「"ありがとう"も"ご苦労様"もない」ドイツ国民が海外帰還兵に異様に冷たくなった理由
プレジデントオンライン / 2021年8月7日 9時15分
■米軍やNATO軍が続々と撤退している
2021年4月、北大西洋条約機構(NATO)がアフガニスタンからの撤退を発表した。以来、オーストラリアも自国軍を撤収している。米国は9月11日という象徴的な期日をもって撤退する予定だったが、現在、それが早まり、8月末には引き揚げるという。一刻も早くと焦る姿が目に浮かぶ。
バイデン米大統領は撤退にあたり、アル・カイーダのオサマ・ビン・ラーディン打倒という当初の目的を持ち出し、「少なくともその目的は達成できた」と述べたというが、しかし、どんなにひいき目に見ても、アフガニスタンでの20年間の決算には「失敗」以外の言葉は見つからない。
今年の6月30日までの米軍の死者は2442人。西側陣営の死者のうちの3人に2人は米国人だった。今はその横でタリバンがみるみるうちに息を吹き返し、アフガニスタン全土の3分の2以上がすでに彼らの勢力下にあるという。
■帰還ドイツ兵を迎えたのはあまりにも冷たい空気
6月30日、アフガニスタンに残っていた最後のドイツ兵264人が帰国した。20年で計16万人が派兵され、59人が命を落とした。うち35人が戦闘行為、あるいはテロによる死者だ。
ただ、この日、ドイツ兵を迎えたのは、あまりにも冷たい空気だった。政治家が駆けつけたわけでも、静粛な式典が催されたわけでもなし。兵士は整列し、いつも通りの簡素な点呼をしただけだった。その理由について尋ねられたアンネグレート・クランプ=カレンバウアー国防相は、一刻も早く家族に会いたかった兵士たちの願いだったと説明した。
その1週間後、大手紙Die Weltに載ったドイツ連邦議会国防委員長のヴォルフガング・ヘルミッヒ氏のインタビュー記事「自国の兵隊を世界へ送り出した者は、彼らを再び迎えなくてはならない」には、このドイツ政府の態度に対する怒りが満ち溢(あふ)れていた。
ヘルミッヒ氏はSPD(社民党)の議員で、2015年より議会の国防委員会の長を務めている。このインタビュー記事の内容については後に触れたい。
■「戦闘状態」に最初こそ国民はショックを受けたが…
アフガニスタン派兵の発端は、言うまでもなく2001年、米国での9.11同時多発テロである。この年の11月には米国の主導で国際治安支援部隊が結成され、英国、フランス、カナダ、ドイツなどによるアフガニスタン支援ミッションが始まった。
![車両部隊](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/e/670/img_ee0d8d523892ad65aa16def47cf0b9af1735099.jpg)
同年12月には西側の息のかかったアフガニスタン暫定政権が建てられ、その支援と国家の復興を名目に戦闘が本格化した。日本の自衛隊も2010年までインド洋での給油活動に参加した。しかし、開戦や戦闘の正当性については、今も意見が分かれる。
ドイツ連邦軍は、当初、開発援助という名目で参加し、活動をインフラ整備や警察官の養成、医療、教育支援などという分野にとどめるつもりだった。しかし、ドイツ連邦軍を追い出そうとしたタリバンの激しいテロ攻撃を受けるうちに、次第に戦闘の深みにはまっていき、やがて、戦闘状態であることを正式に認めざるを得なくなった。
ただ、国民は、最初のうちこそ戦争という言葉にショックを受けたが、2013年を最後に戦死者が出なくなると、アフガニスタンは徐々に視野からフェイドアウトしていったように思う。
■派遣国での戦死者を祀る「記憶の森」
ベルリンから南西に30kmほどの森の中に、「記憶の森」と名付けられたドイツ連邦軍の施設がある。これは、外国での任務で犠牲になった兵士を祀(まつ)る場所で、特に、急激に増えたアフガニスタンでの戦死者を念頭に2014年につくられたという。
それまでは、外国の基地内に、兵士たちの手による簡素な追悼の碑が設けられていたが、撤退すればそれもなくなってしまう。一方、2009年にベルリン国防省の横につくられた戦没者追悼の記念廟(びょう)は、重厚な外観ではあったが、遺族が静かに故人を悼むにはふさわしくないということになり、新たに建設されたのが「記憶の森」だった。
