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「なぜ日本選手団の白ジャケは格好よかったのか」AOKIが"意地でも全員を採寸"したワケ

プレジデントオンライン / 2021年8月3日 10時15分

2020年夏季オリンピック東京大会の開会式で、手を振りながら入場する日本選手団ら=2021年7月23日、東京都内のオリンピックスタジアム - 写真=Sipa USA/時事通信フォト

東京オリンピックの開会式では、約150人の選手たちが白のジャケットと赤のボトムス姿で行進した。手掛けたのは紳士服大手のAOKIで、選手一人一人を採寸し、体型に合わせたスーツを仕立てた。その舞台裏を、ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。

※本稿は、野地秩嘉『新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■招致団に始まり、平昌、そして東京へ

AOKIがオリンピックに関わった最初のきっかけは2013年9月、東京オリンピック・パラリンピック大会の招致団が着用する公式ウエアを担当してからだ。

その後は平昌冬季オリンピック(2018年)の日本代表選手団が着る公式服装を担当した。平昌冬季オリンピックでは268人の日本代表選手団の式典用の服を作製している。

そして、平昌の経験を生かして東京オリンピック・パラリンピック大会の公式服装作製事業に応募したのは2019年4月。書類による審査とプレゼンテーションを経て選ばれたのである。

担当するのは、商品戦略企画室の本田茂喜が率いるチームだ。

「公式服装はデザインと機能性の融合です。新合繊(※)はまだまだ進化していく素材です。わたしたちは長年、新合繊を扱ってきましたからやれると思って応募し、結果を出したんです」

※1980年代後半に日本の繊維業界が開発したポリエステル素材。布の質感に合わせて糸の段階から伸縮性などを設計できる。

■工字繋ぎ、七宝柄、うろこ柄…和の文様をふんだんに

東京大会の公式服装には2種類がある。開会式用と式典用だ。式典用とは結団式、解団式などの式典に着用する。

開会式用は男女とも白のジャケット赤のパンツで、女子はパンツの他、キュロットのタイプもある。いずれもポリエステル100パーセントである。

式典用は紺のジャケットに白いパンツを合わせる。これも女子はキュロットタイプも用意されている。式典用ジャケットはポリエステルではなく、麻100パーセント。式典用は屋内での着用を想定しているので、麻になった。だが、麻は伸縮性に欠ける。そこで、本田は麻を編み、ニット地に仕立てるというくふうをした。

開会式用の白いジャケットには「縁起の良さ」を入れることにした。工字繋ぎと呼ばれる紋様で、「工」という漢字が続く地紋になっている。工字繋ぎは芯を貫く意志の強さを表現したもので、着物の地紋によく使われるものだ。また、ネクタイ、スカーフ(式典用)には七宝柄、うろこ柄、縞柄を用いた。いずれも和風の粋な紋様で、これもまた縁起の良さに通ずる。

シャツは通気性、伸縮性を重視したポリエステル製の編み地である。

■本田がこだわったジャケットの金ボタン

加えて、本田がこだわったのが式典用ジャケットに付ける金ボタンだ。

国立競技場
写真=iStock.com/ebico
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ebico

「アスリートはみなさん、ゴールドメダルを取りたい人たちです。ですからジャケットには金ボタンと決めました。

それに、選手の方々はオリンピックのユニフォームをとても大切にされています。かつての1964年大会のユニフォームを保管されている代表の方々も大勢いらっしゃるくらいですからね。ボタンの金メッキは50年経っても色褪せないようなタイプにしたんです。

洋服は仕上げの段階で検針機という機械を通します。万が一、針が洋服に残っていたら大変なことになります。それで金属探知機みたいな検針機を通すのですが、検針機を通すためのメッキ加工は表面が剥げやすい。ですから、ボタンだけは別に検査をして、服だけを検針機を通すことにしました」

■審判団のユニフォームは「ウォッシャブルで早く乾く」

彼はできることはすべてやった。やり尽くしたと言える。新合繊という素材を使い、デザインには縁起の良さを取り入れ、耐久性のある金メッキをボタンに施した。

また、審判団のユニフォームは同じように新合繊を用いて、冷涼感のあるものに仕立てている。

審判団ユニフォームには2種類ある。ジャケットとパンツはAOKI、ポロシャツとパ
ンツというカジュアルな審判ユニフォームは同じく公式スポンサーのアシックスが担当する。

なお、両社の審判用ユニフォームはどちらもウォッシャブルで速乾性がある。

真夏の東京では選手よりも審判のほうが屋外にいる時間が長い。汗だくになるのはわかりきったことだ。伸縮性、通気性もさることながら、毎日、洗濯機で洗うことも計算に入れなければならないのである。

