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イスラム法学者の娘が「父に反対された髪染めを可能にした」すごい方法

プレジデントオンライン / 2021年8月9日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/nikkimeel

イスラム教徒の女の子は髪を染めることができるのか。あるイスラム法学者の娘が父親に聞いたところ、賛成は得られなかった。そこで別の法学者に聞いたところ、今度は「染めてもかまわない」という。なぜ違う答えになるのか。宗教学者の島田裕巳さんが解説する――。(第2回/全3回)

※本稿は、島田裕巳『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

■米国人ジャーナリストがイスラム法学者に学んだ本

数年前、文藝春秋の知り合いの編集者から依頼を受けたことがあった。まだ刊行されていない英文の本の草稿を読んで、刊行する価値があるかどうか、意見を述べて欲しいというのだ。

その本は、“If The Oceans Were Ink” by Carla Powerというものだった。

著者はアメリカ人で、ジャーナリストだが、イギリスのオックスフォード・イスラム研究センターで働いていたときに、イスラム法学者のムハンマド・アクラム・ナドウィーという人物と知り合い、彼のもとで、『クルアーン』を学んだ。その過程で経験したことをつづったのが、この本だった。

私はさっそく本の草稿を読みはじめたが、興味深いもので、一気に読んでしまった。そして、刊行の価値があると編集者に伝え、翻訳者についても宗教学研究室の後輩を紹介した。

それは、2015年9月に『コーランには本当は何が書かれていたか?』(カーラ・パワー、秋山淑子訳)として文藝春秋から刊行された。

アクラムというイスラム法学者は、ナドウィーという姓が示しているように、インド生まれで、イスラム教における女性の学者たちの業績を追う研究をしていた。著者のパワーは、アクラムの生まれ故郷であるインドまで一緒に出向いたこともあった。

■「髪を染めたい」と言ったイスラム法学者の娘

私がこの本を読んで、とくに印象深く思ったのが、あるエピソードだった。

イスラム教には、キリスト教のカトリックや仏教とは異なり、世俗の生活を捨てた聖職者というものは存在しない。神父や僧侶にあたる人物はいないのだ。

したがって、イスラム法学者であるアクラムは俗人であり、結婚し、家庭生活を営んでいる。子どもも6人いるが、すべて娘だった。

娘の一人が、髪を染めたいと思うようになった。そこで、父にお伺いを立てた。髪を染めることはイスラム教の教えに反していないかどうかというわけだ。

父親のアクラムは、決して厳格な原理主義者というわけではない。娘が目のところにスリットが入ったニカーブを被って登校しようとしたときには、それが本人の意思なのかどうかを慎重に確かめている。アクラムは、ニカーブを被る必要はないという考えだ。

ところが、髪を染めることについては賛成しなかった。

娘の方は、どうしても髪を染めたいと考えていた。

で、どうしたのか。

娘は、父親とは別のイスラム法学者のところへ行き、意見を求めた。すると、そのイスラム法学者は、髪を染めてもかまわないという見解を示した。そこで娘は、髪を染めることができたというのである。

これは、別の医者にセカンド・オピニオンを求めるようなものだが、イスラム教の特徴的なあり方を示す興味深いエピソードだ。私は、そのような印象を受けた。

■現代社会で「十七条の憲法」を守っているようなもの

イスラム教徒は、イスラム法であるシャリーアに従って生活を営む。イスラム法では、六信五行のような宗教的な信仰や実践のあり方についても規定しているが、同時にそこには、刑法や民法をはじめとする各種の法律にあたるような事柄も含まれている。

難しいのは、世の中で起こるあらゆる事柄が、イスラム法の基盤となる『クルアーン』や『ハディース』に書かれているわけではないということである。

しかも、神の啓示が下され、ムハンマドが周囲に伝えたのは7世紀のことである。すでに述べたように、日本なら聖徳太子の時代にあたる。それから社会は大きく変化してきた。とくに現代では、7世紀とはまったく違う社会生活が営まれている。

したがって、『クルアーン』や『ハディース』には示されていないような事柄やモノ、制度が現代ではいくらでも登場する。本書の4章でイスラム教徒の宇宙飛行士のことにふれたが、宇宙飛行など7世紀には想像もされていなかった。

聖徳太子は、「十七条の憲法」を制定したとされるが、イスラム法に従うということは、この十七条の憲法に従って現代生活を送るようなものである。

■イスラム教には「合意」を成立できる組織がない

では、『クルアーン』や『ハディース』に示されていない事柄が生じたときにはどうするのか。

その際には、「合意(イジュマー)」と「類推(キヤース)」によることになっている。

「合意」とは、ある事柄が正しいことなのかどうか、イスラム教徒の共同体である「ウンマ」において意見の一致がなされているもののことをさす。

ただ、合意と言っても、イスラム教徒全体の数は膨大である。しかも、イスラム教には意思決定を行う組織がない。

そうである以上、合意が成立しているのかどうか、それを判断することは難しい。不可能にさえ思えてくる。

コーラン
写真=iStock.com/FOTOKITA
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/FOTOKITA

たとえば、ムハンマドの後継者であるカリフを選出するときである。カリフになれる人物は、ムハンマドと同じクライシュ族の男性であるなど、いくつかの条件がある。ただし、その条件も公正であるとか、学識があるとか、かなり曖昧だ。

現在では、トルコ共和国の誕生によって消滅したカリフを再興しようとする動きもあるが、具体的にそれをどう実現していくか、そのプロセスにはかなりの困難が伴うことが予想される。

