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「こんな店はほかにない」伝説の日本料理店・京味が客に必ず行う"ある儀式"

プレジデントオンライン / 2021年8月8日 11時15分

撮影=牧田健太郎

東京・新橋に「京味」という日本料理店があった。2019年に逝去した主人・西健一郎は、和食においてだれもが認める日本最高の料理人だったという。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんは「京味の常連たちは、一番いいところは料理ではない、と口を揃えていた」と振り返る――。

※本稿は、野地秩嘉『京味物語』(光文社)の一部を再編集したものです。

■ジョン・レノンがたいそう気に入った賀茂茄子

これはグラフィックデザイナーの長友啓典さんから聞いた話だ。

野地秩嘉『京味物語』(光文社)
野地秩嘉『京味物語』(光文社)

「オノ・ヨーコさんがね、ジョン・レノンを京味に連れてきた。そうしたら、ジョンはものすごう気に入ったらしくて、来日の折にやってきて、おしんこと賀茂茄子をがばがば食べていたらしいんや。

西さんはね、ジョン・レノンのことを知らなくて、『あんな格好で大丈夫なんか』と心配してはったようやで。あの人、ちょっと抜けてるところもあって、おもろいで」

これはほんとうにあったことだ。ジョン・レノンの好物は賀茂茄子だった。

 

■鯛の焼き物に添えられたのは「蓼酢」

ある日、秋元さん兄弟(康さん、伸介さん)が長友さんと私を京味に連れていってくれた。付け加えるけれど、最初に連れていってくれたのは秋元さん兄弟である。わたしはものすごく感謝している。

京味の主人、西健一郎氏(故人)
京味の主人、西健一郎氏(故人)(撮影=牧田健太郎)

初夏の席だった。鮎が出る。秋元さん兄弟とわたしの前には鮎が来たけれど、長友さんには白身魚を焼いたものが出てきた。

西が言った。

「長友さん、キュウリウオの類がダメだから、鯛のカマを焼いてみました。蓼酢で召し上がってください」

長友さんは胡瓜を始めとする瓜は一切、食べない。においもかがない。瓜もズッキーニもメロンも西瓜もダメ。ついでにキュウリウオもダメ。シシャモも公魚もダメ。

「野地くん、わからんの。キュウリウオのにおいはあれは胡瓜やで」

わかりませんと答えておいた。

さて、鮎と鯛のカマと蓼酢である。わたしが鯛のカマをじっと睨(にら)んでいたら、長友さんは「少しなら食べてええよ」と分けてくれた。それを蓼酢に浸して食べたら、鮎よりもはるかにおいしかった。カマの脂と蓼酢のほろ苦い酸っぱさが調和していた。

ここぞとばかりに「西さん、料理の天才ですね」とお世辞を言ったら、にこりともせず、「蓼酢というのは魚の余分な脂を消すんです」と呟いた。

蓼酢は鮎だけのものではない。脂のある白身魚に合わせてもいい。これも料理の本質を知っているからこその使い方だ。料理人が百人いれば百人全員が「鮎だから蓼酢を使う。それが常識」と思っている。しかし、彼はそうではない。蓼酢の本来の使い方を知っている。

■「いちばんいいところは、料理じゃない」

「健ちゃん」

西のことをそう呼ぶことができる人はわたしが知る限り三人。その一人がサンモトヤマ創業者の茂登山長市郎さんだった。

京味
撮影=牧田健太郎

茂登山さんは京味の常連ナンバーワンだった。京味が開店してすぐにやってきて、週に二度は通い、晩年まで、食事をしていた。わたしも茂登山さんにはずいぶん食事をご馳走になった。「マキシム」、天ぷらの「茂竹」、帝国ホテルの寿司「なか田」……。

「次は健ちゃんの店だ。野地くん、京味で好きなだけ食べていいぞ」

そう言っていたけれど、一緒に行くことはできなかった。

そんな茂登山さん、そして、京味の包装紙のデザインをした長友さんが京味の第一の特徴はこれだと語っていたことがある。

茂登山さんは言った。

「野地くん、知ってる? 健ちゃんの店のいちばんいいところ?」

わたしはなんとなくわかったけれど、わかったとは答えられなかった。

「何でしょうね、いったい?」

茂登山さんは「料理じゃないよ。料理は天下一だ。だが、料理じゃないんだ」。その時、横にいた長友さんが「野地くん、それくらいのこともわからんのか。勉強が足りん」と不機嫌な顔で言った。

