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「コロナ禍の東京五輪は祝福しない」天皇陛下の開会宣言に込められた異例のご覚悟

プレジデントオンライン / 2021年7月29日 17時15分

2021年7月23日、東京の国立競技場で行われた2020年夏季オリンピック東京大会の開会式で紹介されるトーマス・バッハIOC会長(左)と天皇陛下(右) - 写真=Sipa USA/時事通信フォト

■「祝う」ではなく「記念する」と宣言した陛下

私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します――。天皇陛下の東京五輪開会宣言が話題だ。

一つには、その簡潔さ。直前にあった橋本聖子組織委員会会長、IOCのトーマス・バッハ会長のあいさつがとにかく長かったから、際立った形だ。最初の橋本会長が7分、バッハ会長はさらに上を行く13分。「会議における発言の長さ」を論じて辞任した、森喜朗前組織委員会会長の感想を聞きたいところだ。

とはいえ、国家元首による開会宣言は五輪憲章で定められていて、陛下の宣言もそれにのっとったものだ。一方で陛下は、五輪憲章に書かれた「和訳」と異なった言葉を使用した。それが、二つ目の話題だ。陛下が変えたのは、celebratingの訳。最新の「五輪憲章2020年版・英和対訳」に「オリンピアードを祝い」とあるのを、「記念する」にしたのだ。

■天皇は一切の政治的行為が許されない「象徴」

「記念する」への道は、1カ月前から見えていたように思う。6月24日、宮内庁の西村泰彦長官が定例会見で「五輪開催が感染拡大につながらないか、(陛下が)ご懸念されていると拝察している」と発言した。「陛下は五輪に反対」と読み替えることもできなくはない。だからこそ「拝察」というオブラートに包んだに違いないが、「象徴天皇」としての矩を踏み越えたと批判も招いた。

憲法第1章には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とある。だから長官発言を受け、一橋大学の渡辺治名誉教授(政治学)はこう語った。「天皇の命令で戦争を招いた反省から、政治的な決断は国民とその代表である議員が行い、天皇に一切の政治的行為を許さない『象徴』とするのが憲法の『国民主権』」。だから、長官の発言は「国民主権を侵害する危険性」があるという指摘だった(朝日新聞6月25日朝刊)。

このような指摘は他にもあった。だが、「祝う」を使っては陛下が「コロナ禍の五輪」を祝福していると取られかねないという懸念が宮内庁から伝えられ、政府や大会組織委員会が検討、和訳のみの変更ということでIOCの承認も得られたという。世界中でコロナ禍による死者が拡大、収束が一向に見えない状況だ。「祝っている場合だろうか」という気持ちは誰もが持っているものだろう。とはいえ、宣言するのは陛下であり、「象徴天皇」としてはかなり踏み込むことになる。

■「無難」だった天皇陛下が五輪で変わった

五輪憲章が開会宣言を定めているのは、開会式が政治的に利用されないためだという。それを踏まえ、五輪を研究する東京都立大学の舛本直文客員教授は「文言を変えるべきではなかった。国家元首や政府の意向での変更は、五輪の理念に反した政治的な関与と取られかねない」と述べている(朝日新聞7月24日朝刊)。

だが長官発言に当たっても、開会宣言に当たっても、陛下は批判が起こることは重々承知していたに違いない。これまでの陛下の発言をまとめるなら、「無難」だった。陛下と雅子さまが生真面目な似た者同士で、己を出すことを良くないことと考えているから。私はそう解釈していた。そんな陛下が、五輪の局面で明らかに変わった。無難ではいられない。そう判断したのだと思う。

火がともるトーチを持つ手
写真=iStock.com/imagedepotpro
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/imagedepotpro

