1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

「『すべてを疑え』という言葉を疑えるか」池上彰が東工大生に放った"鋭い問いかけ"

プレジデントオンライン / 2021年8月12日 9時15分

2020年4月6日、東京工業大学 大岡山キャンパス - 写真=アフロ

ジャーナリストの池上彰さんは2012年から東京工業大学で教壇に立っている。池上さんは学生たちに「あらゆることに対して鵜呑みにせず、健全な懐疑心をもってあたること」を伝え続けているという。その真意とは――。

※本稿は、池上彰・上田紀行・伊藤亜紗『とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

■学生たちに「エビデンス」を問われ続ける

東工大で教えてみると、何かを議論するとき「曖昧な言葉遣いはせずに、定義をきちんと示す」ことが求められます。あるいは「エビデンスはどこにあるのか」と、学生たちからは常に問われます。そうした学生たちの反応は、私にとっては多くの学びにつながっていきました。「なるほど、そうくるか」という反応が講義中にも結構あって、刺激的で面白く、本当に収穫は多いと思います。

反面、エビデンスがないものに関して語れないというネガティブなところもあります。社会学の領域では、たとえば世の中のトレンドを見るには、エビデンスはまだ集まっていないけれども「今、世の中はこう動いているのではないか」と仮説を立てて、そこからエビデンスを探しに行くことになります。「世の中、こうじゃないの?」と言ったりすると、「エビデンスがないですね」と返される。あるいは「きちっと定義してください。定義がないと議論できません」と言われます。そう言われると、たしかに感覚的な予測だったり表現だったりするので反論できず、「は、はい、すいません」と言うしかないときもあります。

■「すべてを疑う」学問への態度を教えてくれた先生

思い返せば、私は大学生のときに、とてもいい先生に出会っています。いつの時代も、いい先生とそうでない先生はいるものです。私は慶應義塾大学経済学部で経済学を学んだのですが、そこで3人の先生から、本物の学びを得たように思います。

一人は社会思想史の白井厚先生でした。白井先生は毎回90分授業で、社会思想史を形成してきた過去のさまざまな学者について、一人ずつその思想や時代背景を解説し、その現代的意義を考えさせます。毎回ワクワクするような授業でした。

二人目は経済学の北原勇先生で、私はその先生の研究ゼミに所属しました。北原先生の口癖は「すべてを疑え」、学問のうえではすべてを疑ってかかれというのです。「権威ある学者の論文や著書であっても、それを安易に信じてはならない。そこに書かれていることが本当かどうか、まずは疑う態度が重要だ」と。実際のゼミでも、仲間の主張に遠慮なく反駁(はんばく)せよと言われ、「すべてを疑う」という学問への態度を徹底的にたたき込まれました。ゼミ仲間の報告に対し、私が厳しく問題点を指摘したところ、先生は大喜びでした。

■「疑う」ことが教育における核

そしてもう一人、大学2年のときに科学哲学の持丸悦朗先生の「経済学方法論」という教養ゼミを履修しました。この授業も毎回楽しみに受けていました。内容は、科学哲学の理論から経済学における方法論を読み解いていくというものです。私にとっては面白いのですが、毎回とにかく話が難しいので、最初は十数人いた受講生が次々と脱落して最後は3人になって、先生とほぼ1対1で議論していました。

この3人の先生にはいまでも感謝しています。いっぽうでそれ以外の授業にはほとんど出ずに、たいていは図書館で本を読んで勉強していました。

書籍
写真=iStock.com/jovan_epn
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/jovan_epn

北原先生の薫陶のおかげで、「疑う」ことが教育における核であると、私も思っています。それは「健全な懐疑心を持て」ということです。疑うにもいろいろな意味がありますが、猜疑心(さいぎしん)ではなく、懐疑心を持つことが大事なのだと思います。猜疑心では友だちをなくしますからね。東工大の学生にも、あらゆることに対して、鵜呑みにせず、その前提に対して健全な懐疑心をもってあたれと、言っています。

■空気を読むこと、共感することが重視される日本社会

では疑うという姿勢は、どのように養うことができるのか。そこは、とくに現在の状況を考えると難しいものがあります。疑うことは反駁することであり反抗的な精神とともにあるものです。

いっぽう近年の日本社会では、空気を読むこと、共感することが、能力として重視され、同調圧力は相変わらず強い。そんな社会の中で、いったいどうやったら反抗精神や批判精神の大切さを自覚できるようになるのか、悩ましい問題です。