最近死亡した「イスラム国」の指導者、アブー・バクル・アル=バグダーディーは、自らがカリフであると宣言した。だが、それに賛同するイスラム教徒は一部にとどまり、とてもイスラム教徒全体で合意されているとは言えない状態にあった。

組織の発達したキリスト教のカトリックでは、その頂点に立つローマ教皇を選出する手続きが定められている。「コンクラーベ」と呼ばれる枢機卿による投票で決まる。

そうした仕組みは、組織のないイスラム教では確立されていない。イスラム教のあり方からして、仕組みを作り上げること自体が不可能である。

■イスラム法学者たちが行う「類推」

そこで、もう一つの「類推」の出番ということになる。

類推を行うのは、イスラム法について研究しているイスラム法学者である。イスラム法学者は、「ウラマー」と呼ばれる。

イスラム法学には、4つの主要な学派が存在している。ハナフィー学派・マーリク学派・シャーフィイー学派・ハンバル学派である。イスラム法学者は、それぞれの学派において確立された学説に従って見解を発表する。それが、「ファトワー」である。

髪を染めていいかどうかの判断も、それはイスラム法学者が下したものであれば、ファトワーということになる。

ただ、ファトワーは、イスラム法学者であれば、誰でも発することができる。そして、イスラム教のあり方からして当然のことだが、組織によって認められた公的なファトワーなど存在しない。

イスラム法学者のなかには、見識が高いと多くのイスラム教徒から認められている人物もいて、そうした学者が発するファトワーに従うイスラム教徒は当然にも多くなる。だが、絶対的な権威を持つファトワーはあり得ない。

■イスラム教徒以外が屠った肉は「ハラール」なのか

では、ファトワーが効力を持つプロセスはどのようになっているのだろうか。ここでは、イスラム教徒以外が屠った肉が果たしてハラールなのかどうかという問題を通して見てみたい。

生の精肉
写真=iStock.com/mphillips007
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mphillips007

これについては、中田考が1998年に、シリアのアブー・アル=ヌール・イスラーム大学に対して、ファトワーを示してくれるよう送った質問状が参考になる。それは、次のようなものだった。

【質問】
ワフバ・アル=ズハイリー博士はその著『イスラーム法とその典拠』3巻689頁において、「キリスト教国からの輸入肉は、たとえ屠殺時にアッラーフの名前が唱えられていなくても、食用が許される」と述べています。
それでは、シャリーアに則って屠殺した肉が多少の負担で入手可能な場合でも、店で市販されているアメリカやオーストラリヤからの輸入肉の食用は許されるのでしょうか?

これに対して、イスラム法大学の学長であるアル=シャイフ・アフマド・クフタロー博士から次のような回答が寄せられた。

【回答】
「啓典の民の食物は汝らに許されている」との至高なるアッラーフの御言葉の一般原則に基づき、キリスト教国からの輸入肉は食用が許される、それを食べることに問題はない。
啓典の民の屠殺肉にはアッラーフの御名を唱えることは条件とはならない。
また同様に「ある男が預言者の許にやって来て『アッラーフの使徒様、我々の中の一人の男が屠殺をするのに至高なるアッラーフの御名を唱えるのを忘れたのを知っておられますか?』と尋ねた時、彼は『アッラーフの御名は全てのムスリムの心中に存在する』」とのハディースに基づき、ムスリムの屠殺肉にもアッラーフの御名を唱えることは条件とはならない。
それゆえ啓典の民の屠殺肉を食べることには全く問題はない。
またムスリムは負担になるならムスリムの屠殺肉の購入を義務として課されることはない。

■イスラム法を現実に適用させるための工夫

これが、啓典の民の国から輸入された肉がハラールであることを示したファトワーである。

これはイスラム法大学の学長が示したファトワーで、その点では権威あるものと見なされる。

島田裕巳『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)
島田裕巳『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)

だが、絶対的なものではない。同じ問題に対して、別のイスラム法学者が異なるファトワーを発する可能性はある。

ただ、ここには、イスラム法を現実に適用していく上で、イスラム法学者が工夫を施している様子が示されている。

イスラム教徒の宇宙飛行士が宇宙でどのように礼拝するかについては、マレーシアでイスラム法学者の会議が開かれた。

そこで出された見解によれば、礼拝の方角は宇宙飛行士に任せ、無重力では跪(ひざまず)くことができないので、それを強制しないとされた。また、宇宙飛行が断食月にあたっていたことについては、帰還後に延期もできるとし、実施する場合には、打ち上げ基地の時間を基準にすればいいとされた。

厳格な姿勢を示し、イスラム教徒が屠った肉でなければハラームだとしてしまったら、日本にいるイスラム教徒は相当に窮屈な状況を強いられる。日本でハラールな肉を探すのは容易なことではないだろう。自分で屠るわけにもいかない。

■縦社会の日本、組織の発達していないイスラム教の世界

こうしたイスラム教のあり方を見ていくと、私たち日本人は随分と面倒くさいと考えるかもしれない。物事が決まっているのかどうか、その判断が難しいからである。

日本人なら、組織を作って、そこで規則を決める。その方向に向かうだろう。とくに、日本の社会は「縦社会」の傾向が強い。縦社会では、上の者の指示や命令に下の者が従うことが原則になっている。

しかし、組織の発達していないイスラム教の世界では、ここまで述べてきたようなやり方をとって物事を進めていくしかない。サウジアラビアのように、国家が決めた規則に従わないと、それで罰せられるようなところもあるが、そうしたイスラム教の国は一部に限られる。

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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)など著書多数。

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(宗教学者、作家 島田 裕巳)

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