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「叱った記憶はほとんどない」大谷翔平の愛され気質を作った両親の育て方

プレジデントオンライン / 2021年8月13日 11時15分

2021年8月2日、テキサス州アーリントン、グローブライフ・フィールドでのテキサス・レンジャーズ戦の1回、ダグアウトにいるロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手 - 写真=Sipa USA/時事通信フォト

米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手は、アスリートとしての能力だけでなく人柄でもファンを魅了している。その人となりはどのようにして育まれたのか。スポーツライターの佐々木亨さんが大谷の両親に聞いた――。

※本稿は、佐々木亨『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』(扶桑社文庫)の一部を再編集したものです。

■二歳違いの姉とよくケンカをした

いかにして大谷翔平の人間力は生まれ育まれてきたのか。

彼の少年時代を両親の証言でつないでいくと、その真相に少しずつ近づいていく。

父には、末っ子を「叱った」記憶がほとんどない。どの家庭にもあるように、年齢の近い幼い兄弟というものは、些細なことでよく喧嘩になるものだ。先に手を出した、出していない。お気に入りのものを壊された、壊していない。子供の感覚や視点からすれば、それらも十分にケンカになり得る大ごとなのだろうが、そんな他愛もない、いわゆる兄弟ゲンカは大谷家の場合は「姉弟ゲンカ」だ。二歳違いの姉と翔平は、幼い頃はよくケンカをしたのだと父の徹さんは言う。

「歳が近かったこともあって、二人はしょっちゅうケンカをしていましたよ。親からすれば、本当に他愛もないものです。そんなケンカで、どっちもダメじゃないかと二人を怒ったことはありましたけど、それぐらいですね。翔平が何か悪いことをして怒ったことはないですね」

両親の記憶によれば「幼稚園か小学校に上がったばかりの頃」に、当時流行したハリーポッターのグッズをめぐって、末っ子は珍しく泣きわめいたことがあった。今でも大谷家に残る映画のキャラクターが表紙に描かれた分厚いノートを見ながら、母はこう語る。

■父が唯一、大谷を本気の声で叱ったとき

「たしか表紙のところに買った当初から少しだけ剥がれちゃっていた部分があったんですよね。翔平は、それが気になるから自分で色を塗ってみたんですけど、思い通りにいかずにさらにおかしくなって泣いて、怒って。絵本なんかでもそうでしたね。お気に入りの本の端っこが少しでも折れちゃったりすると、気になって、気になって、しょうがないみたいで。『誰が折ったんだ!』みたいな勢いになっちゃうこともありました。

翔平が感情をむき出しにして怒るとしたら、自分が大事にしていたもの、持っていたものが傷ついたり、壊れたりするとき。でも、それぐらいでしたね。私たち親がガーッと怒らなければいけなかったことが、考えてみると本当になかったと思います」

父が唯一、末っ子を本気の声で叱ったのはハリーポッターのノートで泣きわめいたときだけだった。「そんな小さなことで怒るんじゃない!」。徹さんが翔平に対して声を荒らげたのは、後にも先にもほかにはなかったという。当の本人は、その“大谷家の事件”を「まったく覚えていないんですよね」と笑う。何の躊躇いもなく、あっけらかんとそう言うあたりも彼らしい。

ピッチャーマウンドに置かれたボール
写真=iStock.com/alptraum
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/alptraum

■きょうだい全員に反抗期はなかった

翔平自身にも、怒られた記憶がほとんどない。

「お父さんから怒られたのは、グラウンドでの野球のときだけですね。家に帰ってからはほぼなかったと思いますよ」

家族間にある風通しの良さが深く影響したと思うが、翔平にはいわゆる思春期を迎えた中学生の頃によくある「反抗期」はなかったと、母の加代子さんは言う。

「反抗期という反抗期はなかったような気がします。訳もなく反抗したり、態度が悪かったということは特になかったと思います。それは翔平だけではなく、子供たち三人ともにそうでした。それぞれが自分の部屋に籠ることもありませんでした。特別に家族みんながものすごく仲がいいというわけではないんですよ。

家にはテレビが一台しかなかったので、何となくみんなが同じ場所に集まって一緒にテレビを見る。本音を言えば、子供部屋にテレビを一台ずつ置く余裕もなかったですし、みんなで一緒に同じ時間を過ごしたいと私は思っていたので、テレビは一台にしたところはありましたけどね」

■姉の自転車を壊しても悪びれない末っ子気質

ただ、たとえ同じ境遇で育ったとしても、それぞれの子供たちが持つ感性や過ごした時代背景、子供同士の関係性によって、人の個性や性格というものは多少なりとも変わってくるものだろう。大谷家の場合、龍太さんには実直で優しさに満ちた、まさに長男という感じで、長女の結香さんには朗らかで寛容な印象を受ける。そして、兄と姉を持つ三番目には、やはり末っ子気質がしっかりと染みついているのだ。

ある日、両親が姉の結香さんに買ってあげた自転車を、翔平がこっそりと一人で持ち出したことがあったという。

「娘とは歳が二つ違い。何を買うにも同じようなペースで二人に買ってあげるんですけど、先に姉に買ってあげた自転車を運動神経がよかった翔平がこっそりと乗ってしまったことがありました。そうしたら、どこかで倒してしまったのか買ったばかりの自転車のカゴを壊して帰ってきたことがあったんですね。姉はカッとして怒る性格でもないので『翔平、壊しちゃった』みたいな感じで言うんですけど、壊した本人も悪びれることなく、そのときはしれっとしていましたね」