東工大に着任して早々の入学式で目にした光景は、その難しさを印象づけるものでした。大学の入学式に両親、そして祖父母も出席し、東工大のシンボルである時計台の前で学生本人を囲んで記念撮影をしているではありませんか。見ると、撮影の順番を待つ長蛇の列ができている。わが子、わが孫が、晴れて東工大に入学したことを誇らしく喜ばしく思う気持ちはわかりますが、私の学生時代には、大学の入学式に親が来るなど考えられないことでした。携帯電話で撮った写真をすぐさまSNSに投稿して満足そうにしている新入学生たちの姿に、私はショックを受けました。

■「すべてを疑え」という言葉を疑えるか

反抗期という精神の発達段階があることからも、反抗的な態度や批判的な思考は、まず両親に向かって芽生えるということがあると思うのですが、今の若い世代にそういうものがないとしたら、彼らに向かって「まずは疑う」ということの意味をどう伝えたらいいのか、これは相当に難しいぞと思いました。

学生だけではありません。全学生に向けた講演で、私が「すべてを疑え」と話したことに対して、他の先生から、それはちょっと困るというコメントをいただき、次からは言い方を変えるといったこともありました。私の話を聞いた学生たちが、他の先生の講義やゼミで先生の揚げ足ばかりとるようになってむしろ学びが妨げられてしまう、というのです。なるほど、それはよくないなと思い、翌年の講演では、「実は去年、『すべてを疑え』と言ったら、その私の『すべてを疑え』という言葉を疑わなかった人ばかりだった」という話をしたのです。

ホールの背景とマイク
写真=iStock.com/smolaw11
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/smolaw11

クレタ人のパラドックスというよく知られた逸話があります。「クレタ人は嘘つきだ」とクレタ人が言ったとき、これは真か偽か。論理のジレンマのような逸話です。それと似たロジックを使い、「すべてを疑え」と言った私の言葉を疑わなかったみなさんはとても素直であると、話を展開してみました。その真意が伝わったかどうか……、時間はかかりそうです。

■「銀行の内定を蹴って、NHKに来ました」

「疑う」という態度について、もう少し視野を広げてみると、日本人全体がある時期から疑わなくなってしまったのだと思います。そのことを強烈に感じたのは、まさに日本経済がバブルに沸いていた1980年代後半の時期ですね。

池上彰・上田紀行・伊藤亜紗『とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡』(中公新書ラクレ)
池上彰・上田紀行・伊藤亜紗『とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡』(中公新書ラクレ)

当時私はNHKで首都圏ニュースのキャスターをしていたのですが、新人ディレクターが、「僕は第一勧銀(みずほ銀行の前身)の内定もらって囲い込みがあったんですが、かろうじて逃げてNHKを受けに来ました」と平然と言うのです。「なんだって⁉」、それを聞いて私、烈火のごとく怒りました。

「君ね、銀行から内定もらうような人が、マスコミに来るなんてけしからん」と、結構ののしるような口調で言ってしまったのを覚えています。

銀行に就職することに問題はありません。しかし、資本主義の富による権力構造の中枢を担っている銀行と、権力を監視するメディアと、両方に願書を出して、両方受かったからさあどうしようかと天秤にかける、その態度が、私としては信じられないという気持ちでした。それは違うだろうと。

■メディアが反権力の旗印ではなくなってしまった

しかしその一件があって、私は痛感しました。新聞や出版やテレビというメディアが、もはや反権力の旗印などではなく、エスタブリッシュメントの側になってしまったのだと。そうなると新聞では朝日新聞、放送ではNHKが、エスタブリッシュメントの中のさらにエスタブリッシュメントのような存在と化してしまっている。これでは第一勧銀とNHKが就職先として天秤にかけられるのも仕方ないことです。あのとき、世の中変わってきたなあと思いました。

でも、いまはさらに世の中が変化して、NHKがエスタブリッシュメントであると見ている人ばかりではないでしょう。幸か不幸か、新聞社を志望する学生は激減していますし、放送局も報道志望はいなくなりつつあります。NHKも民放も、事業やイベントの部門は人気だそうですが、報道の現場は過酷な職場だと知れわたり人気は落ちる一方です。社会の変化が激しい時代に、大学教育はどうあるべきか、学生たちの就職活動の変化をベースに考えることも必要なのでしょう。

----------

池上 彰(いけがみ・あきら)
ジャーナリスト
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。計9大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』など著書多数。

----------

(ジャーナリスト 池上 彰)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください