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「やはり上から目線」新人記者の現行犯逮捕という"報道の危機"に読者の共感が集まらないワケ

プレジデントオンライン / 2021年8月7日 9時15分

北海道新聞本社(写真=Sengoku40/CC BY-SA 3.0/Wikimedia Commons) - 写真=Sengoku40/CC BY-SA 3.0/Wikimedia Commons

■新人記者が「私人逮捕」されるという異例の事件

6月22日、国立大学法人旭川医科大学で学長解任問題を取材していた北海道新聞社旭川支社報道部の記者が建造物侵入の疑いで大学職員に私人逮捕(検察官、検察事務官、司法警察職員以外の一般人による現行犯逮捕)された事件は、北海道新聞社が2週間以上も経った7月7日に「社内調査報告」を公表した。

だが、この調査報告は「内容も、手法も、あまりにお粗末」と激しい批判を浴びることとなった。

報道機関に対する信頼が薄まりつつある中、メディアの劣化が浮き彫りになった事件としてメディア史に残ることになりそうだ。

まず、旭川医大の説明や北海道新聞社の「調査報告」から、事件を再現してみる。

旭川医大は6月22日午後3時から、看護学科棟4階の会議室で、不祥事を起こした吉田晃敏学長の解任を検討する学長選考会議を開いた。

午後3時50分頃、大学当局は、報道各社にファクスで、会議終了後の午後6時に記者団の取材に応じることとし、それまでは学外者の立ち入りを原則禁止する旨を伝えた。

午後4時頃、北海道新聞取材班(4人)のキャップが、入社したばかりの22歳の女性記者に、会議の出席者を取材するため校舎2階に入って待機するよう通知した。

午後4時25分頃、さらに、取材班の記者(不詳)が、女性記者に会議が行われている4階に向かうよう指示した。

■直後は沈黙を続けた北海道新聞

午後4時30分頃、会議室の廊下で、選考会議の様子をドア越しに聞き耳を立てスマートフォンで録音していた女性記者を、大学職員が発見。学外者が無許可で学内に侵入していると判断して私人逮捕し、旭川東署に引き渡した。

旭川東署は、建造物侵入の疑いで女性記者の身柄を拘束して取り調べ、丸2日後の24日に釈放した。

旭川医大は28日、記者会見を開き、事件の詳細について説明、逮捕は正当な行為と主張した。

一方、北海道新聞社は、事件直後の6月23日付朝刊に、編集局総務名で「本紙記者の逮捕は遺憾。あらためて説明する」と短いコメントを出しただけ。

その後、沈黙を守り、事件から2週間余り経った7月7日付け朝刊に、事件の「社内調査報告」を掲載、「情報共有や取材方法、記者教育に問題があった」とする見解を示した。ホームページでは登録した会員だけが見られる限定公開とし、記者会見は開かなかった。

――というのが、事件の大まかな流れである。

■「炎上」した北海道新聞の対応

「北海道新聞記者逮捕事件」は、発生直後から、主要紙が一斉に報道、ネットでもメディア関係者や有識者がさまざまな視点から問題を提起し、議論百出の様相となった。いわゆる「炎上」である。

その後、しばらく間が空いて事件が忘れ始められかけたころ、北海道新聞が事件に関する「社内調査報告」を紙面に掲載した。

すると、またも、報道機関としての矜持、取材対象との距離感、読者との信頼関係など、メディアの本質的な問題をめぐって議論が噴出、再び「炎上」した。

この事件では、すでに、さまざまな論点が語られているが、ここでは、事件に臨んだ北海道新聞社の対応を中心に、メディアの現状と危機について考えてみたい。

全国的に注目を集めた旭川医大の学長が絡んだ不祥事追及の最中に、取材される側の旭川医大が取材中の新聞記者を私人逮捕したという事実は、それだけでも過去に例を見ない異常な「事件」だった。

写真=国立大学法人 旭川医科大学ホームページより
写真=国立大学法人 旭川医科大学ホームページより

だが、もっと異常だったのは、北海道新聞社が事件に対して取った一連の対応だ。はたして報道機関として適切だったといえるのかどうか。その後の経緯を見れば一目瞭然で、メディア界を揺るがす事態に発展してしまった。

■自社の記者を「さらし者」にした

まず、事件直後の対応について。

旭川医大の構内で私人逮捕されて旭川東署に身柄を引き渡された女性記者は、釈放されるまで2日間留め置かれた。

建造物侵入の容疑自体は軽微な違反で、取材が目的のうえ逃亡の恐れもないだけに、「行き過ぎ」(メディアで働く女性ネットワーク)と憤る声は少なくなかった。そもそも逮捕しなければならないような事案だったのか、という問題提起である。

ところが北海道新聞社は、この前代未聞の事件に直面して抗議声明を出すこともせず、即時釈放を要求したかどうかさえも明らかにしなかった。結局、業務命令を忠実に遂行しようとして逮捕された女性記者を、警察に委ねたままにしてしまった。

この新聞記者逮捕をめぐって賛否両論が渦巻く中、「逮捕は当然。記者は特権階級ではない」と指弾する意見を受け入れたと取られてもおかしくなかった。

建造物や住居への侵入罪は、狭山事件(※)の被告支援ビラを撒いた吉祥寺駅構内ビラ配布事件(1976年)や自衛隊官舎に反戦ビラを配った立川反戦ビラ配布事件(2004年)のように、政府批判の運動を抑止するための「権力の便利ツール」に使われたとみられるケースがままある。

※編集部註:1963年に埼玉県狭山市で女子高校生(当時16歳)が行方不明になり、その後遺体となって発見された事件。この事件で逮捕され、無期懲役が確定した石川一雄氏は冤罪を主張し、第3次再審請求審が東京高裁で続いている。

それだけに、ジャーナリズムの根幹にかかわる取材の自由と取材の正当性が問われた中、北海道新聞は、記者逮捕に際して、もっと敏感に反応してもよかったのではないだろうか。今回の事件における腰の引け方は、ほかに後ろめたいことがあったのか、あるいは警察に弱みを握られていたのか、と勘繰られかねない。

結果として、入社まもない試用期間中の新人記者を守る姿勢を示さず「見殺し」にしたことになり、しかも、北海道新聞だけが実名で報道したことで「さらし者」にする結果ともなってしまった。今後、当の女性記者が引き続き北海道新聞の記者として活動していけるのか、心配する声が聞こえてくる。

カメラを持って歩く人
写真=iStock.com/Motortion
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Motortion

■どちらに非があるかの議論と「逮捕の是非」の議論は別モノ

そして、事件から2週間以上も過ぎて、北海道新聞は7月7日付け朝刊にようやく「社内調査報告」と題する検証記事を掲載した。

これを受けて、ネットを中心に、さまざまな角度から論評が加えられたが、大半は厳しい評価で、好意的な見解を見つけるのは容易ではなかった。

まず指摘されたのは、記者逮捕という重大事に対し、北海道新聞としての見解を明確に示さなかったことだ。

「不当逮捕」なのか、それとも「まっとうな逮捕」なのか、世評が割れる中で、報道機関としての立ち位置を明らかにすることが求められていたはずだが、「調査報告」は北海道新聞の問題点ばかり列挙し、事実上、非を認めたような形で終わった。

だが、この場合、どちらに非があるかということと、このケースでの「逮捕の是非」とは分けて考えるべきではないだろうか。

また、「調査報告」の大半は事件当時の状況説明に割かれ、逮捕後についてはほとんど触れていないため、消化不良の感は否めない。

■肝心の指示した人物は「不詳」

何より批判が集中したのは、事件の核心部分ともいえる、女性記者に現場へ行くよう指示した人物を「電話やLINEで複数のやりとりがあったため、はっきりしません」とあいまいにした点だ。

取材団のキャップ以下3人の誰かであることは自明で、当の女性記者も、指示した記者も、知らないはずがない。しかも、電話やLINEは記録が残るから、確認する手立てはいくらでもあるだろう。判明はしているが公表しないというのならともかく、調べてもわからないという調査には、誰しもが素朴な疑問を感じざるを得ない。

元北海道新聞記者の高田昌幸東京都市大学教授は、毎日新聞のインタビュー記事で「その程度の社内取材もできないなら、報道機関を名乗る資格などない。もはやお笑いです」と酷評した。

そうした罵倒を覚悟のうえで、北海道新聞は「指示者不詳」という不可解な「調査報告」を出したのだから、そこには、もっと表に出せない事実があったのかもしれないと憶測を呼ぶことになった。

■現場の記者に責任を押し付け

一方、逮捕の直接的要件となった会議の模様を録音したり身分を明かそうとしなかったことについて、「女性記者の判断」「キャップの指示」と現場の記者の責任を強調し、新聞社としての責任には言及しなかった。

この点について新聞労連は、記者を守る立場から「現場に責任を押し付けるばかりか、自らの責任逃れが滲んでいる」と経営陣や編集幹部を糾弾する声明を出した。

逮捕者を出すような事件を起こした以上、しかるべき管理者が責任を取り、具体的な改善策を示すことが求められるが、「再発防止に努める」という通り一遍の言葉ですませてしまったのだ。

「調査報告」の内容については、ほかにも数多くの論点があるが、肝心の事実関係すら明らかにできないようでは、とても胸を張って「調査報告」とは言えそうにない。

■購読者にしか公表しない時代錯誤な対応

「調査報告」の公表のあり方についても、問題視された。

まず、事件発生から公表まで2週間余りもかかったことが挙げられる。その間、同業の報道各社の取材に対しても、だんまりを決め込んだ。

外部の有識者による第三者委員会ならまだしも、自社の限られた人数を対象にした社内調査なのに、ここまで時間がかかるとは考えにくい。それだけに、事件のほとぼりが冷めるのを待っていたのではないかと、うがった見方まで飛び出すこととなったが、結局、その理由は説明されなかった。

もっと重要なのは、北海道新聞の紙面とネットの会員向けサイトでしか「調査報告」を開示しなかった点だ。つまり、「調査報告」は、あくまで北海道新聞の読者向けであって、北海道新聞の立場や見解を広く訴えて世論の支持や理解を得ようという意思はなかったということになる。

もう一方の当事者である旭川医大は、早々に記者会見を開いて私人逮捕の正当性を主張したが、北海道新聞社は「記事をもって説明責任を果たす」としただけで、記者会見も行わなかった。

旭川医大学長の不祥事は教育界を揺るがす全国的なニュースになっており、その取材過程で起きた記者逮捕事件もまた、日本中の関心事であった。にもかかわらず、注視していた人たちの期待を見事に裏切ったのである。

情報が瞬時に駆け回るネット時代の今、北海道新聞の読者はネットを介して全国に広がっているのに、いまだに直接の購読者しか目に入らないようでは時代錯誤もはなはだしい。ネット時代をリードするにふさわしい報道機関とは言えないだろう。

■北海道新聞のダブルスタンダード

もし、北海道新聞が逆の立場に立ったら、どうするだろうか。

例えば、政府や大企業が、不可解な建造物侵入容疑の逮捕者を出し、理解に苦しむ「あいまいな調査報告」を出したら、報道機関の一翼として情報公開を迫り、説明責任を求めて、徹底的に追及するに違いない。

厳しく権力に迫る一方で、自らに求められた説明責任を果たせないなら、ダブルスタンダードといわれ、ジャーナリズムを標榜することは難しくなる。その結果、「新聞の公器性を自ら放棄した」と非難されるのも致し方ない。

小林亨編集局長の「ひるむことなく、国民の『知る権利』のために尽くしていく」という締めくくりのコメントがむなしく響く。

この「調査報告」を読んで、どれほどの読者が「北海道新聞はやはり信頼できる」と納得しただろうか。北海道新聞は、気骨あるジャーナリストを多数輩出してきた新聞社として知られるだけに、今回の事件に対する対応は残念でならない。

■反応が鈍かったメディア各社

もう一つ気になるのは、事件に対するメディア各社の静かな反応だ。

いずれも、警察発表はじめ旭川医大の記者会見の模様や北海道新聞の「調査報告」を、淡々と報じていた。突っ込んだ論評を展開したケースは少なく、逮捕の是非を含めて論じること自体に二の足を踏んでいるように見受けられた。

北海道新聞に突き付けられた「取材の自由と取材の正当性」という命題は、メディア界全般に投げかけられたテーマでもある。

今回の事件でいえば、公的機関が「施設管理権」を盾に記者の立ち入りを拒むことが常態化すれば、「報道の自由」が制約され、国民の「知る権利」が脅かされる事態につながりかねないという問題があった。

だが、真正面から取り組まねばならない課題を前にして、メディア界全体が立ちすくんでいるように見える。

「国境なき記者団」による「報道の自由度ランキング」では、日本は2021年も67位と低迷したままで、「記者が権力監視機関としての役割を十分に果たせていない」との懸念が示されている。これを克服できるかどうかは一新聞社の力だけでは難しい。

■「メディアの劣化を感じざるを得ない」

メディアを取り巻く環境は様変わりしている。

かつて新聞がメディアとして圧倒的パワーを持っていた時代と違って、今や上から目線で金科玉条のごとく「取材の自由」を掲げても、「報道目的なら何をしてもいいのか」と反発されてしまう。メディアに対する社会の受容度が変わってきているのだ。

新聞を読む人
写真=iStock.com/RichLegg
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RichLegg

近年、新聞やテレビなどのマスメディアに対する信頼度は低下の一途だ。

米国では、トランプ前大統領が、ニューヨーク・タイムズやCNNの報道をたびたびフェイクニュースと決めつけたこともあって、信頼度は急降下している。

米調査会社モーニング・コンサルトなどの2019年調査によると、新聞やテレビの9つの主要メディアに対する信用は平均で55%。共和党支持者に限れば、2016年の56%から44%に激減している。ギャラップの2017年調査でも、メディアを信頼すると答えた人の割合は41%で、2003年の54%から13ポイントも下がった。

日本は、総務省情報通信政策研究所の2019年調査によると、「新聞」68%、「放送」65%と、比較的高い水準にあるが、それでも徐々に下がってきている。

社会の支持を得られてこその「報道の自由」であり、「取材の自由」も担保されるが、メディアと読者との信頼関係を醸成する責任は、メディア側にある。取材対象との距離感を構築するのも、メディアの責任だ。

今回の事件は、北海道新聞のみならず、メディア界全体が時代の変化の波に乗り遅れている実態をあらためて浮き彫りにした。

そこにメディアの劣化を感じざるを得ず、権力チェックを主たる任務とするジャーナリズムにとって危機的状況が迫っていることを懸念せずにはいられない。

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水野 泰志(みずの・やすし)
メディア激動研究所 代表
1955年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。中日新聞社に入社し、東京新聞(中日新聞社東京本社)で、政治部、経済部、編集委員を通じ、主に政治、メディア、情報通信を担当。2005年愛知万博で万博協会情報通信部門総編集長。現在、一般社団法人メディア激動研究所代表。日本大学法学部新聞学科で政治行動論、日本大学大学院新聞学研究科でウェブジャーナリズム論の講師。著書に『「ニュース」は生き残るか』(早稲田大学メディア文化研究所編、共著)など。

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(メディア激動研究所 代表 水野 泰志)

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