なぜテレビ番組に出てくる「理系の専門家」の説明はわかりにくいのか
プレジデントオンライン / 2021年8月7日 11時15分
※本稿は、池上彰・上田紀行・伊藤亜紗『とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■「専門家の言うことは正しい」が変わった
新型コロナウイルスの世界的な流行で、日本も大混乱の渦中にあります。コロナ禍によって私たちは、これまで常識だと思っていたことが次々とくつがえされるという経験をしています。その一つに、「専門家」と呼ばれる人たちに対するこれまでのイメージが大きく変化したということがあげられます。
今回のような未知の感染症の世界的流行といった非常事態のもとでは、こういう対策を講じれば必ずこういう効果がもたらされるといった、いわば正解のような対応策はありません。誰も正解がわからないなかで、少しでも良い方向に向かうように試行錯誤を繰り返すしかありません。
これまで私たちは、「専門家」と呼ばれる人たちの言うことは正しいと、漠然と信じていました。その道のプロなのだから、間違ったことは言わない、だから彼らの言うことが絶対でファイナルアンサーなんだと、一般には思われていました。だから専門家の言うことには従ったほうがよいのだと。
ところが、今回のコロナ禍というまさに危機的状況のなかでは、専門家といえどもその知識は決して絶対的な正解などではなく、すべては条件付き、カッコ付きのもの。それが本当にいいのかはわからないけれども、この危機に立ち向かうためにとりあえずやってみるしかない。そういう事態を、いま私たちは経験しています。
■「進みながら考える」ことが求められる
これは何を意味しているのでしょうか。専門家に対する、非専門家の私たちの態度が変化しつつあるのではないでしょうか。これまでの、専門家の言うことは正しいから従うという態度から、専門家の知識を運用して事態を少しでも良い方向にもっていこうという態度へ変化が起きているということではないでしょうか。
社会の中の専門家像にこうした変化が起きると、専門家と呼ばれる人たちの側にも変化が求められます。
自分たちはこの分野の専門家なのだから、常に正しいことを言わなければならない、間違ったことを言ってはならない、と考えていたら、ファイナルアンサーが出るまで何も言えません。でも、それでは今回のような危機的な非常事態においては、なんら専門的知識や能力を社会のために役立てることはできません。正解をどこまでも探求し続けているあいだに、取り返しのつかない事態を招いてしまうでしょう。
もちろんエビデンスをきちんと提示して「正しいことを言う」というのは重要なことです。しかし、専門家の態度として、刻々と状況が変化する中では、「進みながら考える」ことができなければなりません。試行錯誤の中で最善の策を考え説得力をもって提言するということが、専門家の力量としてきわめて重要であるということが、今回のコロナ禍でよくわかったのではないかと思うのです。
どうでしょうか、日本の専門家と呼ばれる知的エリートの人たちに、そうした力が備わっているでしょうか。とくに科学的根拠や科学的合理性が求められる今日の状況では、理系の専門家の役割は重大です。
■バラバラな知識を運用する力が「教養」だ
複雑さを増す現代社会では、知識はどんどん細分化されバラバラな状態で存在しています。どれだけ多くの知識が蓄積されても、その知識をその時々の状況に応じて自由に運用する力がなければ、知識は無駄になってしまいます。多くの知識を知っているだけでは、これは単なる「物知り」です。「物知り」は、クイズには答えられるかもしれませんが、刻々と変化する状況のなかで、さまざまな情報をつなげて問題を解決するというときに、それだけでは通用しません。多様な知識を運用する力、これこそが現代社会を生ききるうえできわめて重要な能力なのです。
たとえば、新型コロナウイルスに関して、マスメディアを通して、あるいはSNS上で、さまざまな情報が流れてきます。何が正しいのか、どの情報を信じていいのか、わからなくなります。あの人はこう言っている、けれどもこの人はこう言っている、こういう見方もあればああいう見方もある。でも、ここでさまざまな情報の渦に巻き込まれて思考停止してしまったら、何もわからないままです。
![情報](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/f/8/670/img_f8f3534151b40b863ea494690ac1501a468077.jpg)
いったん冷静になって、バラバラな情報や知識を、ならべてみたり、つなげてみたりしてみましょう。すると、この知識とあの知識は矛盾しているように見える、さらに別の知識を合わせてみると、「やはりおかしいぞ。これはフェイクだ」と気づくことができます。
このようにしてバラバラな知識を運用する力、これが「教養」の力であると、私は思います。
そういうものを、専門家であろうが非専門家であろうが関係なく、理系も文系も同じように身につけていかなければなりません。
■原発事故を報じるテレビ番組に受けた衝撃
理系の専門家と呼ばれる人たちの言説に対して、私は違和感を覚えてきました。きっかけは2011年の東日本大震災のときの報道です。
じつはその直前に私は、テレビのレギュラー番組を全部やめ、もう一度勉強し直そうと思っていました。アウトプットするだけではなく、ここはインプットをしないとだめだと思って、学び直しを心に決めていたのです。ところがそう思っていたところに、東日本大震災が起きました。レギュラー番組から徐々に離れていたので、私は多くの人たちと同じように一視聴者としてあの大惨事の動向をテレビで見守っていました。
そこで私は強烈な違和感に襲われたのです。福島の原発事故が起きたときに、東大工学部や東工大工学部の先生が次々と出てきて、原子炉について説明するわけですが、専門的な用語ばかりで、いったい何が起きているのかまったくわからない。「ベクレル」とか「シーベルト」とか、それが何を意味するのか、すぐには理解できません。我々の世代は放射線の単位といえば「キュリー」ですから、それがいつの間にか「ベクレル」や「シーベルト」になっていた。これでは専門知識のない素人には、工学部の先生たちの解説がよく理解できないではないかと思ったのです。
■文系と理系の知が分断されている
番組のキャスターたちは文系出身者ばかりですから、NHKでも民放でも、専門家が言ったことに対してどう反応していいかわかりません。でも、「わかりません」と言うと無知と思われそうだし、うっかり質問すると「そんなことも知らないのか」と馬鹿にされるかもしれない。キャスターにもプライドがあるので、専門家の言うことがわからなくても「なるほど。ありがとうございました」とやり過ごす。そんなテレビでの震災報道を見ていて、「なんなんだ、これは!?」と思ったのです。NHKの水野倫之解説委員だけは、それまでNHKの科学文化部に所属して、原子力に関する取材を積み重ねてきましたから、安心して見ていられましたが、これは例外です。
![池上彰・上田紀行・伊藤亜紗『とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡』(中公新書ラクレ)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/f/200/img_effef442861aa6bcc49e67b8b67af9be409662.jpg)
そこではじめて、「そうなのか、日本ではこれほどまでに文系と理系の知が分断されているのか」という問題意識が芽生えたのです。
もちろん私自身も、この事故では急遽、テレビ番組に出演しました。ある番組で、某大学の工学部の先生が、放射線による影響について解説するさいに、「ヨウメン」「ヨウメン」と言うのです。聞きなれない言葉で何のことだろうと思ったのですが、そのときの文脈からおそらくそれは「葉面(ようめん)」のことだろうと推察した私は、すかさず「あ、ヨウメンというのは、葉っぱの表面のことですか?」と質問しました。すると「はい、そうです」と。その先生はさらりとかわしてまた難解な解説を続けようとする。私も負けじと、わからない言葉が出てくるたびに「それって、何ですか?」と、聞き続けました。
■「理系のことは何もわからない」という劣等感
しかし、他のキャスターやアナウンサーであれば、「ヨウメンって何ですか?」とはなかなか聞けないでしょう。「ベクレルとシーベルトってこういう違いですね?」みたいなことも聞かない、聞けないわけです。背後には、文系の人たちは理系のことは何もわからない、という劣等感があるように思います。たとえば確率は文系にとっては苦手領域のようで、その話が出てくるともうチンプンカンプンだったりします。平時であれば事前にわかりやすい説明にしたり、註釈を入れたりといった準備ができますが、非常時の報道ではそうはいきません。原発事故が起きているさなかの報道で、放射能と放射線と放射性物質の違いもわからなかったりするのは、これはもう論外です。これではいかんと、心底思いました。
文系の人たちは、もっと理系のことを知らなければいけないし、理系の専門家の人たちも、もっと文系の人たちにわかるような説明ができなければいけない。文系と理系の知が分断されている状態は深刻な問題である、文系と理系はつながりを持たないといけないと、震災報道に接して問題意識を持つようになりました。
では、文系と理系の架け橋になるものは何かと考えたとき、それも知識を運用する力すなわち教養なのだろうと思うのです。
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ジャーナリスト
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。計9大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』など著書多数。
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(ジャーナリスト 池上 彰)
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