「東京五輪のコストはユーロ2020の250倍」なぜ日本人はIOCのぼったくりを許すのか
プレジデントオンライン / 2021年8月2日 11時15分
■「気が遠くなるほど退屈な儀式」「たまらなく不快だった」
コロナ危機が収束の兆しを見せない中、始まった東京五輪。アメリカで7月23日の開会式をテレビで視聴した人は過去33年で最低を記録し、イギリスでもロンドン五輪の開会式に比べ視聴者数は9割超も減った。異常な状況下で日本に開催を強要した国際オリンピック委員会(IOC)の傲慢さは、限界に達した「スポーツの祭典」の矛盾をさらけだした。
英大衆紙デイリー・メールのコラムで、著名ジャーナリストのピアーズ・モーガン氏は「たまらなく不快だった」と本音をぶちまけている。
「正直言って、際限のないダウンビートが続く悲惨な開会式の間、深い眠りに陥った。気が遠くなるほど退屈な儀式は何の歓喜ももたらさず、混乱に満ちており、不公平で荒廃した五輪を中止しなければならない理由を白日のもとにさらした。6万8000人の空席に向け、白々しく手を振るアスリートの行列をながめるのはたまらなく不快だった」
モーガン氏はさらにこう指摘している。
「世論調査で五輪開催を望まない日本人が7割にものぼり、政治指導者はコロナ危機から国民の命を守るより商業的な利益を優先させたと国民は信じている」
一方で、普段は日本に対して辛辣な英メディアの多くは、開会式について同情的に伝えた。
「開会式の役割がその瞬間の精神を反映することにあるのなら、それは成功だったと言えるだろう。それなりに開会式はかなり美しかった。喪失……、私たちが暮らす(コロナ危機という)時代を反映していた」(英紙デイリー・テレグラフ)
「開会式は優雅さ、シンプルさ、正確さを表現することに成功した。それらは世界が日本の中に見いだし、そして日本人が誇りに思っている資質だからだ。東京には2008年北京五輪の攻撃的なナショナリズムや12年ロンドン五輪の生意気な賢さはなかった」(英紙タイムズ)
「パンデミックの苦難から目をそらさず、喪失と悲しみをテーマにした瞑想的なセレモニーだった。ジル・バイデン米大統領夫人やエマニュエル・マクロン仏大統領ら約1000人の観客を除く空っぽの観客席は強力な象徴になっていた」(英紙ガーディアン)
欧州連合(EU)離脱で地理的に最も近い友人を失い、先の大戦以来続くアメリカとの「特別な関係」を再構築する一方で、中国への対抗勢力として日本との連携を強化したいイギリスの外交的な思惑がにじむものの、英メディアの評価は予想以上に高かった。
■放映権料は右肩上がりなのに、開会式の視聴者数は33年ぶり最低
こうした評価はやはり「同情」だろう。
エリザベス英女王が人気スパイ「007」のジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)のエスコートでヘリコプターから落下傘で飛び降りる演出があったロンドン五輪の開会式に比べると、喪に服した格好の東京五輪の開会式はサプライズに欠けた。
日本人にとって開会式最大の見せ場は東京五輪大会名誉総裁の天皇陛下が開会宣言で「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します」と「祝い」の言葉を「記念する」に変更したことだった。
ニールセンや米NBCユニーバーサルによると、アメリカで東京五輪開会式を視聴した人は過去33年間で最低の1670万人にとどまった。ロンドン五輪より59%減、前回のリオ・デジャネイロ五輪より37%も減少した。しかし、下の図表をご覧いただくと分かるように五輪全体の放送権料は右肩上がりに増え続けている。
![夏季五輪開会式の米視聴者数](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/7/d/600/img_7ddfce7f622c5c9fa0d629336feaf801199401.jpg)
