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イスラム教徒にとっての1カ月にわたる断食が「修行ではなくお楽しみ」なワケ

プレジデントオンライン / 2021年8月5日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Rawpixel

イスラム教には1カ月にわたり断食を行う「断食月」がある。つらくないのか。宗教学者の島田裕巳さんは「断食のとらえ方が日本人とはまるで違う。終了後にはいつもより豪華なご馳走を食べられるので、楽しみにしているほどだ」という――。(第1回/全3回)

※本稿は、島田裕巳『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

■日本における断食は「苦行」

日本でも断食を実践する人は少なくない。

健康法として断食を試みる人たちがいる。各地には、断食を実践する断食道場があり、ダイエットの方法としても人気を集めている。

こうしたことは日本だけではなく、各国で行われている。断食の効果についての研究も、さまざまに行われている。

だが、日本の場合にも、断食はたんに病気の療法、健康法としてだけではなく、宗教的な修行として実践されてきた。

食を断つことによって、欲望から離れ、精神を鍛えようというわけである。

信仰にもとづく断食としてもっとも過酷なのは、天台宗の総本山である比叡山延暦寺に伝わる「千日回峰行」のなかに含まれるものだろう。

それは「堂入り」と呼ばれ、5年700日にわたる回峰行を終えた行者は、足掛け9日間にわたって断食・断水・不眠・不臥の行に入る。

行者は、その間、お堂のなかで不動明王の真言を唱え続けるが、一日に一度だけ、仏に供える水を汲むために外へ出る。

最初はすぐに戻ってくることができるが、日を追うにつれ、歩く速度がゆっくりになり、からだは痩せこけていく。

日本では、断食は、長く続ければ続けるほど好ましいと考えられている。長く続けることで、空腹に耐える精神力が養われる。日本では、断食はそのように苦行の一つとされている。

■イスラム教に「修行」という観念はない

それに対して、イスラム教徒は、断食を修行としてとらえてはいない。

そもそも、イスラム教には修行という観念がない。すべては神が定めたものなのだから、それを人間が変えることはできない。修行は、自分の力によってその人の状態や運命を変えていこうとする試みであり、イスラム教の信仰にはそぐわないのだ。

イスラム教徒が断食を行う上でもっとも重要視するのが、それをはじめる時刻と、それを終える時刻である。だからこそ、私たちはピザ店の前で断食明けの時刻を待たなければならなかった。断食をはじめる時刻も、それを終える時刻も、いずれも神が定めたもので、イスラム教徒はその時刻を守るのだ。

それは礼拝についても言える。

礼拝は1日5回行われるものだが、それぞれ時刻が定められている。たんに、1日に5回行えばいいというものではない。その5回のアラビア語と、時刻をあげれば、次のようになる。

ファジュル 夜明け前
ズフル 正午
アスル 午後
マグリブ 日没
イシャー 夜半

これに忠実に従うならば、イスラム教徒は毎日早起きをしなければならないことになる。

イスラム教の国なら、ファジュルの時刻になると、モスクから礼拝を呼びかける「アザーン」が聞こえてくる。アザーンは、神は偉大なりを意味する「アッラーフ・アクバル」を4回くり返すことからはじまる。

東京ジャーミイのイマームにインタビューしたとき、彼は夜明け前に起きて、東京ジャーミイに来て礼拝を行うが、その後は、また自宅に戻り、もう一度寝ると言っていた。

■重要なのは「礼拝の時刻」

現在では、インターネット上には、毎日の礼拝の時刻が掲載されている。地域によってその時刻は異なるので、それは地域別になっている。

たとえば、2020年1月20日の東京における礼拝の時刻は次のようになっていた。

ファジュル 午前5時17分
ズフル 午前11時52分
アスル 午後2時36分
マグリブ 午後4時56分
イシャー 午後6時26分

ただ、何かの都合で礼拝ができなかったときには、2回の礼拝をまとめてやることもある。

『ハディース』にある「礼拝の時刻」の章では、神のことばとして、「礼拝というものは、一定の時をもってすべての信者に課せられた義務である」とある(『ハディースⅠ イスラーム伝承集成』)。

礼拝については、時刻が重要なのだ。だからこそ、千鳥ヶ淵の花見の際に、礼拝するイスラム教徒の女性を見かけたわけである。

■礼拝を行う「方角」が定められている

もう一つ、重要なのが方角である。

礼拝を行うとき、どちらに向いてそれを行うのか、方角が定められている。メッカのカーバ神殿の方を向いて行うわけで、その方角のことは「キブラ」と呼ばれる。

巡礼するイスラム教徒
写真=iStock.com/afby71
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/afby71

モスクには、東京ジャーミイももちろんそうだが、キブラを示す窪みが作られている。それは、「ミフラーブ」と呼ばれる。モスクに集まったイスラム教徒は、ミフラーブに向かって礼拝を行う。

イスラム教では、毎週金曜日が集団礼拝の日と定められている。金曜日には、5回の礼拝のうち1回はモスクで行うことが推奨されている。もちろん、そのときだけではなく、いつでもモスクに行って礼拝はできる。

イスラム教が誕生した最初の段階では、礼拝はエルサレムの方角に向かって行われていた。それは、イスラム教が大きな影響を受けたユダヤ教にならってのことである。

ところが、イスラム教が広がりを見せ、ユダヤ教と対立するようになると、ムハンマドは、礼拝の方角をエルサレムからメッカに変更した。それ以来、全世界のイスラム教徒はメッカを向いて礼拝を行うようになった。モスク以外のところで礼拝を行うときにも、メッカの方角を目処にして行う。