■選手団1600人を一人一人採寸する予定だったが…

公式服装を作成するうえで、大切なのは採寸の精度だろう。AOKIには日ごろからオーダースーツの採寸をしているエキスパートが何百人といる。今回は全社員約5000名のなかから300名を選抜した。選抜された者たちは正確を期して、採寸する講習を受け、代表選手たちの採寸と製作に臨んだ。なんといっても1600人の採寸だ。しかも、代表選手は開会の直前まで決まらない。採寸に携わるスタッフは不眠不休を覚悟した。

だが……。

2020年3月、東京オリンピック・パラリンピック大会はコロナ禍で1年延期と決まる。

代表選手の顔ぶれも変わるのだから採寸、製作ともにあらためてやり直すことになった。東京2020公式ライセンス商品としてスーツも売り出しはしたが、これもいったん、白紙に戻している。

むろん1年延期になっても代表のままでいる選手もいる。しかし、あくまで少数だ。大半はやはり21年の春から初夏に決まる。結局、採寸、製作スタッフにとって負担は変わらないのだった。

■「採寸=測ること」だけではない

本田は「採寸とは測ることだけではありません」と言う。

「単に寸法を測るだけでしたら、AIやオンラインで測ってもいい。しかし、わたしたちは選手のみなさんと対話することで服を作りたいのです。コロナ禍で、ひとりひとりが孤立しているからこそ対話しながら採寸したい。マスク、フェイスシールドをして測ります。対話から生まれてくるものがちゃんとあるんです。選手のみなさんに自信を持って着ていただける、自らが輝くことのできる服を作るにはお好みを直接聞くしかないのです」

採寸スタッフがあくまで対面を望んだのは、目を見て話をしたいから、それをやらずにはいられなかったからだ。

「やらずにはいられないからやる」

サービスの本質とはそれだ。スタッフは採寸を通して、代表選手たちに自分たちの接客、自分たちのサービスを感じてほしかったのである。

写真=AOKIウェブサイトより
AOKIが手がけた「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会日本代表選手団公式服装(開会式用・式典用)」。 - 写真=AOKIウェブサイトより

■選手団の格好が「どこかあか抜けない」…その訳は

作製が決まった時点では想像できなかったけれど、実際に選手のサイズを測ってみたら、課題が出てきた。選手たちの体型はいずれも一般人の標準体型とはかけ離れたものだった。

オリンピックの代表になるくらいだから選手の体は一般の人間よりも、必ずどこかの筋肉が発達している。柔道、レスリングのような格闘技、そしてパワーリフティングの選手は胸や肩の筋肉が発達しているし、腕も太い。

サッカー、ホッケー、陸上短距離選手は太ももとふくらはぎが発達している。マラソン選手はやせ型の標準体型に見えるけれど、実際に見ると、太もも、ふくらはぎは一般の人よりも太く、強靭だ。

格闘技選手のスーツを仕立てるとする。AOKIにある一般人の型紙を使おうとすれば上から下まで大きなサイズの寸胴デザインになってしまう。

また、マラソン選手の服をやせ型の型紙で作ったら、上着はフィットしたとしても、パンツはまるっきり入らない。既製の型紙では対応できないのがアスリートのスーツだ。

過去のオリンピックで開会式に入場してきた日本選手たちの服装を見ていると、奇抜だったり、どこかあか抜けなかったりするように感じることがあった。それはデザインの問題、デザイナーの技量と思っていたけれど、実はそれぞれの選手は体にフィットしない服を着ていた可能性がある。

サイズが合わない服、自分が気に入らない服を着ていると、外からの目にはだらしなく見えてしまうのである。

■太い部位に合わせると他がぶかぶかになってしまう

本田はアスリートを採寸する時に気を付けるべきポイントをこう説明する。

仕立て
写真=iStock.com/ImageGap
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ImageGap

「通常、ジャケットは胸、肩回りが重要なので、そこをまず測ります。パンツは腰回り、太ももから合わせます。

アスリートのみなさんのなかには腿(もも)がすごく太い方がいらっしゃる。太ももの寸法を測り、既製の型紙を利用すると、ウエストが96センチとか1メートルになってしまうんです。通常の体型の人ならば太ももが太いとウエストも大きくなるからです。結局、ウエストがぶかぶかで、膝下まで太いままのパンツになってしまうんですよ。すると、若い選手から必ずクレームが来ます。

『僕は太ももが太いのはわかっています。でも、裾のほうまで太いとダボダボになって、カッコ悪くないですか?』

通常体型の型紙は使えません。ひとりひとりの採寸をしたうえで、型紙もまたひとりひとり作らないといけない。お客様の声ですから、わたしたちサービス業はそこを見逃してはいけないんです。テニスの選手でしたら手が長いから、それもまた型紙を作るのです」