テレビ視聴者が減ったとは言っても、ネットやスマホの普及により、NBCが設けたプラットフォーム経由のストリーミング視聴者は1700万人にのぼり、リオ五輪より72%増、18年の平昌冬季五輪より76%も増えた。
イギリスにおける視聴者数もロンドン五輪の開会式では2690万人を記録し、世界中が注目した前年のウィリアム王子とキャサリン妃のロイヤルウェディングを上回った。当時、IOCの担当者は「ロンドン五輪は真に五輪放送の新しい時代を告げるものだ」と胸を張った。
しかし、深夜に放送が始まったリオ五輪開会式の視聴者は380万人まで減り、東京五輪の開会式はそれを下回る230万人にとどまった。
■「五輪開催の改革を検討する時が来た」
近代五輪はコロナ危機前から限界を露呈していた。開催都市が負担するコストが膨れ上がっていたからだ。1960年から2016年にかけ、五輪を開催すると平均して156%ものコスト超過が発生している。
この7月、国際通貨基金(IMF)のサイトに「五輪開催のコストが合理的に期待される収入を常に上回っているため、開催地を固定することを含め、開催方法を大幅に改革することを検討する時が来た」という論文が掲載された。
執筆者は米カレッジ・オブ・ザ・ホーリー・クロスのビクター・マセソン教授と米レイク・フォレスト・カレッジのロブ・バーデ教授の2人だ。アメリカで五輪開会式をTV視聴する人が過去33年間で最低を記録したことについてマセソン教授はこう解説する。
「低視聴率は予想されたことだった。スポーツ大会がアジアやオーストラリアで開催される場合、時差の関係でアメリカのテレビ視聴率は下落するという問題を抱えている。今回は開催を望まぬ日本国民に五輪を押し付ける形になり、多くの人がそれぞれ少しずつ罪悪感に苛まれていた。そのため、テレビのスイッチを入れるのをためらったのだろう」
■バッハ会長の頭の中にあるのはテレビで五輪を放送することだけ
コロナ危機のため無観客での開催を強いられる影響についてはこう分析する。
「無観客でもアスリートに与える影響はそれほどない。バスケットボールやサッカーはすでに無観客で行われていた。しかし8億ドル(約880億円)のチケット収入と少なくとも10億ドル(約1100億円)の観光収入がなくなることは主催者への直接の打撃となる。さらに10億ドルのスポンサーシップ収入がぶっ飛ぶ恐れもある」
IOCのトーマス・バッハ会長が米紙ワシントン・ポストで「ぼったくり男爵」と揶揄(やゆ)されたことについてどう思うか、尋ねてみた。
マセソン教授は「東京五輪はIOCと開催都市のインセンティブが大きく異なることを浮き彫りにした。バッハ会長の頭の中にあるのはテレビで五輪を放送することだけだ。それがある限りIOCの収入は確保される。IOCはコロナ危機における日本の健康リスク、大会延期による開催都市の負担、政治的影響を全く気にかけていないことをあからさまに示した」と語る。
■「東京五輪はコロナ危機前から大惨事だった」
東京五輪と同じようにロンドン五輪もリオ五輪も実際にかかったコストは当初の予算をはるかに上回っていた。ロンドン五輪の当初予算は40億ドル(約4400億円)だったが、コストは約160億ドル(約1兆7600億円)に達した。収入でコストを埋めることはとてもできなかった。
「ロンドン五輪は地元で非常に人気があったが、リオ五輪は東京同様、費用がかさみ現地で大規模な抗議活動を引き起こした」とマセソン教授。「東京五輪は経済面でも大惨事だ。しかしコロナ危機が発生する前でさえ、完全な災難だったことを認識することが重要だ」
「東京五輪の当初予算は73億ドル(約8000億円)。それが公式の数字で154億ドル(約1兆7000億円)、非公式では250億ドル(約2兆7500億円)にまで膨れ上がったと言われる。これはすべてコロナ危機が起きる2019年12月までに生じている」。新国立競技場の建設費だけでも計14億ドル(約1540億円)だ。
「日本はコロナ危機の最中に五輪を開催することになるとは運が悪かったと言いたくなるが、コロナ危機は200億ドル(約2兆2000億円)の赤字に50億ドル(約5500億円)の赤字を上乗せしただけであることを忘れてはいけない」
