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「嫁の悪口を嫁の母にベラベラ」50代女性の体調急変の元凶は"義理の毒親"

プレジデントオンライン / 2021年7月31日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/banabana-san

関西地方に住む50代男性は暴力父と暴言母に育てられたが、社会人になってからは実親と距離を置いた。ところが結婚後、よかれと思い義父母と交流を始めた妻の体調に次々と異変が起こり、娘のメンタルも不調に。その頃、高齢の義父母は認知機能が著しく低下していた――。(前編/全2回)
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■毒親の両親

関西在住の深戸雅人さん(50代・既婚)は、10歳くらいの頃、「自分の両親は毒親だ」と気付いた。当時、毒親という言葉はなかったが、どこかおかしいと直感していた。

現在88歳で、ボイラー技士をしていた父親は、外面は良いが短気だ。家ではすぐにカッとなり、何か気に入らないことがあると突然殴ったり蹴ったりという暴力行為を日常的に繰り返していた。

父親より1つ歳下の母親も問題があった。「絶対に自分は間違っていない。私の言うことを聞いていればいい」という考え方の人で、深戸さんは幼い頃から、「デキが悪い! ダメなやつ!」と常に否定され、罵倒されて育ったそうだ。

両親の仲は良くなく、母親は父親の女性問題にいつも悩まされ、家の中は常にギスギスしていた。

深戸さんは工業高校を卒業し、製造業の会社に就職。入社3カ月で22時過ぎまで残業となることが続いたため、会社が近くにアパートを借りてくれたことにより、深戸さんはすんなり家を出ることに成功。一人暮らしを始め、極力、実家には近寄らないようにした。

就職してから約7年後、深戸さんは、高校の頃から付き合ってきた彼女から結婚の話を持ちかけられるが、「俺の母親の相手は誰にもできないから、結婚なんてやめておいたほうがいい」と断ろうとしたところ、「大丈夫! 頑張るから!」と言って譲らないため、腹を決める。

その後、双方の両親との顔合わせから結婚式まで、予想していたような大きなトラブルもなく済んだものの、裏では両親から重箱の隅をつつくがごとくあれこれ難癖をつけられ、“幸せいっぱいの結婚式”というイメージとはほど遠い結婚式となった。

■結婚後の生活

結婚後、妻は深戸さんが、「うちの両親は毒親だから関わらないほうがいい」と言うのを意に介さず、「親なんだし、月に一度は様子を伺いついでに電話くらいしたほうがいいよ」と言い、実行に移した。

ほどなくして妻は、楽観視していた自分を悔やむことになる。電話をかける度に、母親から何かに付けて文句や嫌味を言われるため、みるみる疲弊していった。

母親は、妻に直接文句や嫌味を言うだけでは飽き足らず、ときには妻の母親にわざわざ電話をしたり手紙を書いたりして、妻の悪口を吹き込むことも。深戸さんの自宅の近くに住む妻の母親は、娘に電話や手紙があったことを伝え、心配した。

妻は次第に、当初電話をかけると決めていた月末が近づくにつれて、表情が暗くなり、口数が少なくなっていき、とうとう軽いうつ状態になってしまう。深戸さんは、毎月実家に電話するのをやめさせた。

それから数年後、30代にはいった深戸さん夫婦に長女が誕生する。

初孫の誕生は、毒親の両親にとっても嬉しかったようだ。父親は乳児をどう扱えばいいか戸惑っていた様子だったが、母親は思いのほか可愛がってくれた。

それでも深戸さん夫婦は、なるべく実家に関わらないようにした。お盆とお正月くらいしか帰省しなかったが、その数時間も、深戸さん夫婦にとっては針のむしろ状態だった。

「母は、『やっつけてやる!』が口癖で、常に誰かを攻撃せずにはいられない人でした。『用事があるから』と早々に帰った時などは、私たちに直接文句を言わず、妻の母親に『息子夫婦によく言っておいてください』と電話したりしていました。母に命令されて、我が家へわざわざ伝えに来る義母には本当に申し訳なく思いましたし、当時の妻の怒りは相当なものでした」

そしてお盆やお正月でさえも、深戸さん一人で帰省するようになっていった。

■妻のリウマチ

2008年、40代になっていた深戸さんの妻が、突然肩の痛みを訴え始めた。

最初は四十肩かと思い、整骨院に通い始めたが、肩だけでなく、顎、膝、股関節など、関節という関節に激痛を感じるようになり、整形外科を受診するも一向に症状は改善しない。何軒か病院を変わり、膠原病内科にかかったとき、「リウマチではないか?」とようやく診断が下りる。

腫れた手
写真=iStock.com/Toa55
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Toa55

関節リウマチは、30~50歳代の女性が多く発症し、免疫異常によって主に手足の関節が腫れたり痛んだりする病気だ。進行すると、骨や軟骨が壊れて関節が動かせなくなるだけでなく、目や肺などの全身に炎症が拡がることもある。

リウマチの初期症状には、熱っぽい、からだがだるい、食欲がないなどの症状が続いたり、朝方に関節の周囲がこわばったりすることがあり、その後、小さな関節が腫れ、やがて手首やひじ、肩、足首やひざ、股関節など全身の関節に拡がっていく。妻はこの状態に至っていた。

リウマチを発症する原因はいまだによくわかっていないが、細菌やウイルスの感染、過労やストレス、喫煙、出産やけがなどがきっかけになることがあるという。深戸さんはうつ症状も、このリウマチも、自分の親と関わったことが強いストレスになったことで発病したのではないかと感じている。