ある女子の選手はそうやって作られた体にフィットしたジャケット、パンツに対しても、試着した時にダメ出しをしたという。

「もっとぴったりした服にしたい」

採寸の難しさとはここにある。

■本人が気に入ったサイズが「適正」になる

プロのフィッターが採寸して「これが適正です」と伝えても、着る人間が「ノー」と答えたら、それまでだ。オーダーの服とは本人が気に入ったサイズが「適正」であって、フィッターがいくら「このサイズです」と伝えても、本人は受け入れない。

フィッターはつねに着る人の意見と感覚を尊重しなければならないのである。

同社のフィッターのなかで、もっとも多くの採寸をしてきた小野太郎は言う。

「店頭でパーソナルオーダーというサービスをずっとやってきました。スーツ1着の価格は2万9000円からですから、オーダーとしては相当、安いです。採寸してきて、大きめにしてくれというのは年配の男性だけです。あとはみんな、とにかくスマートなシルエットにしてくれ、と」

スマートなシルエットとは、つまり、痩せて見えること。人が洋服に望むことはフィットしていることではない。痩せて見えるサイズが欲しいのである。

AIはフィットするサイズを提案することはできる。しかし、痩せて見えるサイズを提案できるのは人間だけだ。それに、痩せて見えるサイズとはぴちぴちのサイズではないし、だぶだぶでもない。本人が「これならわたしは痩せて見える」と思うサイズだ。科学の問題ではなく本人の気分なのである。

■スーツが売れない時代に彼らが得る喜び

AOKIのスタッフたちは着る本人が「わたしが欲しいサイズ」だと納得するまで採寸し、それから製作に入ることになった。採寸にとてつもなく時間がかかるのは本人の希望を聞き、そして、納得させなくてはならないからだ。

野地秩嘉『新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語』(KADOKAWA)
野地秩嘉『新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語』(KADOKAWA)

なお、審判団は5500人もいる。ただ、彼らの場合は標準体型の型紙を利用できるから、ひとりひとりのサイズを測るわけではない。外国人審判も含めて通常の型紙で対応し、いくつかのサイズを作り、試着してもらってから縫製して仕上げることになっている。そうは言っても5500人分の服を作るのは簡単ではない。それはそれで膨大な手間と時間がかかるのである。

コロナ禍で在宅勤務が多くなり、スーツを買う人が増える見込みはない。それでなくとも、スーツの市場規模は小さくなり、3年前の7割しか売れなくなった。AOKIが置かれている企業環境は決して良くはない。それでも彼らはきちんと採寸をする。丁寧に縫製する。アイロンで仕上げて選手ひとりひとりに渡す。それが彼らの仕事であり、AOKIがやってきたことだから。

彼らは自分たちの報酬は金ではないとわかっている。真の報酬は選手たちの目の輝きだ。選手たちにとって、体に合った服で大舞台に立つことは何よりの喜びだから、そのために本田たちは働く。

■「これはうちだけの力というより日本人の力です」

AOKI創業者の青木擴憲は言う。

「コロナ禍で時計の針は10年進んだと思います。洋服のカジュアル化はその前から始まっていましたから、コロナ禍ではそれがいっそう進んだわけです。しかし、時計の針が進んだとはいえ、スーツはなくなりません。

それは、いいスーツが似合う人は仕事ができるからですよ。いやいや、わたしは自分のことを言っているわけじゃないよ。気合を入れて仕事をする時には格好いいスーツが必要だという意味なんです。

当社が公式服装の応募をして勝ち取ることができたのは商品の質、センスがあり、機動力があるからです。審判団5500人の5500着をあらかじめ作っておくのは、資金がなければできないし、能力もいる。選手ひとりひとりの採寸をするのもそういう技術を培っていたからできる。

でも、これはうちだけの力というより日本人の力です。日本人は心からのサービスが得意だからでしょう。この大会のレガシーはおもてなし、サービスですよ。

外国人観光客が来なくとも、このオリンピック・パラリンピックで日本は観光立国としての立場が盤石になります。映像を通してでも、日本の魅力を世界に知らせるベストチャンスが東京オリンピック・パラリンピック大会です。

日本ってこんないい国なんだ、おいしい料理だ、やさしい人たちだ、約束を守るんだ、マスクしろと言えば全員がするんだ。日本は真面目な人たちが住んでいて、四季があって風光明媚な国です。こんないい国って世界中にないです。わたしは本大会に関わるすべての皆様に感謝しています」

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。noteで「トヨタ物語―ウーブンシティへの道」を連載中(2020年の11月連載分まで無料)

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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