■EUROの開催コストが東京五輪の250分の1だった理由
コロナ危機で東京五輪と同じように1年延期して開催されたサッカーのUEFA欧州選手権(EURO2020)はイングランドが主要大会で55年ぶりの決勝に進出したため、イギリスでは最大1834万人がテレビで視聴した。イギリスでは国民の大半が楽しみにしているスポーツ大会は有料チャンネルではなく無料の英BBC放送などで放送するよう法律で定められている。
EURO2020と東京五輪の違いをマセソン教授はこう指摘する。
「最大の違いは大会開催コストだ。UEFA(欧州サッカー連盟)は数年前、EUROを欧州大陸全体のイベントにして、個々の都市がいくつかの試合を招致できるように決定した。過去の大会は1つの国か、2つの国で行われてきたため、多くの国が大会開催のため新しいスタジアムを建設し、インフラを整備する必要があった」
「1つか2つのワールドクラスのスタジアムがあっても、8つも10もない国もある。しかし今回から分散開催になり、10カ国11都市が試合を招致できた。それぞれの国はワールドクラスのスタジアムを少なくとも1つぐらいは持っており、新しいインフラは必要なかった。コストは東京五輪の250分の1である約1億ドル(約110億円)に収まったはずだ」
![サッカースタジアム](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/f/670/img_df1dfa798d42f87ec0fe2e0c1fad39b61272947.jpg)
■五輪は“高嶺(高値)の花”になりつつある
ナチスドイツはその力を国内外に誇示するため、それまでの五輪の10倍の費用をかけて1936年ベルリン五輪を開催した。それ以降、今日に至るまで五輪の開催費用は膨張し続けており、IOCはすでに五輪の開催都市を見つけるのに苦労している。今回のコロナ危機は五輪開催には経済的コストだけでなく、健康的リスク、政治的リスクを伴うことも浮き彫りにした。
五輪の開催コストがこのまま高騰を続けると、手を挙げる都市が出てこなくなる恐れがある。そして公共放送も巨額の放送権料を支払えなくなるだろう。
実際、英公共放送のBBCは、ロンドン五輪やリオ五輪では双方向チャンネル(レッドボタン)を通じて全競技を無料でライブ放送した一方、東京五輪では2つの競技しか同時に放送できなくなった。米放送大手ディスカバリーがBBCに競り勝ち、24年のパリ五輪
だが、イギリスの視聴者は自国の代表選手をテレビで応援するために東京五輪から初めてお金を払わなければならなくなり、不満が爆発した。五輪はエリートの、エリートによる、エリートのための祭典になったことに世界が気づき始めている。低所得者層にとって五輪はすでに“高嶺(高値)の花”になりつつあるのだ。
■「五輪嫌い」を増やさぬためにも開催方法の見直しを
五輪開催を持続可能にするためにはまずコスト削減が求められる。そのためには恒久的な開催地を設けたり、EURO2020のように分散開催したりするなどの工夫が必要だろう。
五輪がスポーツコンテンツの宝箱であることに変わりはない。しかしバッハ会長は悪名高き「ぼったくり男爵」を卒業して「あしながおじさん」に変身しなければなるまい。さもなければ、コロナ危機下で強行された東京五輪をきっかけに「五輪嫌い」が世界中に拡散するかもしれない。
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在ロンドン国際ジャーナリスト
京都大学法学部卒。元産経新聞ロンドン支局長。元慶應大学法科大学院非常勤講師。大阪府警担当キャップ、東京の政治部・外信部デスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。
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(在ロンドン国際ジャーナリスト 木村 正人)
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