それまで陛下は、上皇陛下のものに少しのアレンジを加えて「おことば」とすることが多かった。国民の敬愛を集めた父の後を継承するのだから、それは当然ではある。即位を国内外に宣言する「即位礼正殿の儀」で陛下は、「憲法にのっとり(中略)象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と述べたが、原点は上皇陛下の「日本国憲法を遵守し(中略)象徴としてのつとめを果たすことを誓います」だ。

■「国民の普通の感情」を行動規範に

8月15日に開かれる全国戦没者追悼式では、ほとんど上皇さまのものと同じ「おことば」を述べている。戦争体験のない世代だから、これも当然だ。それが2020年の追悼式では、「私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、新たな苦難に直面しています」と加え、話題になった。その年の4月にエリザベス女王がコロナ禍にある国民を励ますメッセージを出した。陛下にもメッセージを求める声が上がっていたが、出すことはなかった。だから、コロナ禍を案じる陛下の「苦肉の策」のように見えた。

結局、この案じる気持ちが解決されないまま、五輪が始まったということだろう。開会式前日の7月22日、陛下はバッハ会長らIOC関係者と面会した。23日にはジル・バイデン米・大統領夫人ら各国首脳と面会した。どちらも陛下は英語であいさつ、中に共通する文章があった。最初から二つめと最後の文章で、和訳を引用するとこうだ。

「現在、世界各国は、新型コロナウイルス感染拡大という大変に厳しい試練に直面しています」。そして、「皆様と共に全てのアスリートのご健闘を祈ります」。

コロナ禍での五輪です、運営は心配ですが選手は応援します。そういう陛下の思いが伝わってきた。そしてこれは、ほとんどの国民が持っているごく普通の感情だ。陛下は、「国民の普通の感情」を共有し、行動規範にしている。そう理解した。

■政府や組織委が国民の方を見ていない問題

陛下がそのように行動せざるを得ない状況を「天皇や宮内庁から気を回す状況」と表現したのは、名古屋大学の河西秀哉准教授(歴史学)だ。開会宣言を受けての発言で、「『拝察発言』といい、天皇や宮内庁から気を回す状況は、逆に象徴制度を危うくさせうる」(朝日新聞7月24日朝刊)と河西さん。

陛下と宮内庁が、開催について二分されている国民の思いを考えに考え、その結果、象徴の矩を越えるような発言をする。その危うさの指摘だ。同時に、政府や組織委員会が気を回していない、つまり国民の方を見ていないという指摘にも読める。

そして、繰り返しになるが、その問題点を陛下は十分に認識していたと思う。それでも踏み込んだのはコロナ禍を案じる思いの強さに加え、「ここで踏み込まずして、いつ踏み込む」だったような気がしている。

■感染拡大防止で国民と直接会えなくなった両陛下

陛下と雅子さまの日々に目を転じれば、コロナ禍で赤坂御所と皇居を行き来せざるを得ない状況だ。宮内庁ホームページで「天皇皇后両陛下のご日程」を見ても、4月以降でお二人が外に出たのは「みどりの式典」(4月23日、千代田区・憲政記念館)、「日本学士院授賞式」(6月21日、台東区・日本学士院会館)、「日本芸術院授賞式」(6月28日、台東区・日本芸術院会館)の3日だけ。福島県行幸啓(4月28日、東日本大震災復興状況ご視察)、熊本県などへの「ご訪問」(5月12日、子どもの日にちなみ)、島根県行幸啓(5月30日、全国植樹祭にご臨場)、宮崎県行幸啓(7月3日、国民文化祭など開会式ご臨席)もあるが、すべてオンラインだ。

感染拡大防止の観点からだが、直接国民と会えないのは厳しい。上皇さまと美智子さまは平成にあって、災害現場や戦争跡地に足を運ぶことで国民からの敬愛を得た。陛下と雅子さまもこれを踏襲、お二人が出かけ、人が集まり、それをメディアが報じた。適応障害という病を得ながら、明るく笑う雅子さまの人気は高まる一方だった。そういう好循環が、コロナ禍ですっかり封じられた。