■末っ子ゆえに「いい子ちゃん」になっていたか

加代子さんはさらにこう続ける。

「翔平は末っ子ということで、家の中ではわりと甘えん坊だったと思います。学年で七つ上のお兄ちゃんが可愛がってくれて、みんなで大事に見守る感じで。ただ、もともと動き回ることが好きな子だったので外では活発。人前では涙を見せないような強いところもありましたね。あとは、やっぱり下の子なので要領がいいというか、たとえばお姉ちゃんが怒られている姿を見ると、翔平はその怒られたことをやらなかったりするんです。周りを見て何かを感じ取ることが上手だったので、あまり怒られるようなことはしなかったのかなあと思いますね」

ただ、周囲の言動を気にするあまりに「どこかで自分の気持ちを我慢していた部分があったかもしれない」と加代子さんは少しだけ気にするのだ。無邪気で自由奔放な、いわゆる「子供らしさ」を末っ子という立場ゆえに自然と失っていたのではないか、と。

「上の子の姿を見ている翔平は、こんなことをやったり言ったりすれば、親は困るんだな、嫌なんだなというのを何となく感じて、言い方は悪いですけど『いい子ちゃん』になっていた部分があったかもしれません。大人の顔色を見て我慢していたところがあったかもしれない。もっと自由に言ったり、やりたかったことがあったかもしれないのに」

■オンオフの切り替えはしっかりしていた

一般的に、末っ子は自由で活発なイメージがある。ただ裏を返せば、慎重さや我慢強さを備えてしまうのも末っ子の特質と言えるかもしれない。自由さに偏り過ぎれば、物事の考え方が大きく偏る場合がある。自由奔放に振る舞えば、それが個性となるのかもしれないが、見方によれば自己中心的で歪な思考や行動に見えてしまうことがある。一方で、我慢だけの思考に陥ってしまっても、その人の感情が見えにくく、どこか閉鎖的な人間にとらえられてしまう場合がある。

自分の意思で決断し、自由な発想で行動する力。一方で、周囲の行動を冷静に判断する力や、我慢という要素をプラスに転化したときに生まれる強さを秘めた耐える力。それらすべてを持ち合わせたとき、人はどんな成長曲線を描くのか。末っ子が持つそれぞれの特性をバランスよく兼ね備えている大谷翔平の歩みにこそ、その答えは詰まっているように僕は思うのだ。

加代子さんのこんな言葉からも、翔平のバランス感覚の才を窺い知ることができる。

「スイッチが入ったら集中して一気にやるところもあるんですけど、(スイッチが)オフのときは本当にオフ。小、中学校時代の野球でも、試合開始になればもちろん集中してやるんですけど、休憩時間になれば誰よりも楽しそうに遊んでいました。そこは本当に子供らしく。ホースがあれば水かけをしたり、ボールとバットでゴルフをやったり」

■プロに入ってからも最初は服装や髪型に無頓着

それだけに、加代子さんはこう結論付けるのだ。

「大人っぽいところと子供っぽいところがある。それが翔平なんですよね」

それがすべての「原点としてあるのかな」と母は言う。

翔平の本質ともいうべき要素に加えて、「基本的に何事もあまり気にしない性格」が少しずつ顔を覗かせていったのは、幼少期から思春期にかけてのときだ。それは一見、周囲の目を気にして行動する末っ子気質と相反するものだが、自由さにも似た、何事にも動じずに意思を貫いて自分の世界観を持つ、もう一つの末っ子気質である。その性格が徐々に上回っていったのだ。

「無頓着な性格です」

母はそう言い、「プロに入ってからも、最初は服装や髪型にしても気にしている様子がなかったですよね」と言葉を足す。

自分が「これだ」と思うことに対しては一心不乱に気持ちを込める。スイッチのオンとオフをうまく使い分けながら。ただ、感性に触れないものに関しては、どことなく他人事。

無頓着さが表れてしまう。子供の頃からそうだったという。

■お年玉も親に渡してしまう

「中学校の修学旅行へ行ったとき、帰ってきた翔平は家族にお土産を買ってきてくれたんですが、そのお土産代以外は使わずに、残ったお金を私たち親に返してきたんです。普通ならお小遣いとして渡したお金を使い切るとか、その後のお小遣いとして自分で持っておくものだと思うんですが、返金してきたときは、ちょっと驚きましたね。翔平は無駄なことには『お金をかけなくてもいい』と思うところがあるみたいで。

佐々木亨『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』(扶桑社文庫)
佐々木亨『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』(扶桑社文庫)

お年玉も、そのときに使う予定がなければ『持っていて』と私たちに渡していました。結局そのお金で買うのは野球用品。野球以外には興味がないというのはあったんでしょうけど、翔平にはそういうところがあるんです。

服装にしてもそうでしたね。野球を始めてから土日は野球ですし、私服を着る機会がほとんどなかったですから興味が湧かないのはわかるんですが、それにしても服装に関しては……。高校に入ってからも変わりませんでしたね。お正月休みに実家に帰ってきたときは、『洋服がないね』って、家にあるものから何となく自分が着られそうなものを見つけたり。あるときなんかは、友達と出掛けることになって着るものがないとなり、お兄ちゃんのジーパンと私のポロシャツを手にして『これでいい』と言って出掛けたこともありました」

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佐々木 亨(ささき・とおる)
スポーツライター
1974年岩手県生まれ。雑誌編集者を経て独立。著書に『あきらめない街、石巻 その力に俺たちはなる』(ベースボール・マガジン社)、共著に『横浜vs.PL学園 松坂大輔と戦った男たちは今』(朝日文庫)、『甲子園 歴史を変えた9試合』(小学館)、『甲子園 激闘の記憶』(ベースボール・マガジン社)、『王者の魂』(日刊スポーツ出版社)などがある。主に野球をフィールドに活動するなかで、大谷翔平選手の取材を花巻東高校時代の15歳から続ける。

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(スポーツライター 佐々木 亨)

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