「記憶の森」は足の便が悪く、車がないと行きにくい。4500㎡におよぶ敷地は厳重に警戒され、入場には連邦軍の事前の許可が要る。近くには大きな兵営がある。
私がここを訪れたのは2017年の7月。中に入ると、自然な林の姿を残した風景が眼前に開け、その中を150mのまっすぐな道が貫き、左右に記念碑が配置されている。その日のことを、今、思い返してみても、そこに漂っていた普段とは違う異質な静寂がはっきりと蘇ってくる。
■この森が世間から隠されている本当の理由
案内をしてくれたのは寡黙な陸軍上級曹長で、自ら5回の外国任務を経験したという。彼が訥々と語る実体験に基づいた逸話は、その穏やかな口調でさらに壮絶さが増したように思えたが、それにはここでは触れない。
![森](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/0/670/img_30f7ba51b0903358c3fda43196683e2d1497453.jpg)
印象に深く残ったのは、戦没者の魂が宿ったように思えた木々だ。
林の中を行くと、所々、梢(こずえ)に、工夫を凝らしたプレートや楽しそうな写真の飾ってある木が現れる。家族が特定の木をそれぞれ愛する人の象徴として、その身代わりのように大切にしていた。貼り替えてまもないと思われる子供の字で書かれたパパへの手紙などは、見ていて胸が詰まった。
この施設が人里離れたところにひっそりとあるのは、愛する人を静かに思い出す場所であるからという理由が挙げられている。しかし、案内してくれた兵士は、施設を一般開放していない理由の一つとして、軍人と遺族にとっての大切な場所を、過激な反戦活動家らに汚される懸念を挙げていた。つまり、「記憶の森」は世間の目から隠されていたとも言える。
■ナチにつながる存在はすべてタブー視される
今のドイツでは、軍隊の存在は多かれ少なかれタブーだ。軍隊は戦争好きの人たちの集団だと思っている人も結構いる。それどころか、こういう戦争好きの人間がいるから世界で紛争が絶えないという考えも根強く、軍備にかけるお金があるのなら他に回せという声に、軍人はいつも少し肩身の狭い思いをしていた。
また、当然のことながら、ナチと関係があるものは全否定されている。第二次世界大戦で祖国のために勇敢に戦った兵士たちも、自分たちの行動を誇りに思うことはできない。国防軍の軍旗や紋章には、ナチのシンボル、鉤十字が付いていたから、言い逃れの余地はなかった。ドイツには、ヒトラー打倒のために戦った兵士以外に英雄はいないのだ。
とりわけ、戦後につくられたドイツ連邦軍においては、以前の国防軍と何らかのつながりを持つことが一番警戒された。ドイツの近代史においては、ヒトラーの前後で継続するものはあってはならなかった。
■軍で起きた武器弾薬の溜め込み、ナチ礼賛の表現…
ところが、一昨年あたりから、連邦軍の不祥事が取り沙汰されるようになった。現在の連邦軍、それも一部のエリート部隊の中に、よりによって、戦前までの国防軍を礼賛する空気があると言う。摘発された中には、実際に武器弾薬を溜め込み、政府転覆の機会を狙っていたらしいグループもあり、国内に戦慄が走った。
一方、それ以外のケースは、彼らが仲間内でやっていたグループチャットに、人種差別的な書き込みや、国防軍の装備である鉄兜などのシンボル、また、ナチ礼賛の表現があったことなどが発覚したもので、いずれも処分が相次いだ。もちろんドイツでは、これら極右イデオロギーや人種差別的表現は固く禁じられている。
ただ、その結果、他の兵士も十把一絡げにされ、連邦軍全般に極右の思想が蔓延(はびこ)っているという疑いが生じた。連邦軍の評判は地に落ち、この際、一から組織し直すべきだという意見まで出た。アフガニスタンからの兵士の帰還が大きく取り上げられなかった背景には、そういう空気も影響していたと思われる。
■なぜ“ありがとう”と“ご苦労様”がないのか