英国をはじめ、各国王室はSNSを活用している。公務のほか家族とのプライベート写真もアップ、コロナ禍でも存在をアピールしている。が、皇室のネット活用といえば、宮内庁ホームページのみ。「このホームページは、天皇皇后両陛下・皇族方の宮殿・御所などでのご公務や国内各地へのお出まし、外国とのご交際など皇室のさまざまなご活動を中心に紹介しています」とトップページにあるが、7月29日現在も陛下の五輪開会宣言の写真はなく、SNS時代のスピード感とは遠い印象だ。

■「小室問題」報道で希薄になりつつある皇室の存在感

だから最近は「皇室報道」といえば「小室圭さんと眞子さま」。それが常態化していた。小室さんが母・佳代さんの「金銭トラブル」を説明する文書を4月8日に公表、翌日に眞子さまも宮内庁を通じてコメントを発表してから、その傾向はますます強まっていた。が、「拝察」で状況は一変、週刊誌なども陛下と雅子さまのコロナ禍や五輪への思いを報じることが増えた。

陛下が「小室さん」を意識して、五輪への態度を決めたと言いたいのでは決してない。が、皇室の存在感が希薄になりつつあることが、行動の背中を後押ししたのではないだろうか。昭和天皇は1964年の東京五輪で、上皇さまは98年の長野五輪で、開会を宣言した。どちらも五輪憲章通りの宣言だった。が、今回も同じでいいのかと悩む中、皇室の存在感についても思いを馳せた。そんなふうに思うのだ。

2015年4月15日、雨の皇居
写真=iStock.com/golaizola
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/golaizola

「拝察」が招いた反響の、プラスとマイナスも陛下は考えたはずだ。その上で、生真面目な陛下が出した結論は、「祝い」でなく「記念し」だった。批判も含め引き受ける。それが、存在感につながる。動かなくては、次の行動もとれない。「無難」はマイナスだ。勝手に、陛下の思考を想像している。

■バッハ会長とは対照的だった陛下宣言

開会式に単独で臨んだのも、強い意志の表れだと思う。陛下は20年4月、感染症対策専門家会議の尾身茂副座長(当時)を招き、雅子さまと並んで進講を受けた。以来、それがお二人の進講スタイルになった。初めて直接国民にコロナ禍を語った21年の新年メッセージも、お二人並んで座っていた。お二人は、ある意味「共働き」夫婦なのだ。

であれば、五輪開会式にもそろって出席する選択肢は十分にあったはずだ。だが、無観客での開会式でお二人が出席すれば、それは国民とは違う「特別待遇」になってしまう。だから宣言をする陛下だけの臨席とし、マスクをつけたまま宣言した。それがお二人の意志だと思うのだ。

バッハ会長からはコロナ禍という緊張感は感じられず、自己陶酔しているように見えた。続く陛下の宣言は短く、言葉選びはコロナ禍への思いが反映されていた。議論が起こるのは承知の上。「ここで動かず、いつ動く」。陛下、そしてそこにはいない雅子さまの、強い思いが心に残った。

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矢部 万紀子(やべ・まきこ)
コラムニスト
1961年生まれ。83年、朝日新聞社に入社。宇都宮支局、学芸部を経て、週刊誌「アエラ」の創刊メンバーに。その後、経済部、「週刊朝日」などで記者をし、「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理、書籍編集部長などをつとめる。「週刊朝日」時代に担当したコラムが松本人志著『遺書』『松本』となり、ミリオンセラーになる。2011年4月、いきいき株式会社(現「株式会社ハルメク」)に入社、同年6月から2017年7月まで、50代からの女性のための月刊生活情報誌「いきいき」(現「ハルメク」)編集長。著書に『笑顔の雅子さま 生きづらさを超えて』『美智子さまという奇跡』『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』がある。

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(コラムニスト 矢部 万紀子)

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