政権に挿げ替える。同じことが延々と繰り返される。

■本当に変わるべきは、国民の「感情優先主義」

自民党政権や菅義偉や西村康稔は「倒せばハッピーエンドが訪れるわかりやすいラスボス」ではない。むしろ「アイツらが諸悪の根源だ! あいつらを倒せばこの国はもっとよくなる!!」という声こそが、この国のリーダーたちを責任回避的で事なかれ主義的にして、失敗しないためであれば国民の不利益も脱法的スキームもためらわない本末転倒な存在にしてしまった。

本当に変わるべきは政党ではなくて、この「均衡」をボトムアップで作り出してしまった国民の「感情優先主義」だろう。

今日の政治家をはじめとするリーダーたちの、上に立つ者としての矜持や責任をまるで感じられないふるまいは、一時の感情の盛り上がりを振り回して人治主義に走る市民社会の写し鏡である。いわば共犯関係なのだ。

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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』を2018年11月に刊行。Twitter:@terrakei07。「白饅頭note」はこちら。

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(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)

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