そして、それに憤ったのが前述のヘルミッヒ氏だった。「兵士に対する尊厳の喪失は、政治的、そして感情的なマイナスである」と。海外での軍事的責任は国防省にあるが、海外派兵には外務省が重要な役割を果たす。しかも、最後の決定を下すのは議会だ。「だからこそそれぞれの機関の代表者は、この記念すべき日に姿を現すべきだった」とヘルミッヒ氏。軍楽隊も長いスピーチも要らない。しかし、なぜ、“ありがとう”と“ご苦労様”がないのか?ということだろう。
その後、8月31日にアフガニスタン撤退の記念式典が行われることになったが、ヘルミッヒ氏はメルケル首相の列席を強く期待するという。「私の記憶が正しければ、過去16年間の軍事行動の頂点にいたのは彼女だったはずだ」という彼の言葉には、今回のメルケル首相の沈黙に対する強い抗議が込められていた。
ドイツで極右といえばナチに直結し、ナチの擁護や礼賛は刑法に抵触する。だからこそ右傾は極右化の始まりとして危険視され、芽の出た時点で潰さなければならない。とりわけ連邦軍の右傾化は警戒される。
とはいえ、兵士になろうという人間の心にあるのは、右派の思想よりも愛国心ではないか。それがなければ、徴兵制も停止されている今、兵士になろうなどとは思わないだろう。そして政府は何より、そんな愛国心に満ち溢れた兵士を必要としている。しかし、その一方で愛国心には誰も触れたがらない。それは、国家主義といったよからぬ概念と紙一重で、特に政治家にとっては、下手に踏むと自分が吹き飛ばされる地雷になりかねないからだ。
■日本はドイツよりもさらに重症だ
7月29日、クランプ=カレンバウアー国防相は、「記憶の森」で連邦軍の予備兵の連盟が開催した式典に列席し、戦死者を追悼した。
![日仏米共同訓練「アーク21」で、市街地戦闘訓練に臨む陸上自衛隊とフランス陸軍=2021年5月15日午後、宮崎、鹿児島両県にまたがる霧島演習場](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/8/670/img_d867ac0e6d5bd8f28b561f77dcff14a61443603.jpg)
ただ、私がそれを知ったのは連邦軍のホームページ上で、普通のニュース番組ではなかった。ニュースにならないことは拡散されにくい。国防に対する国民の無関心は、「記憶の森」を人里離れたところにひっそりと置いておく政府や、左派の意見を重視するメディアによって醸成されている気もする。
戦後のドイツと日本の平和主義はよく似ている。左翼は平和を愛し、右翼は戦争を好むといったイメージがしっかりと定着している。愛国心という概念は微妙なので教育の場から取り除き、軍隊(自衛隊)は常に負のイメージだ。ドイツの社民党は、NATOにおける米軍との核シェアリングも、もうやめようと言っている。
ただ、ドイツはそれでも軍隊を持ち、NATOの集団的自衛権にも組み込まれている。一方の日本は交戦権も集団的自衛権も放棄し、このままでは、攻撃されれば戦わずして占領される運命だが、幸か不幸か、気にしている人もあまりいない。愛国心や危機感の喪失はドイツよりもさらに重症だ。
安全保障の概念の抜け落ちている国家は平和を語る資格がないと、私は常々思っている。
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作家
日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ライプツィヒ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。その他、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『移民・難民』(グッドブックス)、『世界「新」経済戦争 なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか』(KADOKAWA)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)がある。
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(作家 川口 マーン 惠美)
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