■番頭、妻、ふたりの娘と店の外に出て…

ふたりが教えてくれたのは次のようなことだった。

「あんな、あそこのよさはファミリーサービスなんや(長友さんの口調)。西さんを始め、家族が一生懸命、サービスをする。みっちゃんも従業員もみんな家族やで。考えてみいな。あれだけの高級店でファミリーサービスしてくれる店はないで」

京味
撮影=牧田健太郎

そうだ。言われてみればその通り。京味は働いている全員が家族の店だ。

たとえば、京味の儀式、「お見送り」である。

食事が終わり、デザートが出る。「ごちそうさま」と立ち上がる。カウンターのなかに西はいない。

番頭のみっちゃん、妻、ふたりの娘と一緒に店の外に立っている。

みんなでいっせいに「ほんとにありがとうございました」と頭を下げる。下げて五秒くらいは誰も頭を上げない。なんだかんだで店の入り口で三分くらい時間を費やしてしまう。

客が迎えの車に乗り込むと、また頭を下げる。ドアが閉まったら、頭を下げて「またお越しください」と言う。車が出ていくと、また頭を下げる。

■自転車に乗ってまでタクシーを探す

歩いて帰る場合は客が角を曲がり、姿が見えなくなるまで、手を振り続ける。角を曲がったら、頭を下げる。道路に通行人がいても、みんなで盛大に手を振る。通行人は誰か芸能人でもいるのかとあたりを見回す。

京味
撮影=牧田健太郎

タクシーは西がつかまえに行く。膝の状態がよかった頃は自転車に乗って二〇メートルくらい先にある大通りまでタクシーをひろいに行った。

「車に引かれるのではないか」と思うくらい、道路の真ん中に仁王立ちしてタクシーをつかまえる。ただし、個人タクシーがそばに寄ってくると、見送る。「個人タクシーは接客がいまひとつ物足りない」からだ。

そうして、タクシーをつかまえて、客が乗りこむ頃には、西が乗る自転車を追ってきた家族とみっちゃんが、ひたひたと迫ってくる。家族が大通りまでやってくると、一列に並んでみんなで手を振る。客はほんとうに、照れくさい。照れくさいけれど、でも、彼らの気持ちはぐっとくる。胸がいっぱいになる。タクシーに乗ってから涙を流す高齢の客もいないわけではない。

■西健一郎が終生大事にしたこと

西の口癖は「今度、しがらき餅作ってあげる」「今度はずいきのお寿司握ってあげる」「今度は太巻き巻いてあげる」……。

京味
撮影=牧田健太郎

作ってくれると言われても、だからといってそれを食べるためだけに京味に行くわけにはいかない。たとえ、作ってもらえなくとも、ありがたい気持ちになる。

彼は食べることも好きだ。だが食べる喜びより、それよりも作る喜びの方が大きいようだ。

彼はこんなことを言っている。

「日々のおかずの基本は鉢物だと思います。お鉢に入っているものを好きなだけ取って、好きなだけ食べる。お鉢のものを食べながら会話をする。会話も弾みます。

毎日食べるものを作る時は自分の体に聞くこと。疲れていたら、よし、精力をつけようと、とろろを食べる。肉でもかまいません。鰻でもいいでしょう。自分が食べたいものを食べる。ただ、疲れている時、今の私は肉よりもむしろ野菜の方が体を元気にしてくれると思います。もしくは好物を食べる。私はかやくご飯が好きだから、疲れていたら、それが食べたくなる。粕汁、豚汁、鶏雑炊もいい」

■「料理を作る喜びを知って、ほんとうによかった」

京味
撮影=牧田健太郎

「ご飯を食べて体の調子をよくするのがいちばんです。自然の力で体を治す。料理にはそういう力があります。

今は自分で作らなくとも、外のお店に行けばおいしいものはいつでも食べられます。何でもあります。外で食べれば買い物も調理の手間も要りません。後片付けもしなくていい。疲れていたら、外食してもいい。

でも、料理は食べる喜びだけではありません。自分が作ったものを家族が食べてくれる。お客さまが食べてくれる。おいしいと言ってくださる。料理人の喜びとはそういうものです。それが料理人の幸せです。料理人になってよかったと思うのはそういう時なんです。私は料理を作る喜びを知って、ほんとうによかったと神様に感謝しています」

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。noteで「トヨタ物語―ウーブンシティへの道」を連載中(2020年の11月連載分まで無料)

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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