■「断食の時間は長いほうがいい」という考え方はない

2007年に、イスラム教徒のマレーシア人がロシアの宇宙船ソユーズで宇宙飛行をすることになった。

超高速で飛行する宇宙船のなかで、どのように礼拝を行うのか、それがそのとき問題になった。どのような形で、この問題に決着がつけられたかは、本書の6章で述べることにするが、たしかにそれは難問である。しかも、宇宙飛行をしているときは、ちょうど断食月にあたっていた。

礼拝について重要なのは時刻と方角である。断食の場合には、方角はかかわってこないが、時刻が重要な意味を持つ。

断食の時間は、日の出から日没と定められているので、日の出前なら食事をすることができる。そのため、断食月のイスラム教徒は朝、いつもより早く起きて、食事をする。そして、断食の終了時刻が来れば、おもむろに食事をはじめるのである。

そこには、断食を続ける時間はできるだけ長い方がいいという考え方はまるでない。むしろ、守られなければならないのは、神が定めた開始と終了の時刻である。同じ断食でも、日本人とはとらえ方がまるで違うのだ。

壁掛け時計
写真=iStock.com/Wako Megumi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Wako Megumi

■断食が終了した後には、豪華なご馳走が食べられる

もう一つ、イスラム教の断食について注目されるのは、イスラム教徒が断食月が来ることを楽しみにしているということである。

日中、食事もとらなければ、水も飲めないというのは随分と苦しいことだ。私たちは、そのように考える。

もちろん、イスラム教徒も、いくら日の出前に食いだめをしていても、日中はしだいに空腹になっていく。水を飲めないのもつらい。

けれども、断食が終了した後には楽しみが待っている。それは、「イフタール」と呼ばれ、普段よりも豪華なご馳走を食べられるのだ。空腹を我慢したのだから、沢山おいしいものを食べようというわけだ。

イスラム教徒のなかには、貧しい人たちもいる。経済的に恵まれていなければ、いくらイフタールでも、豪華な食事など用意できない。

そういうときに、五行のなかの一つ、喜捨が意味を持つ。経済的に恵まれている人間が、貧しい者に対して食事をふるまうのだ。

エジプトやパキスタンといった、イスラム教が熱心に信仰されている国では、街角にイフタールのための「神の食卓」が用意され、誰もがそこで食事をとることができる。

■断食月が終わると大祭が待っている

さらに、断食月が終わると、「イード・アル・フィトル」ないしは「レバラン」と呼ばれる断食明けの大祭が待っている。国によっては、これが連休になり、ちょうど日本の盆や正月のような状態になる。

日本では、どの地域でも、さまざまな祭りが行われているが、イスラム教が広がった地域では、祭りの機会は少ない。

その代わりに、断食月が祭りに近いものとなっていて、大いに盛り上がる。日中は空腹で仕事にならないといったこともあるようだが、イスラム教徒は断食月を楽しみにしている。苦行とは正反対なのだ。

日本政府も、1日だけだが、イスラム諸国の駐日大使を総理大臣官邸に招いて、イフタールを行っている。主催は総理大臣か外務大臣で、2005年から続けられている。

断食は、乳幼児やその母親、妊娠中の女性には免除される。旅行者にも免除されるが、戻ってきたら、別の日に断食することが奨められている。

旅行者に断食が免除されるということなら、断食月に日本を訪れるイスラム教徒は、滞在中はその必要がないということになる。

だが、それがイスラム教徒にとっての大きな喜びであるならば、たとえ旅行中でも、同じ信仰を持つ仲間と断食を行い、イフタールを楽しんだ方がいい。最近では、旅行中でも断食をするイスラム教徒が増えている(椿原敦子・黒田賢治『「サトコとナダ」から考えるイスラム入門 ムスリムの生活・文化・歴史』星海社新書)。

■食事や水を飲む様子を見せない配慮は必要

したがって、日本でも、断食をするイスラム教徒と出会う可能性がある。その際には、イスラム教における断食がどのようなものなのかを理解しておく必要がある。まず何より、その姿勢を尊重しなければならない。食事をしている様子や水を飲むところを見せないなどの配慮は最低限要る。

ただ、断食については、私たち日本人の側が、断食期間中のイスラム教の国を訪れたときの方が問題になる。

島田裕巳『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)
島田裕巳『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)

外務省はホームページに、「ラマダン期間中の注意喚起」を載せているので、もしそうした機会に遭遇するなら、それを読んでおいた方がいい。街中の人たちが一斉に断食を行っているわけだから、その影響はさまざまな形で表れる。

最近では、ヨーロッパに移民するイスラム教徒が多い。西欧や北欧では、軒並み、イスラム教徒の人口が5パーセントを超えている。フランスなど8.8パーセントにもなる(“5 facts about the Muslim population in Europe”, Pew Research Center, November 29, 2017)。

北欧では、北に行けば行くほど、夏には白夜が続く。北欧のイスラム教徒が、日の出から日没まで断食しようとしたら、あまりに長時間になってしまう。そもそも、日の出も日没もないので、断食をいつはじめ、いつ終えていいのかが分からない。

これについては、サウジアラビアの時刻に合わせる形で解決がはかられている。

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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)など著書多数。

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(宗教学者、作家 島田 裕巳)

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