妻は、服薬やリハビリを開始するも、最も症状が悪いときは、「血管の中をガラスの破片が流れているような感じがする」と言い、ほとんど寝たきり状態に。深戸さんは、当時高校受験を控えていた娘には負担をかけまいと、ほとんどの家事を引き受けたほか、激痛のため入浴や着替えも一人ではできなくなった妻のため、平日の通勤前と帰宅後、そして休日は妻を介助した。

妻の症状は約3年続いたが、腱の癒着はリハビリで改善し、ゆっくりと回復。現在もこわばりや痛みは残るが、普通に生活できるまでになった。

■娘の不安障害

その後しばらくは平穏な時間が過ぎたが、2018年に新たな懸案事項が浮上する。

会社員として働いていた20代の娘が、通勤時に突然倒れたのだ。その日、駅長室で休ませてもらっていたが、一向に回復しないため、救急車で運ばれる。

娘は胸の苦しさを訴えたが、病院で調べてもどこにも異常はないため、そのまま帰宅。しかしその後も同じような症状に苦しみ、体調が優れない日が続くため、心療内科を受診。不安障害と診断され、1年間の休職を決めた。

深戸さんも妻も、数カ月休職すれば復調すると考えていたが、予想に反して娘の症状は悪化。全く外出できなくなり、1カ月ほどベッドから起き上がれず、食事もとれなくなった。

心配した深戸さんは、インターネットで極力服薬に頼らない治療方針の心療内科を探し、通院を開始。その心療内科医は、24時間いつでも連絡が取れるメールアドレスを教示し、深戸さんと連絡を取りつつ治療を進めてくれた。

ある日の明け方近く、娘が激しいパニック発作を起こしたため、深戸さん夫婦は救急車を呼ぼうと思ったが、その前にその心療内科医にメールをしたところ、すぐに「落ち着いてください。大丈夫ですから」と返信があり、深戸さんも妻も冷静になることができた。

「後から娘に聞いた話では、大学受験の頃に喉がつかえるような症状があり、就職活動の時期にも駅で倒れたことがありました。性格的にかなりおとなしいほうで、引っ込み思案なところがあり、就職してからもいろいろ悩んでいたようです。私たち夫婦は戸惑うばかりで、その心療内科医との奇跡的な出会いがなければ、娘はここまで回復できなかったように思います」

2019年6月、1年以上の休職は解雇となるため、娘は完治しているとは言えないながらも復職。その1年後には、休薬に成功した。

■運命の電話

その後も深戸さん夫婦は、両親と距離を取り続けた。実家から電話がかかってくるときは、大抵「親を大事にしなさい」という内容の文句と嫌味の電話だった。

ところが2020年3月、両親のケアマネージャーを名乗る人から、「この度は、ご両親がデイサービスと訪問看護の利用を始めることになりました。料金が発生するので、一応息子さんにも連絡をしました」と電話が入る。

深戸さんは、母親が2015年に人工股関節置換手術を受けており、身体障害者となっていたのは知っていたが、何級かまでは把握しておらず、介護認定を受けていたことも知らなかった。

レントゲン
写真=iStock.com/Spondylolithesis
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Spondylolithesis

さらに同じ日、デイサービスの担当者から、「明日契約なので立ち会ってほしい」と電話が入る。

深戸さんは、突然の電話に戸惑いつつも、相手の強引な呼び出しに考える猶予もなく、翌日、指定されたデイサービス事業所へ向かった。

事業所に着くと、所長にケアマネージャーを紹介され、施設内を見学。契約に呼び出した当のデイサービスの担当者が不在だったため、「担当者が到着するまで、実家で介護保険証を探しておいてください」と言われる。

■「契約に立ち会え」「契約書に判を押せ!」ケアマネの意図とは

当時、深戸さんは、介護の仕組みをほとんど理解していなかった。親が介護保険証を持っているかどうかさえ知らなかった。そのためケアマネージャーやデイサービス、訪問介護や包括支援センターなど、ごく基本的な介護用語さえピンとこない。頭の中に「?」マークが浮かびながらも、言われるままに実家で介護保険証を探し始めた。

しばらくして、デイサービス担当者が実家へ到着し、両親のデイサービス利用の契約をすることになった。担当者が契約書を読み上げるが、深戸さんは契約内容のほとんどが理解できない。

読み終えると、担当者はなぜか深戸さんに契約させようとする。何となく不穏なものを感じた深戸さんは、父親本人に契約させ、自分は同意のサインのみにした。

「『父本人と契約するから立ち会え』と連絡があったのに、実際に行ったら、私に契約させようと誘導したことに違和感を覚えました。前日に突然電話してきて、いきなりその場で『契約書に判を押せ!』なんて、納得できません。今思うに、ケアマネさんもデイサービス担当者も、両親の認知症を把握していたからこそ、確実に利用料を回収するために、私を呼び付けたのだと思います」

この時点で、両親は医師から認知症との診断を受けてはいないものの、すでに母親は要介護1。それまで利用していたのはヘルパーのみだったが、この日新たにデイサービスと訪問看護を父親が契約。父親は要支援2と介護認定が下り、デイサービスと訪問看護を契約した。

この日の出来事が、その後の生活を大きく変えるきっかけになろうとは、深戸さんはまだ知る由もなかった。

以下、後編へ続く。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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